スペース・ラブ



仮眠室に泊まるという事は、着替えがないという事だ。
つまり翌日も同じ服になる。
という事は、やだーチーフったらヤラシー、と女の子たちにからかい8割、冷たい目2割を向けられるという事だ。

異性愛同性愛のタブーが殆どないと言っていい昨今ではあるが、こういった時の視線は女性から男性へ向けられる方が断然厳しい。
偶にそういう事をやらかした過去がある当麻としては、別にいいじゃん人間だもの、と思いつつも、やはりそこから暫く後のフォローの面倒さは身に沁みている。
異性愛から人間愛に変わった今、一夜限りと言う関係はどうも遠い過去よりも遥かに肩身が狭すぎる。
あからさまに冷たくされる事はないのだが、やっぱりチョットこう……やりづらいものだ。

本当は理由があるのだが、それを言っていいものか悩んでしまう。
言っても差支えは、まぁない。
だがそれを言えば間違いなく征士の耳にも入るだろう。
それは避けたい。
避けたいと思う理由も解っているし、それは伸も理解してくれているトコロだが、実はそちらも全てではない。
何となく、心配をかけたくないと思っている、だなんて。

面倒さと征士へのこと。
秤にかけてみれば面倒な方が勝つに決まっているのに、何故か征士のほうに比重が傾いてしまった。
では仕方が無い、明日から暫く冷たい目を甘んじて受けようじゃないかと当麻は意識を手放した。




翌朝。
眠る前に何度も考え、悩みぬいたことは全て徒労に終わってしまった。

どういうワケか征士が仮眠室にいて、そしてご丁寧にも、口元まで布団に埋もれていた当麻を起こしてくれたのだ。

起き抜けに彼の顔を見つけて、普通におはようと返した自分を数瞬後に当麻は酷く恨んだ。
その前に言うべき事があったはずだ、何でいるんだ、という、少々キツく出てもいい言葉が。
だが当麻がキツイ態度に出る前に征士の表情の方が険しくなった。
理由にはすぐに当麻も思い当たった。

首だ。

シートが貼られた箇所を征士の手が優しく撫でつつ、表情はその手とは180度正反対の感情を見せていた。
誰にやられた。
低い声だった。
その低さに驚いた当麻は思わず必死にもう済んだ事だと伝えた。
すると今度は同じ低い声で、しかし後悔を滲ませながら、いつだ、と聞かれた。
一瞬、先ほどと同じように答えてしまいそうになったが今度はソレを飲み込んだ。
お前には関係ないだろう。
代わりに吐き出した。
事実だ。
ペアを組んでいるからといって何もハンターがオペレーターを守らなければならない決まりはない。
仕事を離れればそれぞれだし、そもそもハンター1人に対してオペレーター1人という事自体が稀だ。
本来ならオペレーターは数人のハンターを担当している。
例えばあるオペレーターが担当するハンター数人をAグループ、もう1人のオペレーターが担当するものをBグループとした場合、
出動で2名必要になればAグループから2名ではなく、A・Bそれぞれから1名ずつ出す事になる。それを担当する時に、ペアと呼んでいる。
だから征士と当麻の関係が例外なのだ。
征士はどのグループにも入っていないし、当麻も征士以外に受け持っているハンターはいない。新人教育以外では。
それでも征士が当麻を守る義務はないのだ。

それに今回の事は完全に当麻の落ち度だ。
人気のない道を歩いてしまったのも、背後を取られたのも全て。
だから怪我を負ったのも当然、当麻自身の落ち度なのだ。

それでも征士はやはり納得が出来ないらしく、その目には後悔が滲んでいる。
それを鬱陶しい、ではなく、そんな風に自分を責めないで欲しいと悲しい気持ちで見ていた自分に、当麻は気付いた。

見覚えがある。

そう、その目には見覚えがあった。
自分の中で分厚い布で何重にも包んで頑丈な箱に詰めて、そして厳重に鍵までかけて記憶の底の底の、まだ奥底の、自分でも
見落としてしまいそうな程の奥に埋めた、なのに月に1度、ガタガタと音を立てて存在を主張する、記憶の中の。
あれは。


最後に見た両親の、目だ。

それに気付いてしまうと一気に心が苦しくなる。
一生懸命に笑おうとしてくれた母親と、真っ直ぐに自分を見つめてくれた父親。
彼らの目にあった後悔は、何も自分の命に対してではなかった。危険なことだとは解っていた。
ただそれは、1人残してしまった息子への、殆どの時間を共に過ごしてやれなかったことへの、後悔だった。

それと似た目を、征士がしている。
それだけで心が苦しくなってくる。
別に征士が今すぐ何処かへ行くわけでも、危険な任務につくわけでもないが、それでも。



黙ってしまったのは当麻だけではなかった。
征士も征士で、何かを言おうとして、それでも躊躇って何度も口を開きかけては閉じている。

重く長い沈黙。

それを破ったのは征士だった。
当麻、と呼びかける。
それに応えるように当麻の意識がゆっくりと征士に向けられた。


「………なに…?」

「その……………。……権利が欲しい」

「…?何の?」

「お前を、…心配する権利だ」

「そんなの、…」


今でもしてくれてるじゃん。そう苦笑いを無理矢理に作りながら答えたが、征士の表情は変わらない。
まだ、あの目をしている。


「…………いいよ、要らないって。今でも充分だろ?」

「そうではない。もっと近くで、心配をさせて欲しい」


征士の言っていることの意味が解らないわけではない。寧ろ解っているからこそはぐらかしたい。

今まで、あの再会した朝からずっと、征士は当麻の傍から離れないが、それでも自分から”こういう”要求した事はない。
その事は意識的に避けられていた。それは当麻も同じだ。


「……征士、」

「その…そういう意味ではなく、その……」


じゃあどういう意味だ。
冷静な頭がどこかでそう言った。
だがそれを口にするよりも言わねばならないことがある。


「…フェアじゃネェ」

「……?」

「だから、…お前は俺を心配したいって……言うけどさ。…でも今でも充分だって俺は思ってるんだよ」

「………」

「でもお前が今以上って言うんなら、それは…もう俺の中で色んなものがオーバーしちまう」

「負担に思わなくていい。ただ私が思う事を許してくれればそれで、」

「だから!そーじゃねぇんだってば…!」


思わず語気が荒くなる。
それに驚いた征士が目を瞠り、そして何度も瞬きをした。
その目から、さっきまであった後悔が消えているのを見て、当麻はチョット笑う。


「だからさ、……その、…お前が俺を心配したいっつーならさ、……フェアに行こうぜ」

「フェア…?」

「………俺にも、その……多少は心配、させろ。……多少、だけど」


どうだ、と薄い胸を張って見せると征士がまた瞬きをした。
落ち着いた性格と声のせいで大人びて見えるが、こうして見るとやっぱり俺と同い年だな、と当麻は一人何故か優越感に浸る。
…実際、当麻が歳相応に見えるかと言われればそれは殆どの職員が閉口してしまう問題だ。

兎に角征士はまた黙り込んでしまった。
どうしていいのか解らないのだろう。それが当麻には何だか面白い。


「おい、どうすんだ。許可するのか、しないのか」


置き場に困ってだらりとベッドの上に置かれた征士の手を突付く。
すると途端に征士の顔が赤くなった。
あ、オモシロ。と当麻はそれを観察する。
そうなるとまじまじと顔を見られる事になり征士の顔がまた一層赤くなる。

いつもと逆の立場を面白がっていると、征士がこれも珍しく小さな声で、頼む、と答えた。



さぁ、では差し当たって。
当麻は身体を捻って征士のほうに上半身を向けて少し上向く。


「んじゃ、コレを剥がす権利をお前にやろう」


実は絆創膏を自分で剥がすのも何となく当麻は苦手だ。
物凄く痛いわけではないが、少しは痛む。
そんな事を自らするのはあまり好きではない。
征士なら丁寧に剥がしてくれるだろうという当麻の読みは当たり、彼はとても慎重な手つきでそれを丁寧に剥がしてくれた。
その手が僅かに震えているのが、当麻にはまた面白かった。





首からシートを剥がしてみれば、皮膚は綺麗になっていた。
征士に言わせればまだ変色していると言うが、コイツの”目”は例外、と当麻は取り合わず、今は朝食を摂りに食堂を目指す。
勿論征士は自宅で済ませているが当麻に付き合って同行した。


「…ところでさぁ」

「何だ」


当麻のトレーに自分の頼んだパンケーキの半分を乗せながら聞き返す。
もう声は落ち着いていつもの征士のものになっていた。


「何で俺が仮眠室にいるって解ったんだ?」


お前エスパー?と聞くと笑った顔が返って来た。


「まさか。エントランスに入った時に、見回り担当のハンターが教えてくれたのだ」

「見回り…」


昨日の”おまわりさん”だな、と当麻は目を細める。
立派な個人情報の流出ではないか。
…お陰で寝坊せずに済んだけど。ついでに言うとシートを剥がし忘れて痛い目にも遭わずに済んだけど。


「パンケーキに生クリームは?」

「いる」

「ジャムはどっちがいい?」

「何と何?」

「ブルーベリーとラフランス」

「ブルーベリー」

「わかった」


甲斐甲斐しく、そしてやはり丁寧に当麻の分にそれらを用意してやった征士が、漸く落ち着いて当麻の向かいの席に着くと、
それを合図に手を合わせてから、いただきます、と言って当麻が食べ始める。


「待ってなくてよかったのに」


当麻は当麻で自分の朝食があるのだ。
ベーグルサンドが。
それでも自分を待っててくれた彼が何だか嬉しくて征士が笑うと、当麻はミルクの入ったコップを片手に、


「お行儀悪いのはダメなんだよ」


と、普段ならそこまで気にしてないようなことを口にする。
それを意外そうに見れば耳が赤かったので、征士はそれ以上の追求はせずに、自分も同じように、いただきます、と言った。




*****
もっと踏み込んで仲良く。