時に野を往く



「なぁ、伸、どう?伸びてる?」

「んー…ひゃく…ろくじゅう、…なな、かな」

「えー!?見間違いじゃなくて!?」

「正確には、166.8cmだね」

「……………………マジかよぉ…」


細く伸びた支えに沿うようにズルズルと当麻がその場にしゃがみ込んだ。
頭を抱えて、ううぅ…と唸っているが、唸ったところでどうにもならない。
伸は当麻の細い腕を掴んで無理に立ち上がらせた。

若干もたれ気味だった当麻が離れたことで、身長計は僅かに揺れた。


「まぁそう落ち込まないでよ。春よりは伸びたでしょ?」


中学の頃に周囲は少しずつ成長期を迎え始め、高校生にもなれば嘗てのクラスメイトは身体に厚みも出始めていた。
ところが当麻ときたらいつまで経っても身長は女子より少し高い程度、厚みに関してはてんで期待できない、
綺麗に言えば華奢な、身も蓋もなく言えば貧相な体つきのままだった。

そんな当麻を気遣って言葉を選んだ伸だったが、当麻からの返事はない。
方向の転換は失敗したかと思いはしても出した言葉は引っ込める事が出来ない。
今更もう一度話題の転換を試みるのは余計に彼を傷つけるというもの。
仕方がなく伸は、沼に嵌ってしまったかのような心持で話題を続ける事にした。


「…………………キミ、…春の身体測定の時、…身長幾つだったの…?」

「…………………………………ひゃくろくじゅうろく…てん、ご」

「………………………」

「………………………………」


同じ学年とは言え、事情があって1年留年している伸の身長は172cmと、平均的な高校生男子より僅かではあるが高い。


「…せめて伸くらいにはなりたい…」

「せめての喩えが僕ってのもなんか複雑だな…贅沢言えばどれくらい欲しいわけ?」

「うーん……180、とか?」

「…………それは…」


無理でしょ、と言いたいのをぐっと堪えた。
今からでは無理だ、という意味ではない。
当麻がそこまで伸びることなどありえないから、伸は言葉を濁した。


「まぁ、ホラ、あんまり大きくなっても伊達さん、超えちゃうし」

「征士、185くらいって言ってたから大丈夫」

「……また…大きいとは思ってたけど、具体的に数字で聞くと大きいネェ…」

「デカイ。無駄にデカイ。俺に身長を10cmくらいくれてもイイと思う」

「伊達さんが10cmもキミにくれたとしたら、伊達さんよりキミが1cm大きくなるよ?いいの?」


本気で言っているわけではないが、取敢えずは当麻の気をそこから離そうとした。
だから以前、当麻が口にしたネガティブな内容を引き合いに出してみる。
これで少しでも背が伸びることを諦めてくれれば伸は万々歳だ。


「………。…でも征士、別にそうなっても気にしないって言ってたし」


なのに駄目だ。

身長がコンプレックス、そして身体の厚みがないことも当麻にはコンプレックスだった。
子供の頃から他より小柄で、背の順番に並べと言われた時には辛うじて一番前ではない、という程度の位置だった当麻は、
兎に角、身体的コンプレックスが強い。
姉の小夜子や母親に言わせると、当麻君ってば可愛いからいいじゃない、などと無責任にキャッキャと喜んでいるが、
当の本人は、男ならやっぱゴツくなんなきゃ!と昔から息巻いていた。
そんな息子を見る、羽柴家の父親の悲しそうな寂しそうな笑顔を思い出すたびに伸の胸は痛む。


「そーですか。じゃあ、ま、帰ろう。今日は伊達さんトコ行かないんでしょ?」


その痛みを忘れるために今度こそ話題を切り上げると、思ったより素直に当麻が伸の後を付いて歩いてきた。


「うん。何でも一旦家に帰るって言ってた」

「家って、実家?」

「そ。何かお姉さんから呼び出し食らったとか言ってた」

「そういえば伊達さんもお姉さんがいるって言ってたね」

「うん。でも聞いたら姉ちゃんと違って超怖いんだってさ」


当麻が”姉ちゃん”と呼ぶのは、伸の姉の小夜子以外にはいない。
しかし言われた彼女と”違って”超怖いと言われて伸は首を傾げてしまう。

薙刀を、しかも切っ先を何の遠慮もなく己に向けた小夜子を見ても、それと違って怖い、と言われるとは一体どういう姉なのだろうか。
昔からお前は怒ると怖いと言われ続けた伸でさえ、姉の小夜子は怒らせると怖いというのに、それを上回るという伊達家の長女を、
会ったことはおろか見たこともないが取敢えず伸は恐れた。


「まぁ……家でしか解らない面ってあるもんね…」

「んー」


間延びした返事を寄越す当麻は、いつの間にか伸を追い抜き前を歩いていた。


「伸、歩くの遅ぇ」

「キミがせっかちなんだよ」


詮無い事から下らない事、酷く重苦しい事と、色々と考えてしまっていた伸はいつの間にか足取りが重かったらしい自分を態と無視して、
当麻の性格を突付く。


「だいたいキミ、食べるのも早いしね。どんだけせっかちなんだよ」

「早食いは昔っから。それにせっかちって言うけど、ドコの誰だよ、今日俺のことマイペース過ぎて遅いって言ったの」

「それはキミの宿題に手をつけるペースのこと。もう、混同するんじゃないよ!」


背後からぺしんと小さな頭を叩くと、イイ音がして青い髪がさらりと流れた。
細い首がくらくらと揺れている。


「…俺の脳細胞が死んでアホんなったら伸のせいだ…今ので宿題出来なくなった」

「はいはい、姉さんにそう言いつけていいよ」

「つまんねーの!」

「ほら、とっとと帰ろう。残ってても別に何もないし」


そう言って当麻の背をグイグイと押して下足室へと向かう。



細い首、細い手足。
小さな頭に僅かに尖った顎。大きな目は髪と同じ青を滲ませた睫毛に縁取られている。

先日漸く16歳になったばかりの当麻に成長期は来ない。
全てが曖昧なままの身体は、完全に少女のようではないから余計に危うい。
ただでさえそういう印象を与えていた当麻は、最近、時折ではあるが妙な色気がある時がある。
それを見るに付け、伸はいつだって不安になった。
本当にあの男に何もされていないのだろうか。
知らぬ間にとんでもない事をされてはいないのだろうか。
そればかりが気になる。

気になって、実際に本人に聞いてい見ればいつだって、何もされてないよ、と素直に返される。
前までなら妙に恥らった風ではあったが、自分の気持ちに向き合ってから当麻はそういった事は減った。
そりゃたまには何を思い出したのか頬を染めている事もあるが、当麻自身が否定していることは信じていいのだ。
何故なら当麻は伸には嘘を吐かない。
本当にどうでもいい事や相手になら当麻は堂々と嘘を吐くが、こちらが真面目に聞けば、相手にもよるが嘘は吐かない。
特に伸相手となると嘘を吐いたところですぐに見破られたり、後でバレてちくちくと言われるのが目に見えているので、
最初からそういう事を放棄している。
代わりに、答えたくない場合はだんまりになるのが当麻の癖だ。
だから当麻がハッキリと言葉で否定する時は信じていいのだ。

だから、伸は当麻の言葉を信じる。
…のだが、どうしても妙にある色気を見るたびに落ち着かない気持ちにさせられる。


薄い肩、厚みのない胸、細い腰。
本人の性格を知れば、クソガキと形容したくなるような生意気さに驚かされるかもしれないが、その見た目だけはいつだって
どこか潔癖さを伴っていて、危うく感じてしまう。





「……当麻…、」

「んー?」

「……………」

「…なんだよ」


呼びかけるだけで何も話す気配がない伸を当麻が振り返る。
思ったより近かった距離のせいで、自然、伸を見上げる形で。
意図せずに上目遣いになり、垂れた眦も相まってそれはとても可愛らしい。
子供の頃からの親友で、そういう趣味もない伸でさえそれは素直に可愛いと思える。

小さくて、華奢な四肢。
決して少女のようではないが男らしくもない体躯。

幼い頃に見た羽柴家の両親の沈痛な面持ちを思い出して、伸はそれを追い払うように態と大袈裟な溜息を吐いた。


「キミ、昨日夜遅くまで起きてただろ」

「う、…なんでそれを…」

「確かゲーム発売されたよね、一昨日」

「う……!」

「一昨日は伊達さんトコ行ってたから昨日パッケージ開けたのかなぁ?」

「………………あ、あのぅ…」

「夜更かしは駄目だって、昔から言われてたヨねぇ?」

「はい…姉ちゃんに耳にたこが出来るほどに…」


食べることと眠ることが大好きなくせに、一度集中してしまうと当麻は今度は食べることも眠ることも疎かにする。
それを昔から、不在がちな羽柴家の親に代わって小夜子がいつも注意していた。


「昨日は偶々、キミの部屋の電気がいつまでも消えてないのを僕が見つけたからいいようなものの、コレが姉さんだったら
キミ、どうするつもりなの?」

「…めっちゃ怒られるよなぁ…?」

「だろうねぇ。下手したらゲーム機ごと取り上げられるんじゃないかな」

「あ、あのぅ…」

「うん、ストロベリーシェイクで手を打ってあげるよ」

「ありがとうございます」

「でも今日は素直に寝なよ?姉さんに見つかったら本当、説教されても知らないからね」

「はーい」


返事軽いなぁ、なんて笑いながら靴を履いて、2人揃って校門を出た。




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征士と当麻の身長差、約20cm。