時に野を往く



「そっかぁ…遂に当麻も”人妻”になるんだね」


感心しているんだか驚いているんだかよく分からない声で伸が呟くと、いや厳密には人妻じゃないだろ…と当麻がボソボソと反論した。
頬を染めて俯きがちに言っても何の効力もないが、そのすぐ隣に相も変わらず姿勢を正して座っている美丈夫は眉間に皺を寄せている。


「当麻、私としては行く行くは本当にそうなってもらいたいのだ。だからそんな風に言わないでくれ」

「…………でも人妻って言われる俺の身にもなってくれよ…何か………わかんないけど、凹むじゃんか」



伊達家全員に認めてもらった次は羽柴家の許しを得る番だ。
だが当麻の両親は今現在も日本におらず、帰国の目途も立ってはいない。
一応、会って欲しい人が出来た事と大事な話がある事は当麻の方から父母それぞれに連絡を入れてはいるが、
だからと言って彼らがすぐに帰ってこれる立場にはない。
可愛い息子の為に予定を調整すると言う返事だけは辛うじて返って来たので、それまでは話しの勧めようがなかった。

しかし当麻にはもう1つ家があるようなものだ。それが幼い頃から何かと交流のある毛利家だ。
征士は此方にも話をしておくのが当然の事だと言って、早速に挨拶の為の日にちを彼らと遣り取りして決めていた。


征士が毛利家に来るのは4度目で、座敷に上がるのは2度目だ。
前回この部屋に通された時、彼は当麻に対して真剣にプロポーズをした。
それからまだあまり月日は経っていなかったが、あの時の言葉どおり、望んだとおりに彼は当麻を手に入れる事になった。

先日の伊達家でのことの後、祖父と当麻が例の広間に戻れば、最初に当麻がいたときと雰囲気がガラリと変わり、そこには随分と浮ついた空気があった。
両側から姉と妹に詰められていた征士は、部屋に戻ってきた当麻を見つけるなり心底困り果てた顔で彼を見上げてきた。
それが可笑しくて当麻は思わず噴出してしまったものだ。
恐らく彼の祖父の言っていた”下世話な質問攻め”にあっていたのだろう。
余程それが堪えたのか、征士にとっては苦痛にしかならない距離にあった姉妹を半ば押しのけるように立ち上がると、
彼はすぐさま当麻に近寄りその肌を求めた。
と言っても人目があるため手を握る程度に留めてはいたが、それでも人間嫌いと血縁者全てから言われている征士のそういう行動は珍しかったのだろう、
部屋のあちこちで、おお、というどよめきが起こったのに当麻は若干居心地を悪くした。
普段、彼が今のこれよりももっと激しいスキンシップをしている事を知ったら彼らはどう思うのだろうか。
その手の熱さや唇の柔らかさを思い出し、当麻の頬が意に反して赤くなったのにも、またどよめきが起こる。
案外に初心なのネェと誰かの声が聞こえたが、当麻にはそれを確かめる勇気はなかった。


何はともあれさぁ話も終わったし後はもうお開きかな、なんて当麻は思っていたがそうは行かなかった。
征士の母が、キッパリとした表情と声で、


「では日取りはいつがいいのかしらね」


などと言い出したからだ。
日取り、と言われて征士と当麻は首を傾げた。何の、と思い口を開くより前に理解していない彼らに気付いた母は、溜息を吐いてから続けた。


「貴方達の式に決まっているでしょう」


彼らに言わせると、今の日本では正式に夫婦としては認められないが、それでも身内だけで式を挙げようというのだ。
伊達家なら広さも充分すぎるほどにあるから、家で出来る。
親としては息子の支えとなってくれている少年を、覚悟を決めて来た2人を少しでも早く一緒にしてやりたかったのだろう。
別に籍を入れるのでなければそれは自由にできる筈だ、と言うのだ。

征士が嘗て言っていた結婚という言葉がいよいよ現実のものとして近づいてきて、当麻は少しばかり怖気づく。
本当にいいのだろうか。自分は男だけれど、本当にいいのだろうか。
誰に憚ることなく征士といれるのは嬉しいけれど戸惑いがないわけではない。

当麻のその不安げな表情をどう捉えたのか知らないが、同い年である征士の妹がにっこりと笑って、


「大丈夫、お正月とかと似たような感じで皆で集まってご飯食べて、そこに当麻さんが加わってる感じなんでしょ?お母さん」


と言った。
こういった家庭の正月の風景というのがどの程度か当麻には分からなかったけれど、だがそういう身近なイベントに譬えてもらうと幾分か心が楽になる。


「要はただの披露宴ね」


と姉も続ける。
式といわれると神や仏の前で誓うのだろうが、そうするにはどこか許されない関係。
だが披露宴なら、まぁ大丈夫かな…と隣の征士を見上げれば、彼も自分を見下ろしていた。
ただそれだけの事が嬉しくて彼に微笑みかければ彼も微笑み返してくれる。
本当に、ただそれだけ。それでもそれが嬉しかった。

そんな当麻にぶちかけられた、とんでもない一言。


「じゃあ当麻さんの白無垢の用意をしなければならないわね」







「……白無垢って…どういう事なんだよ……!」


あの場では呆気にとられて言いそびれてしまったが、帰りの車中で征士に噛み付いた言葉は毛利家でも同じように、だがそれは全員に、
或いは独り言のように苦々しげに当麻の口から吐き出された。

当麻の両親の許しを得ればすぐにでも披露宴を挙げるつもりだと、だから貴方達にもその席に是非来ていただきたいと言った征士が
ぽろりと白無垢の事を言い出した途端、伸と小夜子は当麻をまじまじ見やり、弟は大笑いして、姉はそう、と微笑みかけてそれぞれの反応を返した。
因みに今日は前回と違い毛利家の母も同席しているが、彼女はおめでとう、とニッコリと笑っているだけだった。


「いや、オバちゃん、俺、手放しで喜べないんですけど…つーか伸笑いすぎだってーの」

「いや、いやいや……いや、当麻、似合うって大丈夫。うん、似合う似合う。絶対似合うから」


笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら親友は腹を抱えていた。
それを一睨みしてみても、ちぃっとも迫力がない。
頑張ってみてもどうにもならず諦めた当麻の手を、そっと小夜子が握った。


「当麻君」

「…?……なに?」

「披露宴ならね、やっぱりどちらかがそういう格好の方が華があると思うの」

「………そりゃ俺だって他人事ならそう思うけど…だって……それってつまり女装しろって言ってんだろ?」

「そうかも知れないけど、でも当麻君、私のために一度したでしょう?」


言われてあの日の見合いを思い出す。
同時に初めて彼に触れられた記憶も蘇り当麻はそれを必死に頭から追い出した。


「あれは姉ちゃんのためだったし…」

「じゃあ今度は伊達さんのために、着てあげたら?」


ために、なんて言われたら、じゃあちょっといいかも、なんて思ってしまう。
誰でもない、大好きな彼のために…。


「…………いや、…いやいや、流されないぞ、俺。だって俺の親父とお袋も…許しが出たら呼ぶんだろ?」


うっかり承諾しそうになったが、そうだ。以前のそれはブチ壊すためと言う、ちょっと面白い事のためだったが、今回は違う。
何せ両親が来る可能性が大きいのだ。
その彼らの前で女装だなんて……

念のために征士に確認すれば、彼は一切表情を崩さずに頷く。


「当然だ。当麻のご両親にも同席していただくに決まっている」

「……だよなぁ…………ううう……流石に…そうなるとなぁ…」

「当麻……それほどまでに辛いのなら、私が着ようか?」


羽柴家に挨拶に言っていない今、まだ全ては本決まりではないのだから白無垢自体、手配も何もされていない。
確かに変更するなら今だ。
心底嫌そうな、婚約者となったばかりの少年を気遣った征士の申し出は、しかし小夜子の厳しい声の前に敢え無く却下された。


「冗談じゃありません。伊達さんは普通に紋付袴でも着ればいいでしょう。おぞましい事を言わないでいただけます?」

「…………予定としてはそうですが…そこまで扱き下ろされるとは正直思っていませんでした…」

「扱き下ろす?またまた何を仰っているのかしら。いいですか?あなた、自分の図体を把握してらっしゃいます?」

「確かに私は当麻に比べれば随分と大きいとは思いますが、彼がここまで嫌がっているのを」

「お黙りなさい!」


穏やかな見た目に反しまくって何故か恐ろしいほどの迫力を見せる彼女に、征士はひっそりと、姉の次に怖い…と肝を冷やした。


「当麻君、伊達さんは確かに綺麗な顔をしているけれど、幾らなんでもそんな面白い姿にさせるワケにはいかないでしょう?」


半ば脅しのような言葉で小夜子は当麻に迫り、つい腰が引けてしまった当麻だが確かにそれはそうだ。
立派な家の跡取りが、幾ら身内全てが受け入れてくれたとは言え同性を伴侶に選んだ時点で世間体が悪い。
なのにそれに加えて彼に女装など、まあ絵面としても非常によろしくない気はする。

だが自分の男としてのプライドだってあるわけだから諦めが悪くなっても仕方がない。
大体面白いって何だ。征士がして面白いのなら、同じ男の自分だって”面白い”に該当するんじゃないのか、と思うと尚の事。


「姉さん、まだ本気で決まったわけじゃないんだし、当麻にももう少し考える時間をあげた方がいいんじゃないかな…」


見かねた伸が救いの手を伸ばしたが、それでも小夜子の首は縦に動くことはなかった。


「伸ちゃん」

「何だよ」

「伸ちゃんは、伊達さんの白無垢なんか見たいの?」


なんか、って…。正直すぎるだろと誰ともなく思った。


「まぁ………面白いだろうな、とは思うね」

「私は面白くないわよ」

「いや、さっき姉さん思いっきり”面白い姿”って言ってたじゃないか…」

「伸ちゃん」

「………なに」

「白無垢を着た当麻君、とても綺麗だと思うの」


そう言って意味ありげに笑った彼女の顔を、征士は見逃さなかった。
言われた直後の伸の表情がとても複雑だったことも。


「……そりゃ前に着物着せた時も……まぁ悪くはなかったけどさ」

「それに幾ら身内だけでの式とは言え、当麻君は未だ16歳になったばかりだし、その子が事実上結婚ってなるとやっぱり”女役”になる方がいいと思うのよ」


日本の法律では男子の婚姻は18歳からだ。
確かにそれに則ろうとすればあと2年は待たねばならない。
出会ってからが早すぎたと言われればそうだが、しかしだからと言ってこの状態で2年も待てないのは征士も当麻も同じだ。
今も互いを想って1人、身体に燻る熱を慰めてはいるが、最近では一日も早く本物の肌を知りたいとさえ思い始めている。
2年も、待つのは苦しすぎた。


「………それも……そうか」


結局は己の欲で納得してしまう自分が何だか浅ましく思えた当麻だが、だがそれは征士も望んでいることだ。
言わば共犯。ならば構わないかと開き直りさえ生まれてくる。


「んんん……ううん………じゃあ……あり、なのかなぁ…?」


改めて声に出して征士を見れば、隣で微笑んでくれていた。
たった1日自分が白無垢を着る。それだけでこんなにも幸せそうに笑ってくれるのなら、いいか、なんて。
正直やっぱり体格差や自分が子供だという事を考えれば悔しいけれど、相手が幸せならそれくらいどうという事ではなく感じられて当麻も笑った。





毛利家としては今回の2人の事に関しては、喜んで受け入れる、というのが答えだった。
そうして後は世間話を少々し、夕方にもなったので征士はきちんと門から、当麻は裏口から帰っていった。
母は既に晩の食事の支度に取り掛かっている。
今日は当麻は食べには来ない。前に買ったゲームがいよいよクリア寸前まで来たので、さっさとやってしまいたいから食事は手早く済ませたいと
伸にだけ言って、母と姉には適当に尤もらしい理由をつけて辞退したためだ。


伸が出していた卓と座布団を片付けていると、風呂を洗っていた姉が部屋に戻ってきた。


「しーんちゃん」

「なぁにー?」


台拭きで丁寧に卓を拭いている伸は、入り口に立つ姉を振り返らない。


「寂しいわねぇ」

「……なんで?」

「当麻君、お嫁に行っちゃうって」

「お嫁って言っても…お嫁とは言い難いでしょ。本人も人妻って言わないって言ってたし」


ああいう場合は何て呼べばいいんだろうね、とおどけてみせた弟の背を、姉はじっと見詰めている。
その視線を感じてはいるが、伸は自分から何かを言おうとは思わなかった。


「伸ちゃん、……懐かしいわね」

「何がさ、…急に」

「伸ちゃん、昔…当麻君にプロポーズしたじゃない。僕が守ってあげるから、おっきくなったらお嫁さんになってくださいって」


極力沈んだ声を出さないようにした姉の表情は、夕日を背にしているため伺う事は出来ない。
尤も伸は振り返るつもりなど元よりないのだが。

卓を拭く手を一瞬だけ止めたが、伸は再びきっちりした性格そのままに卓を拭きあげていく。


「昔のことじゃない。……しかもソレ、僕が当麻のことを女の子と間違えたからだし…」



幼いあの日。
夏休み初日に裏に引っ越してきた一家は父親の友人だった。
挨拶に来たという父よりも遥かに長身の、眼鏡をかけた人物の脚にしがみついてその身を隠すようにしていた青い髪の子供。
水色が大好きだった伸はその色彩にまず目を奪われた。
そして頼りなげな肢体に、幼いながらも庇護欲を煽られた。
親が話をしている間、伸はその子供を連れて近所の公園に遊びに出かけた。
細く儚げな見た目を裏切って元気いっぱいに走り回る姿にずっと胸がドキドキしていた。
夕方になり家に帰るとその子供の両親がどこか不安げな顔で愛する子供を迎え入れ、伸に、何ともなかったかと何度も確認をしてきた。
彼ら一家の帰宅後、不思議に思った伸が父親にそれについて尋ねれば、返って来たのはあの子供が嘗て病弱だったという内容だった。
今はもう大丈夫だが不安は残るのだと友が言っていたと聞かされ、下に兄弟が欲しかった事も手伝って伸はある種の使命感を持った。

夕食後に2家族で花火をする事になっていたらしく、夕方に別れたばかりの子供と再会をした。
母親に手を繋がれて現れた子供の髪は風呂を済ませてきたのだろう、僅かばかりに湿り気を残して昼に見たより濃い青をしていた。

名前を聞くことさえ忘れていた伸はすぐにその子供に名を尋ねた。
とうま、と返され、伸はそれだけで嬉しくなった。

とうま。
声にしてみれば自分の舌に馴染みのいい音だった。
だからその子供に言ったのだ。

とうま、僕がずっと守ってあげるから、おっきくなったらお嫁さんになってください。

一生懸命伝えた言葉は大人たちを唖然とさせ、当の相手からは眉を思いっきり吊り上げて、おれ、男だよ!という怒りで持って返されてしまった。
あれはとんだ赤っ恥だったと伸は今思い出しても穴があったら入りたい気持ちにさせられる。


「もー、姉さんホンットいい性格してるよね……僕の人生の、本気で消したい汚点を何も今言ってくれなくたっていいじゃないか…」


人生最初の失恋が男相手って悲しいよホント、と苦笑いしながら言う弟に姉は気付かれないようにそっと溜息を零した。


「ところで伸ちゃん…」

「っもう、さっきからなに。暇なら手伝ってよ」

「いやよ。お風呂掃除して疲れちゃったもの。…ねえ、伊達さんが当日、白無垢着てたらどうしよう」

「………爆笑してやればいいんじゃないの?」

「ソレは幾らなんでも失礼にあたるでしょ。あの人の場合、絶対ウケ狙いじゃなくて本気で着てるわよ」

「じゃあ我慢したらいいじゃない。大丈夫だよ、多分笑っちゃうのは最初だけですぐ見慣れるってきっと」


面倒臭そうに返して漸く振り返った弟に、姉は至極真面目な顔をしてみせた。


「無理よ」

「何でさ」

「私、笑っちゃいけないっていう時ほど笑いを堪えられない性質なのよね」


そう言えば姉の好きなテレビ番組の1つが、年末に放送される笑うと罰ゲームを食らわされるものだったと思い出して、
やっぱりこの人、いい性格してるよ……と呆れて溜息を漏らしてしまった。




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185cm、体重80kgくらいの美丈夫が白無垢。肩幅申し分なし、堂々と胸張って立ってます。