時に野を往く
「…見合い?」
ご近所の親友、伸からいつになく真剣な面持ちで呼び出されて彼の家を訪ねた当麻は突然の言葉に文字通り目を丸くして驚いた。
伸と当麻の家は近く、2人は小学校からの親友だ。
羽柴の家は天才科学者の父と世界的バイオリニストの母が1年の殆どを海外で過ごす為、実質幼少期より当麻の1人暮らしに近い。
その当麻を、どうやら昔から父親同士に交流があった毛利家の人間が彼をまるで実の息子のように可愛がり、何くれと世話を焼いてくれていた。
だがその毛利家の大黒柱だった父親は5年も前に他界してしまっており、現在そちらの家は華道の先生をしている母と、
そして伸とは8歳離れた姉の3人暮らし。
昔と少し事情が変わったとは言え、今更付き合いが変わるわけではない。無意味な遠慮など必要はない。
だがその伸からの、真剣な呼び出し。
不思議に思って訪ねれば、見合いとは。
伸は本当なら当麻より学年が1つ上なのだが、彼は不幸にも事故に遭い1年留年している。
今は同じ学年の同じクラス。
学校自体は公立で特別なことなどないが、伸の家は宗家と分家とで行事1つでも煩いようなお家柄だ。
そこを考えれば、まぁまだ16歳とは言え跡取り息子である伸にそういった話があっても滑稽ではないのかもしれない。
宗家の主が不在なのだ、そりゃ跡取り様への婚姻話は早くて悪いものではないのだろう。
「見合いって……あの、ご趣味は?とか聞くような、アレ?」
未だ成長期の来ない当麻が、細い身体を心持ち前屈みにして興味深げに聞けば、伸は困った様に膝の上で握り締めていた拳を、更に硬くした。
「そう……」
ちょっと面白半分だった当麻はどう見ても気落ちしている彼の様子に、今度は困ったように首筋を掻いた。
優しげな風貌と丁寧な口調から誤解を受けることが多々あるが、伸は決して弱い人間ではない。
納得のいかないことはちゃんと自分で突っぱねるし、それに相手を言い負かすだけの口も持っている。
その彼が、非常に言いにくそうに言葉を区切り、自分が呼び出した相手とさえ目も合わせないとなるとこれは相当な問題なのかもしれない。
「今すぐってワケじゃ…ないんだろ?」
日本の法律では確かに16歳にもなれば結婚は許されるが、それは女子のみだ。
男子においては18歳。
つまり伸にはまだ2年の猶予がある。
「その間にさ、他に好きな人が出来るとか、可能性もあるだろうし…」
許婚というものを用意するにしてもまだ若い自分たちは好奇心が旺盛なのだから、やはり気が早いだろう。言外にそう言ってみる。
…とは言っても、伸も、そして言っている当麻も未だ彼女がいたことはない。
人目を引く容貌をしている2人だが、伸は少々シスコンの気があるし、当麻の好奇心とやらは全て知的な方向へぶっ飛んでいる。
どちらも告白されることこそあれ、応えたことはなかった。
だが、当麻はせめて彼を奮い立たせてやろうと必死に言い募る。珍しい事に。
「そんな焦る歳じゃないし、無理です!って……」
「言ったよ」
ぴしゃりと返された伸の言葉に当麻が黙った。
俯いた彼の目は感情がよく見えないが、相当参っているのだろう。
1年前の事故。
伸は今、元気に体育の授業も受けられてはいるが、それでも事故の当時は酷いもので、四肢を動かせるようになることさえ危ぶまれたものだ。
そんな事があったから、親戚連中も焦ったのだろうか。
「……分家の…叔父さんがさ、必死なんだ」
そう言った伸の声はかなりトーンが落ちていた。
宗家と分家の仲は決して悪くはない。
ただ、分家同士というのは少々込み入っている。どこがより宗家に近いか、何かの決定の際の発言力を持てるか、そんな事で表立っては何もないが、
少々の軋轢と言うものはあるらしい事は、部外者ながらもよく出入りしている当麻だって知っていた。
伸は毛利家の跡取りだ。
その彼に将来、人生を共にする伴侶を紹介するというのはやはり何かしらの権力を得るのだろう。
一言に”分家の叔父さん”と呼ばれても、当麻には誰のことだか判らないが、漫画やテレビで観るような絵に書いたような悪人はいないから、
余計に彼を苦しめているのだろうと予測を立てた。
何より悪い人だった場合、伸の、あの恐ろしい舌鋒であれよあれよと言う間に村八分にされ、孤立無援のままに失墜させられているだろうし…
それだけに伸というのは優しいが故に恐ろしい人物でもあった。
「……………で、さ。…俺を呼び出したって事は、…それ言いたいだけじゃ」
「ない。ゴメン、頼みごとがあるんだ」
「……ですよねー」
そんな事だろうと思った。
伸は愚痴を言ったり嘆く為だけに人を呼び出すような男ではない。
それは付き合いの長い当麻はよく解っていたから、何かあるだろうとは思っていた。
ハッキリと策があるからこその、呼び出し。
そう、今問題になっているのは見合いだ。となると。
「…替え玉?」
お茶お華に礼儀作法、全て華道の先生である母から叩き込まれている伸ならば、それらをソツなくこなせるだろう。
相手にもきっとそう伝えられている筈だ。
当麻だって毛利家に出入りしている時点である程度の作法は身に付けているから、そこで幻滅させたいというわけでもないのだろう。
だとしたら、恐らく。
「何、俺に相手がドン引きするような話でもしろっていうワケ?」
聞けば伸が頷いた。
当麻の父は天才で、その上母はグローバルな思考の持ち主だ。
そんな2人の間に生まれ、家族が揃った折には多種多様、機知に飛び、時にはぶっ飛んだ会話を繰り広げるために、彼の頭脳もぶっ飛んでいた。
勉学的な意味だけでの天才に止まらず、当麻は本当に天才だ。
それは空気を読む事に関しても長けている。
学校では恐ろしいほどのマイペースだと言われているが、それは空気を読む事を放棄しているだけで、本当は相手との距離1つとっても瞬時に読み取り、
緻密に計算して絶妙な距離で接するタイプだった。
その当麻に、見合いをぶち壊すために、あえて空気を読むな、と伸は依頼している。
「えー……面倒臭い…」
1日拘束されるわけではないにしろ、常に気を張り続けるのは誰だって面倒臭い。それは当麻だって同じだ。
素直な感想として口にはしたが、だが幼い頃からの親友がここまで嫌がっているのを見捨てるつもりはない。
「…おばちゃんの許可とか、とってんの?」
「とっくに」
用意のいい彼に、流石だな、とだけ呟いて了承の意を伝えた。
さて、お見合い当日。
引き受ける交換条件として、当麻は1ヶ月間のお弁当を伸が作ることを出した。
伸は昔から料理が上手で、彼の作る料理は誰のものよりも美味しかった。それは毛利の母のものより、姉のものより。
因みに普段、当麻はお昼を購買で買うか、それか自分で作ったりしている。
事実上の1人暮らしが長いのでそういった事はある程度できるが、そこは面倒臭がりな性格でサボリがちだった。
「おはよーございまーす」
門をくぐって、引き戸を開けて声をかけると、まず伸の母親が姿を見せた。
「当麻君、おはようございます。…今日は…ごめんなさいね」
「いいよ、別に。伸が困ってるみたいだし、俺もちょっと何言ってやろうか楽しみになってきたしさ」
心底申し訳無さそうにする和服美人に、当麻は軽口を叩いて答えて見せた。
そんな当麻に少しは気が楽になったのか彼女が口元に手をやって微笑む。
「あ、…当麻君、……今日は、……オネガイね」
玄関先で母親と遣り取りをしていると今度は姉が現れた。
こちらは洋装だが、やはり美人だ。
そして当麻を迎えた時の母親同様に、心底申し訳無さそうな表情をした。
それにも当麻は同じようにあっけらかんと、大丈夫、と答えれば、彼女もまた口元に手をやり上品に微笑んでくれる。
ハッキリ言って美人だ。美人を悲しませちゃ駄目だよな、と当麻は1人頷く。
これを当麻に教えたのは父の源一郎ではなく、今は亡き毛利の大黒柱様だった。
伸自身も整った顔をしているが、伸の母も、姉も美人なのだ。それも優しい系の。
当麻の母も世間一般では美人だといわれているが、彼女の恐ろしいほど奔放な性格を知っている息子からすれば、ゲー、ってなモンである。
少しそれたが兎に角、優しくて綺麗で、当麻からしても素敵な母子をこれ以上困らせたくはないし、
力になれるのならば喜んで協力をするつもりで、今日は来たのだ。恐れなどない。
精一杯、ドン引きさせてやるか。
毛利家のお見合いだ。相手はお上品なお家柄の、若しかしたら箱入り娘の可能性が高い。
だったら昆虫の話を、それもナナフシあたりの事を事細かに淡々と話してやろうか。いやー僕アレが大好きなですよねなんて言いながら。
(流石に料亭での見合いだと聞いたからゴキブリ関連は避けるだけの礼の心はある)
それか人体の構造をネチネチと話してやろうか。そう、例えばヨーロッパでは正しく解明されるまで脳は鼻水を作るだけの臓器だと思われていたとか。
そんな事ばかり考えていた当麻が、いつの間にか奥の部屋に案内され辿り着く。
歩きながら巡らせていた思考をそこで一旦止めた。
「じゃあ当麻君、この奥に衣装を用意してあるから、それに着替えてね?…伸ちゃーん」
たおやか美人の姉が弟を呼び出せば、こちらも女2人に比べればまだ軽度だが、申し訳ない気持ちを滲ませた表情の伸が現れる。
「伸ちゃん、当麻君のお着替えを手伝ってあげてね」
「手伝う?」
手伝うという言葉に当麻は首を捻った。
学生だからてっきり制服かと思っていた。それか、スーツかな、と。
制服なら自宅に取りに戻るつもりだったし、スーツならまぁ伸のを借りるかな程度に考えていた当麻は不思議な顔をする。
「ほら、和装だから、今日」
そう言って伸が曖昧に微笑む。
和装。着物か、と言われた当麻は納得した。
確かに着物の着方は知らない。手伝いはそう、必要だろう。
うんうんと頷いた当麻は、襖に手をかけサっと開ける。
「…………………」
沈黙。の、後に再びピシャンと閉まる襖。
繰り返す瞬き。
当麻はもう一度襖に手をかけ、もう一度サッと開けた。
「…………………」
再びの沈黙。そして同じようにピシャンと閉まる襖。
今度は瞬きの後で深呼吸も繰り返した。
首を捻った当麻は、三度襖に手をかけ、今度は勢いよくスパンと音を立てて襖を開け放った。
「…………………………え、意味がわかんないんだけど」
漸く搾り出した声は、平坦だった。
見間違いではない筈だ。
夢であって欲しかったが、どうやらこれは見間違いではないらしい。
ついでに言うとその場にいる伸と、伸の姉の態度からして、部屋間違いだとか手違いでもないようだ。
「あの、え、俺って今日、替え玉、だよな……?」
ギギギと音を立てそうな程ぎこちない動作で隣に立つ親友を見れば、嗚呼何という事でしょう、親友はにっこりと微笑んでいるではないですか。
「うん、替え玉だよ。…………姉さんの」
指差された先には綺麗な女性物の訪問着が1着。
小物も既に合わせて用意されているそれは、素人目にも値打ち物だとわかる代物。
よくよく見れば、ご丁寧にカツラまで用意してあるではないか。
「……………………え、」
垂れた目で親友を見ながら高速で瞬き。
「あ、ごっめーん、当麻にちゃんと話してなかったっけ。僕、ちょっとあの時かなり動揺してたからなー。いやー、本当、ゴメンゴメン。当麻にはね、今日、
姉 さ ん の 代 わ り に、お見合いをしてきてもらうんだよ」
にこやかに、晴れやかに。
姉さんの代わりという部分を強調して語った親友の笑みは、どう見ても確信犯だ。
冷静に考えればシスコンの親友だ、そりゃ姉の為に策を弄するくらい、当然の事だ。
「当麻ったらまだ成長期きてなくて華奢だし、声はまぁ低い女の人もいるしね、それに何より話題の切り替え上手いから、キミ」
さっきまでの神妙さはどうしたお前。
その言葉が喉まで出掛かっているが驚きのあまり当麻は、まるで魚のように口をパクパクさせるばかりだ。
「当麻君、本当に、ごめんね?」
言った姉も申し訳無さそうだが、あれ、よく見ると弟と似た表情ではなかろうか。
ああ、これは若しかして。
「え、俺…………ハメられ…た………?」
言ったところで既に見合い当日。
泣こうが喚こうが今更遅い。
男に二言はないのでしょう?と母子3人に無言のうちに詰め寄られれば、流されやすい性格の当麻は首を縦に振ってしまう。
若干呆然としたまま着付けられ車に乗せられ運ばれていく当麻の頭にはドナドナだけが鳴り響いていた。
人生初の、お見合い開始。
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伸のお姉さんとお母さんのお名前を存じ上げませんのよ。