時に野を往く
朝になって、今日は会いたくない、というメールを受け取った征士は何事かと思い、当麻の通う高校へ彼を迎えに来てみたが、
校門から出てきたのは彼の親友の毛利伸1人だった。
「………当麻は…どうした?」
「当麻?」
まるでこの世の終わりのような顔をした男に、多少どころではなく伸は引いた。
当麻が居ないだけで何なんだ、この落ち込みようは。
思って、何ですかアンタと言いたかったが、まぁちょっとアレだと思っている彼の事なのでそこは触れずにおいて、聞きたい用件を拾ってやる事にする。
「当麻なら、今日は学校来てませんけど。…聞いてないですか?」
「いや、…来ていないだと…?……病気か?」
そう言って征士の端正な眉が寄せられる。
それを伸がまるで鼻で笑うような顔で見やった。
「まさか。当麻は病気なんてしませんよ。あの子の場合は、サボリ」
華奢で愛らしい見た目ではあるが病気など一切しないのだと言う伸に、征士の眉根は更に寄せられる。
しかもサボリなどと言われては、真面目な征士は聞き逃せない。
「どういう事だ…?」
「どういう事でしょうね。あの子がサボる時って大概、面倒臭い事があった時とか、何か余所事を考えてる時なんですけど……
伊達さん、何かしました?」
昨日一緒に帰った時までは普通だったのだから、何かあるとすれば別れた後からの筈だ。
「て言うか、…何か言いました?」
自分の言葉に、征士の表情が曇ったのを伸は見逃さなかった。
何か、あったのだろう。判断は早い。
人の好いと評判の顔を、伸は大層遠慮もなく、盛大に歪めて無言で彼を睨み付けてやった。
暫しその場で微妙な表情のまま向かい合っていた2人だったが、その均衡を破ったのは征士だった。
「………当麻に、会わせて欲しい」
そして目の前の少年に懇願に近い気持ちで伝える。
「当麻ならきっと家だよ。あの子、出不精だし」
当麻の素っ気無さとはまた違う素っ気無さで返された言葉に、征士は声を詰まらせた。
家、と言われても。
「……私は当麻の家を知らん」
その言葉に伸の目が驚きに見開かれた。
征士が当麻の家を、知らない。
しょっちゅう逢っている。だからしょっちゅう家まで送っているものだとばかり思っていたのだが。
「え、伊達さん……当麻をいつも、送って行ってないの?」
「いつも途中までしか送らせてもらえない。君の家の近くの通りで、いつも車から降りてしまうのだ…」
若しかして一番最初の時に家を教えないように自分が仕向けたのを当麻は律儀に守っているのだろうか。
そう思うと何だか急にあのクソ生意気なタレ目が可愛いと思う感情が沸いてくる。
それに目の前の男に対する優越感も。
じゃあ丁度いいから話しましょうか。
車に伸を乗せ、当麻の家までの案内を頼むと彼がそう言った。
何か大事な話があるのだろうと思った征士は、ならば何処かへ寄るかと聞いたが、彼はそれを辞退した。
長話じゃないし、何か伊達さんと2人きりってムカつくからいい、と。
「当麻のお父さんって、天才だって知ってます?」
ドアを閉めるなり、伸はそう言った。
彼の父の事は以前に少しだけ当麻の口から聞いた事はあるし、名を聞けば確かに大々的にではないがニュースで見覚えのある名だった。
だがそこから伸が言わんとしている事が解らず征士が首を傾げると、それを横目だけでチラリと見て、伸はまた前を向き直る。
その仕草がとても当麻と歳の近い子供とは思えず、征士は何となく伸に対して背筋が寒くなった。
「当麻のお父さん、何してるかは?」
「確か新薬の開発に携わっていると聞いたが…」
「そう、それも難病治療の新薬ね」
言われて征士は頷いた。
不治の病とされているもの、若しくは幼い子供が発祥して手術が不可能な病。
それらに有効な、或いは完治させる薬の開発に携わっているのが当麻の父だとは征士も知っている。
だが、だからそれが何なのだろうか。
「当麻とは小学校からの付き合いで、だからおじさんの事も僕はよく知ってるんだけど…その時からおじさん、薬を作ってたんですよ」
前を見たままの伸の横顔を、ハンドルを握ったまま征士がちらりと見た。
何を言いたいのか何を考えているのか表情が全く読めず、僅かに苛立つ。
「……それが何かあるのか?」
伸がまた横目だけで征士を見る。
その気配を感じて征士は敢えて無視を決め込んだ。
「おじさん、元々は衛星とか惑星探査とか、宇宙に関係あるような研究してた人なんですよ」
当麻の父は幼い頃に宇宙に魅せられ、そして大人になるまで真っ直ぐに己の好奇心と知力を注いできた。
確かに天才だったので他の分野からも呼び声は多かったのだが、彼の興味は宇宙の星にしか向けられなかった。
幼い頃の彼の夢は叶い、そういった職を得た。
後に妻となる女性とも運命的に出会い、そして可愛い子供も生まれた。
だがその子供の髪は、青かった。
青みがかった黒髪という表現とは違う、明らかな青だった。目も同じ色だ。
どちらの家系にもそういった色味を持った者はいない。
いや、そもそも人の遺伝子として有り得ない色味をした子供の髪を不思議に思い、細かく調べて発見されたのは遺伝子の欠陥と、異常。
そして、このままではその子供は5歳まで生きることさえ難しいという事。
手術である程度改善される可能性はゼロではなかったが、それは1%もない。
何より生まれたばかりの赤子には負担が余りにも大きすぎる。
唯一助かる方法があるとすれば、それは投薬治療しかなかった。だが薬はない。
羽柴源一郎は天才だった。
彼はすぐさま当時の職を棄て、昔の伝を頼り、そして新薬の開発に乗り出した。
4年かかった。いや、周囲に言わせればたった4年で開発できた。
だがその4年の間に息子は何度も入院したし、何度も生死の境を彷徨った。
彼からすれば、4年もかかってしまった。
タイムリミットの5年には間に合ったが息子の身体はかなり弱っていた。
だからすぐに投薬治療は開始された。
実地試験は何度もされていたが、それでも完全とは言いがたかった薬。
息子は一命を取り留めた。
だがその代償として、成長機能を著しく損傷させた。
「僕がおじさんから聞いたのは、当麻は普通に成長するけど、そのスピードが落ちてきたらもう完全に駄目なんだって。成長が、止まっちゃうって」
昨日、ふざけて測った身長を思い出して伸は苦々しい表情になる。
入学して最初の身体測定から当麻の誕生日まで半年あった。
本来なら成長期に入っているであろう時期なのに、当麻の成長は僅か3ミリ。
中学の時に少し伸び始めたが、それから後は緩やかに止まりつつある。
つまり。
「当麻、もうアレ以上は大きくなれないよ。…成長してもせいぜい170cmが限度じゃないかな」
「…………。…本人はそれは…」
「知らないよ。あの子、自分が子供の頃病弱だった、でもお父さんのお陰で今じゃ病気一つしない健康体になったってくらいしか解ってない」
実際、見た目に反して当麻はとても頑丈な身体なのだと伸は言った。
寒がりだし暑がりだけど、それでも当麻は風邪一つ引かないのだ、と。
その言葉を聞いて征士の目が細められた。
「………当麻が、」
「……?」
「当麻が自分は大きくなりたいのだとよく言っているが、……本人がそれは無理だと気付いている可能性はあるのか?」
昨晩、征士は当麻に、彼が普段よく口にする”寝る子は育つ”という言葉を投げ掛けた。
自分の身体のことを知らないのなら別に構わないが、もし彼が実は気付いているとしたら、それは残酷な言葉だったのだろうか。
「…さぁ?ないんじゃないかな。解らない。…ただ、あの子がもう少し大人になって、それでも背が伸びなかったら、
その時は僕があの子に、ああ伸びなかったね成長期がきてソレが限度だったんじゃないかな、って言ってあげるのが僕とおじさんの約束なんだ」
だから僕はその言葉を言うタイミングを計ってるんだ、と伸は続けた。
今日会ってから初めて伸が征士に表情を見せた。寂しそうな、顔だ。
幼い日に交わされた約束は、じわりとした苦味を持っているのだろう。
征士は彼にかける言葉を見つけられないまま、彼の案内に従えば、やがて車は毛利家の前につけられる。
「…ここは君の家だな…」
「そうですね」
既に表情はいつもの人の好い、だが食えない表情になっていた。
「車は僕の家の前に停めておいてください。それから、…どうぞ」
先に下りた伸が示したのは、やはり毛利家の門だった。
「…………?私は当麻の家に案内して欲しいと頼んだはずだが…」
流石に征士も苛立った声を出す。
朝になって突然、会いたくて堪らない相手から拒絶され、それでも面会を求めてその友を頼った結果違う場所に連れて来られたのでは、
幾ら道中に貴重な話を聞けたとしても納得は出来ない。
「だから、ここから入るのが一番の近道なんですって」
「…なに?」
「当麻の家、僕の家の裏手にあるんです」
立派な松が植わった日本家屋の向こうに見える、如何にも現代の建築物らしいグレーの屋根の家。
それを伸が指し示していた。
「ただ当麻ってばサボってる時は何回呼び鈴押そうとも絶対に玄関開けないから、家の裏手から直接入った方が掴まりやすいんですよ」
元々父親同士が仲の良かった彼らの家は、互いの裏口に扉をつけ行き来を自由に出来るようにしていた。
伸はそこから征士に訪問するよう勧めているらしい。
玄関は勿論、鍵をかけられているが、裏手なら毛利家の母親が見舞いに行くために昼間なら開けっ放しにしているはずだ、と。
「……そうなのか…」
「そう。だから、どうぞ。当麻に何か言ったのなら、それを解決してきてよ」
言われて征士は無言で頷いた。
自分の言葉が彼を傷つけた可能性があるのなら、それはきちんと謝りたい。
若し自分が原因でないとしても、彼を拒絶へ追いやった何かから彼を救ってやりたい。
伸の案内に従い庭を抜け、裏口に廻りこむと、確かにそこにはひっそりと扉が取り付けられていた。
その鍵を伸が開け、そして征士に進むよう手で示す。
「…その…ありがとう」
素直に礼を言った征士に、伸がにっこりと笑った。
「いいえ、どういたしまして。当麻に元気がないのは僕も辛いんです」
そう言った彼は、本当に親友なのだろう。
その存在に感謝した征士の背に、伸のハッキリとした、淀みのない声がかけられた。
「当麻は僕の初恋の相手だから、傷つけないでね」
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当麻がチビで華奢なワケ。