ブランク182
征士が通いなれたコンビニの前に差し掛かると、ちょうど店内から出てくる当麻が見えた。
半年振りの再会だ。
帰ってきた暁には、おかえり、と言おうと彼が旅立った日から決めていたが、どうもそういうわけにはいかない。
「お前は…何故裸足なのだ」
自分の衣類(しかもパンツまで)を身に付けている事や、手に持っているレジ袋から透けて見えるのが全て菓子類だという事について
一言言ってやりたかったが、それよりも何よりもコンビニから出てきた彼が敷地内のアスファルトの上に何故か裸足で立っている事の方だ大事だ。
確かに玄関に靴はあったが、若しかしたら別の靴を履いていったかもしれないと僅かにでも期待していたのが馬鹿らしくなる。
「裸足じゃないって」
「裸足だろう、どうみても」
「違うってば、ホラ」
レジ袋を持っていない左手を突き出して当麻は何故か誇らしげだ。
その手元を見れば、それは半年前に当麻が征士の為にと買った下駄がぶら下げられている。
「…ソレを履いていたのか」
「うん」
「で、…鼻緒の部分で擦れたのか」
「そう」
「そうか、痛くて履けんのだな」
「流石、征士」
何一つ説明せずとも理解してくれる、何も変わっていない幼馴染に当麻は嬉しくなって素直に笑った。
だが征士は笑えない。
「当麻」
「うん?」
「アスファルトは、熱いだろう」
「うん、熱い。それから、痛い」
「当然だ、馬鹿者!陽が昇ってから一体何時間経っていると思っているのだ!」
「でもここ、コンビニだから靴売ってないし」
「絆創膏なら売っていただろう!」
「だって指先用っていうのは売ってたけど、指の間用ってのは売ってなかったんだ」
だからといって…!!!
征士は幼馴染の、生活力というか、生活をする上での知恵の足らなさに項垂れてしまった。
相変わらずだ。相変わらず、何も変わっていなかった。
視界に入った右足の親指の付け根は皮が剥けて血が滲んでいるし、左足はまだそこまでいっていないが皮膚が痛々しく赤い。
確かに指の間に絆創膏は貼り辛いし貼ってもすぐに剥がれてしまうだろう。
だがたかだかコンビニと家の間の事だ、傷の大きさからしても通常サイズを買って貼れば充分に見える。
なのにそういう知恵が回らないのだ、当麻は。
きっと売っていたという指先用という言葉に思考を捕らわれてしまったのだろう。
ふと目をやれば、店員が店の中からこちらを興味深げに見ている。
裸足で帰ろうという妙な青年の動向や、その連れが気になるのだろう。
他人事なら征士もああやって見ていたかもしれない。…不躾で無礼だとは解っていても。
「………全く、お前と言うヤツは……」
仕方がない、と絆創膏を買うために店に入ろうとする征士を、当麻の腕が引き止めた。
「…何だ」
訝しげに見やれば、にへらとした笑みが返される。
こういう時は大体とんでもない事を言うか、どうしようもない事を言うので征士は溜息しか返せない。
そういう彼に、つい従ってしまう自分の事も含めて。
「懐かしいなー」
背中で当麻が笑う。
「何が懐かしいのだ」
その声を受けて征士が聞いた。
その表情は若干、ぶすっとしている。
当麻は今、征士の背にいて、つまり征士は当麻を背負っている状態だ。
首に回された腕や背中から伝わってくる体温、それに自分の手が彼の尻にある事を必死に考えないようにしているのだが、
そんな事などお構いなしに当麻はぎゅうぎゅうと征士の背中に張り付いている。
やはりコイツは何も考えてないのではないだろうか。
電話で帰国を知らされた時は若しかしたら期待してもいいのかもしれないなどと浮かれていたが、実際再会してみるとどうだ、
半年前に告げた自分の気持ちの事など綺麗サッパリ忘れているのではないかと疑いたくなるほどに、彼は今、無邪気ではないか。
「懐かしくない?」
「だから何がと聞いている」
コンビニで絆創膏を買おうとした自分を遮った当麻は相変わらずの笑顔のままで、おんぶして、と言ってきた。
身長は少し、ほんの少しだけ当麻のほうが高いが、筋力でいえば征士の方が強い。
人を背負うくらい、どうという事ではない。
だがそれを、いい歳をした男に公衆の面前でやれというのだろうか。
いや、そういう事なのだろう。やれという事なのだろう。
コンビニから当麻のマンションまでは大した距離ではないのだから体力面では別段苦ではないが、まあ何と言うか周囲の視線が。
そこまでは考えたがやはり当麻の足は痛々しいし、アスファルトは辛いだろうし、そしてやっぱり当麻の要望には応えてやりたいし。
結局征士は当麻を背負い、歩き続けている。
「俺さ、征士におんぶしてもらうの、13年ぶり」
「…そうだったか?」
「そうだよ、13年だよ13年。人生の半分ぶりだ」
言って当麻はまた征士にしがみついてくる。
「あの時も俺、足を怪我しててさ。まぁ靴は落として失くしちまったんだけどさ。覚えてる?」
そう聞かれて征士は、ああ、と呟くように答えた。
忘れる筈がない。いや、正直言って忘れていたコトもあるのだが、思い出としてという意味でなら覚えている。
「皐月が買ってもらったばかりの帽子を井戸に落としてしまった時だな」
今はもう土地が開拓されて無くなってしまったが、当時は未だ征士や当麻の家の近所にも井戸が残っていた。
水道があるため生活で使用することはないが、近くの砂利道や公園で遊んだ子供達が手足を洗うのにたまに使う為に蓋はされていなかった。
その日の妹は買ってもらったばかりの帽子を得意げに被り、いつものように友達と遊んでいた。
その時だ、運悪く、強い風が吹いた。
彼女の帽子はあっさりと風に運ばれ、そして蓋をしていない井戸の中へ吸い込まれるように落ちていった。
幸いな事にまだ使われている井戸には釣瓶がある。上手くいけばそれで拾い上げる事だって可能だ。
そう期待して幼い妹は井戸を覗き、何度か試したがどうも上手く引っ掛からない。
素直に助けを求めれば良かったのだろうが、当時の妹は買ってもらったばかりの帽子を台無しにした事を両親に話す勇気がなく、
目にいっぱい涙を溜めて井戸の傍に立ち尽くしていた。
そこに偶々、学校帰りと征士と当麻が現れた。
通学路を使うより井戸の近くの道のほうが断然近道で、彼らは時折そちらを使って登下校していた。
兄の登場に我慢の糸が切れた妹は、彼に抱きついてわあわあと泣きながら事情を説明した。
それを聞いた征士は子供だけでは危険だと理解し、妹に両親に話すよう説得をしたが、彼女が首を縦に振ることはなかった。
それに焦れて、つい征士は大きな声で怒鳴りそうになった時だった。
当麻が井戸を覗き込みながら、
「俺、入れそうだなぁ…」
と呟いたのだ。
確かに井戸は大きい。
それに当麻はまだ成長期に入っておらず、まるで少女のように華奢でしかも運動神経だってそこそこに良い。
釣瓶に繋いであるロープを頼りに戻って来れなくはないだろう。
だがそれでも危険な事に変わりはない。
「当麻、何を考えているんだ」
「取れそうだなって考えてる」
「やめないか!危ないぞ!」
「でもさ、皐月ちゃん、泣いてるし。このままじゃ何にも解決しないし」
なあ?と言って泣きじゃくる妹の頭を撫でる姿に、征士の胸がちくりと痛んだ。
1人っ子の当麻は3人兄弟の征士の事をよく羨ましがっていた。
特に人懐っこい妹の皐月の事は本当の妹のように可愛がっていた。
それは解っているが、言いようのない痛みがその時の征士にはあった。
そんな彼の事など気にもしていない当麻は決めたら即行動だ、ロープを手繰り寄せ始める。
「…当麻!」
「大丈夫大丈夫」
「大丈夫なものか、危険だからやめろ!」
「へーき。それに俺自身も井戸の中に興味あるし。こういう時くらいしかチャンスないから」
一切の危機感もなく幼馴染はそう言って、尚も止めにかかる征士にロープの端を渡した。
「命綱。持ってるのが征士なら俺、絶対大丈夫だって思うし」
そう言って当麻は笑うとロープの反対から釣瓶を器用に外して自分の腰に巻きつけていく。
正直、征士に自信はなかったが、それでも自分を信じきってくれている当麻につい首を縦に振ってしまった。
そろそろと当麻が井戸の中へ降りていく。
本当は征士だって心配で堪らないから中を覗いていたかったが、井戸の淵に足をかけ踏ん張る為に体重を後ろに傾けているためにそれは出来ない。
皐月も今は帽子よりも当麻の事が気になるらしく、征士の持つロープの端を少しでも力になろうと懸命に握っていた。
「よーしよしよし、…もうちょっとで取れそう…」
井戸の壁で反響した当麻の声が中から聞こえてくると、少しだけ安心できた。
だがそれも、直後に聞こえた悲鳴と派手な水音でまた緊張感に襲われる。
「…当麻!!?当麻、どうした!!」
「いってぇ…………ごめん、大丈夫。何か下に木の枝があったみたいでソレで足ひっかけただけー」
あっけらかんとした答えを寄越した当麻は、引き上げてー、と続けざまに言った。
妹と協力して必死にロープを手繰り寄せれば、井戸から現れた当麻は膝から下がずぶ濡れで、右の足に靴を履いておらずしかも甲から血を流していた。
「当麻!靴は!?それにその傷…!」
「さっきの木の枝でさ、靴が脱げたんだよ。傷は大丈夫。範囲広いけど案外浅い。はい、皐月ちゃん、帽子」
にっこりと笑う姿に、痛む胸。
「覚えているに決まっている。あの後姉さんから随分と怒られたからな」
靴を失くした上に怪我をした当麻を征士が背負って帰れば、その道中で高校生の姉に出会い、彼女の厳しい追及に遭い、
最終的に3人纏めて、それが往来であるにもかかわらず大目玉を食らった。
彼女の怒りは尤もだったが、そのあまりの剣幕を忘れられるはずなどない。
「弥生さん、超怖かったもんなー…」
「結婚して少しは丸くなったが、やはり今でも怖いぞ」
幼い日の事を思い出し、2人して笑ってしまう。
忘れるわけがない。
だけど忘れていた。
あの時の悲鳴に、彼を失うかもしれないという恐怖を感じた事を。
もう失くしちゃ駄目だよ。そう言って妹の手に帽子を返して笑う、彼の笑顔を向けられる妹に対して嫉妬を感じたことを。
初めて気付いた、他と違う、彼へ向かうその感情の意味を。
姉の怒りの激しさは強烈に記憶に残っていたが、あれが幼馴染に恋心を抱いていると気付いた瞬間だというのを、征士は忘れていた。
懐かしい。そう、懐かしい。
あの時の帰り道、今と同じように当麻を背負い、その温もりに密かに胸をときめかせていた。
「……なあ、征士」
一頻り笑った後で、当麻の声のトーンが落ちた。
「何だ」
「お前さ、………俺のこと、好きなん?」
思わず征士の足が止まってしまう。
何を言い出すのだろうか、急に。
振り返ってその表情を確かめてやりたかったが、背にピッタリと張り付いた彼は、視界の端に青い髪しか見せてくれない。
「……前に言ったと思うが…」
「今も好きなのか?その…そういう、意味で」
どう、答えるべきなのだろう。
そういう意味で、好きだ。
言えば軽蔑され避けられるかも知れないが、本当はキスだってしたいし、それ以上の事だってしたい。
だが今、どう答えるべきなのだろうか。
「……………………」
「どうなんだよ」
答えない征士に焦れた当麻が、彼の脇腹を膝で軽く蹴ってくる。
随分と横暴な質問者だ。
「……そういう意味で好きだ」
「ふうん」
意を決して答えれば、何とも味気ない返事が返される。
一体何がしたいのだろうか。
気にはなるが、相手は一筋縄では行かない天才だ。考えるだけ無駄なのだろうと征士は再び歩き始めた。
「あのさあ、征士」
当麻が黙ったのは結局少しの間だけで、また話しかけてくる。
「何だ」
さっきよりも返事がぶっきらぼうになるのは仕方がない。
釈然としない征士をよそに、当麻は言葉を続けた。
「俺、帰ってきたんだよ」
「…ああ。そうだな。知っている」
「…………お前に会いたくて、帰ってきたんだ」
「………………………はあ?」
また征士の足が止まる。
からかっているのか。
そう言おうとした征士の耳元で、小さく、本当に小さく、だけれど真剣な当麻の声が吹き込まれた。
「俺、お前の事が好きで、会いたくなったから帰ってきた」
首に回された彼の腕が更にぎゅっと締まり、耳元に寄せられていた唇でそのままキスをくれる。
当麻を支えていた腕に征士も思わず力が入って、喉をゴクリと鳴らしてしまった。
今、この幼馴染は何と言った。何をした。
これは、つまり。期待してもイイという事だろうか。
いや、期待ではなくて寧ろ、そう、喜んでいい、のだろうか。
「と、と………とうま、…その」
「帰ってきたぞ」
「ああ、解っている、だから、いや、だが、その」
「帰ってきたんだって」
「解っている…!だから、」
「帰ってきたんだから、おかえりって言えよなー。礼儀がなってないって弥生さんに怒られても知らねーぞ、俺」
また脇腹に膝蹴りが1発。
「…おかえり、当麻」
「うん。ただいま、征士」
背中で笑う幼馴染。
13年前のドキドキとはまた少し違うドキドキを感じている征士の背で、待たせまくったから帰ったらサービスしてやる、なんて言うその人は、
きっと知り合ってからずっと恋をして、気付いてからは人生の半分の時間を片思いで過ごしてきた、相手。
折角の晴れた休日だが今日は1日部屋で過ごそう。
そう決めた、土曜日の午前10時前。
思いを告げてから182日の後に返事をもらえた、愛すべき日。
**END**
穿いてしまったパンツに関しては「洗って返す」「いやもうやる」という意見も出ましたが、
協議の結果、「新しいのを買って返す」で落ち着きました。