時に野を往く



何も堅苦しく考えなくて良い。
そう言っていたのではなかったのか。
ただ私の家族に会ってくれればいい。
彼はあの日、そう言っていたのではなかったのか。




征士の家族に会うことを当麻が了承すると、その週の日曜日にすぐにその席が設けられた。

何を着て行けばいいのかと不安になり当麻が聞けば、お前が一番気に入っていてお前に一番似合うものを、と征士は微笑みながら答えてくれた。
当麻がまだ高校1年だという事は既に彼の家族も聞き及んでおり、だから無理にきちんとした格好などしなくていいというのは彼らの意見でもあった。
それでもやはりある程度の礼儀は弁えたいし、征士に恥をかかせたくはない。
だから当麻は持ち前の判断力をフルに活かして10代の子供らしく、且、清潔感のある服を選び当日に備えた。
ジーンズは避け綿素材のシンプルな細身のパンツに襟付きのシャツはライトグレーのドット柄。
誕生日を越えて1ヶ月近く経ったこの頃では風が冷たい事もあるのでフード付きのパーカーを羽織ったが、それもすっきりとしたラインの物だ。
靴下もシンプルな白の物を新しく下ろした。
これで、まぁ印象はそこまで悪くはならないだろう、と自分を勇気付けて、さて当日。


家まで迎えに来た征士の車に乗り込み走ること約1時間。
当麻や伸の家のあるあたりも閑静な住宅街と形容される土地だが、征士の実家のある場所は加えてご立派な家しかない土地だった。
その一角にある、やはり予想通りの見事なまでの日本家屋。
伸の家のそれとはまた違った佇まいに見えるのは毛利家には花が沢山植わっているのに対し、伊達家には桜と梅以外に花らしい植物が植わっておらず、
まるで武士でも出てきそうな雰囲気を醸し出しているからだろうか。

それに圧倒されている当麻の背を軽く押し、征士が中へ入るよう促す。
緊張はしないようにしようと思ったが、それは無理だった。
こういうお家柄には毛利家で慣れているが明らかに雰囲気が違う。
柔和な幼馴染の家の空気と違い、伊達家の空気は張り詰めた、征士によく似合う清廉なものだった。


玄関に出て迎えてくれた美しい女性は征士の姉だと名乗った。

この人が俺を見たのか…

そう思って伺うように盗み見る。
確かに征士と同じ血なのだろう、見事なまでの美人だ。
だが征士と違って彼女の目も髪も黒かった。
ちらりと隣の征士を見ると紛い物とは思えない、生来の美しい金髪が目に入る。
それを不思議に思ったが、それ以上に、緊張している征士と言う滅多に見れないものへの驚きが勝ってしまいその場では何も聞けなかった。


親に会う、家族に会う。
一言にそう言っても、堅苦しく考えるなと先に言われていた。
自分の家族だけなのだと。
祖父に両親、そして征士が割合苦手だと語る姉と妹。
その5人に会えばいいと言われていた。




筈だが、どういう事だろうか。

通されたのは、そりゃあ立派な広間だ、これは”大広間”と呼ぶのではないだろうかという程の広さだ。
そこから見える庭は、日本庭園として教科書や外国向けのパンフレットに載っていても何ら不思議のないような素晴しさだ。
襖にしても何処其処の何某という難しいお名前の方の作ではなかろうかという代物だし、上を見れば欄間の彫りだって見事だ。
大きく広い家屋だが畳みの隅々までも手入れが行き届いているのだろう、香りもいい。
出された座布団も派手ではないし大袈裟ではないが座り心地もとてもいい。

正面にいるのは中央に征士の祖父、そしてその隣に母。父は仕事で忙しく不在だと言ってその娘が最初に詫びていた。
少し離れて先ほど案内してくれた姉と、そしてその隣にいるのが自分と同い年だと聞いていた妹だというのは解った。


だが、では周囲の、広間のほぼ中央に座らされた自分と征士をぐるりと取り巻くように座っている方々は一体何なのだろうか。
さっきから視線が物凄い勢いで自分の肩に、あるいは背にざっくざくと刺さっている気がするのは決して気のせいではないのだろう。
しかしまるで値踏みするように見られているのは気のせいだと思いたい。


「征士、その彼がそうなのか」


まんじりともしない空気を動かしたのは、伊達家の長たる征士の祖父だった。
年齢的には80前後だと思うのだが背筋を伸ばしてしっかりと座るその姿は威圧的ではないが、がっしりとした体躯のせいで迫力がある。
その嗄れていない声が凛と響いて、思わず当麻は膝の上においた拳を硬く握り締めた。

幾つもの目が自分を見ている。
怖いし不安だし恥ずかしくて生きた心地がしない。この時間が早く過ぎればいいと願うばかりだ。


祖父の問いに、はい、と簡潔に答えた征士をちらりと見れば、彼は見惚れるほどに堂々としていた。
その態度から自分との事について彼が本気なのだろうと今更ながらに思い知り嬉しくなるが、駄目だやはり逃げ出したくなってしまう。
当麻は唇を噛み締めて心の中で何度も自分を叱咤した。


征士の答えから続く沈黙。
正直、重苦しい。
当麻としてはいっその事自分に話を振ってくれれば、そりゃ緊張はするし何と答えて言いか悩むだろうけれど、それでも幾分か気が楽なような気がしてならない。
此処にいるのに、そして誰も彼も自分を見ているのに直接触れられないと言うのは、本当に居心地が悪い。
しかも征士の家族ときたら全員、彼と同じ、清廉で潔白な目をしているのだ。
そんな目でじいっと見られると、割と適当に過ごしてきた当麻は本当に居た堪れない気持ちにしかならない。


何か、言ってくれよ……

家族が駄目なら周囲の誰だか解らない人たちでもいいし、隣の征士でもいい。
この責め苦から救い出してくれるのなら、もう宇宙人でも構わない。

不安と注視される恥ずかしさから当麻の肉の薄い頬が赤みを帯び始め、その熱に誘われるように目が潤んできてしまった。
それを隠したくてとっさに俯くと、今度は朱に染まった項が顕になる。
それでも周囲は暫く沈黙のままだった。

だがその沈黙は、思ったよりも早く終わりを告げてくれた。


「……いいんじゃない?」


と言う、征士の妹の声によって。

自分に集まっていた視線が今度は彼女に注がれたのが当麻にも解り、恐る恐る顔を上げて彼女を見る。
征士と同じ少し釣りあがった眦だが、その色は黒く輝いていた。


「いいかしらね」


今度は母が呟く。


「最初に見た時から思ってたけど可愛いし」


そして姉。


「まぁ征士君が気に入ったと言うのなら人間性は問題ないはずだし…可愛いからな」

「問題ないんじゃないかしら、可愛いし」

「いやこの子を見たら私が紹介した子など見劣りするなと思うほどに可愛いですからね」

「可愛い子だもの、私はいいと思いますわ」


続いて周囲の、多分親戚なのだろう、彼らも言うわ言うわ、可愛い、の連発だ。

子供の頃から今でもずっと可愛いといわれ続けてきた当麻は、どうせならカッコイイと言われたいという願望があるものの、
それでもそれだけ言われれば、ああ俺って”可愛い”のね、くらいに自覚はある。
だからこそ小夜子の身代わりだって最終的には引き受けたようなものだが、それでもこんなに言われるとどうしていいのか解らない。

先ほどとは別の意味で逃げ出したくなってきた当麻のすぐ隣で、征士は周囲に必死に視線で牽制していたが、そんな事に当麻が気付く余裕などない。




「静かにせんか」


広間のあちこちで可愛いという単語が沸き、何だかほんわかした空気になってきたところで伊達家の長がぴしゃりと言い放った。
怒鳴っているわけでもないのに有無を言わせない力のある声。
どこか征士に似ているなと当麻は別の頭でそう考えていた。


「……当麻さん」

「…はい」


漸く自分に話しかけられ、緊張も手伝って声が掠れてしまったのを、心の中で舌打ちする。


「征士の事は、好きかね」

「………はい」

「これは君を伴侶として迎え入れたいと言っているが、その意思はあるのかね」

「…許されるのなら、そう、なりたいです」


言われた事に正直に答えると、老人は目を閉じ何かを考えているようだった。
広間が水を打ったように静まり返っている。
誰かのツバを飲み込む音さえ聞こえてきそうな静けさ。
今、全ての視線はその長に向けられている。


暫くその状態が続いた後で、彼は灰がかった瞳を開けた。


「……征士はここに残りなさい。当麻さん、部屋を移そう」


そう言って立ち上がると、当麻の返事も、そして血族の誰の返事も待たずに祖父はそのまま廊下に出て、さっさと部屋を後にしてしまう。
ぽかんとしてしまった当麻だが、征士を見て、彼が頷いたのをキッカケに慌てて立ち上がりその後を追った。




前を歩く老人は黙ったままだ。
彼について行くと、その祖父の私室と思しき場所へ招き入れられた。
無駄な物が一切ないその部屋で座椅子を勧められ、当麻は其処に腰を下ろす。

愛する人の祖父と向かい合った状態になった。


「…当麻さん」

「………はい」

「孫は…征士は、………どうなのだろうか」


どう、と言われても、どう、なのだろうか。
カッコイイし優しいし、でも時々凄く可愛いし、誰よりも好きだ。
だが今問われているのはそういう事なのだろうか。

返答に困って首を傾げれば、威厳のある彼の表情が柔和に崩れた。


「いや……すまない。唐突過ぎたか。……では、孫の事を少し話そうか」


思い出を語るような口調で、彼は続けた。


「征士は……あれは、昔から極度の人間嫌いだ。正月や盆などで親戚が集まる場においても最初に少し顔を見せた後はすぐに引っ込んでしまう。
家族ともなればそういった事はないが、それでもあまり喋らん性質でな」

「……そういう、寡黙な性格、とかじゃなくてですか?」


当麻の知っている征士は、お喋りな人間ではなかったがそれでも人間嫌いには見えなかった。
寧ろ2人きりになると自分に甘えてくるような、些かスキンシップ過多な男だ。
だからただ口数が少ないだけではないのだろうかと聞き返したが、祖父は苦笑いで返した。


「あれの髪や目の色は解っているだろう?」


それには声に出さずに頷いた。
豪奢な金髪に美しい紫の目。日本人とは思えない容貌と色彩は嫌でも人目を引く。


「あれの母も、姉妹も、そして今日は居ないが父も普通の黒い髪に黒い瞳だ。今では私も白くなったが、若い頃は黒髪だった。
……征士だけが、あの色で生まれてきた」


顔立ちやしっかりした体躯は間違いなく伊達家の人間のそれと同じだが、色彩だけ異なる彼。
先祖に異国の血が入っており、彼だけが先祖がえりをした結果だが、幼少期から良くも悪くもそれは注目を集め、好奇心も、悪意も集めた。
元々物静かな性格だった子供はいつしかそれら全てを煩わしいと思うようになっていった。
最初は人目を避けるだけだった。聞けば答える、会話を持ちかければそれなりに返してくれる。
そういう反応はあった。
だが成長するにつれその美貌は迫力を増していき、それと反比例するように彼は人と接する事を避け始めた。

好きだといった相手を漏れなく嫌いになる。
話しかけた相手に冷たい返事しか返さない。
必要ならば表面的になら受け答えはするが後で酷く疲れた顔をする。

本質的には有能だった征士を祖父は是非とも自分の後継者として立てたかった。
征士にもその意思はあった。人間嫌いではあるが真面目な彼は、家族の期待に応える事まで嫌にはなっていなかった。
祖父を尊敬していた事もそれを手伝っていたのだろう。
だがこのままでは彼は精神的な疲労で倒れてしまう。
本格的に社会に出る前に少しでも慣らしておいた方がいいと判断した祖父は、大学も4年目になった孫に事業の手伝いを申し付けた。
そして少しでも気を緩める時間を持てるようにと一人暮らしも勧めた。家族といる事さえ時々彼は面倒そうにしている時があったからだ。

仕事を手伝わせるようになって暫くの間、やはり征士は、意識が仕事に向いている時はいいが終えた後で疲労感を滲ませていた。
少しずつ慣れてくれればと見守ったが、それでも良い方向にはなかなか進まなかった。
だが真面目な征士は仕事の時にはそんな事を一切感じさせない。だからこそその落差を家族どころか親戚中が心配していた。

彼を理解し支えてくれる人間が傍にいればいいのではないかと、いつからか彼に見合いを勧めるようにもなった。
だがそれでさえ彼は苦痛だったのだろう、話を持ち込めば持ち込むほどに眉間の皺が増えた。
しかしそれにはめげず無理に数回は見合いをさせた。結果、親戚からの電話があるだけで嫌そうな顔をするようにまでなってしまった。
仕事は嫌いではないらしいが、それでもこのままでは彼が本当に壊れてしまう。
誰もがそう心配していた。


ある日、任せていた書類を届けに社に赴いた征士の様子が今までと全く違っている事があった。
どこかスッキリして、今までなら避けていた人間関係も少しではあるが歩み寄りを見せ始めたのだ。
先日に行われた見合いはいつものように断っていたが、案外これは誰かいい人ができたのかも知れない。
そうでなかったとしても、何があったかは知らないがいい傾向だと誰もが喜んだ。

その状態はいつまでも続いていたが、当の征士から何があったのかを話してくれる事はなかった。
だから祖父は秘書を務めてくれている孫の弥生に弟の様子を見てくるよう言いつけた。

そこで彼女が見たのが、人間嫌いのはずの弟の、今まで見たこともないような幸せそうな顔だった。
傍らにいるのは制服姿からしてまだ高校生だろうし、それも男の子のようだったが、それでも親しげに、いや、ストレートに言うのなら
愛情を持って接しているように見受けられた。
大体、実家でも絶対に自室へは誰も入れようとしなかった彼が自ら喜んで一人暮らしの部屋に誰かを招いているのだ。
そういう感情を持っている相手と思って間違いないのだろう。
そう結論付けた彼女はすぐに祖父へその報告をした。それはすぐに家族へ、そして親戚中へと広まった。

永遠に誰も受け入れないと思っていた彼が他者を受け入れた。だがそれは同性だ。
親戚一同集まっての話し合いになった。色々な意見も出たが、それは結局、彼の支えになるのならという意見で落ち着いた。
後はその少年を直に見て見たい。そう、なった。




「まぁ後は現実的な問題が残っているが、私達は征士と君の関係を歓迎している」


笑うと顔に刻まれた皺が更に増える。黙していれば厳めしい老人だが、相好を崩すと途端に少年のように見えた。
それは色彩も年齢も違うが、やはり征士にどこか似ていると当麻は思っていた。




「当麻さん」

「はい」

「孫を……よろしくお願いします」


言って彼は深々と頭を下げた。


「え、あ…っこちらこそ……!」


当麻も慌ててそれに倣う。
2人同時に頭を上げると目が合った。
それに揃って噴出す。


危惧していたような事はなかった。
それに安心した当麻の耳に、老人の、


「まあ今頃征士は下世話な質問攻めに遭っているのだろうなぁ…可哀想に」


という、言葉とは裏腹に、どう聞いてもそれを楽しんでいるとしか思えない声が届いて、当麻は声を立てて笑った。




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妹あたりから遠慮なしに、お兄ちゃんもう手ぇ出したの?とか聞かれてマッハで首を横に振ってる頃です。