azul -46-



朝の7時前。
場所は空港の発着ロビー。
伸は、そこにいた。

出発前は、朝のこの時間を肌寒いと感じることも多かったはずだが、スウェーデンから帰ってみればまだ暖かく感じる。
適度に晴れた空を見上げる伸は上機嫌だ。


本来の帰国は今の時間より5時間ほど遅い予定だった。
だが彼は極度のブラコンで、一刻も早く弟に会いたいが為に予定を繰り上げてきたのだ。

そんな彼が1週間の滞在中、弟に電話をしたのは初日だけだった。
声を聞けば日本に帰りたくなる。
征士にそう言ったのは半ば冗談などではなかった。
しかしそれだけが理由ではない。仕事で行っているのだから勿論、彼だって忙しい。
他の病院関係者への挨拶や院長に付き添ってのちょっとした観光、それに持て成しを受けたりもした。
だが何より彼を忙しくさせたのは、少しでも早い帰国を狙った彼の細かいスケジュール調整が主な原因だ。
本来なら現地で最後に食事会があったがそれさえも上手く断って逃げてきた。

そして今、彼は自ら望んだとおり、日本の地を踏みしめている。

荷物の中には弟に頼まれていたお菓子と、他にも幾つか美味しそうなものを買って来た。
そして自分の留守中に弟の事を頼んでおいた警部には、酒を選んだ。
彼の性格ならば日本酒が似合うであろうことは解っていたが、海外に行って土産が日本酒では笑えない。
ここは彼の外観に合わせて選んだもので我慢してもらおうと思う。
弟の友人への土産も弟同様に食べ物だが、彼は明日まで九州にいるという事だったのでそちらは明日着の荷物と一緒に日本へ届く。

それと。
マグカップを4つ、買った。
弟には彼によく似合う青を、友人には彼の性格を表したようなオレンジを、警部には落ち着いた緑を、そして自分には水色を。
当麻のマンションに集まっている時に使えるよう、揃いで買って来たそれは取り寄せも出来るというのでカタログも貰ってきた。
もし病院で知り合ったあの兄妹もあの家に来るようになるのならば、後から追加が出来る。
兄は彼の直向さに相応しい赤、何処か気品さえ漂う妹は紫がいいだろうと伸は既に考えている。




「タクシーで30分くらいで着くかな…?」


そしたら弟のマンションへの到着は7時半頃だ。
恐らくもうあのエロ河童は来ているのだろう。
中々起きない当麻に梃子摺ってさぞ疲れているのではなかろうか。
案外、彼の寝顔を見ているのかもしれない、何てったって、彼はエロ河童だ。

そう思って伸の口角は自然、持ち上がる。
上機嫌に鼻唄を歌いながらタクシー乗り場へと足を進めた。




1週間の間に弟に話したい事が山のように出来た。


ラクリスはやっぱりキャンディになっても美味しくなかったよ。
向こうのスーパーじゃミネラルウォーターは売れないんだ。だって水道水が凄く美味しいんだよ、信じられる?
スウェーデンの人たちって気温が10度でも暑いって喜ぶんだよ、僕は寒くて堪らなかったなぁ。
そうそう、雑貨屋さんに入ったらね、ちょうど僕らくらい歳の離れた兄弟がいたんだ。
その弟が10歳くらいかなぁ…目がキミと同じで青い垂れ目でね、可愛いなぁって思ってみてたらその子、ラクリスのキャンディ食べてたんだよ!
キミがお土産に買ってきてって言ってたアレ!思わず美味しい?って聞いたらニコって笑って、美味しいよ、だって。
可愛かったなぁ……可愛かった、…まるで10歳のキミを見てるような気持ちだったよ。
ずっと一緒に暮らしてたらきっと、キミのそういう姿も見れたんだね。

そう、それよりもね、当麻、すごいよ、僕ら、また家族に戻れるんだ!
もう少し先になるみたいだけど、父さんと母さんはずっと前から計画してたんだって!
キミが大人になるのをずっと待ってたんだって!
ねぇ、また一緒に暮らせるんだよ、僕ら。4人で、また、家族になるんだ!


伝えたい言葉は次々に溢れて、何から伝えようかと考えるだけで幸せになる。
荷物は重いし、時差ぼけで身体はだるいし頭だってボンヤリしている。
けれど、気持ちはどこまでもハイテンションだ。
タクシーから降りた足取りは軽い。

懐かしい鍵を握り、慣れた手つきでロックを解除してエレベーターへと乗り込む。
時間は予想通りに7時半少し前だ。

必死に当麻を起こしているであろう征士を想像して笑ってしまう。
去年1年を過ごしてみて身に沁みて解ったことだが、元々低血圧で朝に弱い当麻は寒くなってくるとそれが顕著になっていく。
最近の気候なら充分に彼は起きないだろう。
この1週間、彼には苦労をかけたと申し訳なく思うが、それでもやはり笑ってしまう。
どんな手で起こしているのだろうか。
仕事の時間も迫っているだろうに中々起きない当麻に、いい加減泣きが入っていたのではないだろうか。
今日は休みだと聞いていたが、きっと苦労は相変わらずなのだろう。


玄関を開けると、これも予想通りに征士の靴が玄関に置いてあった。
躾けの行き届いた彼らしく、靴は綺麗に並んでいる。
リビングから声が聞こえないあたり、やはりまだ彼らは寝室にいるのだろうと伸は予想して、声を殺して笑った。

足音を忍ばせながら階段を上っていくが、寝室から声は聞こえない。


…あのエロ河童、やっぱり当麻の寝顔を見てるな…
だったらなるべく至近距離まで近寄って、エロ河童を脅かしてやろう。


伸の顔はもう悪戯坊主でしかない。




ドアの前に立って耳を澄ませてみるが、やはり物音1つ聞こえない。


「…見てろエロ河童」


僅かに声を漏らして、ゆっくりとドアノブを回す。



部屋には珍しく光が入っていた。
カーテンが半分だけ閉められていないせいだ。
それを訝しみながら、廊下までをそうしてきたように、足音を忍ばせて部屋へ踏み入る。


「…?」


ベッドの膨らみが、妙に大きい。
弟の身体はあんなに大きかっただろうか。
それに河童の姿も見えない。

妙な胸騒ぎを覚えながらベッドにばかり気をとられていた伸は、床とは違う感触の物を踏みつけ、その足元を見る。


「………………あれ…」


見覚えのあるこのシャツは当麻の物のはずだ。
そしてその近くに落ちているスラックスは、これは確かいつか例の警部は穿いていた気がする。


「…あれ」


このズボンは何だろうか、このワイシャツは、このベルトは、そして、


この下着は弟のだろうが、こちらの全く見覚えの無い下着は、誰のもの、だろうか。


伸は恐々ともう一度ベッドを見る。
どう見ても当麻1人が寝ていると思いがたいその、膨らみ方。


「…………………………………………………………………あれ」


まさかと思いベッドへと駆け寄ると、素早く上掛けを引っぺがした。
但し半分だけ。
全部引っぺがして、万が一汚い物を見てしまうのは気分が悪い。


「…………………………」



そこに居たのは、弟の当麻と、留守を任せていたはずの、征士だ。
それも裸で抱き合って、とても幸せそうに眠っている。









「っうわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」




その日、どんな目覚まし時計より強烈な響きを持って彼らは朝を迎えた。




*****
お兄ちゃんオカエリなさい。