時に野を往く
「……嫌か?」
いつものように征士の部屋に居る当麻はいつものように征士の膝の上に乗せられていて(ここ最近の定位置だ)、
そんな至近距離で不安げに彼に見つめられると、たとえ嫌だと思ったとしても嫌だなんて当麻に言えるわけがない。
いや、別に今、征士に言われた事が嫌なわけではない。ただ。
「何て言うか…………困る…」
そう、困るのだ。
「そんな…いきなり家族に会って欲しいって…言われても……俺、どうしていいのか…」
征士が自分に対して求婚しているのは解っている。
だがしかしそれは実際には問題が山積みで、少なくとも現代における日本では叶わない求めだ。
それでも彼に、好きで好きで堪らない相手に求められているというのは幸せな気持ちにしてくれる。
だから今までだって、本気だろうけどもきっと叶わないであろう望みを聞いてこれた。
それが急に具体性を持ち始めると、まだ16歳になったばかりの当麻は困るしかないのだ。
「何も堅苦しく考えなくて良い。ただ私の家族に会ってくれればいいのだ」
いや、だから、いいのだって言われても。
普段は上がった当麻の眉尻はきゅーんと下がり、本人の心情をそのままに表していた。
征士の実家は伸の家同様に大きく、ご立派な家柄だ。
そりゃ当麻の家だって一般家庭よりかは随分と”ヨイご家庭”ではあるが、それでも仕来りだとか風習だとか、そういったモノとは寧ろ無縁の家で、
それが蔵を自宅に持っているような、そもそも座敷に上がれば自然と正座をするように躾けられているようなそういう家庭とはかけ離れている。
仮に羽柴家の両親に会って欲しいという要望ならもっと楽でラフな話だったはずだ。…と当麻は思っている。
それが、伊達家となると話が全く違う重さを持っているのを征士は解っているのだろうか。…と当麻は思っている。
実際に当麻がそんな事を言えば、それこそ征士は彼女の両親に会う心境そのままにカチコチになっていたかも知れないが、
当麻は兎に角、今は自分の事で頭がいっぱいだ。
だから少しばかり逃げ道を求めてしまう。
「その……会うって言っても……」
「うん?」
「……年下の友達、として?」
それなら、軽く挨拶をして済ませられるかもしれない。
「まさか。生涯を共にする相手として会って欲しいに決まっているだろう」
だがその期待はあっさりと切り落とされる。
それなら尚のこと会い辛いではないか。
大事な跡取り息子が子供を、それも同性を連れて来て、この子と結婚します、なんて言い出してみろ。
見た事はないが見事な日本家屋はあわや崩壊の危機かと言うほどの騒ぎになるのではなかろうか。
こちらも見た事はないが、目の前の美丈夫の血縁者だと言われて納得できるほどの見目麗しいご家族が目ん玉引ん剥いて大口開けて、
腰抜かして取り乱すのではなかろうか。
そして最後はきっと理知的で退路を全て塞ぐような徹底的な理論と正論で、反論も出来ないほどに完膚なきまでに叩き打ちのめされるのだ。
そんな結果が見えていて、誰が前向きに検討できるというのか。
「俺……ヤだよ…」
「何故」
「だって…………………」
悲しそうな顔をして俯いてしまった当麻の手を取り、征士は跡が残らない程度にその肌に吸い付いた。
濡れた感触を手首の内側に残すと、今度は細い指を唇で食み、名残惜しげに離れていく。
「大丈夫」
そして自信に溢れた、だが優しい声色で当麻を勇気付ける。
「大丈夫って…何が」
「当麻はこんなに可愛いのだから、何も心配要らない」
「………全然、意味解んないんだけど…」
子供の頃だけでなく未だに可愛い可愛いと言われ続けている当麻だ。
確かにそれが理由かどうかは知らないが、ピンチに陥っても最終的には許してもらえる事は何度かあった。
だが今、それが通用する状態なのだろうか。いや、そんなワケはないだろう。
征士はハッキリ言って変わっている人間だ。
当麻だって人付き合いは得意ではないがその当麻から見ても征士の人付き合い…と言うか、彼が当麻以外で人と接しているのなんて、
伸を始めとする毛利家くらいしか知らないけれど、それでも征士の人付き合いはどこかオカシイ。
距離感もそうだし、価値観が大きく人のソレとズレている。
だから彼の言う、大丈夫、はきっと世間の、ちょっと駄目だ、という事なのかもしれない。
その声や目で随分と救われるのも事実だが、今は違う、断じて、違う。
「そりゃあ………征士の家族がみぃんな征士と同じ人間だったらソレでいいかも知れないけど…」
「私と同じ人間?どういう意味だ?」
「だから征士と全く同じ考え方で、征士と全く同じ好みの人間ならきっと俺の事を気に入ってくれるだろうけど、」
「それは駄目だ」
幾ら家族でもそうじゃないだろ?と続けようとした言葉は、何故かとても必死で真剣な声に遮られた。
驚いて当麻が数回瞬きをする間も、逆に征士は一切瞬くことなくじっと腕の中の愛しい存在を見つめている。
「…………なに、急に」
「私と同じ好みだと困る」
「何で」
「当麻を取り上げられてしまう」
大きな身体をしておいて随分と子供のような言い草をした征士は、そのまま当麻をきつく抱き締めてソファに倒れこむ。
「そんな大袈裟な……大体身内のモン取ろうって人間はそう滅多といないだろ…」
「いる。甘く見るな、私の家族は祖父は変わり者だし女どもはとんでもない性格の持ち主なのだ。
私と好みが一緒だったとしたら絶対に当麻を取り上げられるし、二度と返してくれないに決まっている」
「…俺は物か」
「物ではない。だが当麻は私のモノだ」
ぎゅうぎゅうときつく抱きついて胸元に顔を寄せると、征士は器用に歯と舌で当麻の制服のシャツのボタンを外し少年の肌を顕にしていく。
「……ん、…せいじ…」
鼻先を使ってシャツを肌蹴させ、白く薄い胸の中で唯一色付いた箇所を唇で優しく食むと、当麻が甘い声を漏らした。
最近、何故か征士は特にこうだ。
独占欲というか、やたらに当麻を欲しがる。
肌を重ねることは未だにないが、それでも際どい行為で煽ってくるのだ。
それはあの、互いに互いを想って1人で熱を慰めていたという事を知った日からだ。
一体何があったのかと当麻は思うが、それを聞けた事はない。
求めたい気持ちは勿論当麻にもあったし、行為が際どければ際どいほど、彼への愛情が深まるような気がしていた。
それにきっと、はっきりと互いに知ってしまえば我慢が利かなくなる事だってあるのだろうという程度に考えていた。
実際当麻だって以前はしなかったが自分から彼の頬や額に口付けることが増えたし、その逞しい胸に直接触れることも増えた。
彼の肌の感触を、その体温を知ってしまうと、貪欲になってもっと知りたくなるのだ。
特に何か不満があるわけでも不安があるわけでもない。ただ、ただ知ってしまったから、もっと知りたくなるのだ。
だから征士が今こうしている事も、時間の経過と共に現れてきた変化なのだと思っていた。
「……当麻」
当麻の胸に甘えたまま征士が呼びかける。
吐き出された息さえも甘い熱を持っているようで、それが当麻の肌を粟立たせた。
「当麻」
「なに」
目を向ければ、普段の状態なら有り得ない事に自分の視線より低い位置で、上目遣いの征士と目があう。
「その………毛利さんの弟さんは………」
「ああ、伸?伸が何?どうかしたか?」
「…………………いや、……彼は、去年事故に遭ったと聞いたが、今はもう随分と元気なのだなと思って…」
「あー、うん、そう。凄いよな、俺、感心しちゃった」
征士の髪に指を差し入れ、その金糸を弄びながら当麻が続ける。
「だってもう、本当に手も足も動かないかもってなってたのに、伸ってばすげぇリハビリ頑張ったんだ。尊敬するよなぁ、ああいうトコ」
誇らしげに幼馴染の事を語る当麻を、征士はただ黙ってじっと見つめていた。
”初恋の相手だから”。
そう言った彼の言葉が頭から離れない。
言われてすぐに振り返ったが、栗色の髪の持ち主は既に征士に背を向けて歩き出していたため表情は判らなかった。
残されたのは淀みのない声だけ。
彼は、初恋の相手は当麻なのだと言った。
あれは自分をからかっただけなのだろうか。
話をするにしても自分と2人きりはムカつくと言って、だが特に何かを込めるでもなくサラリと言っていた彼は何が言いたかったのだろうか。
車の中で意味ありげに視線を寄越されたのは。
当麻に元気がないのは辛いと言ったのは、友達だからだろうか。
それとも。
征士にとって毛利伸は別にそこまで考えなければならない位置にいる人間ではない。
だがそれでも気になって仕方がない。相手は随分年下だというのに余裕が一切持てない。
理由はたった1つ。
”初恋の相手だから”。
彼は、初恋の相手は当麻なのだと言った。
…では、当麻は?
幼馴染の親友である彼の話をする時はいつだって誇らしげで、そして時折言い過ぎにも感じられるほどに扱き下ろし、
2人してした下らない悪戯の話や、その結果、姉に散々心配をかけて泣きながら怒られた話なんかをしている、当麻の、その初恋は?
自分より先に知り合ったのが彼なのだから仕方がないと思いつつも、それでも征士は言いようのない感情を持ってしまう。
嘗ては病弱だったという当麻。
それを知っていて、そしてその彼の父親と大事な約束を交わしていたと言う、彼。
胸にドロリと流れ込んできた重い感情はいつしか征士を焚付け、焦りを生んでいた。
家族に会って欲しい。
それは征士から言い出したことではない。
自分のマンションに当麻を伴って帰ってきたところを姉の弥生が見ていたのだ。
祖父に頼まれ弟の様子を見に来て見れば、彼は見た事もない少年を連れているではないか。それも随分と親しげに。
気になってその後も彼女は何度か近くまで来ていたらしい。
毎回ではないがよく一緒にいる少年が気になった彼女からの呼び出しを受け、そして問いただされ素直に彼の事、彼との事を話せば、
今度は一度家に連れてくるよう言われた。
ただ彼女は、それは相手の都合もあるのだから少し先の予定になってもいい、今すぐでなくてもいいと言っていた。
礼節を弁えるよう躾けられたのは伊達家の子供全てだ。だから彼女は決して相手の意思を無視するような事は言わなかった。
征士もそう考えていた。当麻との事はハッキリ言ってデリケートな問題で、そして現実問題も山積みだ。
だから姉から言われた時は自分だって今すぐの未来の話ではなく、当麻がもう少し大人になってからの事だと思っていた。
だが思わぬ事が起こった。
未完成と思っていた肢体は既に完成に近いのだと知り、そして見た目以上に彼が丈夫だと知れば想いを抑える事が難しくなった。
だから、これはいい機会なのだと思った。
当麻を、手に入れたいと思った。
そしてそこに言われた、毛利少年の言葉。
「……当麻」
「なに?」
「…私の親に会ってくれ」
「話が随分戻ったなー」
「会ってくれ」
また甘えるように当麻の胸に懐き、赤く誘う箇所に再び唇を寄せる。
淫靡ではないが、濡れた音を立ててそこに吸い付けば、当麻の腰が微かに震えたのが判った。
「とうま」
懇願するように言えば、細い腕が征士の頭を抱きかかえてくれる。
「んー……判ったよ、会う。……会うだけでいいんだろう?」
俺どうしていいか判らないから征士が助けてくれよな、と言って笑ってくれた当麻に、征士は漸く胸から離れ、
肉の薄い、だが柔らかな頬にありったけの愛しさを込めて口付けた。
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ソファの上だけで充分事足りる世界。