時に野を往く



今年も終わろうかと言う師走最初の日曜日。伊達家は朝から慌しかった。


料理が届いたと伝えにきた弥生には広間へ案内するよう指示を出し、帯がどこかと問う皐月には自分で探すよう言った伊達家の母は、
現在、当麻を着付けるのに必死だ。


「どう?苦しい?」

「いや……大丈夫、…です」


ぐいぐいと帯を締められている当麻が着ているのは先日届いたという白無垢だ。

征士から当麻が見た目に反して大食漢だと聞いていた母は、あまり帯を締めては彼が料理を楽しめないと気にしてくれているようだが、
当麻は別に何を着ていようがどう締め付けられていようが、実はあまり関係ない。
胃や腹があからさまに膨らむことはなく、まるでブラックホールのようにその細い身体に料理が収まるのだ。
だから寧ろ、着物を着慣れていない自分が下手に動いても着崩れないようにだけしてくれていれば、それでいいと思っている。


「まあ幾ら締めても下手な腕では着崩れはするのですけどもね」


着付けの腕には自信があるのだろう、そう言った母は得意げだ。

神前ではないし正式な式ではない。
どちらかと言えば披露宴に近い状態での宴会となると本来着るのは色内掛けなのだろうが、彼らには正式な式など今は挙げられない。
だがどうせ着るなら白無垢の方がいいに決まっていると言い、仕来りだとか常識だとか、そういったものは一切無視しようというくらいだから、
伊達家というのはお堅いようで案外そうでもないらしい。

そうこうしているとソコにもう1人の義理の母が入ってきた。


「あらあら当麻君、綺麗にしてもらって…」


嬉しそうに微笑んだ毛利家の母の手には生花で作られた髪飾りがある。
この日のために彼女が作ってくれたものだ。
真っ白な山茶花は毛利家で育てられていたもので、花言葉が「ひたむきな愛」。中でも白いものには「理想の恋」「無垢」という意味があるという。
電話でそれを使うことを当麻の母に告げると、彼女も大喜びしていたと教えてくれた。

着飾って、短い髪を綺麗に結い上げて髪飾りをつけると今度は薄く化粧をされる。
まるで女のようにされている状況をまだ意識として残っている冷静さから複雑な気持ちにはさせられるが、周囲の喜んでいる姿を見ると
それもまあいいかと当麻も開き直り始め、いっその事思いっきり綺麗にしてもらおうなんて考えまで持ち始めていた。

どうせなら、征士がびっくりするくらい。

我乍ら可愛い考えだと思っている当麻の唇が赤く塗られた。







広間では既に出席者がそれぞれの位置に座り、花嫁役の少年が来るのを今か今かと待ち構えている。
夫となる青年は既に座っているが、彼も立派な黒の紋付袴を身に付けている。
金の髪に紫の目、その上顔立ちだって日本人離れしているが何故か違和感の無い彼は、親戚だって初めて見るような穏やかな笑みを浮かべていた。
その彼に着物姿のすらりとした女性が、こちらも長身の男性を伴って近付いた。
羽柴家の両親だった。
それに気付いた征士が立ち上がるのを彼女は手で制して、その正面に夫婦揃って腰を下ろす。


「本日は…」

「そんな硬い挨拶、いいいのよ、伊達君。あ、これからは征士君って呼んだ方がいいのかしら?」


くすくすと笑う彼女の口元は当麻に似ている。
タレ目は父親譲りのようだ。

忙すぎるほどに多忙な彼らは、毎年年末年始だけは家族で過ごすために仕事を調整しているため、本来はこの時期は帰国する余裕などない。
だがそれでもどうにか時間を作り、今朝早くに帰国して此処へと来てくれている。
滞在できる時間は夫婦揃って僅か6時間。
午前のうちから集まり、のんびりと食事を共にして酒を飲み、そして宴の終わりを見届けることなく彼らはまたそれぞれの仕事場へと戻らなければならない。
時間が許すのであれば最後までいて欲しいのは伊達家の人間も当然思っていたが、彼らの立場を思うとそうは言えず、
今回は少し早いが午前からの宴になっていた。


「ねぇ、征士君」

「…はい」

「当麻君のこと、…勝手だけど、よろしくね」


自身が不在がちで息子を満足に構ってやれなかったことへの詫びも含めて、それを彼に託すように彼女が言った。
隣の父親は終始無言ではあるが、決して今回の結婚に反対の意があるわけではないのはその優しげな目を見ればすぐに解った。
だから征士は精一杯の気持ちを込めて、はい、と短く答えを返したのだった。



祝福されてはいるが大手を振って言える式ではないのだから、本当は伊達家と羽柴家、そして当麻にとってのもう一つ家族である毛利家だけで
宴を行う予定だった。
だが征士が当麻を連れてきた日に集まっていた親戚連中はあの愛らしい少年がどういう姿になるのかが楽しみでもあり、そして何より
下手をすれば世間から後ろ指を指されかねない彼らを、自分たちは祝福している事を伝えたくて参加を申し出てくれていた。

広間では既に酒が振舞われ、花嫁がまだ来ていないと言うのに盛り上がり始めている。
幾ら征士が最近では人間嫌いが軽減されてきたとは言え、やはりこういう状況で長時間1人残されているのはまだ辛いのだろう。
未だ空席の隣を見て幸せに頬を緩める事はあるが、何度も自分に酒を注ぎに来る親戚には徐々に困惑した表情で対応し始めている。
いつもならそれを気遣って、いや、実際には取っ付き難い彼に妙に遠慮をして遠巻きに見ていた彼らではあるが、
今となってはそれさえ楽しむかのように征士に酒を進めていた。
しかも伊達家の人間も初めて知ったが征士はどうやらかなり飲めるクチのようで、どれ程飲んでも酔う様子がない。
それが面白くて更に彼らは酒を勧めていた。


「こんにちは」


次にビール瓶を持って征士の前に現れたのは、伸だった。
未成年のはずなのに何故かそうしてビール瓶を持つのが様になっている彼を、やはり歳の割に妙に大人だと征士は変な感心をして見上げた。


「さあ、飲んでくださいね」


言ってコップにたっぷりと注いでくる。ジョッキがいいですかね、なんて口端を上げてニヤリと笑いながら。


「その……ありがとう」


色々な事を含めてそう言えば、少年は優しい笑みを浮かべてニッコリと笑い、少しだけ身を乗り出して征士にだけ聞こえる声で、


「本当、当麻の事傷付けたりしたら、アレ、切り落としてやるからね」


とおっかない事を囁いてくれた。
半分は冗談だろうと思ってその顔を見れば、完全に目が本気だったので征士は少し顔を強張らせ無言で頷いてしまった。






「当麻さん、来るわよ」


落ち着きのある弥生の声が響くと騒がしかった広間が一斉に静まり返る。

まず皐月が現れ障子を開け放ち、続いて伊達の母に手を引かれた当麻が姿を見せた。
その姿に、その場にいた全員が息を飲む。
それは幼い頃から彼を知っている伸もそうだったし、そして羽柴夫妻も同じだった。

彼特有の青い髪には白い花が飾られ、長い目の前髪が上げられ形のいい額が顕になっている。
白無垢姿も様になっている彼は元より肌が綺麗で、それに整った顔立ちから化粧はあまり施されていないにも拘らず、それは充分に美しい”花嫁”だった。


「え…えぇっと……」


だが己の姿をそう評価していない当麻は、瞬き一つせずに全員から注視されたのが少しばかり居心地が悪かったらしく、
引かれた手はそのままに首を巡らして夫となる青年を見た。


「その…」


目が合った途端、目を見開いて固まっていた征士が立ち上がり、そしてすぐに当麻の傍まで歩み寄ると母親からその手を引き受ける。


「えっと……こう、なった…んだけど………どう?」


照れながら、伺うように聞くと征士はこの世の美の全てを集めても及ばないような笑みを浮かべて頷いてくれた。


「とても綺麗だ、当麻」


普段の彼も勿論、征士は好きだ。
だが今目の前の彼は、たとえ今後どれ程の美女が同じ姿をしようとも敵う筈がないほどに綺麗だった。

だから素直にそう言えば、弾かれたように列席していた者達からの祝福の声や拍手が大いに沸きあがる。
伊達家の親戚の集まりである。常がこういうテンションではないのだが、既に酒が入っている事もあり彼らの喜びようは凄まじかった。
それに2人揃って目を白黒させていると、今度は誰の声だろうか、決して下品ではない女性の声で、


「誓いのキスは?」


と声がかかった。
一瞬だけ間を置いて、だが広間中にすぐにその声が広がり、大合唱のようになってくる。
そうすると呆気に取られていた当麻が、今度は顔を真っ赤にして首を横に振った。


「し、しし、しない、しないしない…!」


だって人前だし、大体親が見てるし、それに何より。


「それにそんな…キスなんて…し、したコト、ないし…!!!」


真っ赤になって、しかも照れなのか周囲の大人のテンションに怯えたのか涙目でそんな可愛いことを言われて、大人たちは黙った。
必死になっている彼が可哀想に思ったのではない。
意外すぎて驚いてしまったのだ。
幾ら人間嫌いの征士とは言え一人暮らしの家に呼んでいたと聞いていたし、大体知り合って何ヶ月経ったと言うのだろうか。
結婚までは早かったが付き合いをしていてキスさえしていないとは思っておらず、彼らは一同、視線を征士に集中させた。


「…………うむ」


穴が開くほど見つめられた青年は、大真面目な顔で短く頷いた。
肌に唇を寄せはするし、互いを思って自慰もするが、まだ口付けは交わしていない。
お互いに全てが初めての関係だから、その”初めて”は大事にとっておくつもりだったからだ。
ではそれがいつか、と聞かれたら、それは勿論。


「とうま」


優しく声をかけて、頬に手を添える。
困惑している最中でもその仕草で何をしようとしているのか解った当麻が、弱々しく首を横に振った。


「ちょ、ちょっと…やだって、征士……!恥ずかしい…!!」


目を潤ませて必死に訴えてくる当麻を安心させるように征士は微笑み、ゆっくりと顔を近づける。
”花嫁”の父は直視できなかったのか、それとも息子が男に口付けされるのは流石にキツイものがあったのか、
それの光景から目を逸らした当麻の父以外の全員が息を詰めて食い入るように見守った。


「……っっ!」


だが全ての期待を裏切って、征士が口付けたのは、当麻の形のいい額だ。

誰からともなく落胆したような溜息が漏れ、当麻からは安心したような表情が返ってきた。
ボソリと、恐らくは、いや、確実に征士の祖父の声だ、それで「甲斐性なしめ…」というのが聞こえたが、当麻はそれを敢えて聞かなかった事にする。
兎に角今は人前でキスされることは避けれたのだ。そんな恥ずかしい事をせずに済んだ事に安堵して当麻は明らかに肩の力を抜いた。


「ここは…後で、な」


なのに征士がそんな事を言って綺麗に笑うものだから、また全身を強張らせてしまった。
ビール瓶を持ったまま座ってそれを見ていた伸は、こっそりとムッツリ野郎め…と呟いたのだが、それは大人たちの声にかき消され、
誰にも聞かれる事はなかった。




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天気は快晴、風も穏やかな好い日です。