時に野を往く
征士が当麻に愛の告白…を飛び越えて、まさかのプロポーズをして数日。
当麻は相変わらず征士部屋を訪れるし、征士は相変わらず当麻の肌に触れたがった。
それはいつもと変わらないのだが、ただ好意を明らかにしてからは以前よりも何と言うか、密着度が上がった、と言うのだろうか、
例えば今のように仕事の電話をしている間中、以前なら隣に座らせていただけの当麻を膝に乗せ、電話を持っていないほうの手で
その細い腰をしっかりと抱き締めている事が増えた。
「……………………疲れた…」
やっと終わった仕事の話に心底疲れ果てた様子を隠しもせず、征士は携帯をソファの端に投げ出すと、
膝に乗せていた当麻を抱き締めたままソファに寝転ぶ。
あの見合いの席で、そして彼の気持ちを聞かされるまで、当麻はずっと征士の事を一分の隙もない、完璧な大人の男だと思っていた。
だがその考えは最近改めてきたようだ。
仕事の事はまだ子供の当麻には解らないが、まぁ疲れるのだろうというのは何となく彼の態度でわかる。
特に電話の相手が女性の場合は神経を使うのだろうか、酷く疲れている事が多い。
そしてその度に当麻を抱き寄せ、鼻先を首筋に埋め、そしていつもそのままの体勢で深く呼吸をする。
まるで匂いでも嗅ぐように。
…どっちかっていうと、大型犬みたい…
少し前までは飼い主とペットのようだと自分たちの事を思っていた当麻だが、その時の”ペット”は自分の方だった。
だが最近は、ペットとは言わないが、それでも征士は大型犬のようだと思う事が増えた。
それも、甘えん坊の。
大の男がそんな事をしているのだ。
気持ち悪いと思っても良さそうなものだが、それを可愛い、と思うあたり当麻も相当ヤられている。
「…征士、重い」
「我慢してくれ…」
押し倒した姿勢のまま、その身体のラインを確かめるように布越しに当麻を撫でる征士の声は、酷く艶を含んでいる。
それに対して腰から這い上がってくる言いようのない感覚を当麻は味わうのだが、よく解らないその感情は一旦頭から追い出して、
今は兎に角慰めを必要としている男の頭を撫でてやる。
「征士さぁ…」
「………何だ」
「…これって、…楽しいの?」
「楽しいし気持ちいいし、幸せだ」
「そ」
「…当麻は、…迷惑か?」
「俺は……………嬉しいよ」
照れながらも素直に言えば、征士は笑みと共に一層抱き締める力を強くする。
首筋をゆっくりと唇が辿った。
当麻は未成年だ。小夜子の言ったとおり、彼に手を出すことは、幾ら思いを交わそうとも犯罪には違いない。
真面目な征士はそれを考慮し、そして何より大事な当麻を傷付けたり怯えさせたりしたくなくて、肌に触れる以上の事はけしかけない。
ただその肌の感触を、手や唇を使って楽しむに留めている。
だがその微妙な感触が却って健全な少年を惑わせているのも事実だった。
「ん………っふ、………せい…じ」
仄かに甘い感情の混じった声が漏れて、征士は嬉しそうにする。
「当麻、……いい匂いがする」
自分を誘って離してくれないその、匂い。
甘くて艶やかで僅かばかりに淫靡。未発達の身体から立ち昇るその匂いは、こういう時に増してくる。
「とうま、……とうま、」
その匂いに誘われて首筋から顎のラインを滑り、そしてそのまま頬に口付けると熱を孕んで濡れた目が見えた。
それをじっと見つめ、持てる愛情の全てを注いで話しかける。
「あまい、匂いがする」
「……………征士って…」
「……何だ?」
「…甘いの、苦手じゃなかったっけ……」
だがそんな深い思いを向けられた事がない子供は、居た堪れない気持ちになり必死にいつも以上に素っ気無い口調で呟くが、征士がまた笑う。
その様子に首を傾げた当麻の、長めの前髪がさらさらと流れた。
それを征士の大きな手が梳いてやる。
「苦手は苦手だな」
顕になった形のいい額を撫でた。
それが気持ちいいのか、当麻はうっとりと目を閉じる。
だが口調はあくまで、素っ気無いまま。
「……じゃ、いい匂い、って…おかしくない?」
「この匂いはいい匂いなんだ」
「…何が違うんだよ」
「当麻の匂いかそうでないか、だな」
「……………。変なの。意味解んねぇ」
切り捨てるような口調だったが、当麻も征士の頭を抱きかかえた。
こういう時は、あまり深く考えない方がいいものだ。
ただ今ある時間を、ゆっくりと味わえばいい。
2人で過ごす、大事な大事な時間。
だが現実の中でそれを思い出してはいけない。
少しでも頬を染めようものなら伸に目聡く見つけられ、…伊達さんに、何もされてないよね…?と確認されるのだ。
姉共々、兎に角当麻が18歳になるまでは一切の手出しを許さない彼らは、征士を受け入れはしたものの、
未だどこか敵を見るような目で彼を見ている節がある。
因みに当麻は毎日征士の家に行っているわけではない。
4人で面談したあの日、一応の話が付いた後で小夜子が征士に向かって、たまには当麻を貸すよう告げたためだ。
何のかんのといって姉は弟の1人が離れてしまうのが寂しい。
それが特に、本当に可愛らしい、小柄な当麻だから尚のこと。
だから今日も当麻は伸の家に遊びに来ているのだが、寝転びながら見ていた雑誌に載っていたタレントを見て、ついその顔が歪んだのを
伸は見逃さなかった。
「……どうしたの?」
「…んー……いや、……この人さぁ、」
指差したのは雑誌モデル出身のタレント。
愛犬家でも知られている、可愛らしい女性だ。
「あー、うん。……なに?キミってこの子のファンだったっけ?」
「いや、そうじゃないんだけど」
「じゃあ、なに」
「…うーん…………この人、自分の犬の尻の匂い嗅ぐの、好きなんだって」
言えば伸もやはり顔を顰めた。
「……ホント?」
「結構前だけどテレビで言ってた」
「………怖いなぁ」
「変態みたいだよな」
「いや、それもだけどさ…そういうコト、平気で言えちゃうっていうのがまた……」
「うん、だよな」
「でもお尻の匂いって……え、それってさぁ……まさか、アソコの匂いってコト?」
言葉を濁しながらも伸が言いたいのは、肛門のことだろうというのは当麻にも解った。
2人揃って顔を盛大に歪めていく。
「それはちょっと……マジにキてない?」
「ちょっとヤだよねぇ……」
「犬のおならって、臭いって聞いたけど…」
「えー…まさかそういうのがイイのかなぁ……それとも可愛すぎて平気なのかナァ…」
どっちにしても僕は願い下げだよ、と言いながら、伸が寝転んだ当麻の背に頭を乗せた。
「それともさぁ、臭いのが逆にいいのかなぁ」
「伸、ヤメろよ。俺、何かちょっとオエってなる」
「僕も」
「じゃ言うなって!」
「しょーがないじゃない、何かもう、思っちゃったら1人で抱えてるのヤなもんだし」
「だからって俺を巻き込むなよ!」
2人でじゃれ合っていると、ふと当麻の頭にある事が過ぎる。
征士は、自分の匂いを嗅ぐのがどうも好きらしい。
では、まさか彼も……?
「え、……匂い嗅がれたら、どうしよう…」
思わず出てしまった呟きに、腰の上に乗っていた伸の頭がピクリと反応したのに当麻は気付いて、慌てた。
「や、いや、違う、別に嗅がれてないけど…!」
「何ムキになってんの。余計に怪しいんだけど」
「ホント、違うって…!」
「あの男、キミのお尻匂うの!?」
「ヤなコト言うなよ!そんなんされてないし、そんなんされたら俺、多分、……泣く!」
そうかなり本気で叫んだ当麻だが、伸はそんな彼を見て、
その状態で泣いたら多分、あの人余計に喜びそうだけど…
と思っていたのは流石に口にはしなかった。
しない代わりに、やっぱり伊達征士は変態、という此処に居ない彼にとっては不名誉な感想を強く己の胸に刻んだのだった。
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恥ずかしがって泣く当麻は可愛いと思うのです。