azul -8-



売店で購入したお菓子の入った袋を手に、当麻はふらふらと適当に院内を歩く。

待合室で食べるほど常識知らずではないし、かと言っていつも検死結果などを聞く部屋で食べるわけにもいかない。
勝手に居なくなった事をきっと咎められるだろうし、お菓子を買ったことがバレれば説教付きで取り上げられる可能性が大きい。
どうせ居なくなった件は後で怒られるとしても、お菓子の方は見つからなければ大丈夫だろうと当麻は踏んでいる。



今日は当麻の同行なんて本当は全く必要が無かった。
なのに連れて来られたのは、完全に征士一人の判断だ。
これからも暫く一緒にいるという事を、伸に伝えたかったのだろう。
それも言葉だけではなく、実際に見せ付ける事で。

当麻は溜息を吐いた。

伸が征士を自分から遠ざけようとするから、妙に火をつけてしまったようだ。
確かに今や立派な民間人である当麻を気遣っての事で、深入りさせないようにしてくれているのは解るが、
それは傍から見ている当麻からすれば、彼の性格を見誤ったとしか見えない。
クソが付くほど真面目な性格の征士は最初からそんな事は当然気遣ってくれていたはずだ。
それが自分の仕事の領域にまで踏み込んだ伸の配慮に、意地になってしまったのだろう。

しかしそもそも、そこまで心配が必要されるほど自分は弱くもないし脆くも無い。
元々どこに所属していたかを、どうもあの2人の頭からはキレイに抜け落ちているのではなかろうか。
確かに自分でも気にしている通り、筋骨隆々と言うわけではないけれど…とまた溜息が出る。

溜息なんて吐いても何も変わらないという事は子供の頃にイヤと言うほど身を持って覚えたし、
それ以来無駄な事だと吐くことさえなかったハズなのに。


伸のがうつったな…と今度は苦笑まで漏れた。






適当に歩いていると中庭に出た。
綺麗に手入れされているが、何故か人の気配が少ないのは半端な時間のせいだろうか。
そう思って足を踏み入れると植え込みの陰で見えなかったベンチに、制服姿の少年が居るのが視界に飛び込んできた。

あ、やっべ…

見たところ雰囲気は幼いが肩の骨がしっかりとしてき始めている所から、恐らく14〜16歳くらい、制服の生地がまだ新しい事から
高校1年かと当麻が見立てたその少年は、どうやら泣いていたらしい。
この年頃の少年ならば大抵が泣いているところなど人に見られることを恥ずかしがる。
それを見てしまった事も当麻はヤバイと思ったが、それ以上に、実は人が泣いているのを見るのが非常に苦手なのだ。

子供の頃に家族を泣かせた原因が自分だった事が多かったせいだろうか。
人が泣いていると決して自分のせいではないと頭では解っているのに、心が苦しくてたまらなくなる。

ならば立ち去って見なかった事にすればいいのだろうけど、目にしたモノの大半を一度で記憶してしまう脳のせいでなかなか忘れることも出来ず、
沈んだ気持ちを暫く引き摺ってしまうのだから、それならばいっその事、と結局声をかけてしまう。


「…食う?」


突然現れた男に流石に驚いたのだろう。
少年の黒目がちな大きい目が完全に点になっている。
立場が逆でも同じ顔したよなぁと思い、慌てて言葉を付け足した。


「いや、毒とか入ってないし、1人で食うには買いすぎたなってチョット反省してたトコだから…」


後半は完全に嘘だけど。
心の中で舌を出したが嘘も方便。構わないだろう。

兎に角そう言ってからチョコレート菓子の箱を開け、自分がまず口にする。
そして箱ごと彼に向けた。
すると漸く少年も我に返ったらしい、今度は当麻をしげしげと見つめ返してくる。


「…ソノ髪………本物?」


言われて当麻は噴きだしてしまった。
この状況下で、最初に問うことが己の髪の色だった人間は初めてだったから。








「そっか、妹さん、入院してんのか」


知らない人に話すと楽になることもあると告げてやると、少年はその事を話した。
当麻の問いに少年はもう泣いてはいなかったが、まだ涙声で頷く。


「優しい兄ちゃんだな」

「元々身体…頑丈じゃなくって…体育の授業だっていつも見学してて…だから」

「ふうん」


それだけで泣くもんなのかな?
兄にとって妹というのは例えば弟よりも何か思うものがあるのだろうか。
下に弟も妹もいない当麻には解らないが、案外兄弟の多い秀ならば解る感情なのかもしれない。
けれど、それにしてもこの”兄”は少々涙脆すぎやしないだろうか。
それとも兄というものは須らくこういうものなのだろうか。
当麻は思わず首を捻りそうになるが、話を聞くだけと決めているのだから口は挟まない事にした。


「で、その妹さんが心配で?」

「それだけじゃなくって…」


見るとまた目が潤んできている。
少しの間を置いて、誰も信じてくれないけれど…と少年が重く口を開いた。


「最近、妙な事が周りで起こってて…電車を待ってるときに突き飛ばされるとかそういうのんじゃないけど…
例えば階段で態とぶつかられたり、歩道橋でぶつかられたり…交差点で急に人が目の前に飛び出してきたり…
妹はそういう事で動悸が激しくなるのもあまりよくないのに、最近そんな事が重なってて…けど警察は信じてくれないし…
でも今回の入院だって、妹のカバンがバイクに引っ掛かってほんのちょっとの距離だけど走らされたのが原因なんだ!
こんなのいっぱい起こるなんてオカシイのに…でも……誰も信じてくれなくて…!!」


最後の方は怒りのためか不安のためか、興奮を含んで一気に吐き出すように言葉を繋げていた。

その状況は流石に偶然にしても出来すぎだよなぁ…と当麻はぼんやり考えてしまう。
例えば彼女の病気を知っている人間ならそうやって偶然を装って彼女を追い込むことをしないとも言い切れない。
しかし余りにも些細な事であるために、周囲も完全に疑うことなんて出来ない。
ただ、不運が重なったね、と言うだけなのだろう。
けれどこの兄はそうは思えないらしい。

ついでに言うと、聞いた当麻だってどうも捨て置けない状況だなとは思う。

思うけれど、それは自分が関わってもいい事なのか考えあぐねる。
今の自分は単に個人ではあるけれど、半分警察に関わっている身だ。
その自分が下手に関わっては場合によっては状況を悪化させかねない。
アドバイスくらいならしてもいいのだろうか。
それとも既に彼もどこかで監視されているとすればソレさえ避けるべきなのか。




考え込んでしまっただけだが当麻からの相槌がなかった事に、少年が少し申し訳なさそうな顔を見せる。


「………その…スイマセン、こんな事を言われても困りますよね…えと…」

「?」

「あの、スイマセン、話聞いてもらってるのに、名前…」

「あぁ、…”当麻”」

「苗字?」

「ううん、名前。苗字は羽柴」

「じゃあ…スイマセン、羽柴さん、何か…八つ当たりみたいな口調になっちゃって…」


言われた当麻が奇妙に顔を顰めて、首の後ろを掻く。


「うーん……”さん”付け、やめてもらっていい?」


どうもそう呼ばれて居心地が悪かったらしい。


「……だって年上……ですよね?」

「でも俺、さん付け文化に慣れてないし」

「…?」

「海外にいたから、そういうの何かむず痒い」

「でも…」

「当麻でいいよ。俺、基本的に誰にでもそう呼ばせてるし」

「じゃあ…”当麻”、ごめんなさい」

「ん。いいよ、聞いたの俺だし。…えーっと…お前、誰だっけ」


言われてから少年が笑った。
思わず、あ笑った…なんて妙に安心してしまう。


「俺は…遼、です。真田遼。 遼って呼んでください」


真田、遼。
その名前を口の中で呟いて、頭の中でもう一度流してみる。
真田……遼。

はて、どこかで。

そう考えている間に、遼と名乗った少年はある程度気が軽くなったのか、徐に立ち上がり伸びをしている。
そのまま未だ座ったままの当麻を見下ろして、そしてもう一度笑って。


「じゃ、俺、宿題とかあるし……帰ります。ありがとうございました!」


もしまた会ったら、また話聞いてくださいね!と最初に会った時とは違う元気な声を残して勢いよくその場から彼は走り去った。
ベンチに残された当麻はまだ思考の世界にいるらしく、そんな遼に軽く手を上げて曖昧な返事だけ返すだけだった。


が、彼が去って数瞬後。


「……さなだ、りょう…!!!」



弾かれたように立ち上がると、慌てて彼を追って走り始めた。




*****
遼がやっとこさ登場。