ブランク182



近所の24時間スーパーである程度の食材を買った征士は、その足で昨夜帰国したばかりの幼馴染の家へと車を向かわせていた。


彼の幼馴染は子供の頃から他より遥かに抜きん出て天才だったが、その代償なのだろうか、生活能力が著しく低かった。
何かに没頭すれば食事を忘れるし、トイレは極限状態になってから慌てて駆け込む事はザラだし、大好きな筈なのに睡眠だって忘れてしまう。
そのせいで突然倒れる事もままあった。
子供の頃なんて台風の日に父親の大きな傘を手に、それが折れるまでに自分が何メートル飛べるか試すべく雨の中、家を飛び出した過去さえある。
(勿論、それに気付いた彼の母親が後を追い、その騒ぎに気付いた伊達家の人間も一緒に彼を止めに走った為、結果は未遂だ)
ひとたび好奇心が擽られると常識や良識などぶっ飛んでしまう男なのだ、その幼馴染は。

それに不思議な色味の髪はとても綺麗で本人も綺麗なのだが、警戒心がないのも心配の種だ。
なのに何故か人見知りが激しい面もある。チグハグなのだ、彼は。とても。
そんな彼が征士は放っておけない。


昨夜は遅いと聞いていたので空港まで迎えに行こうかと申し出たが、それは彼に丁重にお断りされてた。
そこまで世話になれないと言って。
半年前の自分の言葉で、何か思うところがあって避けられてしまったのだろうか。
いや案外、向こうでムチャクチャな生活を送っていてまた痩せているのかもしれない。
それを見れば説教をされることが解っているから断ってきた可能性もある。
流石に避けられてはいないと思っていいだろう。
その証拠に、主不在の部屋の出入りを許してもらっている。


彼からの帰国の報せを受けたはいいが、冷蔵庫には食べ物など一切入れていない。
幾ら出入りしているとは言え、征士が幼馴染の部屋へ行くのは大体週に1度だ。
万が一を思うと腐らせるわけにも行かないから持ち込む食料は食べきれる分だけ。
だが細い見た目に反して大食漢の彼が腹を空かせて帰ってはきやしないか。
それと同時に、生活という物に対してどこか抜けている彼が帰宅前にどこかで何かを食べる、或いは買って帰るという智恵を回すだろうか。
………無理だろう。
そう判断した征士は、取敢えず仕事帰りに閉店間際のスーパーで少しばかりの買い物をしてから彼の部屋へ行き、簡単な食事だけ作っておいた。
他の、もっとちゃんとした物は今日買おうと明日の予定を立てて。





半年前、改まった、突然の呼び出し。
訪れた彼の部屋で、征士は彼が何か言うより先に、長く己の内に留めていた気持ちを幼馴染に伝えた。

ずっと好きだった、と。

自覚したのは中学の頃だが、懐かしんで幼い日々を思い出せばそれこそ初めから彼の事が好きだったのだと気付かされる。
幼稚園でのお昼寝の時間は彼の隣を誰にも譲らなかった。小学校の学級会でやった椅子取りゲームだって常に彼の隣の椅子目掛けて走っていた。
互いの家が隣で親同士も仲が良かったからしょっちゅう行き来してお泊りなんかもしていたが、いつも同じベッドで寝ていた。
思いを自覚する、中学までは。
何がキッカケだったかは征士ももう覚えていないが、幼馴染の存在が自分にとって特別だと気付いてしまうと同衾などできるはずもなかった。
人の感情になど疎い幼馴染は突然別の布団で眠ると言い出した征士を不思議そうに見ていたが、その時はもう中学生だという理由だけで納得させた。

その彼に、思いを伝えた。
特に何かあったわけではないが、その突然の呼び出しが征士を不安にさせたのだ。
彼が自分から離れていってしまう。そう、感じて。

案の定、彼は答えに窮していた。そりゃそうだ。幼馴染は男だ。征士も男だ。
何も返事が欲しかったわけではない。ただ知って欲しかっただけだ。それでも必死に何事かを考えていてくれている彼が愛しい。
その彼をこれ以上困らせるのは不本意だったので彼に突然の呼び出しの理由を尋ねてみれば、なるほど、自分の勘は正しかったかと思い知る。

イギリスへ行く。
そう言って彼の部屋の鍵を渡された。
あの告白の後でも部屋の出入りを許すのはどういう事だろうか。期待していいのだろうか。
いや、幼馴染の思考は常人には計り知れないから、あれこれと考えるのは無駄だろう。
そう結論付けた征士は早々に自分の思考を切り離した。



彼のいない彼の部屋に入るのは妙な感覚だった。
いつも通りなのだが散らかった部屋は、主の不在を如実に伝えてきて胸の奥のほうが急に冷えたように感じて、征士は兎に角掃除から始めた。
一通り終えると今度はシーツやタオルを洗いにかかる。
彼の話では半年は不在にするといったが、だからと言って洗い物をそのままにしておくワケにはいかない。
人のモノを勝手にする事に何も思わないでもない。しかし好きにしていいと言われたのだ。
押しかけ女房という単語も一瞬頭に浮いたが、自分がなりたいのは女房ではないと物騒な笑みでその考えはすぐに打ち消した。






あれから半年。
幼馴染からの突然の電話。彼はいつだって唐突だ。
その電話口で彼は興奮気味に帰国の日時を、彼にしては珍しく詳細に教えてくれた。
半年前の事について征士は自分から言及するつもりはないが、だからと言ってそれをなかった事にされるのは傷付く。
だが電話の声に僅かに滲む、喜色というか熱というか、そういったものを感じ取ってつい浮かれてしまう。
期待をしていいのかもしれない、と。だって自分の勘は結構当たるのだ。


幼馴染はバイク乗りだが、車で来る自分の為にマンション内の駐車場を借りてくれていた。
そこに慣れた手つきで車を停め、エレベーターに乗って9階を目指し、預かっている鍵をいつものドアに差し込む。


「…………………………?」


鍵が、かかっていない。まさか昨夜帰る時に鍵をかけ忘れたのだろうか。
いや昨夜は鍵をかけて帰ったし、それにその後に彼が帰宅している筈だ。
ひょっとして鍵もかけずに寝てしまったのだろうか。ありえるから怖い。
まさかイギリスでもそんな生活をしていたのではないだろうかと不安に襲われたが、兎に角確認が先だと玄関のドアを開けて中を覗く。
彼の靴が玄関に並んでいた。
では彼は中にいるのだろうか。


「………いるのか?」


伺うように声をかけたが返事はない。
寝ているのかも知れないと思い寝室を覗いたが、入り口にスーツケースが転がっているだけでベッドは既に空だった。
リビングだろうかとそちらを覗いた征士は絶句した。

あちこちに服が落ちている。
シャツからズボンから、挙句パンツまで。
一体何があったのだろうか。
昨夜、自分が訪れた時はまだ綺麗なままだった。
鍵をかけていないが為に金品目当ての強盗にでも押し入られたか。
いや、それなら部屋はもっと荒れているだろうし、裸の幼馴染を持って逃げるのも妙だ。争った形跡もない。
それにどう見ても服を歩きながら脱いでいる。


「…、風呂に入ったのかもしれん」


しかし水音は聞こえてこない。
では外出を?鍵もかけず?…それも有り得そうだ。
いや、靴は玄関にあった。
いやいや、それよりも粗方の荷物は空輸で送り、必要最低限の荷物だけ手で持って帰ると電話の彼は確かに言っていたはずだ。
だから迎えは要らないと言っていたではないか。
だが記憶を辿ってみても寝室にあったスーツケースは開けられた形跡がなかった。
そして着ていたと思しき衣類は全て此処だ。

気になってもう一度寝室を検めると何故か運び込んでおいた自分の服がない。
…パンツも。


「………………?私の物を着て…出かけた?」


じゃあ服はいいとしても、靴は玄関に残されたままだ。


「…まさか裸足で出たのか…?」


流石に今までそういったことはなかったが、だからと言ってこれから先も絶対にないとは言い切れないのが幼馴染の怖いところだ。
そして何処へ行ったのだろうか。
これでは埒が明かないと本人に尋ねようと携帯を鳴らせば、それは床に散らばっている服の中から反応があり、すぐに諦めた。

何となく冷蔵庫を開けてみると、昨夜自分が作っておいた食事がそのまま残っている。


「………コンビニか…スーパーか……………」


呟いてから時計を見て行き先を近所の通いなれたコンビニに絞った征士は、玄関へ向かい、今度はしっかり鍵をかけて外へ出て行った。




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迎えに、探しに。