羽柴歯科へようこそ
「先生、またお菓子食べてる」
「…へ?」
言われて自分の手が籠に置かれた焼き菓子に延びている事に気付き、当麻は慌てて手を引っ込めた。
「…またって事はさ、俺、若しかして今日、結構食べてる?」
「食べてますよ。休憩どころか、診察の合間にしょっちゅう食べてましたし、お茶もすごく飲んでますよー」
ケラケラと笑いながら指摘してくるのは、ここで働いている助手の中で一番長い子だった。
思わず腹をさすってしまった当麻に、彼女はまた笑い声を挙げる。
「どうせ、どおりで今日は腹が減らないワケだ、とか考えてたんでしょう」
「…………アタリ」
そして、どおりで今日はトイレが近いわけだ、とも思った。
どうやら知らないうちに手が伸びていたらしい。
「落ち着きないですよー、どうかしたんですか?」
どうしたもこうしたも、別にどうもしない。
ただ、口寂しいのかも知れない。
「……いや、…腹減ってたのかな?」
「そんなに食べてると晩御飯入らなくなりますよ」
「入るよ、俺の胃のデカさを知らないな?」
「知ってます。当麻先生は細いのに大食いだって、新しい子が入るたびにビックリしてますからね」
「細いのにっていうのは放っといてもらえないかな…」
「そんなに気にしてるんですか?……はい、コレが今日の分で、こっちに明日の朝の患者さんの分、まとめてますから」
「ありがとー」
受付のカウンター下のボックスを指差され、当麻も身を乗り出してそれを確認する。
実年齢より若く見られる医師が見たのを確認して、彼女も帰り支度を始めた。
「そう言えば今日は未だ来ませんね」
「来ない?」
「ほら、あの…伊達さんでしたっけ。凄い男前の人」
ここに勤めて一番長い彼女は仕事の手順をよく理解してくれているので、医院としてとても重宝していた。
7時からの患者数は一気に減るのがこの医院の傾向で、その為に大概のスタッフは7時で上がる。
それから後の時間は彼女だけが残り、粗方の処理を終えてからの帰宅となるため、帰り際に征士を見かける事もたまにあった。
「もうこんな時間なのに」
言われて時計を見れば、予約時間まであと5分。
いつもならこの時間には既に来ているか、それか遅くなる時は必ず7時半には電話を入れてくるはずの彼からの連絡がないままに、
姿さえ見せていない。
駐車場に車のライトも見えない事から、まだ此処にさえ辿り着いていないのだろう。
「本当だ…って、ゴメン、こんな時間まで働かせた」
「いーえ、しょうがないですって。今日患者さん多かったのに明日も多いですからね」
「わー……彼氏、待たせてるよな?」
「大丈夫ですよ、先生みたいに大食いじゃないからお腹減ったくらいで泣かないですし」
誰が泣くか、と反論しようとした時に電話が鳴った。
それに当麻が出るより早く、帰り支度をしていた彼女が出る。
「はい、羽柴歯科です」
受付をしてくれている彼女に、ジェスチャーで謝ると彼女も片手を挙げて応えてくれた。
「あー、はい……え、……少々お待ちください。先生」
「ん?」
「伊達さんなんですけど」
そう言われて一瞬胸が痛んだ。
もしかしてキャンセルなのだろうか。そう頭に過ぎる。
絶対に来るって言ったのに。
そう思いながら、彼女の言葉を待つ。
「あの、遅くなるという事です。……どうしましょう、もう診察時間、終わりですしまた次を予約してもらいますか?」
「遅くなるってどれくらい?」
キャンセルではない事に安堵して聞くと、彼女がまた電話に戻った。
もう一度保留をすると浮かない顔を向けてくる。
「正直、解らないと…」
「待つって言っといて」
医師の言葉に思わず彼女は受話器を持ったまま目を見開いた。
「え、先生。だって時間解らないって…」
「でもホラ、俺の家すぐソコだし平気。待つって、言っといて」
どこか有無を言わさない彼の態度に折れ、彼女は再び電話に戻る。
医師の答えを伝え電話を切ると、今度は溜息を吐いた。
「先生ー、ホントに断り下手」
「いーの」
「良くないですって。院長も心配してますよ、ホント」
「だって伊達さんは今日で最後なんだ」
「だからって」
「いーのいーの。どうせ俺、暇だしさ。次からちゃんと断るから」
「………」
「だーいじょうぶ、ホントだって。ホラ、お疲れ様。気を付けて帰ってくれよ?」
「………わかりました。じゃあ、また明日」
「はいはい、また明日ー」
完全に一人になった部屋に残された当麻は、また籠にある焼き菓子に手を伸ばした。
今日で征士の治療は最後だ。
これが終われば3ヶ月は来ないだろう。
それを寂しいと思う自分が居る事に当麻は何の疑問もなかった。
征士が来るのが、待ち遠しい。
いつからかは自分でも知らない。
もしかしたら最初からだったかも知れないし、そうじゃないのかも知れない。
考えるようになった切っ掛けと言えるのは2人でディズニーシーに行ったあたりからだ。
その頃にはハッキリと、自分は征士の事が好きなのだと自覚していた。
今まで誰のこともちゃんと好きになった事がない自分が、初めて好きになったのが同性という事に困惑した。悩みもした。
けれど幾ら考えても結果は何も変わらなかった。
同性、だ。
彼の優しさを勘違いしそうになる自分を何度も窘めた。
バレンタインにだって一緒に居てくれたし、深い意味などないだろうけれど、抱き締めてくれた。
それでも、同性だ。
彼からすれば自分はきっと、ただの面白い変わり者なのだろう。
勘違いしてはならない。
ただ、会い続ければきっと抑えられなくなる。
だから、区切りとしては良かった。そう思っている。
これ以上彼に深入りする前に、さっさと現実を受け入れて諦めるべきだ。
今日で最後だと先週話した。
それが、区切りだ。
今日という日で区切ると決めた以上、今日必ず会わなければ決意が揺らぎそうで怖かった。
たとえ征士の到着が日付を跨ごうとも待つつもりで居る。
でなければ妙な未練を引き摺ってしまいそうで怖かった。
焼き菓子の包装を破り、口に放り込んでお茶を飲もうと給茶機へ近付いた。
「………俺、年上の方が好きなのになぁ…」
今まで付き合ってきたのは年上も年下も、どちらも居たが、長続きしたのは全て年上の女性だ。
長続きと言っても当麻の性質上、大体が半年、もって1年という短さではあるが、それでも年下よりは随分と長い。
年下の彼女の場合は最短で3日と言う記録がある。
ビンタした彼女がその記録保持者で、それよりも短い日数はないが長くても3ヶ月程度だ。
緩い性格と偏った趣味、そしてだらしのなさから、どうも年下ウケは良くないのだろうと自己分析しているし、
実際年上と付き合っている方が気が楽だった。
なのに。
「征士って4つも下なのに」
それ以前に、男だ。
そう言って自嘲気味に笑うと紙コップ片手に待合室のソファに腰を下ろした。
待つと言った以上、院内の電気を消すわけに行かないし、2階で待つのも手持ち無沙汰だ。
待合室になら少しは雑誌も置いているし長いソファもある。
何よりスタッフルームが近い。お菓子のほかに軽食もあった筈だ、腹が減っても大丈夫だろう。
征士の到着は何時になるか判らないが、待つと言った以上、ここで待つ。
長期戦かなぁと呟くと、当麻はスタッフルームにあるお菓子籠を持ち込もうかと思案し始めた。
*****
待ち続けます。