時に野を往く
折角の綺麗な青い髪だし何も神前で式を挙げるのではないのだからと、伊達家の母は当麻に角隠しの着用は不要と判断した。
代わりに白い花でその小ぶりな頭を飾ろうというのだ。
山茶花なんて花言葉も素敵ですからねと彼女が話している相手は毛利家の母だ。
羽柴家の両親は既にまた海の外へ行ってしまったが、その彼らが後の事を頼んだのが毛利家だった。
昔からの付き合いがある家だと告げれば伊達家はこれを了承し、そして毛利家の母も喜んで話を受けた。
それに毛利の母は華道の先生をしている。
花のことなら詳しいし、愛らしい少年を、その日一番の姿に飾るに相応しい腕も持っていた。
現在彼女達が楽しそうに語らっている場所は伊達家。
馴染みの職人に直接頼んだという白無垢は既に出来上がりつつあるらしい。
式は年内だと嬉しそうに言われ、当麻は少しだけ複雑そうな顔をした。
征士と結婚をする。
大事な家族たちに祝福され、本人たちも望んだが、そう笑顔で白無垢を着ろと言われるとやはり少し気が引けてしまう。
女装だぞ、女装。とこれまで本人の中で何度も葛藤があったが、それでも征士とその家族が喜ぶのならと今は受け入れている。
だがそれでも不意に冷静になってしまうと様々な思いから奇妙な気持ちになってしまうのだ。
白無垢の件は既に羽柴家の両親の耳にも入っている。
伊達家の母からそれは伝えられたのだが、傍で聞き耳を立てていた当麻にも聞こえるほどの大きな声で、実の母親は笑いながら
その事を了承した。
どうやらその電話の時点では父親も何故か一緒にいたらしく、彼の反応についても母は電話口から漏れ出るほどの大きな声で
此方も笑いながら実況してくれた。
固まってる固まってる、でも大丈夫ですよ主人はすぐに立ち直りますから。
そう言っていたが本当に大丈夫なのかと息子はかなり不安になっていた。
白無垢を着るという自分自身の事よりも、父親の状態の方が気がかりでならない。
天才でぶっ飛んだ人間なのはよく理解しているものの、大丈夫だろうか。
まさか当日、ご乱心などという騒ぎにはなりやしないだろうか。
それとも母の言うとおり立ち直り、そしてまるで当たり前のことのように受け入れてくれるのだろうか。
いや、そうなった場合、本気で”花嫁の父親”の心境になったりしたらどうしようか。泣かれたら本気でどうしたらいいのだろうか。
そんな事を心配している間も義理の母2人の話題は何故か過去の、自分たちを引き合わせた例の見合いの話になっていた。
嬉々として語り合っている2人の義理の母たちはそんな当麻の事などお構いなしに盛り上がる様を横目に、当麻は溜息を吐いた。
征士のマリッジブルー(らしきもの)はあれ以来解決したのか、彼に迷いは見えず、以前にも増してしっかりとした風格を見せている。
それを伊達家の人間全てが喜んでいた。
元々が清廉潔白、公明正大で優秀な人物ではあったが人間嫌いで少々、いやかなりとっつき憎いところがあった彼が、当麻と出会い、
そして結婚するとなってからは随分と様変わりをみせている。
今日も大学の教授からの呼び出しを受け、暫く席を外しているが、その時も征士の姉妹に言わせると以前なら間違いなく
面倒臭い顔をしていたらしいが、今回は全くそんな素振りも見せずに素直に出かけて行った。
因みにこの教授からの呼び出しは本の編纂作業の手伝いだ。
普通、卒業を目前にした学年の彼らはこのご時世も手伝って精神的にも忙しい人間が多い中、征士はそうでもない。
それに征士が有能なのはここでも同じらしく、あの美貌で無言のままに同室にいるのは息苦しいと誰もが感じてはいるが、
それを差し引いても彼に頼みたいと思うほどの仕事振りに何人かは彼に声をかけていたのだと言う。
件の教授の分野は複雑、そして彼自身も変わり者とくると助手をするのも簡単な話ではない。
だからその編纂作業は彼に白羽の矢が立っていた。
それに教授は特に征士を気に入っており、卒業後は自分の助手をしないかと何度も口説いた程だ。
ただ彼の首が縦に振られることは遂になかった。
征士はあくまでも尊敬する祖父の跡を継ぐ事を考えていた。
それに今は、法的には認められていないがこれから伴侶を持つ身だ。
家業を継げば多忙な未来が待っているのは解ってはいても、自身も男でありながら男の下に嫁ぐ彼にせめて生活する上での苦労だけはかけたくない。
それを考えて、征士は首を決して縦には振らなかった。
それよりも征士の不在だ。
母たちは自分を置いて随分と盛り上がっている。そうなると当麻は手持ち無沙汰になる。
確かに式では白無垢を着るがそれでも女ではない少年は、どうも彼女達の話題にはついていけない。
見合いのあったあの日、如何に当麻が見事に化けていたか、あれ以来征士の様子がどれ程変わったのかを、2人して嬉しそうに語るのだ。
そこに座ってはいるが当事者の当麻としてはどういう顔をしていればいいのか解らなくなってくる。
手持ち無沙汰に加えて身の置き所がなくなった当麻は、断りを入れて庭に出る事にした。
しんとした空気が冷たい。
征士は5時には帰ると言っていた。その帰りを待つというのは何だか結婚後の生活の練習のようで、当麻は密かに楽しかった。
玄関先まで見送れば他の誰にでもなく自分を見て、行ってくる、と言った彼の姿が未だに脳裏に焼きついている。
もし結婚をしたら、いや、もう”もし”という話ではない。年内には結婚するのだ。
結婚したら、毎朝彼をそうして見送るのだろうか。
それとも未だ学生の身である自分を彼が見送るのだろうか。
帰ってきた彼を、おかえり、と言って迎えるのだろうか。
どれも両親が不在がちな羽柴家では滅多とない事だ。
それもあって当麻は嬉しくなり、自然と頬が緩む。
「あらやだ、ニヤケてるわねー」
突然かけられた声に驚き振り返ると、そこには小夜子と弥生がいた。
弟を持つ身である彼女達は気が合うのか2人仲良く縁側で話しこんでいたらしい。
ここでも女性に捕まり、当麻は少しだけ肩を落とした。
毛利家の母と当麻を車で送ってくれたのは小夜子だ。
伸にも一緒に来て欲しいと当麻は頼んだが、自分まで行く意味が解らないでしょ、とアッサリと言い捨てられてしまった。
それでも伊達家に来ればまあ征士もいるし…と思っていたのにその征士が突然の呼び出しに外出中。
そうなると今現在、この家で当麻の他に居る男といえば征士の祖父くらいだが、その彼も今は盆栽の手入れ中で邪魔をするわけにはいかない。
自分と征士の事を知っている人間の中で今上がる話題と言えば自分たちの事となるのは解っているので、当麻は極力、
1人でそういう場に留まるのを避けるようにしていた。
だって聞かれたって困るのだ。征士のどこが好きかだとか何で好きになったのかだとか。
考えれば答えられないわけではないが、それでも人に話すのは照れくさい。
他人事であっても誰が誰の事が好きでいつからだとか、そういった事への興味が元より薄い当麻はそういった手合いの話題の渦中に
放り込まれたくはない。
だから庭に逃げてきたというのに、嗚呼、それもある意味厄介な2人に捕まってしまうだなんて。
「お姉ちゃんより先に当麻君がお嫁にいっちゃうなんて夢にも思わなかったわ」
と笑顔で、だが逃がさないようににじり寄ってくる小夜子には、俺もまさか嫁に行くとは思わなかったよ、と答えながら逃げ道を探した。
「私はそれよりも征士さんが誰かを受け入れると思っていなかったからそちらの方が驚きよ」
と征士と似た美しさを崩さないままに、それでもやはりいいカモが来たと言わんばかりに笑顔の弥生には、
まぁ人生って何がどうなるか解りませんしね俺もですけども、と言いながら周囲をうかがった。
当麻は頭のいい子供だ。
空気だって読もうと思えば幾らでも読めるし、将棋や囲碁が得意なだけあって策を練るのも案外に好きだ。
だがこう、有無を言わさぬ迫力の前では経験の少ない子供はあまりにも無力だった。
気付けば松の木を背にしてしまい、退路はなくなっていた。
正面には笑顔のままの姉2人。
前回の伊達家への挨拶の時の、伊達家の長の「下世話な質問攻め」という言葉と征士の憔悴しきった顔が頭を過ぎる。
ああ、何聞かれるんだろう何言われるんだろう俺ボロ出さないかな。
間違っても、絶対に征士の部屋にいる時の話はしたくない。いや、してはならない。
もう結婚目前だし認めてもらった仲だからベタベタいちゃいちゃしていますというのがバレても咎められはしないだろうが、
それでも当然、恥ずかしいものは恥ずかしい。
特にシャツの前を肌蹴られて胸元に懐かれているだなんて、絶対にバレてはならない。
自分のためにも、そして勿論、征士のためにも。
「いやあ……でもホラ、姉ちゃんもアレだしさ、弥生さんも…ね、ホラ、お付き合いしている方がいるし、おいおいは…」
「そんな事よりもねぇ、当麻君」
「気になることがあるのよ、私達」
右の肩には小夜子の手、左の肩には弥生の手がしっかりと乗った。
身長は当麻のほうがまだ高い。華奢とは言え女ではないのだから肩だって2人に比べれば厚みはあるほうだ。
だから腕力だってある。…のだが、振り払えないし逃げれない。
大きなタレ目を泳がせ、あわあわとしている姿がお姉さま2人にはおかしいやら可愛いやらで、余計に彼女達を楽しませている事に気付かない当麻は、
やはり彼女達の期待通りに頬を染め目を潤ませ、可愛らしい反応をしてしまう。
態とたっぷり間を持たせてそんな彼の様子を一頻り楽しんだ2人の姉はにぃっこりと笑みを浮かべて少年で遊び始めた。
「今帰った」
当麻に告げた5時より随分と早く帰ってこれた事に一人満足していた征士は、家の中が静かな事に首を捻る。
晴れているとは言え冬なのだから今日も寒い筈だ。
室内に人がいないというのも妙で、しかも自分の婚約者である少年はとびきり寒がりの筈だ。
それが室内から返事がないというのはどういう事だろうかと訝しみつつ靴を脱ごうとすると、庭の方が何やら騒がしいのに気付く。
耳を済ませてみれば悲鳴まで聞こえた気がする。それも、当麻の悲鳴が。
征士はカバンを玄関先に置くと、そのまま扉を開けて外へ出た。
庭へ行くには中を通るより外からの方が断然早い。先程の悲鳴が空耳でなければ急ぐ必要がある。
広い家の外側をぐるりと回って離れの見える庭へ出ようとした征士は、角のところで飛び出してきた影を咄嗟に抱きとめた。
「……!?せ、征士…!!」
飛び込んできたのは当麻だ。
慌てた様子のその姿は、どう見ても「おかえりなさいアナタ」という雰囲気のそれではない。
眉尻を下げて目を潤ませて、心底困り果てた顔をしている。
何事かあったのかと心配になった征士は抱いていた体を少しだけ離して、20cm近く低い位置にある顔を覗き込むように屈んだ。
「当麻、どうした?何かあったのか?」
若しかして以前、整理をさせられた時に蔵から追い出したハズの大きな蜘蛛がまだいたのだろうか。
当麻が昆虫やそういった類のものを嫌うかどうかは征士は未だ知らないが、もしかしたら得意ではないのかもしれない。
そういう事ならちょっと可愛いなぁなんて思いつつ、目の高さをあわせて精一杯優しく聞いてやる。
すると征士の胸に添えられた当麻の手に、ぎゅっと力が入った。
「征士、た、たた、…助けて…!!」
そしてもう一度縋るようにその胸にすっぽりと収まる細い肢体に、可愛い…!なんて心の中で叫んだ征士は すぐに快い返事をしてやりたかったが、
無責任な安請け合いや出来ない約束はしない男だ。
まずは何から助けるのかをきちんと確認してから…と詳しく聞こうとしたその時だった。
「あらあ、いいところに帰ってきましたね」
「征士さん、あなた幾ら何でも見せ付けすぎではないかしら?」
弟と似た人の好い、だがどこか食えない笑みを浮かべた毛利の姉と、自分に対してはどこまでも手厳しい態度の実の姉が、
優雅な所作で当麻が飛び出してきた角から、まるで後を追うように現れたのだ。
「当麻、お前もしかして……」
助けてというのは、コレから、なのか。
征士の顔が強張る。
言葉に出来なかった部分は視線で問いかけると、当麻があわあわとした様子でもう一度征士の胸に縋りつきなおす。
いや、可愛い。可愛いし恋する男としてはイイトコロを見せたいのは山々なのだけれど。
「…………。当麻、……すまん、コレは私の手には負えん」
征士の中での苦手な人間のツートップが目の前にいるのだ。
無理なものは、無理。
無責任な安請け合い、出来ない約束はしない男・伊達征士。
出した結論は、三十六計逃げるに如かず。
腕に抱いた婚約者を伴って彼は逃げ、それを見た途端姉2人はすぐさま後を追う。
いい大人の鬼ごっこは騒ぎに気付いた2人の母に咎められるまで続けられた。
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ねえ当麻君、伊達さんにはもう手を出されたのかしら?征士さんとは実際どの辺までの関係なのかしら?
お姉ちゃん2人の質問は、当麻をからかいたいダケのもんですけども。