時に野を往く



「気持ちは解りますけど、もう少し自制なさい…っ!」


まあ新婚だし、帯を解けと言ったのは確かに2人で仲良くしていなさいという意味も込めてだったが、だからと言ってあまりにも
離れから戻ってくるのが遅く、それでもやはり新婚だからと遠慮して声もかけずにいたら、どうだ。

息子のシャツは何かで汚れ、スラックスはその何かと血液が付いているし、そして白無垢もそれらで汚れているではないか。

来年から社会人になる息子を正座させ、現在、伊達家の母は眦をキリキリと吊り上げて怒っていた。
因みにその伴侶が怒られていないのは未成年だからという事と、そしてまぁ自分で飾っておいて何だが、確かに可愛かったから…という、
些か公平さに欠いた理由もあるが、何にせよ大人である征士が気遣うべきだと言われれば反論の余地などない。


「申し訳ありません」


だが怒られている征士には、一切反省の色がない。
”悪い事をした”という意識がないのだ。
服はクリーニングすれば済むのだから取り返しの付かない事はしていないというのが彼の認識なのだろう。
それがまた彼の母の怒りを買う。


「大体あなた、当麻さんが怪我をしているのは解っていたでしょうに!」


その言葉に言われた征士ではなく当麻の顔が、ぼっと赤くなった。
確かに怪我と言われれば怪我かもしれないけれど…と痛む箇所を黙ったまま気にする。


「そもそも征士さんがもっと早くに帰るなり、連絡だけでも入れればこんな怪我、させずに済んだのでしょう!?」


言われているのが足の事だと気付いて、それでも再び当麻は顔を赤らめた。
それは流石に征士も悪いと思ったのかそこは当麻のほうを向き直り、心底申し訳ない表情になる。
だから、それがまた母の怒りを買うのだ。


「征士さん!!あなた、聞いてるの!!?」










そんな新婚初日を迎えた彼らも月日が経ち、征士は社会人2年目、当麻も高校3年生になっていた。


「ただいま」


そう言って征士が帰ってきたのは羽柴の家だ。
表札は「羽柴 」の隣に「伊達」とある。

結婚したものの羽柴のあの家には元より殆ど当麻しかおらず、空き家状態にするのも、かと言って別々に暮らすのもヨシとは出来ず、
結局征士が羽柴家に生活の場を移すことで話は決まった。
広さも充分にあった家だから家族がもう1人増えても場所に困ることはなく、そして殆ど帰ってこない両親だから、2人きりの生活はちゃんと楽しめた。

こっそりと言うなら、バイオリニストの母の為に父が建てた家は夜でも練習が出来るようにと防音設備が整っている。
言い換えればそれはつまり、夜の営みでどれだけ声を上げても周囲には全くバレないという事だ。
まだ若い2人だからそれは大いに助かっていた。


「おかえりー」


帰った征士を迎えた当麻はエプロン姿で、ちょうど夕食の支度をしていたところだった。
玄関に立っている征士が随分と落ち込んでいるのを見ても、当麻は何も驚きもせずその長身を抱き締める。


「当麻…」

「はいはい、聞いてるよ。明日、急遽出張だって?確か福岡だっけか」


昼過ぎに告げられたあまりに酷い決定に征士が打ちのめされているのを、何故か当麻は知っていた。
それに征士の端正な顔が顰められる。


「……何故知っている」

「佐々木さんから連絡あったんだよ。ちょっとトラブったから征士も行かなきゃ駄目だって。
何か先方さん、頑固者で征士くらいしか話できないんだって?」

「それはそうだが…」


そう、だからこそ断れなかったし、会社も征士を差し出すしかなかった。

だがそれよりも征士には気がかりな事があった。
佐々木というのは征士の上司の名で、征士が妻を溺愛し、その妻なしでは生きられないような人間で、
しかもその ”妻”がどういう人物かまでを知っている数少ない人間でもある。
その彼が、自分の知らないところで直接その”妻”に連絡を取ったというのが気に入らない。


「……佐々木さんに、お前の携帯を教えたのか」


低空飛行を見せる機嫌も隠しもせずに問うと、当麻からはけらけらとした笑いが返された。


「まさか、家に連絡あったんだよ。伊達に無理させるから思いっきり甘やかしてあげといてって頼まれた」

「…………………金曜日なのだぞ」


そう言った征士は完全に落ち込みモードだ。

明日は金曜日で、その次の土曜日は当麻の学校も、そして征士の仕事も休みだ。
だからたっぷりと甘えようと思っていた矢先にこの仕打ち。

がっくりと項垂れてしまった美丈夫の頭を撫でて、小さく細いままに身体が完成してしまった妻は彼を慰める。


「ほら、征士の好きな南瓜の煮つけ、作ったから。食べて風呂入ろう。な?」


征士の母直伝の南瓜の煮つけは絶品なのだ。
当麻だってそれは好きなのだから、南瓜が好物の彼からしたらそれは「堪らん!」食べ物なのだろう。


「………当麻が食べさせてくれ」


その細い身体にぎゅうっと抱きついて甘える。


「んー、…いいよ。膝に乗って?」

「膝に乗って」

「解った」

「あと一緒に風呂も入ってくれ」

「いいよ」

「頭も洗って欲しい」

「はいはい、じゃあ身体も?」

「…ああ」

「いいよ、わかった」

「それから夜はたっぷりシよう」

「それは駄目」


リクエストをアッサリと受け入れてくれていた当麻に、メインともいえるそれをキッパリと断られ征士の眉間に皺が寄った。


「……なぜ」

「明日、体育」


まだ高校生の当麻が征士と結婚をしているのも、そういう事をしているというのも当然だが全部秘密のことだ。
今年も同じクラスになった伸は勿論どちらも知っているが、その痕跡を残さないというのが学校生活を送る上での彼らの約束だった。
勿論、征士としても当麻をちゃんと、表向きは普通の高校生として生活させることには賛成だが、こういう時にその制限は辛い。


「………………………そうか…」

「うん。でもホラ、土曜日は朝だけ向こうで昼には帰ってくるんだろ?」

「その予定だ…」

「じゃあ帰ってきたら伸の家に迎えに来て」

「何故彼の家だ」

「俺、明日は伸のトコ泊まるから」


それにも征士の顔が顰められた。
伸とはあれ以来、それなりにちゃんと付き合いはしているものの、征士の中で彼はまだ少し警戒している部分がある。
初恋がどうのこうのというのはもういいのだが、事ある毎に当麻に、
「伊達さんと喧嘩したりイヤになったら家に駆け込んできていいからね?」
と手を握って告げているのだ。
それが勿論、自分をからかうためにされているというのは解っているが、それでも毎回腹が立つ。
その手に触るんじゃない!と言いたいが、彼は当麻の親友だし、それに何よりその背後にいる姉がまた怖い。
今年、無事に結婚するというから早く毛利家から出ていって欲しいと実は征士は密かに思っていた。
ついでに言うと、自分の実の姉も早く嫁に行って欲しい。
伊達の家に帰るたびに自分の元から当麻を掻っ攫い、そして何かにつけて自分を突付いてくる姉が恐ろしくて仕方がないのだ。

話がそれたが、兎に角その毛利家に当麻が行くと言うのを、征士はあまり歓迎できない。
のだが。


「………確かに1人でいて何かあっては堪らんからな」


そう、この大事な愛しい人にもしも万が一、何かあったら。
そう思うと征士はオチオチ仕事もしていられない。
だから伸の家にでもいてくれる方が確かに助かるのだ。


「まー、征士からすりゃそうなんだろうけど……」


言われて当麻は照れた様に首の後ろを掻く。


「俺としては、その…征士と暮らし始めてから誰かといる生活に慣れちゃって、今更1人って何か耐えられないんだよな…」


夜、あのベッドで1人で寝るのも寂しいし。
そう呟いたのをちゃんと聞き逃さなかった征士は玄関先だと言うのにその細い身体をきつく抱き締める。
それを擽ったそうに受け入れる当麻は幸せそうだ。



「だから今日はヤんないけど、風呂で触りっこしよう」


抱き締められた体勢から、当麻が背伸びして征士の顎に口付けて笑う。
すると漸く笑った征士の唇が当麻の額に触れ、今度はお互いに声を立てて笑いあった。




あるのは甘い甘い生活。
これからも、きっと、ずっと。




**END**
で、土曜日は昼間っからイチャつくんです。