スペース・ラブ
あー豚骨ラーメン食べたいなぁという当麻の呟きを勿論征士は聞き逃さなかったので、旧暦時代の匂いそのまま!という如何にもなラーメン屋に
2人仲良く肩を並べて入った。
こういう店にはたまに入るが、その度、征士にはつくづく似合わないな…と当麻は思ってしまう。
(尤も征士に言わせれば当麻だって大概だというのだが、自分の容姿に対してそこまで評価をしていない当麻からすると、目が狂っとる、の一言に尽きる。)
だからと言って一緒に食事をするのはもう当たり前のようになっているので、今更それを断る気にもなれない。
それに何より当麻のこういう独り言を、ただ言っただけなのか、それとも本当に望んで言っているのかを征士は判断を間違わない。
それが当麻にとって何より心地よかった。
ずっと”恋人”に求めていた、理解者のようで。
兎に角、店構えは古く、どちらかと言うと平たく言って”汚い”という表現が似合う店だが当麻が気に入っている店だ。
味の方は確かであった。
アツアツのそれを2人して綺麗に平らげ、ついでに餃子とビールも頂く。
明日も仕事だがそんなくらいでどうにかなってしまうような失態は犯さない。
…そう古くない記憶で、当麻には記憶を飛ばした(しかもトンデモナイ結果を招いた)過去があるが、それでも仕事に差し支えるような、
少なくとも”酒によって”仕事に支障が出るような事は今まで一度もない。
征士も同じだ。
他愛のない話をしながら食事を済ませてもまだ時間はたっぷりある。
飲み直しというのも悪くはない。
当麻は隣に立っている征士を見ないようにしつつ時計を確認し、そのまま見たまま、現在時刻を口にした。
「まだそんな時間だったか」
案の定、征士はその言葉を聞き逃さなかった。
この前チョット美味しそうなお酒を買いまして。
変なツマミを見つけたんだけど不味かった時に1人犠牲になるのって悔しいだろ?
面白そうな映画見つけたんだよなぁ。
色んな理由を考えてはいた。
その色んな方向からの言葉の続きは、だから家、くる?という、何の気もないものだが、兎に角彼に言おうかと悩んだままいつも言えずにいる。
別に他意はない。
ただ、親しい友人としての誘いのつもりだ。
それを切り出すための言葉は、きっとその続きも含めて征士は解っているのだろう。
けれど。
「では明日もあることだ、偶には早く帰って寝た方がいい。明日は朝から解析につき合わされるのだろう?」
いつも征士は何かと理由をつけてそれを受け入れようとしない。
それが当麻にとっては居心地が悪い。
こちらは”友人”として話をしているのに、まるで”あの日のこと”を強く意識されてるみたいじゃないかと、心の中でブツブツという。
そもそも本当に何も考えずにただ家に誘っているつもりなら、何の迷いもなくストレートに、あっけらかんと言えばいいのにそれが出来ない自分を
解ってはいても、それは黙殺だ。
別に、部屋に誘ったからって何があるわけでもない。
そう思いつつも何となく、最近では本当に何となく、征士が傍にいてくれたらなと考えてしまう時がある。
自分から拒んでおいて、しかも男は趣味ではなかった筈なのにどういう事だと不貞腐れながらも今日はお開きにした。
「それじゃ」
「ああ、また明日。寝坊するなよ」
するかボケ、と美貌の人に悪態をつけば優しい笑みを返されてそれ以上何も言えず、それが悔しいから当麻は自分から背を向けて歩き出した。
いつも帰宅する道は明るく煩いが、自分の立場を思えばそちらを選ぶ方がいい事を知っているので当麻は必ず騒がしい道を使う。
だがその日は何となく、静かで人気はないが近い道を選んだ。
確認はしてないが、顔が赤い気がしてならないのだ。
アルコールのせいと言えば、アルコールのせい。
そうではないと言えば、そうではない。
原因は解らないでもないが、認めるには少々悔しすぎる。
何だか本当に、意識してしまっているような気がして悔しすぎる。
考えても仕方のない事は考えない、答えがあって届きそうなもの以外はまたの機会に、というのが当麻の物事に対するスタンスだ。
毎日忙しすぎる程なんだからそうでもしないと頭がパンクしてしまう。
それこそ物理的に。
だから普段はいつまでもグズグズと考えないようにしているのに最近はそうも出来ず、そしてこの夜はいつもより更にそれが顕著だった。
…やっぱりアルコールのせいかもしれない。
そう結論付けた当麻は不意に首に痛みを覚える。
それと微かに何かが焦げる匂いも。
アルコールは下らない思考どころか、招かざる客も連れてきたようだった。
首にある感触は恐らくレーザーナイフの一種だろう。
出力は絞られているために首が飛ぶという事はなかったが、あまり楽観視できる状況ではない。
よりによって1人の時を狙われるだなんて。
面倒だと思ったが取敢えず溜息を吐くのはやめた。
相手の狙いが何か解らないが、挑発するような真似は良くない。
頭の片隅に征士の事が過ぎった。
1人でいた時で良かったと思うべきなのかもしれない。
変なところで紳士で、自分に対する扱いを時折、…訂正、かなりの頻度で間違えているのではないかと思うあの男がいれば騒ぎが大きくなりかねない。
いや、そもそも2人でいれば襲われる事もなかったかと思って笑いそうになるのを、やっぱり頑張って堪えた。
「…………えぇっと……お金、でしょうかね」
身体に巻きついて離れない腕から考えて、相手の方が体が大きい。
何も言わないままの相手に困って当麻から何となく聞いてみる。
幾らアルコールが入っていたとは言えベース勤務の当麻に気付かれないように背後にいたのだ、相手がただの物取りとは思えないが、
差し当たってこういう状況で一番ありえる事を聞いてみた。
罷り間違っても、強姦ですか、とは聞きたくない。
「そうだ」
よどみなく返事が返された。
だがどう考えてもそうではないだろうとも思えた。
金とカードの入った財布なら無防備ではあるが尻のポケットに入れてある。
こうも密着した状態ならすぐに相手も気付くだろうし、今頃抜き取られているはずだ。
殺してからの方が都合がいいとしても、だったら最初から首を落とせばいい。
相手に恐怖を与えてからという風でもなければ、強姦目的でもない。
だとしたら、可能性が最も高いのは。
「”お知り合い”、ですかね」
己の立場を知っている当麻は、”相手”にも知られている場合がある。
この場合彼らにとって用があるのは様々ではあるが、最も困る相手は当麻の”脳”に用がある連中だ。
色々と外部に漏らせない事情が多いのがハンターベースで、その中枢に関わった”記録”をたんまりと抱えているのが当麻の脳だ。
そういう事を解っていたからこそ人気の少ない道を避けていたはずなのに、油断した。
最近では征士が近くにいる事が多く、今のように襲われる事が少なかったのも理由のひとつだ。
それを征士のせいには勿論しないが油断した自分が情けない。
今度は相手の返事はなかった。
代わりに少しだけ、首に当たる熱が上がったのが解った。
首だけお持ち帰りされるのは真っ平御免。
自ら記憶を消すのも、お断り。
ならばする事は唯一つ。
全く抑えられていなかった脚で、相手の脛を踵で思い切り蹴り上げる。
その反動で下がった顎に多少無理のある体勢からではあるが、掌底をぶつけて振り返り様に足を払う。
倒れた相手の、ナイフを持った右手首を踏みつけたままに今度は何かを言おうとした口を残った方の脚で塞いだ。
「間抜けで良かった」
嫌味でもなく、本気で思って当麻は口にした。
それに相手が呻いて何かを言っているようだが全く聞き取れない。
それを見下ろして溜息を吐く。
もしも本当に厄介な相手なら身体の自由は最初に奪われている。
今回の相手はそこから考えればただ雇われたチンピラタイプか、幾つかあるテロ組織に心酔しているが短絡的なタイプだ。
少し体重をかけるとミシリという音がした。
前歯辺りが折れたような感触がある。
靴は洗う必要があるなと考えて、ますます面倒になる。
気に入っていた靴だ。
「…で、何の御用だったのかなって気にはなるんだけど、話を聞くのは俺の仕事じゃないんだよ。悪いけど」
オペレーションルームのチーフである当麻は、事情聴取などは管轄外だ。
そういった警察らしい仕事は専用の部署がある。
勿論それもハンターではあるが征士たちのような仕事はしない、寧ろ子供達に好かれる”おまわりさん”のような仕事がメインだったりする。
上着から電話を取り出して一般に公開されている番号ではなく、直接の番号をコールして自分の名前と居場所を告げた。
それから数十分もせずに数人の”おまわりさん”が駆けつけた。
その間、相手は当麻に踏みつけられてままだった。
「お疲れ様です」
「はい、お疲れ様。じゃ、コレだから」
そう言って脚をどける。
待っている間あまりにも暇だし相手の話を聞く気にはなれないしで、仕方がなく当麻は持っていた通信ツールでぼんやりとネットをしていた。
そこで面白そうな科学ニュースを見つけたのでその続きを家に帰ってじっくり見ようと思ったのを、後ろから呼び止められてしまう。
「……なに?」
「いえ、その……どちらへ行かれるのでしょうか」
「どちらも何も、家だけど」
何か駄目?と小首を傾げると、おまわりさんの1人が咳払いをしてとても言いにくそうに口を開いた。
「あの…こういう場合、羽柴チーフは”被害者”になるので…」
「あぁ、そっか」
「ええ。ですのでその……聴取にお付き合いを頂かねばならないのですが…」
申し訳無さそうに言われてしまった。
「…え、俺の場合も?明日じゃ駄目?」
征士に言われたとおり明日は朝から解析に付き合わねばならないというのに。
しかも解析はいつ終わるとも知れず、何も出来ずに拘束される時間が長い。
暇で暇で仕方ないあの時間は結構疲れる。
だからせめて、職権濫用かも知れないが今日のところは帰りたい。
さっき見たニュースも気になるのだから。
「駄目ですよ、流石に」
だがそれはアッサリと棄却されて当麻は素直に項垂れた。
誰に当たっても仕方が無い。この道を選んで帰宅していたのは他の誰でもない、自分なのだから。
くそぅ……俺の馬鹿。
少し前まではご機嫌にラーメンと餃子を食べてビールまで飲んで、征士と楽しくお喋りしていたというのにとんだ災厄だ。
忘れていたが首元もヒリヒリ痛い。災厄だ。
これが明日、征士に見つかればきっと彼の事だから状況を詰問されるか、それか傍にいなかったことを嘆かれるかもしれない。
周囲が引くほどに心底、此方が恥ずかしくなるような表情と言葉で。
一瞬、本当に一瞬だけ、そうなれば帰りも家まで送ると言い出すかな、と考えてしまい当麻は強く頭を振ってその考えを追い出した。
やり場のない気持ちを込めて、自分を襲った相手に追い打ちで蹴りを入れたかったがそれは流石にやめておく。
子供のように拗ねはしても暴君ではないのが”羽柴チーフ”なのだ。
だから代わりに、歯ぁ全部抜けろ、と呪いをかけておいた。
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取敢えず呪います。