時の野を往く



「伸ちゃーん、電話よー」


家に帰って荷物を置いて着替えて、そしてリビングで寛いでいた伸に姉の小夜子が呼びかけてきた。
電話、と言われて携帯ではなく自宅の電話にかけてくるような相手は思い浮かばず首を捻ると、姉は保留中にも関わらずご丁寧に
通話口を手で押さえながら、しかも小声で意外な人物の名を告げた。






「……どうも」

「急に呼び出してすまない」


冬が近くなった最近では夕方の5時を過ぎると外が既に暗くなり始める。
そんな中、伸が近所の喫茶店に入れば呼び出した相手は既に席についていた。


「何なんですか、急に。……伊達さん」


金の髪を持つ美貌の男が1対1で伸と会うことは珍しい。
伸は直接聞いた事はないが、彼から見た征士というのは結構人付き合いを避ける傾向がある男というイメージだった。
端的に、だが簡潔に的確にしか言葉を話さず、表情は殆ど動かない。
当麻が傍にいればもう少し話すし表情だって幾分か和らいでいるというのに、どうも他の人間に対してはそうではないらしい。

現金なヤツめ…

というのが伸の此処最近で最も強く持っている正直な感想だった。


「…いや、その……すまない、どうしても気になっている事があって…」


その彼がとても歯切れ悪く、視線もどこか逸らしがちに話す。
こういう時は大抵当麻がらみなのだろうと予測する。
それ程に普段の堂々とした姿と、当麻といる時の彼の姿は違いがありすぎるのだ。


「………気になってること、ねぇ……」


何となくそれも予想がついて伸は態と薄情そうな態度をとってみせた。
細めた目で相手を見れば、やはり何かすっきりしない様子を見せている。
それに意味もなく苛立ってもっと苛めてやろうかとも思ったが、前にも言ったとおり彼と2人きりというのは何だか”ムカつく”のでやめにした。
さっさと話を切り上げて家に帰りたい。


「何でしょうかね」


たっぷり間を空けて。


「当麻が僕の初恋の相手って事ですかね」


言ってやれば、相手が明らかに目を瞠ったのが解った。

確かに伸は以前、征士に向けて自分の初恋は当麻だったと言ってやった。
それも追求できないように別れ際に、そして言った後は綺麗に背を向けてその場からさっさと立ち去ってやった。
其処に他意はなかった。いや、本音を言えばあるにはあったが、それは征士といると何となくムカつくから、苛立った気持ちを少しばかり向けただけだ。
それ以外の事に関しては何も含みはない。
ただ過去の事を正直に、ただ過ぎたことを告げてやっただけだ。


「でも昔のことでしょ?大体、僕は”初恋の”って言ったんです。何も今じゃない」


はっきりと言ってみたがまだ相手は納得がいっていないのだろうか、眉間に皺を寄せたまま厳めしい顔をしている。

…僕にどうしろって言うのさ…

伸は漏れかけた溜息を殺した。
姉といい目の前の男といい、一体どうしたいと言うのだろうか。どういう言葉を自分から引き出したいのだろうか。
もやもやとした苛立ちが胸の中で広がりつつあるのを伸は感じながらも、それでも淡々と男と向き合っていた。


「それとも伊達さんは僕に、今でも当麻の事が好きだと言って欲しいんですか?」

「そういうわけでは…」

「当麻の事が好きで好きで堪らないから僕に当麻を返して下さいって言ったら、あなた、返してくれるんですか?違うでしょう?」


少々キツく言葉を放つと美丈夫は伏目がちになって何も言わなくなった。

どうして堂々としていないのさ。伸は心の中で罵った。
当麻に対して思い詰めるほどに、男相手に求婚するほどに想いが深いはずなのに、何を今更彼は迷っているのだろうか。
当麻がいなければこの世の終わりのような顔をしていたくせに、その当麻を手に入れられるとなったのに何を迷っているのだろうか。
伸の中で苛立ちは強くなる。
その苛立ちを誤魔化すようにコーヒーに口をつけた。視線だけは征士から外さないまま。

窓の外では陽が完全に沈み、空の際のほうだけが赤く、上空は既に青を超えて濃い闇になっていた。



あまりにも長い沈黙に耐えかねて伸はあからさまに溜息を吐き、もう一度正面の男を睨みなおす。


「伊達さん、あなた、当麻の事が好きなんでしょう?」

「…勿論だ」

「じゃあ何を気にしてるんですか」


相変わらず迷いを含んだ声に、苛立ちを隠さず鋭い声で聞き返せば男は瞑目した。
彼はその状態で少しだけ時間をすごし、そして息をゆっくりと吐き出して再び紫の目を開く。


「…………君に対して……嫉妬をしている自分がいる」


苦しげに搾り出された言葉は彼の心の底から這い出た声だった。



嫉妬していると言った征士は、今度は何の迷いもなく真っ直ぐに伸を見据えた。


「嫉妬、ですか」

「ああ……そうだ」


当麻の幼少期を知り、過去を知り、そして彼の未来に起こり得るであろう事に対してその父親と約束を交わしていたという少年を、
征士は苦々しい感情で見ていた。
当麻を諦めきれず探し出したあの日、彼をその背に庇うように立った少年を思い出すだけで苦しくなる。
出会った時期は自分のほうが遅いのは仕方が無いことだ。
それは解っている。解ってはいるがそれでもこの苦い感情が消えないのだと征士は言った。


「君からすれば下らない事かも知れない。だが……私は、それでも……」


向けている感情の種類が違う。だからそれは最初から何の問題もないはずだった。
なのに伸の言った言葉が征士を苦しめた。
初恋の相手だ。なら、今はどうなのだろうか。では、当麻はどうなのだろうか。
自分の知らない間の2人は、どうだったのだろうか。

過去はどうあれ今、当麻が向いてくれているのは自分のほうだ。だからそんな過去の事は考えても仕方がないというのは解っている。
それでも、どうしても。


「下らないって…僕が言ったら気が済むんですか?」

「…………いや…」

「でしょうね」


征士が迷う一方で、伸も自分の中に生まれる苛立ちの理由が少しずつハッキリとしてくるのが解った。

下らない。
そう、確かに下らないのだ。

目の前の、傍から見れば誰の目にも立派な青年である筈の男が、迷っているだなんて苛立って仕方が無い。
いや、何もこれがただの男なら伸だって別にそこまで苛立ったりはしないのだろう。
ただ彼は当麻とこれから共に生涯を過ごそうという人物だ。だから腹が立つ。


当麻を女の子と間違えた幼い日の恥ずかしい告白は未だに親戚中の鉄板ネタ扱いだし、当麻の父も未だにそれで伸をからかう事がある。
穴があったら入ってそのまま出てきたくないほどに伸の中では恥ずかしい過去だ。
自分の知るどの少女よりも華奢で儚げな姿にときめいたのは昼間だけで、その日の夜には男だと解り、その幼い恋心は敢え無く砕け散った。
今思い出しても確かに恥ずかしすぎる過去だ。
当事者である当麻がその件について特に何も言わないのがせめてもの救いだと言うほどに、本当に本気で恥ずかしい過去なのだ。

忘れたいほど恥ずかしい過去の言葉。
だがあの時の誓いは伸の中には残り続けていた。

僕がずっと守るから。

今はもう亡くなった父から聞かされた少年の問題は、少しの間を置いて少年の父との間の約束となった。
悲しそうに話し、そして元気に走り回る息子をそれでも愛しげに見つめたその人の顔が伸には苦しくてたまらなかった。
元より優しい子だった伸は、だからこそその誓いを守る事を決めていた。

ずっと守るから。

その言葉どおり、今まで守り続けてきた。
当麻は見ての通り完全に男らしくもなく、かと言って少女のようではない。
珍しい色味の髪はそれだけで人目を惹き、そしてその容姿は人の心を惹きつける。
だからこそ伸は彼に妙な輩がつかないようにと常に気を付けていた。


幸い大きな事もなくこれまで生きて来れたのに、現れたのが征士だった。
見合いの席での事はあの日限りの事だった筈なのに、彼は当麻を探し出し、そして交流を持った。
どう考えたっていい印象などない。
しかもしょっちゅう当麻を呼び出していた。余計に気に入らない。
守ると決めていた当麻を姉のために替え玉として使った。それが原因だと解っているから余計に苛立った。

それでも当麻が自ら選んだのなら、それは納得をしようとしていた。
なのに何だというのだ、何を今更そんな下らない事に囚われて、何を迷うというのだ。
当麻は既に、彼のために自分の身体を差し出そうとまで考え始めているというのに、何を迷うというのだ。


「伊達さん、………」

「何だ」

「………………はっきり言います。僕は当麻の事は好きです。でもそれは友人としてです」

「…………」

「そして僕はあなたの事が好きではありません。あなたは僕の大事な友人を、僕から奪ったからです」

「………………そうだな」

「でも当麻はあなたを選びました。だから僕は、当麻が信じたあなたを僕も信じたい」


潔癖なまでの紫の瞳で真っ直ぐに見据えられると思わず怯みそうになるが、伸は負けないように腹に力を入れた。
大人相手だか何だか知らないがここで引くわけにはいかない。
ここで変な遠慮や迷いを自分が持てば、それは大事な友人の将来に影響が出てしまう。
だから怯みそうになる気持ちを悟られないように少し前屈みに身を乗り出し、ぐっと下腹に力を込めた。


「だから迷わないで下さい。当麻の事が好きなら、今の彼と、これからの彼の事を考えてください。
過去なんて幾らでも本人から聞けばいい。そうでしょう?」

「それは解っている、だが、」

「あーもう煩いな!!あなた、何を迷ってるんですか!?選んだのは当麻でしょ!?何でそこで迷うんですか!
言っておきますけどね、当麻はあんな見た目ですけども本当なら男に好かれた時点で、ゲー!って顔するんですよ!
その当麻が、それも若しかしたら白無垢着せられるかもしれないってなっても、それでもハッキリと嫌だって言わないくらいに
あなたが好きなんですよ!何でそれをちゃんと受け入れられないんですか、何で信じられないんですか!」


腹が立ちすぎて思わず大きな声で怒鳴ってしまった伸は、言ってからしまったと思い声を殺して相手を睨み続ける。


「そんなに気になるなら当麻の初恋がいつで、どこの誰が相手だったか聞けばいいでしょ!?」

「だがそこで出された名前の人間にも私は嫉妬してしまう」


つられて声を殺した征士に、伸は怒鳴れない代わりに脚を踏みつけて黙らせた。


「いいですかっ!僕は、あなたに、僕の大事な大事な大っ事な友達をあげるんです!なのにその人がこんなだなんて腹が立つ!
何なんですか、あなたは僕に当麻との仲を邪魔して欲しいんですか!?」

「そうではない、ただ、」

「ええ、そうでしょうね!ただ、当麻の初恋の相手が知りたいだけなんでしょうね!でも本人に聞く勇気がないから僕に聞きたいんでしょ!?」


言ってしまえばそういう事だ。
そして結局、征士も当麻が好きで好きだ堪らないだけだ。

馬鹿馬鹿しい。伸はそう心の中で何度も罵った。
好きで堪らず、それでも不安になって、過去にまで嫉妬するほどに思い詰めているくせに、相手から答えを得ることが怖くてこんな所で迷っている。
こんな馬鹿な話があって堪るか。
何度か接していて、彼は口数が少ないから若しかしたら口下手なのかもしれないと思っていたが、まあそうだろう。
確かに口下手なのかもしれない。だが本人に聞くくらい、すればいいではないか。
臆病なのか嫉妬深いのか知らないが、もっと悠然と構えて好きな人を受け入れればいいのではないのか。

馬鹿馬鹿しい。本当に、聞いている此方が馬鹿馬鹿しいほどに、相手にのめりこんでいる。


「……僕、帰ります」


カップに残ったコーヒーを一気に飲み干して伸は席を立った。
それを咎めはせず、征士はただ向かいで肩を落としている。
自己嫌悪に陥ったのかもしれないが、伸はそれを敢えて無視する事にした。


「その………、……すまない…」

「いいえ、別に。…僕としては、当麻を傷つけないでくれたらそれでいいですから。ちゃんと大事にしてくれるのならそれでいいんです」


これは本音だ。
自分がずっと守り続けてきた親友を、彼がそれを引き継いでこれから先、ずっと大事にしてくれるのならそれでいいのだ。


「それは、必ず守る」


さっきまでと違い、力強い言葉が返された事に少しだけ伸は安心して、彼から見えないように口元を緩めた。


「もし当麻のこと、蔑ろにしたり傷付けたりしたら本気であなたのこと、どうにかしてやりますからね」


憎まれ口を残して去ろうとした伸は、それでも一度立ち止まり、結局は振り返らないまま意識だけ征士に向けた。


「それと当麻の初恋ですけどね………僕が知ってる限りじゃ、あの子、そういう相手っていませんでしたよ」


後はご自分で考えるなり本人に聞くなりしてください。
そう言って口調とは裏腹に優しいヒントをくれた少年が店から出て行っても、征士はしばらくその場で動く事が出来なかった。




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親友を渡すに値する人でなければ、嫌な毛利さん家のご長男。