時に野を往く
征士の車に乗せられた当麻は、落ち着いた雰囲気のある喫茶店に入った。
店内には疎らに客がいて静か過ぎず煩過ぎず、話すにはちょうど良かった。
どこがいいかと征士に尋ねられ、制服姿の高校生がいてもオカシくない店がいいと当麻が答えた。
学校の近くにあちこちに店舗を構えているコーヒーショップの1軒があり、そこを考えたのだがどうも目の前にいる美丈夫には似合いそうにもない。
あの店は隣の席ともそんなにテーブルが離れていないし、この時間帯は当麻と同年代の、子供とも大人とも言い難い年齢の人間で溢れかえって
雑然としている。やはりどう考えても彼には似合わない。
…年齢だけで言えば、彼も充分にその店の主な利用客になりえそうなのに。
最初は当麻に気を遣ってその店を選ぼうとした征士だが、その違和感というか、奇妙な光景に思わず顔を顰めた当麻が、他の店を探そうと言った。
結果が、今いる店だ。
近付いてきたウェイターに征士はコーヒーを、当麻はミルクティーを頼んだ。
本当はメニューにあったパフェに心が引かれたけれど、そこは伸と約束した以上は我慢だ。
別に食べたところで大食漢の当麻だから夕食くらい平気で平らげるし、もし食べちゃったと言っても伸は表面的に怒るだけで本気でそうはしないだろう。
それでも彼との約束を違える事を避けたい当麻は、ぐっと堪えて別の甘みで我慢する事にした。
いつも行く店ならキャラメルのたっぷり入った物や何とかラテ、何とかフラペチーノなんてのを頼むが、昔ながらの雰囲気を持つこの店には当然ない。
運ばれてきたミルクティーに早速砂糖をたっぷりと入れると、向かいにいる征士の眉間に皺がよった。
「…………なに」
「いや…かなりの量を入れるのだなと思って」
嫌悪ではないのだろうけども、意外と言う風でもない男の反応に、当麻は恥ずかしさと同時に何故だか苛立ちを覚えた。
「甘党なんです」
「そうか。…いや、すまん。私はどうも甘いものは得意ではなくて…」
「へぇ……そう、ですか」
まあ似合わないよな、と思う。
例えばこの男がジャンボパフェを嬉々として食べる姿など想像が出来ない。
言ってしまうと、嬉々とした表情というのもちょっと想像が出来なかった。
無理に想像すると笑いそうになってくる。それを一先ず我慢して、当麻はミルクティーに口をつける前に少し姿勢を正した。
「あの……先日は、すみませんでした」
「…ああ、あの事か。さっきも言ったが、それに関してはキミは何も悪くないだろう。謝るのは私のほうだ」
改めて謝罪を述べれば、相手の方も謝る。
自分は相手を騙していた事についての謝罪だ。それに対して相手の謝罪が、その、何と言うか、胸に触れた事だというのを理解すると
当麻の顔が赤くなった。
「いや、…それは………別に、俺……女の子じゃないし……いいですけど」
「良くないだろう」
そこまで不快ではなかった自分に戸惑いながらも告げれば、それでも征士はキッパリと言い切る。
「私自身、あの時の自分の行動には正直言うと驚いた。だが弁明させてもらえるのなら言うが、その……」
言いにくそうに一旦言葉を区切って。
「肌が余りにも綺麗だったものだから、つい」
続けた言葉は、それでもどこかうっとりとした表情で。
「触ったらどんな感じなのだろうかと興味を引かれてしまった。実際、思った以上にいい触り心地だったし手への馴染みも良かった。
それでつい夢中になって更に手を進めてしまったのだ。触っている間は何か心が満たされたような気持ちになった。
幸せな気持ちになったと言っても過言ではない。本当だ」
いや、そんな事言われても。
当麻はどんな顔をしてその言葉を受ければいいのか、悩んだ。というより、困り果てていた。
こんなに静かに冷静に、けれど熱烈に褒められている?いや判断はつかないが、まぁ褒められて恥ずかしくないわけがない。
それもこんな美形に。しかも疎らとは言え他に人がいる場所で。
「情けない話、親戚中から持ち込まれる見合い話にストレスが溜まっていたのかも知れん…スキンシップは人を癒すというが、あの時ほど実感した事はない」
「癒しって……」
だからって態々人の着ている物を脱がすような真似をするものだろうか。
思いはするが、口には出来ない。
口にするとあの時の事が鮮明に頭に蘇ってきて、それを追い払うのに当麻は必死になった。
「だがすまない。何を言っても、言い訳にしかならんのは判っている」
「別に俺は…」
そもそもまだ22歳で見合いが4回目というのも疲れるものなのだろう。
断るというのにだって気力や体力は必要になる。
それを繰り返してきた彼を思うと、同情心が沸かないでもない。
過ぎた事としてお互いに忘れる方がいい。そう結論を出した当麻は、兎に角この話題からとっとと抜けたい。
でなければ、あの時の光景どころか感触まで思い出してしまいそうだった。
「本当、もういいです。大丈夫です」
「しかし」
「俺、怒ってるとかそういうんじゃなくて……まあお互い様って事で…それに謝るためだけに探してたって言うし、真面目な人だなって思ったので、いいです」
だから、もうこれ以上悩んだり罪悪感を抱えなくていいです。
そういうつもりで言った。
しかし正面の男は何故かまた何事かを言いたいが言いにくそうな雰囲気を見せる。
「……?」
「いや、…確かに私はキミに謝りたくて探していたが、それだけが用ではない」
「…へ?」
「その………今後も、会ってもらえないだろうか…」
会う。
あう。
あう…au。え、携帯?
「え、会うって…………え、」
「あの時言っただろう?もう少し話していたい、と」
「ええっと、それってつまり…」
「最初は友人として、というのは、…迷惑か?」
「ああ、そういう事………って、友人…ですか?」
「…困らせるつもりはない。嫌なら遠慮なく断ってくれ」
友人。
まあ歳は離れているが悪い人間ではなさそうだ。
寧ろちょっと真面目すぎて面白い方向にイっている男が好ましくも思える。
年上の友人というのに抵抗があるわけではないし、これだけの美丈夫なら何となく鼻が高い。
そんな風に考えた当麻は、首を縦に振って答えた。
それを見て征士が漸く微笑む。
以前と変わらず綺麗なその表情に、思わず当麻は見惚れてしまった。
「ではまず、その敬語をやめてもらっていいか?」
「…でも7歳も上ですし」
「友人にそういうのは不要だろう?」
「………まあ……そっちがいいって言うのなら…」
「ああ。さっきの毛利さんの弟と話すような口調でいい」
「随分、失礼な口の利き方になるけど、いいっての?」
「本来のキミが知りたい。それから、私の事は征士と」
「…名前で?」
「ああ。私もキミを当麻と呼んでもいいか?」
「……俺は、いいよ」
「では決まりだな」
言って一層美しく微笑むから、当麻はまた顔を赤らめてしまった。
「……カナダ?」
征士の車で毛利家の前まで送られてきた当麻を迎え出て食卓に着くと、言われた言葉に早速伸は顔を盛大に顰めた。
因みに毛利の家に送るよう言ったのは、誰でもない、伸だ。
そろそろ夕食の時間になり、漸く当麻から電話が入った。
何事もないかと心配になり現在地を問えば、学校から毛利家とは真逆の方向にいると答えが返って来た。
今から店を出るが遅くなるから彼が自宅まで送ってくれる、とも。
それにあまりいい顔をしなかった伸は、僕の家に直接送ってもらいなさい、と厳しく言いつけた。
あの野郎、油断ならないな…
何となくそう思った伸は、当麻の自宅を、それも殆ど一人暮らし同然のあの家を知らせるのは得策ではないと判断したのだ。
暫くすると門の外から車の音が聞こえ、当麻を迎えに表へ出れば案の定、何故か態々車から降りたらしい男が当麻の傍らに立ち、談笑していた。
その顔にまた何だか伸はイラっ!と来て、履いていた突っ掛けを行儀悪くカツカツと音を立てて近付いてやった。
そうしてやっと此方に気付いた当麻が彼に向かって礼を述べ、別れの挨拶をした。
男も同じように返した。
その時に互いを名前で呼び合っていたのも伸は気に入らない。
夕食時に何をしていたのかと聞けば、色々と話したと当麻が言い、それを更にさり気なく問い詰めてみれば、まあ友人にならないか、と。
それは、まあいい。百歩譲って、いや、万歩も億歩も譲ってやってもちょっとシコリが残るが、まあいい。
だが、カナダとは。
「そう、カナダに行く気はないかって」
伸が昨晩から仕込んでいた手羽元は柔らかく、軟骨まで食べられる。
それを美味しそうに当麻が口に運んでいる隣で伸は表情を曇らせた。
向かいにいる姉を見れば、彼女も少々眉根を寄せていた。彼女にとって当麻は実の弟同然だ。
自分の見合い相手だった男の発言に何か引っ掛かりを覚えたのだろう。姉弟はよく似た優しげな表情に少々険を含む。
「……何でカナダって、言い出したのかしらね」
彼女、表面上は、不思議な人ね、と言いたげな声色だが、違う。
何を仰っているのやらオホホという方がしっくりくる。
「さあ?何でだろうな。ちょっとオモシロい人だから何考えてるか俺も知らない。…もしかして俺が頭良いの、知ってんのかな?」
そんなワケないでしょ、と伸は心でだけ吐いて大根を皿にとった。
当麻の名を知り、両親の事を知っていればそれは思い当たることだろうけど、昼間会った彼は当麻の名前さえ知らなかった。
どう考えても当麻が天才だという事を知っての発言とは思えない。
余談だが、頭が良いという発言に関しては本当の事なので誰も突っ込まない。
「で、キミは何て答えたんだい?」
「んー、イギリスかアメリカなら興味あるって言った」
「……何でそこでイギリス?」
「グリニッジ天文台がある」
「じゃあアメリカは?」
「シカゴ大学にヤーキース天文台がある」
「………つまり天文台があるから行きたいんだね?」
「そ」
「で、相手は何て?」
「イギリスはギリギリだし、アメリカは場所によってはとか何かぶつぶつ言ってた」
「……………」
それを聞いて、ある確信を深めた伸は思わず箸を握る手に力を込めてしまう。
漆を塗られたそれは、ミシリと嫌な音を立てた。
「当麻」
「ん?」
「留学、したいの?」
「んー……今まで考えたことなかったけど、そう言われると考えるよな」
「ねえ当麻君、留学は確かに見聞を広めるために良いし、あなたの為にもなると思うけどね」
「うん」
「お姉ちゃんとしては、弟の1人が遠い異国に行っちゃうのは寂しいの」
姉さんナイス!
伸は心でガッツポーズをとった。
そう、何が何でも当麻の海外行きを阻止した方がいい。
勿論それは海外全土ではなくある一定の地域ではあるが、外に出るという選択肢を与えてしまうと、それはあの男の思うツボになりかねない。
同性婚など、絶対にさせるものかと姉と弟は密かに決意していたが、それに気付かない母親は、
「何を言っているの、小夜子。行く行かないは当麻君が決めることでしょう?お姉ちゃんの我侭でそれを止めるものじゃありません」
と窘めていた。
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カナダは同性婚OK。アメリカは地域によりけり。イギリスは正確にはパートナーシップ法が許されている国、です。
征士さん、落とす気満々。
教えていただいたお姉さんの名前、早速使わせていただきました。ありがとうございました。