スペース・ラブ
オペレーションルームのドアの前に立って初めて、バダモンがこの方向から来た事に征士は気付いた。
本当に用があったら真っ先にここに来てるよ、と言った当麻の言葉を思い出す。
用が、あったのだろうか。では、何の?
気にはなったがこれも考えても仕方のないことだ。征士はそれも頭から消していつものようにドアを開けて中に入っていった。
「よし、征士来たな。食え」
部屋に入るなり、当麻は誰かに入れてもらったらしいカフェオレを飲みながら綺麗な箱を突き出してきた。
突然の事に驚きながら征士が中を見ると、チョコレートのかかった洋菓子が入っている。
「……エクレア?」
「ベセベジェのエクレール・オ・ショコラだ」
「………どっちでもいいだろう」
どうやらその店での商品名を言われたようだが、興味のない征士にはハッキリ言ってどうでもいい事だ。
そもそもそのベセベジェとやらが何処にあるのかさえ知らない。初耳だし。
洋風と括られている料理を好んだ姉や母なら恐らくその名称をキッチリ呼んだのかもしれないが、残念な事に征士自身の味覚は
祖母寄りの和風に傾いていた。
完全に受け付けないわけでもなければ、当麻に洋風の料理を振舞うことも多い。
自身も母親が好んでいたので味にだって慣れているが、征士の場合、作れるものと好きなものが違うようだ。
兎に角、征士にはどうでもいい事なのでそう告げると、当麻どころかオペレーションルームの女性陣からも非難の目を向けられる。
…男性陣は小さく何度も頷いて征士に同意を示しているようだった。
「駄目ですよー征士さん、大事なトコですよ!」
「そうそう!ベセベジェって言ったら今どのメディアも競って特集組むほどのお店なのに」
「そういう事だ、征士。大事なところを間違えんのは良くないぞ」
「胃に入れば同じだろう」
面倒臭そうに言えば、今度こそ当麻に、アホか!と一喝される。
「お前さ、何であんなに料理が作れるのに興味が薄いんだ!信じられネェ!」
「では何故お前は食べるのが好きなのにどうしてあまり料理をせんのだ」
「俺は食い専門!だからいいの!つーかお前、名前間違えるって事は俺に向かって伸って呼びかけんのと同じだぞ」
「全然違うだろう」
「お前の話だとそうなんの!解れ!」
「…もういい。…それより何だ、それを食えと言うのか」
これ以上言い争っても意味はない。
当麻の思考をそこから一旦ずらそうと征士は箱の中身を指差した。
すると当麻は一転してニッコリと笑顔になる。
それを征士はコッソリと、可愛いな、と思いながら見つめた。
「そう。コレ、征士の分」
そう言ってもう一度箱を征士に突き出す。
「…………私は、いい」
だが征士はそれをやんわりと押し返した。
甘いものはそう得意ではないのだ。
食べれないわけではないが、流石にここのエクレア…もとい、エクレール・オ・ショコラとやらは征士からすれば結構大きい。
この大きさになると食べきる前に胸焼けを起こしそうだと思った。
だから要らないと言い、そう言えば当麻が、じゃ俺貰っていい?といつものようにキラキラとした目で聞いてくると思っていた。
しかし当麻はもう一度征士の前に箱を突き出す。
「…当麻、」
征士は困ったような声を出した。
いつもなら当麻は嬉々として食べようとする筈なのに、何故か今日は引く気がないらしい。
「私が甘いものはあまり得意ではないのを知っているだろう?」
「知ってるけどコレは食えよ」
「何故」
押し切ろうとする当麻に征士が短く問うと、当麻はナスティが、と言った。
「ナスティ…?……あぁ、あの外交部門の女性か」
「そう。ナスティが皆にって買って来てくれたんだよ」
「ここの皆に、だろう?」
「違うって。征士はどうせココに来るだろうからって言って、これは征士の分だからって」
彼女とは1度しか会っていない筈だが、何故自分が此処に詰めている事を知っているのだろうか。
女の勘とやらで読まれているのだろうか。それともやはり他の誰か…伸あたりから色々と情報を仕入れたのだろうか。
征士はその箱を眺めながら勘繰ってしまったが、そんな事をしていても箱の中身が自動的に消滅してくれるわけではない。
「ではその心遣いだけ頂くとしよう。当麻、代わりに食べてくれ」
「駄目、お断り」
差し入れの主は解ったし感謝もするからさあどうぞ、としても当麻は受け入れようとしなかった。
それを征士が訝しむ。
「…どうした」
「何が」
「腹具合でも悪いのか」
「そんなんじゃないって。何でそうなるんだよ」
「いや、いつものお前なら喜んで食べるから…」
常と違う様子に不安になって腹を撫でてやりながら聞くと、その手を払いのけもせずに当麻は違うと言う。
だがやはり食べてはくれない。何があったのかと思っていると、一番近い席のオペレーターがクスクスと笑い出した。
「…?何だ?」
「征士さん、あのですねー、チーフはナスティさんに釘刺されてんですよ」
「釘?釘とは何だ」
一度オペレーターに向けた顔を再び当麻に移せば、そこには何だかバツの悪そうな顔をした当麻がいた。
「当麻?」
「………だってさぁ、…俺がチョウダイつったら征士は絶対くれるから言うなって、」
「誰が」
「ナスティが」
「だからチーフは意地でも征士さんに食べて欲しいんですよねー」
「そうなんですよねー。ってワケで征士、ホント、1口でいいから食べてくれよ」
「1口と言われても…」
「俺の沽券に関わるからっ」
いつまでたっても手に取ろうとしない征士に焦れた当麻が、箱の中から1つ取り出して征士の口元に近づける。
征士は困惑しつつそれを上体を反らして避けているが当麻も諦めはしない。
「ホラ、本当、1口でいいから」
「少しでも口を付けたら全部食べんわけにいかんだろう」
「そん時はそん時で考えたらいいだろ。食べてみたら案外イケるかも知れないじゃん。兎に角、ほら。ナスティの気持ちだから、コレ」
「気持ちは頂いた。黙っていればバレんだろう?当麻、食べていいから」
「駄目だって、ナスティの、」
「だから何故、彼女の気持ちを汲んでやらねばならん…!」
苛立った征士はつい声を荒げてしまった。
当麻を優しく抱き締め、そして当麻が優しく抱き締めていた彼女が脳裏に蘇ってくる。
自分の事をからかった彼女だが、妙に当麻と親しかった事が征士としては少し気に入らない。
「だってナスティ、疲れてるんだ」
なのに当麻は少し見当違いの返事を寄越した。
それに征士の苛立ちが少し緩む。
「疲れている?それとこれがどう関係あると言うんだ」
「ナスティ、疲れると買い物に走るクセがあるんだよ。多分、外交が上手くいってない」
何故そういう癖を把握しているんだと思いはしたが声には出さなかった。
代わりに征士は黙って当麻の話を聞き続ける。
「前はカバンとか服を買ってたんだけど、朱天がそれはやめさせた。下手すると立派な買い物依存症にクラスチェンジしちまうからって。
でも食べ物なら額も小さいし、それに皆に配れる。自分も食べる事で腹が膨れてイライラが収まるから最適だろ?」
「…お前が勧めたのか?」
「まさか、朱天だよ」
「その…前もその名は聞いたが彼とナスティは…どういう関係だ?」
「曖昧な関係。ナスティはそれを楽しんでるし、朱天はやきもきしてるって感じかな。それより、だからホラ、征士、
ナスティのささやかなストレス解消を手伝ってやってくれよ」
「手伝うだけでいいのなら、本当に当麻が食べればいいだろう?」
「駄目駄目、俺はナスティに嘘はつきたくねーの。………それに俺の意地もかかってるし」
だからそれは何故だと聞こうとした征士の声を、ナスティさんはチーフの嘘を見抜くのが上手いですからねー、とオペレーターが遮った。
それに当麻はむくれたが、まぁそういうワケだから…ともう一度お菓子を征士に勧めて来る。
「1口でも食ったっていう事実を作ってくれれば俺、どうにか誤魔化せるし」
「ではその残った分はどうするつもりだ」
「………さぁ?コレ美味しいし征士が根性出して食べるんじゃないの?」
「食べるか、馬鹿者。胸焼けして任務の最中に吐いたらどうしてくれる」
「いいね、そんな攻撃するハンターいないし、多分、めっちゃビビられるぜ」
目の前で吐瀉物を吐かれたら誰だって確かに驚きはするし見事な嫌がらせになるだろうけれど、だからってそれはどうだ。
だが当麻は笑ったままだ。
「笑い事ではない。仕事に集中できんではないか」
それを征士が嗜めた。
そして何かを思いついたらしく、そうだ、と呟く。
「当麻、」
「なに?」
「1口、食べればいいのだな?」
「うんそう」
「では残りはお前が食べろ」
「え、いいの?」
「…え」
どうせ「ふざけんな」と怒られるだろうと思い、それでもちょっとした意趣返しに言ったつもりだったのだが相手は目を輝かせて喜んだ。
コレは自分の食べ差しでも気にならないほどに気を許してもらえているのか、それとも単にそれほどこの菓子が旨かったのか、
征士は判断に悩んでしまう。
ついでに言うと、自分の食べ差しを、少し悩むような仕草を見せてから淡く頬を染めて口にする当麻を想像してしまい、
何も思春期の初心な子供ではないが征士はちょっとトキメいてしまった。
「じゃあ、ハイ」
だが現実はと言えば、当麻はそのエクレール・オ・ショコラを両手で持ち、1口サイズだけ手で千切ってそれを征士に手渡してくれる。
「………………………うむ」
「そんくらいなら食べれるだろ?まだ多い?」
「………いや、大丈夫だ」
「もっと要る?」
「………いや、大丈夫、だ…」
期待した分、落差は大きい。
妙な下心を持ってしまった自分が悪いのだが、それでも目の前で指に付いたチョコを舐め取りながら、んまーい、と喜んでいる当麻を
恨めしく思ってしまう征士だった。
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オペレーター数名は、チーフそこは違いますよ!と心の中で訂正を入れていたそうです。