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何度も角度を変え唇を食むようにしていたキスは、ぬめる感触を覚えていつしか舌が口内に入り込んできた事に気付く。
愛情表現のソレとは大きく違って随分と性的なその行為に、当麻は僅かばかりの恐怖を覚えたが頭が上手く働かず抵抗さえままならない。
それが呼気を奪われて酸素が薄くなってきているせいなのか、それともその行為に常とは違う喜びを感じているのかさえ、解らないでいた。

上手く息を継げず、苦しさから声を漏らせば漸く解放される。
気付けば身体は征士によってソファに押し倒されていた。

自分を見下ろす彼は、いつもよりも、そして時折見せるよりもずっと、雄、だった。











今日の晩飯、作るから家で食おう。


誤解があったのかなかったのか、それを問う事を抜きにしても元々予定として彼の為に料理はするつもりだった当麻は、簡素なメールを送る。
返事は少しの間を置いてすぐに返って来た。


「………じゃ、取り掛かりますか」


一先ず食材は無駄にならなかった事に安堵した。

ただその食材も冷静に考えれば、誘っているととられても仕方のないような内容で、それがまた当麻の眉間に皺を作らせる。
もしも本当にそう受け取られた場合にどうするべきか。
そう悩んでいるはずの当麻は、自分の悩みがいつの間にかベッド周りを片付けておいたかどうかに摩り替わってしまっている事には
気付いていなかった。







夜になり、さっさと仕事場から抜け出てきた征士はいつもより早く当麻の家を訪れた。
玄関先で征士は軽く当麻を抱き寄せて、額にだけ口付けるとそのまま彼に促されて廊下を進んでいく。
互いにぎこちない足取りではあったが、どちらもそれには気付かなかった。

食事の間もぎこちない状況は続き、他愛のない会話でさえどこか表面的な部分を当たり障りなくさらさらと流れていく。

美味い?ああ美味しい。
ヨカッタ、それ伸に教えてもらったんだ。先生は本当に料理が上手なのだな。
うん、俺の自慢の兄ちゃん。そうか。
そう言えば先生からの電話はあったか?ない。多分、忙しいんだと思う。

そんな気のないような会話を必死に笑みを浮かべどうにか穏やかに、だが目を合わす事無く交わしながらの食事も終わってしまうと、
今度は2人していつものようにソファに移動して並んで座った。

いつも見ている番組に決まりはなく適当にバラエティだったりニュースだったりと日によって様々だが、それなりにはちゃんと見ている。
だが今日はそうはいかない。
互いに頭の中は、どう切り出すか、そればかりだ。


誘っているのか、いないのか。
誘っていると思っているのか、いないのか。

聞けばこの居心地の悪い空気も少しはマシになるだろう事は解っているが、それを切り出す切っ掛けがない。
大体、妙に続いている沈黙をどう破ればいいのかさえ解らないのだ。
それに若しも、誘っていると言われた場合、どう行動すべきか征士は悩んでいたし、
それと同じように、誘っていると思っていたと言われた場合、どうしてやるべきか当麻も悩んでいた。

肩が触れ合うほど近くに居るのに、互いにどこか上の空だ。
どちらも顔さえ見てもいない。



その空気に先に根をあげたのは当麻だった。
ソファの上に膝を抱えた体勢のまま座っていた彼は、少し遠いところから話を始めようと思った。
最近の征士の疲れ方を気遣おうと、そう思った。
はずだった。
だが。


「あのさぁ、………何でキスしてくんないの?」


口をついて出たのは、言った本人でさえ思いもしない言葉だった。

当麻自身そんな言葉に驚いていると、隣に居る征士が目を瞠ってその横顔を見つめてくる。
その視線が痛いほどに解り、当麻はそうじゃないと必死に伝えようとした。

けれど、言うべき言葉が上手く出てこない。

さっきの言葉が外に出た途端、どうしていいのか処理に困るような感情が次々と湧き出てきたせいだ。


どうして触れてくれないのか。
どうして目も合わせてくれないのか。
どうして思いを交し合った時よりも抱き締める力が弱いのか。
どうして眠るまで一緒に居てくれなかったのか。
どうしてキスをしてくれないのか。
どうして。どうして、どうして。


彼が何故そうしているのか、もう何となく解っている。
言っても困らせるだけだというのだって解っている。
けれど感情が抑えられない。


「何で、………………何もしてくんないんだよ…」


代わりに出たのはまるで頑是無い子供のような言葉で、小さく掠れた声はまるで泣いているようだった。
情けなくて聞き分けなくて、惨めで。
自分で聞いてても嫌な声だと思った当麻の、その声にさえ乗せれないそれを、征士は正しく読み取りその肩を抱き寄せる。


「違う、当麻…違うんだ」

「違わないよ、何も……何で、……なぁ、…何で」

「違うんだ、当麻、私はお前を傷付けたくないだけだ」

「そんなの……征士の勝手だ…俺は」

「当麻、」

「なぁ、征士、…………俺、だってもう…自分でも解らないんだ……何で、こんなこと言ってんのか、…」

「駄目だ、当麻、お前を怖がらせたくない、だから」

「せいじ、…なぁ、……なぁ……」

「当麻、………当麻、私はきっとお前にとってひどい事をしてしまう、だか」


必死に説得をしようとした征士の言葉を遮ったのは、当麻の唇だ。
触れるだけの感触は前と変わらなかったが、唇を離した後の彼の表情は全く違った。

目に、涙が溜まっている。

それはどんな時だって泣くという表情だけは見せたことのなかった彼の青い目を更に濡らし、今にも溢れそうになっている。
泣くのを堪えているのだろうか、辛そうに眉根を寄せ、まだ何かを告げようとした唇は薄く開いたまま、それでも声にならない。
征士の胸にしがみ付くように添えられた手は微かに震えていた。


「何で、」


漸く聞こえた小さな声はすぐに掠れて聞こえなくなり、唇だけが動かされ、それから。


肩を抱いていただけだったはずの征士の手が、当麻の背に、腰に回され力強くその細い身体を抱き寄せる。
初めは頬に優しく軽く触れただけの唇も、すぐにそのまま彼の唇に重ねられた。

望んだのは、当麻だ。欲したのは、征士だ。

けれど当麻は挨拶程度のキスなら知っていても、こんな激情を伴うようなものは知らない。
征士は彼を怯えさせないように優しいキスを与えたかったはずなのに、歯止めが利かず、僅かに開いた隙間から舌を差し入れてしまう。
上顎を撫で、歯列をなぞり、唾液でぬめった舌を絡めとり、口内を犯す。

貪るように夢中になっている合間に当麻をソファに押さえつけていた事に征士が気付いたのは、彼が苦しそうに呻き声を漏らしたからだ。


慌てて上体を起こして組み敷いている彼を見る。

涙とはまた別の感情で青い目が濡れている。
それは本当に扇情的で、艶かしくて、それでいてどこか清らかなままで、それが征士を更に煽り下肢に熱が燻り始める。


もう、駄目だ。

そう思ったのはどちらが先だったのだろうか。


「当麻」


声を出したのは征士だった。
当麻の青い目が躊躇いがちに彼を見上げる。


「当麻、嫌なら拒んでくれ。…いや、拒んで欲しい。嫌でなくても」


どこか必死に懇願を滲ませる征士は、それでもまだ雄の匂いを色濃く残している。


「私を、拒んで欲しい」


そう言って自分の下肢を、組み敷いたままの彼の太腿に押し付ける。
熱を持ち、硬くなり始めているその感触に思わず当麻が身を強張らせると、征士が、苦笑いではあるが漸く笑った。


「でなければ…お前を本当に傷つける」


その唇で拒絶を。


「だから」


その肌の感触を求める前に。


圧し掛かる体勢で、誰も逆らえないような程に魅惑的な雄の目をして、それでも征士は当麻からの拒絶を望んだ。
今この場で彼から拒絶を受ければ、少なくとも今夜は堪えられる。
そうすれば明日になり、明日が来れば彼の兄が帰って来る。
彼の兄ならば手厳しい言葉で自分を罵り、強い警戒と共に弟を守ってくれるだろう、だから。


「私を、拒むんだ、当麻」





腿に押し付けられたモノは熱く、そして雄の強さをダイレクトに伝えてきている。

その感触は、覚えている。
まだ1年だ、幾ら忘れようとしても生々しいあの恐怖は未だに身体のどこかに残されていた。
自分がどんな目に遭ったのか、どれほど苦しんだのか、今も覚えている。
その記憶を鮮明に思い起こさせる可能性のある、その熱。

けれど、それ以上に。


「………無理だよ…」


あんな目に遭って尚、それでも。


「俺も、…………………………」


布越しなどではなく、直接その肌の温もりを感じたい。
恐怖は未だに拭いきれないけれど、それでも自分の下肢にもゆるゆると灯る熱に気付いてしまったから。




「……………征士と……抱き合いたい」




*****
相手のためでなく、何より自分の意思で。