azul −43−



少しでも征士に休んでもらおうと思い強引な手段ではあったけれどベッドへ誘ってみたが、それは却って彼を困らせたらしい。
その証拠に溜息を吐き、自分をベッドに押さえつけた後はさっさと部屋を出て行ってしまった。
いつも完全に自分が眠るまで傍に居てくれるのに、こちらを振り向きもせずに。


「……………………どうしたらいいんだよ…」


朝になり部屋に来た征士は、昨夜の事など何もなかったかのように、いつもの征士だった。
但し、昨夜と同じでキスはしてもらえなかった。

昨夜のこと、今朝のこと。
それは当麻を酷く落ち込ませた。
彼のためを思ってしたけれど、それは迷惑でしかないのだろうかと1人になった部屋で、膝を抱えて項垂れる。



征士の事は、好きだ。
一緒にいたいし、出来るものならずっと傍にいたい。
けれど実際恋人になってみると恥ずかしい事ばかりだし、今は辛い気持ちのほうが大きい。
もしかしたら自分は一緒に居ないほうがいいのではないかとさえ考えてしまう。

好きだというだけでは駄目なのだろうか。
その気持ちだけで、彼を癒してはやれないものなのだろうか。


「……冷蔵庫のアレ、…使わなきゃ勿体無いよなぁ………」


征士のためを思って食材を買ったが、それらを使う事は出来るのだろうか。
出来なければその場合は全部自分で食べればいいが、あくまでアレは彼のために買ったものだ。
それを1人で消費するのは寂しすぎる。
どうしようもない気持ちで胸が一杯になり、今日も時間はあると言うのにゲームをする気になれない。



昨夜のアレは当麻にしては頑張った方だ。

昨日の朝起こされた時、最初に見えた光景がベッドに乗り上げている秀というのには驚いたが、征士のリハビリのお陰だろうか、
それとも秀は自分に危害を加えない人間だと解っているからだろうか、そこに恐怖心はなかった。
だがまだベッドで誰かと一緒に寝るというのに、抵抗がないわけではない。
それでも征士ならと思い、そして何より彼に少しでも長く休んで欲しくて精一杯、ベッドへ誘ってみたのだ。
実際にそれは叶わなかったけれど、あの後、怖くなってなかなか寝付けなかった。

同じベッドに誰かが一緒にいる事になるかもしれないという恐怖の余韻。
それと、征士を困らせてしまったのではないかという恐れは、人と関わることの少なかった当麻にとって、経験のない感情だった。
困る事などないと言いきった征士だが、それでもその彼を困らせたというのは相当に自分が悪いのだろうと、彼にしては珍しく殊勝な事を考える。


「やっぱり全部俺が悪いんだよなぁ……朝起きネェし偏食だし寝てばっかだしゲームばっかしてるし…」


改めて言葉にしてみると、何とだらしのない人間か。
寧ろどうしてこういう人間を、征士のような人間が好きになってくれたのかサッパリ解らない。
解る事はできなくとも、そんな彼のために何か出来る事はないかと模索した結果がアレでは、流石に参ってしまう。


「………………取敢えず、アレ、使って料理…かなぁ」


食材が勿体無いし、それに試してないのはそれだけだ。
外での食事ではなく、家でゆっくりとするくらいなら彼を困らせる事はない。かも知れない。

呟いた当麻はパソコンを開き、何かいい物はないかとレシピを検索することから始めた。







一方、征士はやはり今日も困り果てていた。
10歳近く年下の恋人が、どういうワケか自分を追い詰めてくる。
何度も自制しているのにこのままでは本格的にヤバイ。
鼻先にニンジンをぶら下げられて走る馬の気持ちとでも言おうか、目の前にオイシソウな状態の愛しい人がいて、
しかも何を考えているのかは知らないが、まるで一緒に寝ようと言わんばかりに手を引いてきたのだ。
そんな事をされては堪ったものではない。
危うく問答無用に覆い被さって、笑みを浮かべている唇を貪り、あのしなやかな身体を堪能してしまいたいのを必死に堪えたのだから、
寧ろ自分を褒めて欲しいとさえ思っている。

誰に、と言われれば…………彼の兄に、だろうか。

そもそも当麻は人と眠るのは未だ無理なのではなかったか。
少なくとも征士は、兄である伸からそう聞いている。


「………………」


しかし違和感が拭いきれない。
何が、と言われれば…


「…秀、か」


昨日の朝の事だ。
入院するほどの事があった為に当麻は帰国したとしか聞いていない秀は、何の遠慮もなく彼のベッドに乗り上げた。
それに対して征士は、当麻がまた気を失ったりしてしまうのではないかと肝を冷やしたが、こちらの心配を余所に彼は平然としていた。
それが自分との”リハビリ”の成果だとすれば随分と誇らしい気持ちにさせてくれるが、最初に彼のベッドに乗ったのが自分でない事に
少しばかり腹が立たないでもない。
しかもあんな声を上げさせたりして…

友人、侮り難し、である。

いや、そんな事よりも何よりも、当麻だ。
征士としては勿論、彼を大事にしたい。
だがその反面、彼にとっては残酷な事をしたい気持ちは日々強まっている。
この気持ちをどうすればいいのか悩んでいるというのに、こちらの気も知らずに無邪気にからかってくるのは本当に勘弁して欲しい。
もう今日は彼の元へ行かず、部屋で大人しくしていようかとさえ思ってしまう。
何なら精神統一の為に写経をしてもいい。


そもそも征士というのは真面目であると同時に、ひどく不器用で、そして一途な男だった。
ここまで苦しむのなら、何らかの処理方法(例えば、自慰であるとか)を取ればいいものをそれさえしない。
彼からすれば、当麻をそういった所謂”おかず”というのには使いたくなかったし、かと言って他の媒体を使うなど以ての外というものだ。

そんな征士にとってここ最近の当麻の行動というのは本当に悪魔としか言いようのない行動だった。


「…何を考えているのやら…」


触れる程度とは言えいきなりキスをしてきたり、抱きついてきたり、ベッドへ誘ったり。
まさかそれが自分のためとは思いもつかない征士だったが、ここにきて漸く1つの結論に辿り着く。

それは。


「…………まさか………………………………誘っている、のか……?」







「……あ」


疲労回復にいいだろうと、しじみの味噌汁も作ろうと思った当麻だが、当然、そんな物のストックが家にあるはずがなく、
昨日に引き続き彼はまたスーパーに来ていた。
そこである事に思い当たる。


「もしかして……誘ってる、とか…思われた…………?」


自分の過去を知っている征士が、その辺りのことに関して随分と気を遣ってくれているのは知っていた。
だから徐々に、本当に徐々に人馴れをするようにと彼が色々してくれているのも勿論、だ。
だが自分のここ最近の行動はどうだろうか。
誘っている。
そう取られても仕方がないような行動ではなかろうか。
思い返すと頬に血が上りそうになる。

もしかしたら、呆れられたのかもしれない。

あんな目に遭っておいて、その癖男をベッドに誘うだなんて。
真面目な征士の事だ、そんな自分に呆れてモノも言えなかったのかもしれない。
だから昨夜は寝付くまで傍にいてくれなかったのかも知れない。

だが征士が最初に言っていた事を、当麻だって忘れているわけではない。
この先の事ももっとしたい、と。
彼は確かにそう言っていた。
だがそれはつまり、何れは、という事なのだろう。
若しかしたら付き合って1週間も経っていないと言うのに、と呆れられたのだろうか。
しかし最近の彼のあの隠しようもないあの、雄の目、というか…を思うと、呆れた、というよりかは寧ろ。


「………………………」


彼のためを思ってした行動だったがとんでもない誤解が生じているのではないか。
しじみのパックを持ったまま当麻は固まってしまう。


もしも。
もしも本当に彼にそう誤解されていたとしたら。

自分に対して随分と気を遣ってくれている彼だが、自分に対して随分と”溜まっている”彼でもある。
昨夜寝付くまで一緒に居てくれなかった理由も、キスをしてくれなかった理由も、そう考えればどこか納得がいく。
だからもし、本当にそう思われていたのなら。


「………伸って…帰ってくるの、明日の昼、だったっけか…」


何より真っ先に自分の中で確認したのがソレだった事に、流石に当麻自身もどうかしていると頭を抱えたくなってしまった。



同じベッドで誰と一緒に眠るというのは、まだ、怖い。
だけど人に身体を触られるのも、暗い映画館も、不特定多数の気配を感じる場所も、今まで恐怖を感じていたはずの場所も事柄も、
全て短期間で平気になったのは紛れもなく征士のお陰だ。
だから或いは、若しかしたら。

征士となら、平気になれるかも知れない。

もしも。
本当に彼がそう望むのなら、或いは、若しかしたら。


頬の血が上る。
硬く握った手が汗ばんでいる。
背筋がゾクリと冷たく震える。

けれど。
彼のためならば、と思う自分の他に、彼となら、とどこか期待してしまう自分を発見して、そんな自分に当麻はひどく困惑した。








何にせよ、今日会って確かめる必要は、ある。

それはお互いに思った事だった。




*****
お互いに。