スペース・ラブ



夜道で襲われましたという届けを出して相手はこれに違いありませんねという、解り切ってはいても踏まねばならない手順を綺麗になぞった後で、
漸く当麻は解放された。
時計を見ればもう日付が変わろうとしている。
無駄な手順が多いんだよナァ…と思いはしてもそこに口を出す気にはなれない。
ではその為の上申書を、それから現在のシステムの見直しをなどと言われるとどうせ自分が呼び出されるのが目に見えているのだ。
仕事は嫌いではないが面倒は嫌いな当麻としてはそれは避けたい。
大体、何も全ての事に自分が関わる必要などないはずだ。
例外的に過去に1度、全てに関わった事があるがそれはそうする”必要性”と、そう”したい”自分の気持ちがあったからだ。
そもそも何もかも自分に頼られていては今日のようなことがあって、万が一という時にどうするつもりなんだと溜息を吐く。

俯き加減になるとチクリと喉下が痛んだ。
そう言えば首がヒリヒリしているのを忘れていた。
火傷はしているだろう。皮膚の色なんて、鏡で見て確認はしてないけれど変色しているに違いない。


「……………医務室に伸、いるかな」


他のスタッフでもいいが、やはり一番腕がイイのは伸だ。
そしてその次が、何故か解析部門の那唖挫。
その辺が当麻には良く解らない。薬の知識も彼は多いらしいが、では何故解析部門にいるのだろうか。
ちょっと表情に乏しい(征士とはまた別の方向性に)彼相手ではよく解らないが、伸辺りなら知っているかもしれない。
何せ伸はそういう意味で情報通だ。

……尤も、改めて聞く気にはなれないけれど。

そんな事を考えながら医務室へ向かった。



煌々とした廊下を抜け、医務室を覗くと伸はまだいた。
彼はコーヒーより紅茶派で、今夜のお供はフレーバーティーらしい。
桃の匂いが部屋を適度に満たしている。

これから暫く夜勤だよと以前に言っていたのを覚えておいてよかったと当麻は自分の記憶力を褒めておいた。


「…伸、」

「アレ?当麻?キミ、帰ったんじゃないの?何してんの?」


声をかけるとすぐに振り返った伸は、言葉と同じで心底不思議そうに当麻を見上げた。
そしてすぐ険しい表情になる。


「……どうしたの、その首」


椅子から立ち上がって当麻の首に手を添えると、顔を少し上向かせた。
本当に少しの角度だったが皮膚が引き連れて傷むのか当麻の顔が歪む。


「痛い?」

「…ちょっと」


ふうん、と軽い相槌を打ってから当麻に診察用のベッドに腰掛けるよう告げた。


「で、どうしたの。コレ」


まだ何も言っていないが手当てをしてくれるらしく準備を始めた伸に、事のあらましを掻い摘んで説明した。
その間も伸は、へぇ、とか、そう、とかの相槌を打ってくる。
人によれば適当にしか聞こえないような言葉だが、伸が言うと不快には感じない。
彼の人柄のせいなのかも知れない。


「なぁ、コレさ、跡、残らない?」


説明を終えた当麻は不安げにそう伸に尋ねた。


「…何。気にしてるの?」

「気にしてるっつーか…」


言いにくそうに口篭った当麻を見てすぐに勘付いたのだろう。
からかっているようにも見えるし、不憫がっているようにも見える笑みを伸は浮かべた。


「征士にバレたくないんだ」


それは本当なので、正直に頷いた。
伸相手につまらない嘘を吐いても仕方ないのだ。


「心配するもんねぇ、征士なら」

「する。それに絶対、口煩い」

「これからは家まで送ってくって言い出すかもね」

「それは…」


自分でも一瞬考えたことだ。
あの時、言われると面倒だと思ったのか、それともそれを期待したのかは当麻の中ではちょっと先送りにしたい問題だったが、それにしても
他人から言われると一気にむかっ腹が立ってしまう。


「そんなん言い出したらストーカー扱いして今日みたいに突き出してやる」


キミ、ペア組んでるのに冷たいねぇ…と伸は言いながら当麻の首に、よく解らない軟膏を塗りつけた。


「…っっ!」

「あーちょっと沁みるけど我慢してね。これから被せるジェルの付をよくするものだから…」


もういい大人なので喚くのは我慢したが、握り締めた拳は汗ばんでしまった。


「…で、さっきの質問だけどさぁ」

「………なに?」

「跡、残るのかって」

「…ああ」

「そりゃ治るけどネ。明日すぐにっていうのは…」

「ちょっと無理?」

「普通には目立たない程度にはできるよ。でも」


征士相手じゃちょっと自信ないナァと伸が呟いたのに当麻も同意の意味で溜息を吐いた。

目聡いというレベルではないのだ、征士は。
勿論、それは仕事においてとても活用される能力ではあるが、それ以外でその”目”を使うのは専ら当麻に関してだけだというのが微妙な事で。
兎に角征士は当麻が少しでも傷つくことを嫌う。
それは肉体的にも精神的にも。
その度に当麻は、俺はお姫様かと居心地悪く思い、時には実際声に出して抗議するのだが、言われた征士は優しく微笑むか、
それか、何故当麻がそう言って怒っているのか本気で理解できないらしく首を傾げて見せるだけだ。
毎回のことなので当麻もその遣り取りを面倒に思うようになってきたが、だからと言って思う事が減ったかと言うとそうではない。

自分の言いたい事を理解してくれるのは嬉しい。
対等に接してくれるのも嬉しい。
だがそういう場面に出くわした時の、不必要なまでの守られ方はどうも居心地が悪い。
一度そういう関係に”なってしまった”過去はあるが、まさかその延長線じゃなかろうなと身構えてしまわないでもない。
そしてそう身構えた後、ハグくらいならいいけど…といつも考えてしまうから、居心地が悪い。

つまり、征士に対して、というより、そう考えてしまう自分に対して。

このままじゃ俺、キスくらいならとか考えるようになるぞと思うと、ぞっとしてしまう。
実際に征士に抱きしめられたことはないし、キスもない。…ハズだ。
アレ以降、絶対に。
ない、はず。


色々と考えている当麻を、伸は面白そうに眺めつつ、慎重な手つきでジェルを手に取りそれを患部に塗りつける。
そしてそこを保護するようにシートを上から貼り付けた。


「はい、もう大丈夫。いい?コレ、朝になったら剥がしてね。昼まで付けとくとパリッパリになって剥がすのに痛い思いする事になるから」

「もしそうなったら何かイイ手、ない?」


起き抜けでは忘れてしまいそうな自分の性格を考えて裏技を求めてみるが、伸はそんな当麻を一睨みして黙らせた。


「な・い」

「っえー、…じゃ、伸ちゃんが丁寧に剥がしてくれるとかのサービスは?」

「キミが起きる頃だと僕はそろそろ帰れるって浮かれてる頃だね。そんな時にサービスしろって言うのかい?」

「……駄目?」

「そんな上目遣いしたって駄目。バリって一気に引ん剥いていいならやる」

「ッゲー!マジでやめてくれよ!俺、怪我人だぞ」

「じゃあ征士に頼みなよ」


物凄く丁寧な手つきで剥がしてくれるだろうから。

そう意地悪く笑う伸に、また当麻の顔が歪んだ。
冗談じゃない。
本当にそういう手つきで、そして心底心配そうに、皮一枚、一欠けでも捲れるのをこの世の終わりのように見つめながら剥がされそうだ。
それに何より征士に頼めば、何かあったというのがバレてしまうではないか。


「絶対に、ヤだ」

「じゃあ明日、忘れずに自分で剥がす事だね」

「……忘れないように連絡だけくれ」

「何で自分で覚えてられないの!?」


言われて覚えてられるならこんな事は頼まないだろうと当麻は思うが、伸からすれば普段の記憶力をそこに使えないというのが理解できない。
これは当麻にはよくある事で、仕事に関することや趣味の事についてならその天才的な脳はフルに活用されるのだが、どうも自分の身の回りの事となると
全く機能していない。
思い付きで行動したりそのせいで怪我をしたりという事だってある。
だからこそ伸は傍で見ててくれる誰か、…例えば征士が、当麻には必要だと思っているのだがそれを当麻はどういうわけか受け入れないし、
征士に至っては意味の解らない事を言って自分からその地位につこうとしない。
少し妙な言い回しをすれば需要と供給は成り立っている筈なのに、彼らはその一番シンプルな箇所を避けて通っているようにしか見えない。

そこに、人気のない今なら彼らの決定的に避けている”そこ”に、少し踏み込んで聞いてもいいのだろうかと思って口を開こうとしたが、
こういう時に限って医務室のドアが開く。
よりによって当麻に用事だといいながら。


「なに?」


呼びに来たのは先程、”取調べ”を担当した”おまわりさん”だった。


「自供を得たのでその報告に」


あ、そ。とつれない返事をした当麻は、話して、とこれも短く続けた。
それを受けて、言われた彼が夜襲者の自供内容を報告していく。


彼は嘗て、眠ったまま死に至るウィルスを撒いた組織の信奉者だと言った。
本来眠りにつくべきだったはずの人類を生き永らえさせた人物が憎くなり、色々調べていくうちに当麻に辿り着いたのだと。
そして彼を消せば、今後、他の組織が何とかして眠りに就かせた場合に邪魔する人間がいなくなると思ったのだと。
そう思い行動に移そうとしたが当麻が1人になる事は少なく、何度も機会を伺っていて、今夜、遂に、というワケだ。

それを聞いて当麻は勿論、納得したわけではない。
間抜けではあったが気配は完全に消していた。
という事はある程度は訓練された人間のはずだ。
ただ先にも触れたように、抜けている。
それはつまり、違う立場の人間からすればとても利用しやすい人間だという事だ。
ではその利用した人間と言うのは何が目的だったのか。
彼自身の目的は当麻の殺害だったようだが、利用した人間の本来の目的はそうは思えない。
本当にやるつもりだったのならもっと有能な人間を使っただろう。
だから今回はそれが目的ではない筈だ。
なら何だというのか。
ただの警告だとでも言うのか。本番はまだあるぞ、と。
そんな程度で済むのだろうか。


”上”はまだ諦めてないらしい。

先日の螺呪羅の言葉を思い出す。
そういう可能性もあるだろうなと当麻は面倒臭そうに溜息を吐いた。
どういうルートを辿って今夜の彼に話を持っていったか、どう言いくるめたのかは知らないが可能性としてはなくはない。

政府は懸命にテロリストや犯罪者と戦っていますよ。
こんなにもボロボロになっても正義の為に、皆様の為に日夜戦い続けていますよ。
そういうアピールの為の崇拝対象として、上層部は過去に当麻を前面に押し出そうとした事がある。
勿論そういう目立ち方を嫌う当麻はそれを固辞したが、やはりと言うべきか上層部はまだ諦めきっていない。

全ての地域が連邦政府に同意しているわけではない。
土地によってはまだ政府の管轄外にある事を望む場所もある。
場所によってはテロリストたちを擁護している土地もある。
それらの地域への外交は勿論行っているし、場合によっては軍事介入して恩を作った上で交渉をする場合もある。
しかしそればかりではどうにも出来ない。
だったらもっと解りやすく、心情に訴えかける手段に出たい。
その為に、当麻の存在だった。
幼くして両親を失い、そして再び会えた”両親”を差し出すことで人類を窮地から救った青年。
若く、賢く、そして見た目もいい。
そういう彼をシンボルとして掲げることで心酔させ、或いは同情を引き、いずれは全ての土地を連邦政府の下に纏めるのが上層部の狙いだ。
何も支配したいわけではない。
強かな策を持ってはいるが、決して独裁支配をしたいわけではないのだ。
ただ全ての人が潤滑に、そして幸せに穏やかに暮らしていくために、どうしても。

それに理解は示せても当麻は同意は出来ない。
当麻自身も強かではあるが、そこまでズルくなる事が出来ない。
周囲に自分の気持ちを見せないよう、偽るのが限度だ。

だが螺呪羅は言っていた。
諦めていない、と。
ならば今夜の事も、下手をすれば職員の一人がこういう目に遭いつつもどうのこうのというアピールに使うつもりだったのかと見ることもできる。
或いはその職員が誰かという事まで特定してしまう可能性だって。

まだそれが上層部が手を回したことだとは決まってはいない。
本当に彼の自供どおりの犯行だったのかもしれない。

ただそれで納得が出来ないだけだ。


「じゃあもう俺、狙われない?」

「他はどうかは知りませんが、少なくとも彼がチーフに近づくことは出来ないよう処置はします」


だがそれを今此処で疑っても仕方が無い。
上層部にパイプのない職員からすれば、政府は本当に正義のための一本槍なのだ。
吹聴して回る必要もないことなら放置しておく方がいい。
だから当麻は適当に確認だけしておいた。

処置というのは、一種の刑罰のようなものだ。
この場合、もし当麻に何らかの悪意を持って近付けば拒絶反応が出るようなチップを埋め込まれる程度で済むだろう。


「ふーん。じゃ、俺、もう寝てもいいんだ?」

「ええ。お疲れ様でした」

「今から帰るのかい?」


同席していたために事のあらましを聞いた伸が口を挟む。
それに当麻は首を横に振った。


「んー、いや。面倒だから仮眠室に泊まってく」

「キミ、仮眠室じゃ眠りが浅くなって満足に寝れないし起きれないからヤだって前に言ってなかったっけ」


今から帰る方がヤだー、と子供のように喚くと貼ったシートが剥がれかけて、それを伸が慌てて貼りなおしてくれた。




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犯人はカツ丼を食べたんでしょうか。