羽柴歯科へようこそ
「で、次の予約なんだけどさ、」
「何だ?」
「えーっと…征士さ、来週は月曜にする気、ない?」
「何だ急に」
「いや、駄目かナァ」
「月曜日は休み明けで仕事が多くて、いつも帰りは大体10時ごろになるから流石に無理だな」
「…そっかぁ」
「しかし何だ、月曜日とは急に…………バレンタイン?」
「イエス」
「何故バレンタインに予約をしろと…」
「いやぁ………ウチの両親、いるじゃん?」
「大層仲のいいご両親の事か?」
「そう。その人らがまた、ね」
「何だ、クリスマスイブの再来か」
「あっははははは、…はぁ…………悪化しまして」
「悪化?」
「…はぁ、……そう。今年は結婚30周年だから、新婚よろしく過ごしたいんですってよ」
「そうか……いや、待て」
「なに」
「当麻は今年30歳ではなかったか」
「そうだよ」
「それで”正月男”と…」
「…そうだけど」
「今年が真珠婚式?」
「また滅多と言わない言い回しを…ご老人か」
「放っておけ。それよりちょっと待て、計算が合わんのでは…」
「………。あのさ、俺、正月男だけど、もう1つ両親の事で弄られる事があって」
「…ほお」
「俺の両親、できちゃった結婚なんだよね」
「ああ、それでか。しかしそれだけで弄られるものか?」
「今から31年前、当時29歳だった親父は歯科医だったのよ、既に」
「ふむ」
「で、当時18歳だったお袋が衛生士のバイトの面接に来たワケ」
「ああ、それが出会いだったのか」
「ただの出会いなら良かったんだけど………まぁ、お互いに何だ、一目惚れってヤツらしくって…」
「…で?」
「……会ったその日にそういう関係になったらしいですよ」
「………………………」
「しかも、そん時に出来たのが俺だ」
「……………それは…」
「キョーレツだろ!?本人らはアレは運命だったとか言って今も喜んでるけどさ!!俺はそのせいで、
ずーっと親戚中からからかわれるわ、中学にあがりゃ保健体育の授業中に正月男だって言われるわ、
その上授業参観に来たお袋が他の母親より明らかに若かったせいで出来婚がバレるわで……!」
「落ち着け、落ち着け当麻…!」
「一時期ついたあだ名が、キューピッド君だぞ!?しかも俺、弓道部だったから洒落なんねーし!」
「わかった、だから落ち着け…っ!」
「ううう……そんで30周年だっつって、バレンタインに新婚ゴッコするから息子に出かけてろとかよぉ…」
「なるほどな……いや、しかし確かにご両親は結婚して恐らく最初のバレンタインには既に子を成していたのだから、
新婚らしい感覚を味わっていないのかも知れんし、そう考えてみると少しくらいは」
「ヤらかしたのはあの人らだし、俺自身が生まれる時期を選んだワケじゃねーよ!」
「す、すまん」
「………………まぁ征士に当たってもしょうがねーけどさぁ…」
「だがどちらにせよ此処は8時まで診察なのだろう?」
「でもバレンタインに外で1人で飯食うのはイヤだ」
「確かにな」
「はあ…征士が駄目ってなったら俺、どこで時間潰そうか…」
「当麻」
「ネットカフェ行くのも何だかなぁ」
「当麻、」
「健康ランドでも行こうかナァ」
「当麻、おい、聞いているのか」
「…あ、ゴメン、なに?」
「私の帰りは10時ごろになるが、私の部屋に来ておくか?」
「来ておくって…?ってナニコレ」
「鍵だ。見て解らんのか」
「解るよ、それくらい。じゃなくて、コレ、どこの?」
「私の部屋の鍵だ」
「征士の…1人暮らししてる部屋?」
「そうだ」
「の、鍵?」
「まぁ正しくは合鍵だな」
「………何で持ち歩いてんの」
「万が一キーケースを落としても財布に合鍵を入れておけば、少なくとも自宅には帰れるから持ち歩いているだけだ」
「いいのかよ、それ渡しちゃって」
「念のため持ち歩いているだけで今まで落とした事はないからな」
「…悪いよ。いいって、気ぃ遣わなくって」
「気にするな。私の帰りは遅いが先に上がって好きにしてていいから」
「……征士っていっつもそんなん?」
「いつも、とは?」
「誰に対してもってこと」
「そんなワケあるか」
「そうかなぁ…まあどっちにしても、こういうの、簡単にやっちゃうと誤解される元だぜ?」
「誤解とは?」
「女の子にやっちゃうと、勘違いをさせる」
「………私はそんな簡単に人を部屋に上げる人間ではない」
「今俺を部屋に上げようとしてるくせに」
「それは当麻だからだ」
「……よく解らん」
「兎に角気にするな。何ならご両親の為に、泊まって行けばいい」
「え、いいの?」
「…………」
「あ、ここは”悪いよ…”って言うべきだった?」
「いや、そうではなくて。……案外アッサリと喜んだなと思っただけだ」
「だってお泊まりって楽しいだろ」
「そうか?」
「友達んトコ泊まるなんてもう何年もしてないからなー、何か楽しみになってきた」
「私は泊まると言うとどうしても合宿のイメージがあるから、そういう感想にはならなかったな」
「じゃあ、いいじゃん。楽しめば。って俺が言うのも変か」
「いや、楽しんでくれていい」
「何持ってけばいい?」
「そうだなぁ…歯ブラシと替えの下着くらいではないか?」
「そんくらい?」
「あまり荷物を持ってくるのは面倒だろう?」
「まあ、ね」
「パジャマは私のを貸すからそれを着ればいい。………当麻には少し大きいかもしれんが」
「うお、何か地味にムカついた。どうせ俺ぁ征士みたく逞しいタイプじゃネーよ」
「あと当然だがベッドは1つしかないから、」
「そんなん、俺、ソファとかでいいよ」
「寒がりの人間をそんな場所で寝かせられるか」
「だからって家主を追いやるワケにいかねーだろ」
「いや、だから私と同じベッドで構わんか、と聞きたかったのだ」
「一緒に寝るってこと?」
「私のベッドはシングルではないから大丈夫だろう」
「シングルじゃないって、何かヤラしいなー」
「……1人暮らしをする時に妹が勝手にサイズを決めたのだ、仕方ないだろう」
「まぁ、じゃ適当な広さはあるって事か」
「ああ」
「じゃあいいよ。でも本当に勝手に上がってていいのか?」
「構わん。テレビを観るなり風呂に入るなり好きにしていてくれ」
「じゃ、俺、飯作っとくよ。近所にスーパーある?」
「いいのか?」
「て言っても前にも言ったけど俺、カレーくらいしか作れないけど」
「いや、助かる。1人暮らしをしていると、誰かの手料理など食べる事がないから楽しみだ」
「あんまり期待すんなよ?」
「構わん。それより当麻、当日はバイクで来るつもりか?」
「そのつもりだけど、駄目かな。駐輪場、ない?」
「いや、あるにはあるが…翌日も仕事だろう?」
「お互いね」
「通勤ついでに私がここまで車で送るから、14日は少し手間かも知れんがバスで来てくれ。
ここから少し歩いたバス停から私の家の近くまで直通のがある」
「あぁ、あるな」
「……?私の家の場所を知っているのか?」
「ちゃんと見ないとか何とか散々言われたからカルテとか保険証、マジマジ見ただけ」
「今更だろう…」
「いーじゃん。そういう事だから大体の場所は解る」
「では地図は不要か?」
「念のため、描いて」
「解った。紙とペンを貸してくれ」
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両親の事は、当麻にとってちょっとした地雷。