時に野を往く
当麻が征士に付き纏われてから(伸はこう言う。当麻はそれは違うような…と言葉を濁すが、伸は断じて、こう言う)2週間が経った。
あれからというもの、当麻の溜息が明らかに増えている。
そして、いつもなら学校帰りに、毎日ではないにせよそれなりに2人で寄り道をしていたのに、既にその誘いはあれから5回、断られている。
2週間で、5回。その時の理由の全てが征士からの呼び出しだというのがまた気に入らない。
多いんじゃないかと伸は内心、憤り、そして姉にそれを話せば彼女は柔らかな笑顔のまま、いい大人の癖にショタコンかしらね、と毒づいた。
弟はそれに何度も首を振り盛大に同意したものだ。
いやそれよりも。
当麻の溜息だ。あまりにも多い。
授業なんて少し聞いてあとは教科書さえ読めばきちんと正しく理解して、後は自分で追及して最後には己の物にする当麻だから、
別に授業中に上の空でも問題はない。
だが溜息が多い。多過ぎる。
原因に思い当たるだけに伸は苛立ちを隠せない。
「…ねえ、当麻」
「なんだよ」
「今日も、伊達さんのトコ、行くの?」
そのものズバリ、ストレートに聞けば当麻の目が見開かれ、そして視線を逸らす。
成長期が来ていない当麻はまだどこかあらゆるモノの境にいるような雰囲気を色濃く残しており、そういった手合いの趣味の者が今の仕草を見れば、
うっかり犯罪に走るんではなかろうかと伸は思っている。例えば、どこぞのショタコンとか。
因みにそれは思いっきり伸の偏見である。だって彼の周囲には実際に少年趣味の大人などいない。ついでに言うと同性愛者も。
厳密に言うと征士が同性愛者なのか、そしてショタコンなのかそれは全く知らないが、それでも当麻に懸想している事だけはわかるので、油断は出来ない。
「………行く、けど…」
「変なこと、されてないよね?」
またストレートに聞いた。
今度は心なしか頬を染めたように見えて、伸はコメカミをひくつかせた。
「…されて、ない、よね?」
単語を区切り改めて問う。
「されてないよ」
ボソリと返された答えに、少しは安堵するものの油断だけはしない。
「いい?当麻。もし伊達さんに何かされそうになったら、キンタマ蹴り上げて逃げて、電話して来るんだよ?」
「それ、考え過ぎだって。征士はそんな事しないし、…それに伸の口からキンタマとか言われると何かちょっとショックだ…」
「何で」
「……伸ってアイドル顔なのに」
「煩い。僕が何を言おうと僕の勝手。そもそも僕だってそんな言葉、言いたくもないよ下品だし」
お坊ちゃん育ちで父母にきちんと躾けられて育った伸は、普段なら決してそんな言葉は口にしない。
だがそれでも言うという事は、つまり見た目には然程普段の彼と変わりはなくとも、それだけ色々堪りかねているのだろう。
「兎に角、当麻。いいね?何かあったら、絶対に逃げる。約束して」
「だーかーらー」
「だからじゃない!いい?万が一とか、もしもって事が世の中にはたくさんあるんだからね!?」
「そうは言うけどさあ」
「姉さんも心配してるんだから。…キミ、最近家に来ないし」
ある意味の最終兵器・姉を持ち出せば当麻はバツの悪そうな顔をして反抗を止めた。
「…………わかったよ。…明日、行くから」
「約束は?」
「そっちもする」
「ちゃんと蹴り上げるね?」
「……それは同じ男として躊躇うだろ、流石に」
「宇宙人だと思って思いっきりやる。いいね?」
あまりの言い草に目の前にいる人物が当麻には鬼に見えた。
テレビでたまに特集されている宇宙人の股間にそんなモノはどう見てもないだろ、と言いたかったが当麻は取敢えず頷くだけに留める。
これ以上何かを言ってもきっと平行線だろう。
し、何だか伸が怖いのだ。
幾ら天才といえど口で伸に勝てた事はない。
語彙の問題ではなく、迫力の問題なのだ。普段が優しいだけに怒らせると伸は半端なく恐ろしい。姉の小夜子などそれ以上だ。
ここは黙って従うのが賢明な判断だと、天才君は思っていた。
伸に、変な事をされていないかと問われたが、多分、あれは変なことじゃない。と、思う。
なんて曖昧に当麻は思っていた。
征士から呼び出しがあると、当麻は近くで待ち合わせて彼の住むマンションへと向かう。
大学生の征士は実家を離れて一人暮らしをしていた。
流石お坊ちゃまと思わせる、一人暮らしには優雅すぎるマンションだったが、彼の実家の存在の大きさやそれに伴う様々な事からの、
彼の身の安全を思えば当然なのかもしれない。
大学も4回生となり、既に殆どの単位を取り終え、就職先も決まっている征士は他の学生より時間に余裕がある。
その時間を、家の経営している会社の仕事を、少しだけだが彼はバイト代わりに手伝っているのだという。
卒業後は勿論、伊達家に関わる会社の1つに入り、ゆくゆくは上の地位に付く予定の彼だから、
仕事の内情を少しでも早く知っていた方がいいという祖父の判断らしい。
実際征士はとても有能な男らしくそれらを、まだ社会に出ていない人間とは思えないほどに的確な判断で処理していた。
だがそれは同時に彼にとってストレスにもなる。
だから征士は癒しを求めて自分を呼び出す。…と、当麻は思っている。
では実際に呼び出されて、何をしているのか。
特に何もしていない、というのが答えだ。
当麻を部屋に呼ぶ時は大概、征士は仕事を終えた後だ。
部屋に上がると2人して適当に腰を下ろし、好きに過ごす。
何か話す時もあれば、特に何も話さない時もある。
特に何もする事がない場合、大抵征士は本を読んでいた。
当麻も征士の部屋にある本は家にある物と趣旨が違うものが多く、それらを読んで過ごしている。
何も知らない他人が見れば、家族が適当に過ごす、普通の時間のような過ごし方。
その間、征士の右手が当麻の胸を触っているという事を除けば、の話し。
スキンシップで癒されると言っていた征士だ。
当麻と会うようになってから、2人きりになると頻りに当麻の肌に触れたがった。
頬や手、首に意識的に触れる事が一番多いが、それでも無意識となるといつのまにか当麻の服の中に手を入れている。
そしてその感触を楽しむように、気が済むまで肌を撫でるのだ。
他だと、あまりに大きなストレスを抱えた時には強く抱き締められる事もある。
既に大人の身体をしている征士と、まだ成長期さえきていない当麻の体格差では、彼の腕にすっぽりと当麻が入ってしまう。
逞しい腕で抱き寄せられ、厚い胸に顔を押し付けられたまま、布越しに身体を撫で擦られると、正直戸惑う。
耳元で深く息を吐かれたりしたら尚更だ。
大人の、年齢的な意味ではない、大人の艶を含んだ微かな声混じりの吐息は、未だ健全な少年には混乱しか齎さない。
それでも当麻は征士のそういった行動を、変な事をされているわけではない、と捉える。
だって征士が言っていたのだ。癒される、と。
大人は色々大変だとは思ったりするから余計にそう思うのかもしれない。
疑わないでもないし、時々困惑もするが、それでも変な事をされているわけではない。…はずだ。なんて少し言い聞かせるように捉える。
何故なら当麻もそうされる事が嫌いではないからだ。
簡単な話。
子供の頃から多忙な羽柴家の両親は、殆ど家にいなかった。
今の家に引っ越す前は祖母の家が近くにあり、大半の時間を当麻はそこで過ごしたから寂しくはなかった。
だがその祖母が他界し、そして両親の仕事の都合上、今の家よりも便利で、そして安心な場所を探して今の家に移り住んだ。
確かに今の家ならすぐ裏が伸の家だ。
昔から懇意にしている友の家族なら父の源一郎も安心だと思ったのだろう。それは正解だった。
世話焼きな気質の一家は何くれと当麻の世話をしてくれた。
それは当麻にとっても有難かった。
だが、両親は不在だ。
決して愛されていないわけではないのは、たまに帰ってきた時の彼らの対応でそれは幼い当麻もよく解っていた。
だが、不在なのだ。抱き締めて欲しい時に抱き締めてくれる腕はなく、求めて伸ばしても受け取ってくれる手は常にはない。
寂しくないわけがない。
だが当麻は頭のいい子供だったので、それを望むのがいかに無駄なことか解っていたし、言えば両親を困らせることも解っていた。
だからずっともう、長い間そういうものを諦めていた。
それを与えてくれるのが、征士だった。
そりゃ自分が抱きつくというよりも抱き締められているし、手だって求めて伸ばしてくるのは相手のほうだ。
だがそれでも、誰かの体温が癒しになっているのは当麻も同じだった。
だから、征士が当麻の肌に触れたがること=”変な事”ではない、と。
今も2人並んでソファに座っているが、征士は本を読んでいるし、当麻は彼に凭れてうつらうつらとしている。
左手だけで器用にページを繰る征士の右手は、いつものように無意識のまま当麻の制服のシャツの裾をズボンから引きずり出し、
その中に手を入れて肌の感触を楽しんでいた。
「……………っ…」
ただ困るのは、征士の手指が当麻の、平らな胸の中で色づく箇所に、初めての時よりもハッキリと触れてくることだ。
指で擦られ、突付かれ、時に摘ままれると思わずそこが硬くなり、尖り始めるから少年は困る。
決してそういう意図でやっているのではないだろうに、イケナイ事をしているように感じる自分を恥じてしまう。
癒しを求められているだけなのに、何か別の感情が沸きあがりそうになる自分を恥じてしまう。
「……せい、じ…!」
「…?ああ、すまん、痛かったか」
これ以上は耐え切れないという所まで来て当麻が訴えると、征士はいつもこう言って手を止めてくれる。
まるで、こういう事は何という事ではないのだ、と清廉な瞳と涼しげな顔でいつだって、そう。
だから当麻もそれ以上何も言わずに、ただ自分の胸元から彼の手が離れるのを待つ。
離れる体温を惜しんでしまうのは自分がスキンシップ不足で育ったからだ、と言い聞かせながら。
「………。当麻」
離れた体温に未練があることを必死に否定している当麻を見つめ、征士が名を呼んだ。
「な、なに」
「頬に触れてもいいか?」
それは普段、割とされている行為で、今更改めて聞くほどでもないはずだ。
それに多少の疑問を覚えつつ当麻が頷くと、征士は綺麗に微笑んで、ゆっくりと、そう、ゆっくりと、当麻の頬に触れた。
唇で。
「……………!!!?」
ちゅ、と濡れた音を残して離れた感触に、当麻は目を白黒させて言葉を失う。
征士は相変わらず綺麗に笑っていた。
「どんな味がするのかと思った」
そう言って、先ほど触れた箇所に今度は指で触れてくる。
「…旨いな」
囁くように出された台詞に伸の言葉が頭を過ぎったが、これは欧米的スキンシップだ!(と思う)と当麻は必死に自分を言い聞かせていた。
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伸はアイドル顔っていうか、ジャニーズ顔。と思う最近です。