スペース・ラブ



ハンター内のミーティングを終えた征士はいつものようにオペレーションルームへと向かった。

待機する必要があるとは言え、何も起こらなければハンターたちにする事は何もない。
自主的にトレーニングをするか身体を休めるか、兎に角ベース内にいるのであれば基本的に何処で何をしていても構わない。
こう聞くととても気楽な仕事に思えるが実際は時と場所を問わない緊急の呼び出しはしょっちゅうだし、
そしてそこで肉体的にも精神的にも極端な負荷がかかるのだから、かなり過酷な仕事だ。
実際、ハンターが引退する平均年齢は40歳前後だ。
後は高額の退職金を貰って何か他の仕事に就いたり、ベース内に留まって後進の育成に精を出すのが大抵だった。
だがこれはあくまで無事にその歳まで生きていられたハンターに限った話だ。
殉職というのも少なからずあるので、やはりハンターという仕事はあまり人気職とは言い難いのが現状だった。

その中でも征士は未だに大きな怪我もなく、しかもどのグループにも属さない特例のハンターとして周囲にすっかり認識されている。
普段から忙しいオペレーションルームに長居する事にあまりいい顔をされないものだが、そんな征士だからこそ誰も何も言わない。
それに当麻との遣り取りは見ていて中々に楽しいものだ。
だから余計に、誰も何も言わない。


オペレーションルームへ向かう途中、見た事もない老齢の男が向かいから来るのに気付いた。
全体的に肉が薄く、袖から覗く手は骨ばっている。
肌も蒼白く健康的ではないし足取りだって危険がないとは言い難いのに何故か1人で歩いている人物に、征士は少し気を向けた。
すると相手も気付いたのか、細い目を懸命に見開いて征士を見つめる。


「あぁ、アナタが羽柴チーフとペアを組んでいるハンターですか」


そして急に声をかけられた。
声はそこまで嗄れてはいなかったが、やはりかなり高齢のようだ。話すのに少し苦労をした様子があった。

突然話しかけられたとは言え、内容は間違っていない。征士は素直に頷いて、そうです、と答えた。


「突然話しかけたりしてすいません、私はバダモンという者です。連邦政府の議長の1人をしていまして…」


バダモン、と言われて征士は先日の秀の会話を思い出した。
当麻を探していたという、妙な人物だ。
そう気付いて、だがそれは殆ど表情に出さずに征士は会釈した。


「お名前は存じ上げております」

「そうですか、ありがとう」


バダモンは皺の入った口元を綻ばせた。
ありがとうの意味は解らなかったが、征士も相手に合わせる程度に口元に笑みを作る。


「羽柴チーフの事ですが…彼とは随分仲がいいそうですね」

「…ええ、まぁ。親しくはさせて頂いています」

「そうですか、ありがとう」


また、ありがとう、と言う相手を今度こそ征士は不思議そうに見つめ返した。
それにバダモンが、ああ、と何かに思い当たったのか声を出し、そして苦笑いを浮かべてすいません、と続けた。


「いえ、私は見ての通り高齢でして、政府に携わってから随分と長いものです。ですから羽柴チーフの事は昔から知っていて…」

「昔から?」

「ええ、昔から。彼の両親の事もよく知っていますし、それこそ彼がベース内に勤務する前より知っています」


そこまで言うと急にバダモンは遠い目をする。過去を思い返しているのかも知れない。


「あれは、…不幸な出来事でした」


彼の言う”出来事”が、当麻の両親の事故のことだと言うのは征士にも解ったが、それを”不幸な”というのが理解できない。
不幸といえば不幸だ。幼い息子を1人残して両親が亡くなってしまったのだから。
しかしアレは”事故”だったはずだ。そう、聞いている。
その征士の疑問を読み取ったのか、バダモンは話を続けた。


「当時はまだテロリストたちを擁護する地域や人が今よりもっと多かったものです。そして政府はまだ今ほど信頼を得られていませんでした。
あの時、アレを”事故”として公表し、そして皮肉にもその”お陰”で世評が大きく変わり、そして結果として組織は壊滅まで追い詰められましたが…」


バダモンの細い目が更に細められ、しわがれた声はトーンを落とした。


「アナタには伝えておきますが、あれは事故ではありません。テロリストたちへの内通者が、ベース内にいたのです」


アレは仕組まれた”事故”だった、と彼は言った。
要は裏切り者だ。
今度は征士の目が細められた。


「それを、…当麻には」

「伝えてはいません。しかし彼は聡い子だ。恐らくはそれに気付いているでしょう」

「ではその内通者は?」

「内々で処理をしました」


良くて記憶を消されたか、最悪存在を消されたのだろうと征士は解釈した。
それは別段、どうとも思わないが憎む対象を奪われた当麻の気持ちはどうだったのだろうかと考えてしまう。


「羽柴チーフを騙している事に変わりはありません。私は今でもソレが心苦しいのです」


まるでこちらの心が読めるかのようにバダモンは話す。


「ですが当時の政府に対する評価では内通者がいたという事を公表するわけにもいかず、あれを事故とし、そしてそれを利用させてもらいました。
結果として、本当に結果としての話ですが彼の両親の”お陰”でテロ組織は壊滅し、そして”スペース・ラブ”も開発できた事は事実ですし、
深く感謝しています。だからこそ、私は彼の事を殊更丁寧に扱ってやりたいと思うのです」


あなたも”スペース・ラブ”で救われた命を知っているのですから多少は解るでしょう?と伺うように言われ、征士は顔を顰める。


「ああ、すみません。あなたの事は調べさせていただきました。悪気はなかった事は理解してください。
私はただ、羽柴チーフが親しくしているという人間が気になっただけなのです」


幼い頃から知っているし、ああいう事があったから出過ぎた心配ですけれど。とバダモンは感情の見えない表情で言った。




確かに当時、征士もニュースで見た記憶はある。
都市部の方で奇病が流行っているというのが最初だ。
次に見たのはそれがテロリストたちによる行為だというニュースだった。
だが征士が住んでいるエリアは田舎で、長閑で平和だったからそれは遠い世界の事だと感じていた。

更に少し時間を置いて新しいニュースを見た。
政府の抱えている研究所の職員とハンター数名がそのウィルスが元々あったとされる場所を特定し、そして解明に乗り出したという内容だった。
それを家族で見て、ああ良かったねという程度の話題にはなった。

それから1ヶ月も経たないうちに流れたニュースは、彼らの乗った宇宙船がマシントラブルで進むことも戻ることも出来なくなったというものだった。
あれは朝食時だった。家族で母の作ったガレットを食べていたのを今でも覚えている。

ニュースは彼らの家族のことへと移り、征士はその中に自分と歳の変わらない少年がいた事に気を引かれた。
兄弟が居ないという彼は両親と3人暮らしだったために、今はもう1人になってしまったのだとニュースキャスターは殊更強調していたのも。
それを征士は苦々しい思いで見ていた。
確かにその少年は不憫だろう。だがそんな風に周囲が必要以上に可哀想だ可哀想だと言うのは、彼を余計に傷付けるのではないかと
幼いながらに思った。
そして、家族に悲しい思いをさせるのならハンターには死んでもなりたくはない、とも。

征士の生まれ育ったエリアにもハンターベースはあったが、当時はあまり受け入れられていなかった。
連邦政府の保護にある土地だったが、それでも平和で長閑な場所だった。だから無駄に重火器を取り揃えた彼らを危険視する声が強かった。
元々が田舎の為にそこに暮らす者同士の繋がりは深く、都会の希薄な人間関係を嫌っている事も受け入れられない理由の中に多少はあった。
地元を守りたいという気持ちは誰しもあったが、それならハンターではなくとも自警団という手もあったから、尚更だ。


その土地に、急に例の奇病が流行り出した。
何がキッカケだったのか何処から運び込まれたのかは知らないが、最初に倒れたのはまだ5歳になったばかりの少女だった。
最初はただ眠っているだけだと思った両親は病院に入院させた。
だが医者にも原因が解らない。都市部のこととは無縁と、例のニュースをあまりチェックしていなかったせいだ。
そうこうしているうちに少女は眠ったまま、永遠の眠りに就いた。

それを発端に急激にその被害は広がっていった。

すぐに政府の人間が来たが誰も取り合わなかった。
理由はシンプルだ。
政府が来たのは、その被害者を献体してくれる遺族を探しているだけだったからだ。
当時はまだ特効薬がなく、少しでも多い献体が必要だったが被害者というのは全て生前の姿を保ったままで、遺族としては
まだ息を吹き返す可能性を捨てきれないのだから、誰も首を縦に振らなかったのはどこでも同じだった。

献体すれば多くの命が助かるのは解っている。
だが生きていた頃と同じ姿の者を土に埋めるだけでも辛いというのに、献体に出してそこで解剖され、最悪骨さえ返してもらえない可能性があるなら
誰が同意するというのか。
だからこそ、特効薬の開発は随分と遅れてしまっていた。

結局、特効薬(俗称では”スペース・ラブ”と呼ばれているが実際はもっと長ったらしい数字の羅列だった筈だ)が開発され、
事が終息に向かっていった頃には征士の故郷の人口は半分以下に減っていた。
征士の家族も、随分と減ってしまっていた。




「確か妹さんがいらっしゃるとか…」

「ええ」

「他のご家族の事は……薬の開発が遅れたことを、詫びさせてください」

「いいえ、済んだことです。それに私も当時は献体を拒みましたし、…最後の家族を失わずに済んだだけでも随分と有難いことです」

「そう言って頂けると政府の人間として少しは心が軽くなります」


言ってからバダモンは頬を引き攣らせている。どうやら笑っているらしい。


「しかしアナタが随分と真面目で誠実な方で良かった」

「…?」

「羽柴チーフの事は、もうアナタの方が良く知っているかもしれませんが、彼は…元は子供っぽい性格でしょう?」


今度は優しい口調になった。
だがやはり頬は引き攣っている。筋肉の維持が難しいのだろうか。


「確かに子供っぽいところはありますね…」

「そうでしょう。ですが今までが”お利口さん”過ぎたのです。何事に対しても子供の頃から我慢ばかりしてきた彼ですから、
アナタと接しているうちに本来の性格を取り戻しているのは私としては喜ばしい限りです。
だから …負担に思うかもしれませんが、今しばらくは許してやって下さい」

「許すも何も…私はああいう彼も好きですから」

「……本当にアナタはいい人ですね。益々私としては嬉しい」


目を細めた後でバダモンは、ギギギと音がなりそうなぎこちない仕草で腰を折り、頭を深々と下げた。


「どうか、……どうか、羽柴チーフの事をよろしくお願いします」


政府の人間としての罪悪感か、それとも幼い頃からの彼を知っている近しい人間としての願いからかは解らないが、
それでも心からそう伝えている彼に、征士もしっかりと頭を下げて、はい、と答えた。



バダモンと別れた後も、征士は少し考え続けていた。

当麻の事を、あの議長はどうやらとても気に掛けてくれているらしい。
それを当事者である当麻は、あの性格だから面倒だと思っているのかも知れない。
征士はそう思いつつも、だが何か引っ掛かるものがあるのを否めないでいた。
何か、納得がいかない部分がある。
頭で理解しているわけではないが肌で感じる部分に、違和感がある。

確かに彼は政府の為に両親を差し出した。
その政府は両親の身に起きた事を”事故”として欺いてはいるのだから、罪悪感は付き纏っているのだろう。
だがそれにしても、何かがおかしい。
思いはしても説明が出来ないことだったから征士は取敢えずその事は頭の片隅に追いやって、オペレーションルームへ向かい始めた。




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ヨボヨボではありますが、バダモンは入れ歯ではないそうです。