タタンタンタタン



「あれ…?来てたのか」


買い物から当麻が戻るとそこには佐々木の姿があった。


「明日が締め切りなんでな」


ぶっきらぼうな口調で、しかもソファに偉そうに座ったままその佐々木が答えた。

佐々木というのは出版社に勤める、ちゃんとした社会人だ。
だが、ただでさえ強面なのに幼少期に悪ふざけが過ぎてこさえたという頬の傷から、あまり真っ当な会社勤め人には見えない。
その上、口もよろしいとは言い難いのだ。
性格だって結構粗雑で、作家連中からは密かに”取立人”と呼ばれ恐れられている。
だが実際に話しこんでみると面倒見がよく、マメな人間であるというのが解るので当麻は怖いとは思わないし、嫌ってもいない。


「お前んトコの”親父”は書き始めると早いが、取り掛かるまでが遅くってなぁ…だからケツ叩きに来たんだよ」

「へぇ、そう。……で、その”親父”はどう?書いてんのかよ」


閉まったきり開く気配もないドアを見つめながら聞くと、佐々木は肩を竦めて見せた。


「さぁ?さっき散々言い合いしたトコだから俺は知らねぇ。書いててもらわなきゃ困るんだけどな」


ふわぁ、と大きな欠伸をしながらソファにふんぞり返っている彼を、当麻はふーん、と何の感情もなく声を漏らして見ていた。


「それよかお前、また痩せたんじゃねーの?」

「……そうでもない」

「そうかぁ?お前を初めて見たのって、確か高校生ん時だったっけか。…何だっけ、薙刀やってたんだっけ?」

「弓道」

「あー、そうそう、弓道な。悪ぃ悪ぃ。…つーかそん時より痩せただろ」

「………何年前の話しだよ」


面倒臭そうに言った当麻を、今度は佐々木が面白そうに見上げた。


当麻は佐々木が担当している作家の助手をしている。
初めて会ったのは高校生2年の頃だ。
本人曰く目立たないように生きているという当麻だが、髪の色が通常の人間の色素と大きくかけ離れて神秘的で、
しかもその髪に見合うだけの容姿をしているから酷く目立つ。
その上頭もいい子供だったから老若男女問わず、手に入れたくて彼に声をかける人間は多かった。
佐々木の担当している作家、”親父”と呼ばれている彼もそうだった。
当時は未だデビューしたてでそこまで注目されていなかった彼だが、取材と称して外出した先で偶然当麻に出会い、
その見た目と知識に多分にインスピレーションを受けて書き上げた作品が賞を取り、それから出す本の全てがベストセラーになる程だから、
相当なものなのかもしれない。


「あん時もまぁ細ぇガキだなぁとは思ったけどよ、今は背ばっか伸びて更にヒョロヒョロじゃねーの」

「…アンタと親父が無駄に鍛えてるだけだと思うけど」


俺は標準。とぷいっとそっぽを向いて、買って来た物を袋から取り出した。
それを興味深そうに首を伸ばして見た佐々木に、当麻が口元を緩めて笑った。


「なに。暇なの?オッサン」

「オッサンじゃねーだろ」

「じゃあ”佐々木のおっちゃん”、暇なの?」


えーそりゃお前からすりゃおっちゃんですよねー、とか、暇だよお前の親父のせいで、とか色々と悪態をついて来るが、
気分の悪い事は言わないし、本人も気分を害した風でもないので当麻は謝罪の言葉は口にせず、
代わりに買って来たものの1つを彼の前に出して見せた。


「暇ならお茶でもどう?こういうの、嫌い?」

「………おぉ、こりゃまた…」


目の前にあるのは何だか女性が好みそうな字体で書かれた、何と読めば良いのか解らない名前がプリントされた箱で、
その中にはこれまた女性が好みそうな綺麗とか可愛いとかいう言葉が似合いそうなケーキがあった。


「…………嫌い、かな」


伺うように言った当麻を見ると、いつもの生意気そうな表情ではなかった。


「……どうした?寂しそうなツラして」

「…んー………その、…”親父”はさ、こういうの、好きじゃないから…」


その表情が気になって佐々木が聞けば、言い難そうに当麻が伏目がちになった。


「疲れには甘いものがいいんだけど、……だから俺、いつも買ってくるんだけど、結局俺しか食べないんだよな…」

「だったら別のモン買えばいいだろうが」

「そうなんだけど、親父は買って来いって言うんだよ。…なのに買ってきたら俺が食えばいいとか言ってさ、…意味ワカンネェ」


拗ねるような口振りが何だか可愛らしい。
大学3年になった当麻は、学校が終わるといつもこの作家の家に上がりこみ、世話をしつつ資料をまとめる助手もこなす。
そろそろ就職を考えるか大学院に進むかを本格的に決めなければならないらしいが、その当麻の希望する進路を佐々木は何となく知っていた。

”親父”の助手に、今のような半端な立場ではなく、きちんとした立場として就きたいのだ。

当麻自身が何かを調べたり纏めたりするのが好きだし得意というのは勿論、ある。
だがそれ以上に、実は当麻はその男を好いていた。
だから役に立ちたいし、傍にいたい。そう考えているのだが、相手は口下手な上に表情筋が存在しないと専ら噂の男なのだ。
何を考えているのか全く言ってくれないし、どうしたいというのもあまり言ってくれないのだろう。

大体、さっきのケーキの話のように買って来いと言っておいて結局食べないと言い出すような、傍から見て意味の解らない男だ。
いい加減当麻が困惑していても仕方が無いようなものだった。


「へぇ……食わねぇんだ、アイツ」

「うん。こんだけ買って来さすくせに、俺しか食べない」

「こんなに旨そうなのにな」


そう言った佐々木の視線はケーキ以外のものに注がれていたのだが、俯いたままの当麻はそれには気付かなかった。


「美味しそう?」

「ああ、ムチャクチャ旨そうだ」

「じゃ、佐々木さん、食べる?」

「食わせてもらっていいのか?」

「いいよ。お茶淹れるから、どれがいいか選んどけよ」


そう言ってキッチンに向かった当麻の背を見送る。
すっきりとした後姿はどこか清涼感があり、なのに妙な色気もある。


”お手つき”になってねぇのか。

佐々木はソファに深く腰掛けたまま、ぼんやりとそんな事を考えて、それから盛大に顔を顰めた。



元々、佐々木と”親父”は中学からの同級生だ。
互いに小学生の頃から剣道をしており、中学の部活で一緒になった。
どちらも負けん気が強かったものだから互いにライバル視していたし、基本的な考え方が真反対だったからしょっちゅう喧嘩もした。
お互いの事はそれなりに認めてはいるものの、面と向かうとどうしようもなく、意味もなく張り合ってしまう。
大学卒業後はどうしているか知らなかったが”親父”の実家は資産家だったので跡でも継いだのだろうと思っていたから、
作家になり賞を取ったと知ったとき、出版社に勤めていた佐々木はとても驚いた。
ただの道楽でそんな事をする人間ではないのは解っていたから本気なのだとすぐに解った。
そして是非とも自分に担当をさせて欲しいと上に掛け合い、そして彼の家に押しかけた。

そこで初めて当麻にも会った。
人と戯れるのが好きな佐々木と違い、彼はあまり人といるのを好む人間ではなかったはずなのに誰かを家に入れている。
それだけでも驚いたのに、自ら呼び寄せて身の回りの世話をして貰っていると言われたら尚更だ。

だからてっきり、”そう”なのかと思っていた。
だが未だそうではないというのにも納得がいく。

佐々木が知っている彼は、派手な見た目を裏切って酷く真面目で、古風な考えの男だった。


キッチンを見ると茶葉を選んでいる当麻が見えた。
頭はいいが大和撫子タイプではないし考え方だって随分と先進的だ。
古風な彼にしては随分とかけ離れた存在を傍に置いているなとは思うが、だがそれを気にさせないだけの魅力はある。


「旨そうなのにねぇ」


ぼそりと呟いて口端を持ち上げる。
そこに丁度当麻が紅茶を載せたトレイを持って戻ってきた。
この家に紅茶なんてあったのかと佐々木が驚いてみせると、ケーキには紅茶だと親友が口煩く言うからケーキの時だけ出すのだと
当麻が苦笑いしながら教えてくれた。


「へぇー、……で、何だ、あの”親父”も飲むのか?」

「そりゃ別に何も日本茶以外、飲めない体質じゃないからなぁ。コーヒーだって飲む」

「っへー、……へーぇ。…お前は色々アイツのこと、知ってんだナァ」

「ある程度一緒にいるから知ってるだけ」


からかってやると、当麻は耳まで赤くしているくせに嫌そうに顔を顰めた。

わかり易すぎんだろ…。
益々、佐々木は面白くなってくる。
そんな彼を無視して当麻はもう一度ケーキの箱を覗き込んだ。


「で、佐々木さんはどれにすんの?」

「お前は先に選ばなくていいのかよ」

「だってコレ、俺が選んできたんだから俺はどれも食べたいに決まってんだろ。だから先に選ばしてやるんじゃないか」


あーそりゃどーも、と言って佐々木は舌なめずりをした。
行儀は良くないが少年のような仕草に、思わず当麻が笑ってしまう。
その手首を急に佐々木がしっかりと握った。


「………え、なに?」

「食わしてくれんだろ?」

「……え、うん。だからドレがいい?って……え。…えっ?」


驚いている当麻を力任せに引き込めば、その細い体は簡単に佐々木の腕の中に落ちてきた。
それを抱きとめて、今度はそのまま自分が座っていたソファに押し倒す。


「………、え……、え、……え、ちょっと、ホント、何、えっ」

「食わせて貰おうかなって」

「え、……け、ケーキ?え、ドレ?」


自分の置かれている状況を何となくは気付いたのだろう、狼狽えている当麻の目が怯えて潤み始める。

そういうトコ、可愛いじゃねぇかよ。
口端に物騒な笑みを浮かべた佐々木は、耳元に口を寄せた。


「俺ぁ、”コレ”が食いたい」


獣のように低く囁くと、態と音を立てて頬に口付ける。


「…………………、………」

「食わしてくれんだろ?…大丈夫、ちゃんと気持ちよくさせてやるから…」


組み敷いた体は一瞬硬直したが、すぐに意識を取り戻して拒絶の言葉と共に抵抗を試みる。
だが細い当麻と、子供の頃から、そして今でもたまに剣道場に足を運んでいる佐々木では力の差があまりにもありすぎて、
抵抗は意味のあるものにはならない。


「い、……イヤだ…!やめ、……佐々木さ……オッサン、ふざけんな…っ!」


力で敵わないのならと、せめてもの抵抗として抗議の声を上げるが、それさえ楽しむように佐々木が笑った。
それに更に恐怖を感じて涙を流した当麻の頬に佐々木が再び口付けて、それを拭う。
乱暴な手と違って随分と優しい仕草で。


「いや……っいやだって……!!!」


細い手首を一纏めに握られる。
シャツの下から入り込んできた手の感触に、当麻の肌が嫌悪でぞくりと粟立った。
佐々木の唇が首筋に触れ、濡れた舌で舐め上げられるのに震える。


「いっただきまーっ…」

「何をしている…っ!!!!!!」


態とふざけた口調で明るく言った佐々木の声は、途中で割って入ったキッパリとした声に遮られた。
声のしたほうを見るとさっきまでは開く様子の無かったドアを全開にした男が、美しい金の髪を振り乱し、
その全てを見透かしそうな紫の目の下には薄っすらと隈を張って憤懣やるかたない様子で立っていた。


「…んだよ、伊達かよ」

「佐々木、貴様何をしている…」


つかつかとソファに歩み寄るなり、伊達と呼ばれた男は佐々木を突き飛ばし、ソファに倒されていた当麻を助け起こす。


「……征士…っ」


微かに震える肩をしっかりと抱き寄せてあやすように撫でているが、その視線は険しく佐々木を睨みつけたままだ。


「貴様、当麻に何をしようとしていた…!」

「えー何ってじゃれてたダケだろ?なぁ、とーま」


ニッと笑いかけられて、当麻は首筋を這った舌の感触を思い出しまた震える。
その肩を抱く征士の手に力が入った。


「貴様……当麻はそうは思っていないようだが…?」

「えー、…じゃあ、味見しただけにしとくわ」


その言葉に征士の眉がぴくりと跳ねた。


「味見、だと…?」

「それも駄目かよ。じゃあ、ツマミ食い」

「貴様…!!!!」


当麻を抱いていない方の手で佐々木の胸座を掴むと、それでも佐々木はニタリと笑った。


「何がおかしい!」

「いやー、たかが助手に手ぇ出しただけで執筆中なのに飛び出してくるなんて、お前、随分優しくなったんだなーって思ってよ」


執筆中は何があっても邪魔はされたくないし、放り出す気にならないのが征士の意見だった。
だからこそ身の回りの世話をしてくれる人間が必要になるのだが、その彼が今回は自ら部屋から出てきた。
それを佐々木が笑いながら指摘してやると、征士の表情が心なしか少し顰められている。


「…………やかましくするからだ…」

「そう?俺らどっちもそんなデッケー声は上げてなかったと思うけど。…まだ」

「……”まだ”…?」

「そ、”まだ”」


いちいち征士の癇に障る言い方を選んでする佐々木を心配そうに当麻が見ると、目が合い、そしてまた笑われる。


「大体すぐ横で女が裸でいたってお前、無視するクセになんだよ、ちょっと助手と遊んだだけでさー」

「だからそれは…!」

「まーそうだよなぁ、お前のお気に入りの助手だもんナァ」


そう、お気に入りだ。
大のお気に入りじゃないか。


「貴様いい加減にしないか…っ」

「何で。お前もハッキリしろよ」


長い間、ずっと張り合ってきた相手だ、考えている事なんて大体解るし、何を好むか何を嫌うかだって解っている。
彼がこの助手に対して何を思っているのか、どう思っているのかなんて佐々木には解り過ぎるほどに解っていた。
そして彼がそれを助手に言えない理由も。


「お前、相手の将来性とか考えんのもいいけどよぉ、その頭、もうちょっと柔らかくして相手のことよく見てやれってんだよ。この石頭」


天才として将来を嘱望されている彼を、小説家の助手という世界に閉じ込めてしまう事に迷いを持っていることくらい、
それでも彼を手放すことも出来ずに執着してしまっている自分に戸惑っていることくらい、それくらい、もう二十年近い付き合いになるのだ。


「だからお前は”頑固親父”って呼ばれてんだよ、このバカ」


自分の胸座を掴む手を解き、驚きに目を見開いている同級生の頭を叩くと佐々木はそのままカバンを持って玄関に向かった。


「原稿は明日取りに来るから、それまでに今日言っておいた分、書いとけよ」





きっと明日も原稿を受け取るまで暫く待たされるのだろう。
締め切りを破ることは滅多に無い、珍しい作家ではあるが今日ばかりはどうか解らない。
もしかしたら恥ずかしそうにした助手が出迎えてくれるかもしれないが、それはそれで面白いななんて思いながら、
佐々木は自分の尻を擦った。


「あんにゃろー、思いっきり突き飛ばしてくれやがって…」


明日思いっきりケツ蹴り上げてやろうとボヤいてから、佐々木は別の作家の原稿を”取立て”に向かった。




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日記で書いたサザ○さんネタから発展。
ノリスケの声が悪奴弥守(本名:佐々木)で、甚六さんの声が当麻っていうのを考えると、凄いよな!というトコからまぁ色々と…

タイトルはサ○エさんの終わりの歌のイントロです。
おおきなそらをーながめたーらー♪のアレ。