スペース・ラブ



廊下に出てエントランスを見下ろせば、征士の妹と言う女性は遠目にもすぐ見つける事が出来た。
ベース勤務者との雰囲気が違うという事もあったが、それ以上に兄同様に人目を引く美しさがあったからだ。

当麻は彼女の元へすぐには向かわず、少しだけ観察をした。
纏う雰囲気は違うが、耳の形が似ている。征士の血縁者と言うのは間違いなさそうだ。
だがいくらハンターの身内とはいえ何があるか解らないし、場合によっては自分は標的になる事もある。
相手は自分を名指しできたと言うが、自分は相手の事を何も知らない以上、警戒はした方がいい。

待ってる間に飲んでいたらしいお茶の他に何か包みを抱えているが、特に害意があるようには見えない。
暇そうに周囲を見渡し、時折声をかけてくるベース勤務者達と少しだけ会話をしている様子からして、
彼女が此処へ来るのが初めてではないのが解る。
兄を訪ねて何度か足を運んだのだろう。
それは本部では考えられない光景だった。
本部では出入りを許された者以外は、譬え家族であろうともエントランスに足を踏み入れることは禁止されている。
ではもし家族に用があった場合はどうするのか。その場合は守衛の居る場所で待機させられ、そこに指名した者が出向くのが本部のあり方だ。
まるで身内さえ信用していないような対応だが、それだけ守るべき事が多いのだから仕方がない。
だから当麻も子供の頃はベース内に入った事はなかった。
例外的に招かれた、ただの1回を除いては。

エスカレーターを使って階下に向かう。
自分に向かって歩いてくる人物に気付いたのか、征士の妹という人物は少しも緊張していない様子で当麻に微笑みかけた。


「あなたが当麻さんですか?」

「ええ、そうです。伊達さんの妹さんですね?」


敢えて”伊達さん”と呼ぶ事にした。
一体何の用か解らないうちは、下手に親近感を持たさない方がいい。


「はい。伊達皐月といいます。これ、兄から言われて届けに来ました。今日、あなたが此処に来るからって」


そう言って差し出されたのは、彼女が大事そうに抱えていた小さな包みだ。


「これを…?……此処で開けても?」


聞くと彼女は嬉しそうに微笑む。
何の警戒心もない様子に、当麻も少しだけ警戒を緩める事にした。

ガサリと音を立てて中から出てきたのは1枚のディスクだった。


「………?何だ、これ」

「”ビリー・ビリー”のデータです」


小さく漏らした声にきちんと反応して彼女が答える。


「ビリー・ビリー?……ビリー、ビリー…ビリー……」


言われても何の事か解らずに首を捻る当麻がおかしかったのか、皐月と名乗った女性は噴出した。


「……………何かおかしかったかな」

「いえ、何かちょっと……ごめんなさい、可愛らしいって思って」

「あ、そお…」


ここでも”可愛らしい”かよ。と当麻は少しだけ拗ねる。
自身の容姿に対する褒め言葉として使われるのは、”カッコイイ” より断然、”可愛い”の方が多いのは中々に複雑だ。
もう30歳になったし男だし、やっぱりカッコイイと言われたほうが嬉しいのに、いつまで経っても可愛いという評価から抜け出せない。
確かに可愛いといわれるからそれを利用して人間関係を築いてきた部分はあるにしても、やっぱり男なんだから…と思ってしまう。


「それ、兄と話していた映画なんですよね?」


そう言われて当麻が、あ、と呟いた。それで彼が思い出したのだと判断した皐月は、更に話しかけてくる。


「兄……あぁ、もういいか。お兄ちゃんったら酷いんですよ。もう結構前ですけど急に電話してきて何かなって思ったら、
実家に置いてきた自分の荷物の中から映画を探してくれって言うんですよ。探すくらいならって私も安請け合いしたのも悪いかも知れないけど、
お兄ちゃん、タイトルを忘れたから今から言う内容で片っ端から探せなんて言い出して!どう思います?あんまりですよね!?」


どうやら兄への不満のようだがその表情は楽しそうだ。それだけで仲の良さが解る。


「それで私、時間を見つけてはお兄ちゃんの持ってる映画のデータを見ながら探す事になったんですけど、お兄ちゃんって結構映画が好きなんですよ。
だから持ってるデータも物凄い量で!お陰で頼まれてから今までかなり時間がかかっちゃって…ごめんなさい。コレ、観たかったんですよね?」

「いや、謝る事じゃないよ。寧ろお礼を言わないとね。ゴメンネ、ありがとう、俺が観たいって言ったばっかりに」


相手につられて当麻もつい砕けた言葉になる。
一気に距離を詰められた感じは否めないが、不快とは思わなかった。


「いえいえ、ホント、いいんですって。恨むべきはお兄ちゃんですから。しかもね、お兄ちゃんってばあの時、一方的に言って電話切ったんですよ。
もうホントー、信じられないでしょ?内容だけ言って、なるべく急いでって、ホント、マイペース過ぎて…!」

「そんな風に見えないのに」

「そうですか?お兄ちゃんって結構頑固だしジジ臭いし説教臭いし堅苦しいし言葉足らずだし、…本部でちゃんとやれてますか?」


酷い言い草を並べ立てた後で、やはり身内が心配なのだろう、彼女の表情が不安げなものに変わった。
当麻はそれを尊いものを見るように目を細めて見た。


「大丈夫だよ、征士はちゃんとやれてるどころか、貴重な人材だ」


本当の事だ。
ハンターとしての腕は最高だし、仕事振りだって、それにトレーニング一つにしても真面目にこなす。
闇雲に全ての時間を鍛錬に回しても身体に疲労が残るだけだから、適度なところで切り上げて息抜きも言われずとも、取る。
その上で自分の事をあれこれ構ってくれるのだから、ハンターとしてどころか人間としても充分すぎる人材だ。
だから素直にそう教えてやると皐月がまた笑い出した。


「………え、今度は何」

「ううん、…ふふ、そうかぁって」

「……え、何が?………あ、」


つい”伊達さん”呼びを忘れていた自分に気付く。


「ごめん、人のお兄ちゃん、呼び捨てにした」

「あーいいですよ、そんなの」


気にしてないと笑う皐月の表情は、類稀な美貌の中に都市部の女性にはない素朴さも兼ね備えていて、嫌味がない。
己の長所を良く知り、一部の隙もなく綺麗に着飾った女性も確かにそれはそれで綺麗だが、見ているだけで癒しを与えられる事は少なかった。
その表情に当麻が目を奪われているのを無視して彼女は言葉を続ける。


「そのデータ、昨日やっと見つけたんです。それでお兄ちゃんに電話してすぐ送るねって言ったら、明日そっちに行く人に渡せって言い出して…
何かデータを探してくれって言った時もそうだったけど、妙に必死だナァって思ってたら……そうかぁ…そうですかぁ…」

「いや、その…一人で納得しないで貰えると…嬉しいかなぁ…」

「いえいえいえ………あの、さっきの評価ってハンターとしての評価ですか?それとも、一個人としてですか?」

「評価?さっきの…?」

「そう、さっきのお兄ちゃんの評価」


期待に満ちた目で見られても、困る。
ハンターとしての評価でもあるし、征士という一個人への評価でもある。
彼はハンターとしても理想的だったし、人間としても充分に一般の理想を上回っている。


「ううん…まぁ………両方、かなぁ」

「じゃ、それは当麻さんから見てですか?」

「………まぁ、…俺は一応これでもハンターの世話をする人間だから、俺個人の評価には違いないけど」

「じゃ、当麻さんから見てお兄ちゃんってどうですか?」

「え、どうって言われても…」

「口煩いですか?」

「口煩い…時もあるね」


口煩くされるのは当麻に非がある時ばかりではあるけれど。


「頑固で扱いにくいですか?」

「あー…………」


こちらの指示を無視した事は例の元格闘技者との一戦のみだ。


「あ、でもナイ。扱いにくくはない」

「言葉足らずで冷たくはないですか?」

「言葉は…もしかしたら足らないかもしれないけど充分通じるし、冷たくは…ないな」


あんなに人の事を構うのだから冷たくはない。少なくとも都市部では。
このあたりの人間にしては彼は表情が少ないからそう見えるかもしれないけれど、これっぽっちも冷たいなどと思った事はない。
寧ろ。


「それどころか物凄く優しいよ」


ちょっと悔しくなるくらい。
その優しさで、こっちが勝手に傷付いてしまうくらい。


「え」


だが皐月の反応は意外なものだった。


「優しい?お兄ちゃんが?」

「え、うん。凄い優しいと思うけど」

「……本当ですか?」

「うん。……あれ?…あ、解った。妹だから解らないんじゃないかな。あれが当たり前だから。征士みたいに優しいのは、
言っちゃうけど都市部じゃいないよ、あんなに優しい人間。…まぁこの辺の人、みんな優しいみたいだけど…」


だって誰も彼も純粋で親切で、優しい目をしているのだから。
都市部では親しい人間や好ましいと思う人間以外にはとても無関心だというのに。
少しの滞在なのに、思わず老後は此処に住むのもいいなと考えてしまうほどの心地よさだ。
尤も便利な生活が骨まで沁みている当麻にはどちらの方が良いかなんて今は答えに出せないとしても、
将来の選択肢に入れておくくらいには、魅力的な心地よさだった。


「お兄ちゃん、厳しいですよね?」

「うーん…厳しい、ねぇ…筋が通ってるからあんまりそう思った事は無いけど」

「…………わあ」

「なに?」

「思った以上に、露骨だ」

「誰が?」

「お兄ちゃんが」

「征士が?」

「優しいんですよね?厳しくなくて」

「いや、言ってる事はシビアだけど筋が通ってるから……ちょっと言いにくいけどその辺の感じ方は土地柄じゃないかな?」

「そうですか?」

「うん。ここの人は皆優しいし穏やかだから征士みたいな人間は厳しく感じるんだろうけど、都市部じゃ本当、征士は凄く優しい方だし、
言ってることも外れてないから言い回しは兎も角としても、厳しいとは思わないんだと思う」


現に本部で行われているハンター同士のミーティングで、征士は結構頼りにされていると聞いた。
当麻も何かあって征士に意見を求める事は多いが、その時も彼は見当違いな事を言ったことはない。
いつも自分と話しているところしか知らないから他者へはどうだかあまり知らないが、少なくとも自分にはとても優しい。
…時折、それは恥ずかしかったり鬱陶しかったりする程に。


「えええええ」


だが皐月は納得がいかない顔をしている。


「いや、本当だって」


だから当麻もフォローを入れた。
いくら身内といえど、これでは征士があまりにも可哀想過ぎる。


「………当麻さん」

「…はい?」

「お兄ちゃんって……カッコイイですか?」


突然なんだ。
そういう顔をしてみたが、皐月が何も言わないままだ。


「…うん、まぁ…ハッキリ言って、カッコイイよね」


伸に言われたように、ドストライクと言えばドストライクだ。
但しコレは前に自分でも言ったが、男という事を除けばの話。


「当麻さんの好みですか?」

「………えぇ…っと」


好みかと言われれば、正直、皐月のほうが好みだ。
だって女だし。自分は異性愛者だし。


「それは……顔の話?」


なのに何で逃げ道を求めるんだ、俺。
そして何で皐月さんでときめかないんだ、俺。


「顔、でもいいです」


いいですって何、皐月さん。


「まぁ……好み、かもね…」


しかも、かもねって、何、俺。


「あ、で、でも…俺は正直、皐月さんの方が綺麗だなぁって思うなぁ」

「綺麗な方が好きですか?」


間髪入れないな、この子…。しかも好みかって聞かれてんのに、何で俺は正直に皐月さんの方が好みって言わないんだ。


「綺麗なモンは割と何でも好きだけど…」


コレは本当の話。
星とか実は好きだし(ロマンチストって言われたくないから黙ってるけど)、ガラス玉を光に透かすのも結構好きだ。
無駄のない数式なんて何時間でも眺めてられるし…ってコレはちょっと違う?


「それに、俺、」

「お兄ちゃん、ハンターだけは絶対になりたくないって言ってたんです」


頑張って、皐月さんの方が好きかなぁって言おうと思った矢先に、何だ急に。
当麻は思わず固まってしまった。本当に、イキナリ何だというのだろうか。


「沢山の人を守るのは大事なことだけど、一番身近な人に悲しい思いをさせるほうがイヤだって」

「…………」


その言葉に胸が締め付けられる。
自分の親は、…どうだったのだろうか。自分を1人置いて、どうだったのだろうか。
何となくは解っているが、…どうだったのだろうか。


「そのお兄ちゃんの考え方が変わったのって、…私があのウィルスにかかった後からなんです」

「…あぁ…」


それは出張先が征士の故郷だと聞いてすぐに彼の事を調べて知った。…調べる必要なんてなかったのに、調べて。


「お兄ちゃん、あの薬の……スペース・ラブの事を知って、それで少しでも役に立ちたいって思ったらしくて。でも地元を離れる気はなかったんです。
なのにある日急に、いつかは本部に行きたいって」

「………それは、いつ、から…?」

「確か…本部に初めて研修で行ったあとくらいからです。……うん、そう、間違いない、私が婚約して間もない頃だから」

「……こ、」


婚約してんのかよ。いや、それよりも何よりも。


「研修で本部に?」

「ええ」


確かに偶に研修と言う名目で、有能な人間を支部から数人ピックアップする事はある。
そこで本部に招集をかけて使える人間かどうか判断するのだ。
それに征士が来ていた。確かに彼は招集がかかっているのだから、少なくとも1度は呼ばれているだろう。


「お兄ちゃんが何を思ってそう言ったのかは知りません。だけど、私を1人残せないから結婚するまでは此処を出ないと言いました」


そして人妻なのね、皐月さん。
当麻は少し無理矢理彼女に意識を向けた。
だがそれでもすぐに気持ちは征士に戻ってしまう。


「征士は、……他に何か言ってた?」

「何も」


ガラス張りのエントランスから見える穏やかな景色とは違って、硬い空気が流れた。
征士は、なりたくないと言っていたハンターになり、離れる気のなかった地元を離れ本部へ来る事を望んだ。
それは、何故?
薬の事を知って哀れんで、ただ優しいだけでそこまで望むのだろうか。
だったら、それは、若しかして。


「……………ごめん」

「何で謝るんですか?」

「…お兄ちゃん、…取った、かも」


自惚れかも知れない。
けれど、若しかして。

あの夜のことや、彼の元からの性格を抜きにして、それでも。


「お兄ちゃん、真面目で堅苦しいですけど、人の嫌がることだけは絶対にしません。無理強いもしません。
妹の目から見ても、いい人だと思います。それに、」


一呼吸置いて、皐月はとても綺麗に笑った。
兄の征士に似た、とても優しい顔で。


「当麻さんも、とても優しい人なんだと思います。…ちょっとしか話してないけど…でも、解ります。お兄ちゃんのこと、………お願いします」




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ビリー・ビリーは103分の映画です。