azul -41-
「やっぱ伊達さん、相当疲れてんじゃねーかよ」
征士が仕事に向かった後で、部屋で座り込んでいると秀が向かいからそう言った。
「………え、まだ疲れてる?」
「疲れてる。チョー、疲れてる」
2人は会話をしているが、その視線は揃って手元に落とされていた。
「あ、コラ!当麻、ボサっとすんなよーっ!」
「あ………悪い、俺、落ちた」
「見えてたよ、俺の画面の端でお前が落ちてっくの。ったくよー、ホラ、何とか時間稼いどくからスグ上がって来いよ」
カチャカチャと静かな部屋にボタンを押す音が響く。
昼までの時間を、秀と当麻は例のゲームをして過ごしていた。
「で、えーっと……何だっけ」
「マップ入ってすぐ右の道」
「いや、そうじゃなくて、…そっちもだけど…」
「ああ、伊達さん?」
「うん」
「だから疲れてた」
「……マジで?」
「おう。今朝さ、下で会ったんだけど、すっげーぇ、やつれてた」
「………マジで?」
「ああ、マジマジ。つーかさ、お前、何その装備。知らねー間に随分素材集めてたっぽいな」
「まぁ俺、今暇なんで」
「お前ってヤツぁ……兄貴が居なくなった途端、やりたい放題だな」
「いやぁ……だから素材、分けてやったじゃん?」
「あー、なるほど。口止め料だったんか、コレは」
「いや、俺はそんなん一言も言ってないですよ?」
「ま、いいや。黙っててやるよ」
「わー、秀、ダイスキ」
「アリガトよ。つーかお前、まさかゲームやってて寝てネェとかいうオチ?」
「へ?何で?」
聞き返した問いにはすぐに答えが返ってこなかった。
画面がローディングに入ったのを確かめて当麻が顔を上げると、秀は相変わらず画面を見たままだったが、その表情は深刻だ。
「……何でだよ」
もう一度問い掛ける。
「あんましさぁ、伊達さんに心配かけんなよ?」
「わかってるよ」
「ホントかー?お前、さっき伊達さん送り出した後、シャワー行ったろ」
「ああ。え、それが何だよ」
「お前、いっつも夜寝る前に風呂入ってんじゃなかったっけ」
「うん」
「何で朝入ってんだよ」
そりゃあ夜は恋人が来るので、彼との時間を少しでも長く過ごすために夜に入らないようになったからだ。
…とはちょっと恥ずかしくて言えない。
「……………いーじゃん、別に」
照れ隠しに不貞腐れて言えば、秀は画面から一瞬だけ視線を当麻に向け、溜息を吐いてからまた視線を手元に戻した。
「多分、そういうのを伊達さん、気にしてるんだと思うぞ」
向かいの画面で聞こえてくる、秀のキャラクターが敵を切りつけている音が自分の画面でも聞こえてきた。
もう少し自分のキャラクターを走らせると、走り回っている彼が見えてくる。
「気にしてんのかな」
「してる。…と、思う。断定はできねーけど、今朝、すんげー疲れてた」
言われて当麻は思わず首を捻る。
昨夜、思い切ってキスをしてみた。
アレは当麻からしてみればつまり、キスくらいなら幾らでもOKですよ、という事を言っているつもりだった。
それが少しでも彼の悶々とした気持ちを解消するのなら、やっぱり照れはするが、どうにか頑張ろうと思っていた。
今朝は秀が居たためにそれが伝わったかどうか確かめる事は出来なかったが、夜にもなれば判るだろう。
だが、彼がそれでも疲れている、というのは当麻にはちょっと納得がいかない。
「そんなに疲れてたか…」
「おう、何か目元とかにスゲェ疲労が見えてた。今までクソ忙しくてもあんまりソコまでハッキリ出る人じゃなかっただけに、心配」
「………そうか…」
もしかしたら、秀の言うとおり疲れているのだろうか。
確かに征士が疲れ始めたのは自分と付き合いだしてからだが、それは伸が海外へ発った日でもある。
真面目な性格の征士は、伸の不在中に自分の身に何かあっては事だといつも以上に気を張っているのかも知れない。
だとしたら、最近の彼のあの、雄の目、というか、雄の雰囲気、のようなものにも納得がいく。
動物は基本的に、極度の疲労や生命の危機があれば種の保存機能が働く。
つまり自分の事で極端に疲れてしまった征士は、そのせいで”ああ”なっているのかも知れない。
となると自分が先にすべき事は昨夜のような行動ではなく、彼をまず休めてやることなのだろう。
そう当麻は結論付けた。
「………ちょっと反省しよう…かな」
「おーしろしろ。あ、でもやっぱちょっとだけは素材集めやっててくれよ」
「そんでお前に渡せってか。んだよ、勝手だな」
「だって俺、お前ほどゲームできないし」
「今日から3日間、あるだろ?ずっとじゃなくたって時間、ないのかよ」
言っている間に巨大な敵は漸く倒れてくれた。
その遺骸に駆け寄って素材を回収する。
「あー、駄目駄目。ホラ、俺んとこ、家族も親戚もスッゲー多いからさ、まだチビっ子がいっぱい居るんだよ。
ソイツらの前でゲーム機なんか出したら取られるし弄られるし、多分、引っ張り合いになちまってさ」
「壊される?」
「本体はまだイイけど、データ壊されんのが怖い」
「なるほどね」
よっしゃ、もいっちょいこーぜー!と言う秀につられてゲームは暫く続いた。
秀が帰った後も何となく素材を集めて過ごしていたが、外で陽が傾いているのに気付くと中断して携帯を確認した。
時間は16:59。
そろそろ征士から夕食をどうするかというメールか、遅くなるから先に食べていろというメールが届く頃だ。
じっと手元にあるそれを見ていると、着信を知らせる画面に切り替わり、だがすぐに画面に触れた当麻によって音は一瞬も鳴らずに終わる。
「今日は遅いんかぁ……」
何時くらいになら来れるんだろうな、と思ったが聞くのはやめた。
困らせたくはない。
ただでさえ疲れているであろう相手にこれ以上何かを考えさせるのは嫌だった。
「じゃ、何食おうっかな。………………作る、かなぁ…」
最近自炊を全くしていない。
これでは流石に伸が帰ってきた時、冷蔵庫をチェックされたりしたら申し開きが出来ない。
自分の身体を何より気遣う兄はその優しさゆえに容赦ない時がある。
怒られるのは、やはり幾つになっても慣れないものだ。
「……ま、帰って早々に説教しなきゃなんねぇってのも可哀想だしね」
言い訳がましい独り言を言ってから、冷蔵庫の中身を確かめる。
ロクな物がないのはいつもの事だが何かを作るにしても何もなさ過ぎるそこに、自分の事ながら呆れてしまった。
時計を見る。
まだ5時を少し回ったところを針が指していた。
きっと征士は8時を回らないと来ないかもしれない。
何となくそう思った当麻は、取り合えず冷蔵庫の中に入れる物を買いに近所のスーパーへ向かった。
「……タコ」
視線の先には、真っ赤なタコの脚。
「疲労には……タコの酢の物、いいんだっけか」
兄から聞いたような気がする事を思い出してみる。
当麻は随分と頭が良く記憶力も人よりもズバ抜けているが、興味のない分野の事は案外抜け落ちていく。
好奇心旺盛なので大概の事は記憶しているが、料理に関しては食道楽の癖に割と興味がないらしい。
タコのパックを持ったまま暫く考え込む。
征士はタコは嫌いだろうか、とか。
例えば今日明日にコレを食べ損ねた場合、何日くらい冷蔵庫に入れておいても平気なものだろうか、とか。
冷蔵庫中、臭くなったりしないだろうか、とか。
そしてやはり、征士はタコは嫌いだろうか、とか。
暫くそこで悩み続けたが、悩むくらいなら買ってから悩もう、と開き直り籠にポイっと放り込んだ。
開き直ってしまうと早い。
大蒜は流石に匂いがあるため(大蒜臭い美形と言うのはどうだろうか…と)ちょっと考えたが、山芋くらいなら大丈夫だろうと放り込む。
精がつくとか言うくらいだからウナギもいいのだろうと放り込む。
適度な酒は睡眠を呼ぶだろうと思い手に取る。
…が、年齢認証がある事を思い出し、それは棚に戻した。
日本ではどう見られるか解らないが、当麻はアメリカに居た頃はしょっちゅう年齢を確認された。(年齢と学歴が合致してないから仕方もないが)
未成年に当たる当麻は身分証明を求められた場合、アルコール類の購入が出来ない。
そもそも一々確認されるのが面倒だ。
当麻にしては珍しく、生活感溢れる様相を見せる籠を持ち、他に何かないかと店内をぶらりと散策する。
「……………あ」
疲れているのなら、いっそ泊まってもらおうか。
そんな事が頭に浮いた。
警視庁から一旦こちらへ寄り、そして遅い時間まで過ごして、また似た時間をかけて自宅へ帰る彼を思うと、それさえ疲れるのではなかろうか。
そう、征士に取っては何一つ有難くない気を回す。
「だったら、歯ブラシ、いるかな」
ちょうど目に付いた緑色の柄のものを適当に籠に放り込んだ。
タオル類ならあるし、パジャマは最悪なくてもいいだろう。
ベッドは1つしかないけれど、あの大きさなら大丈夫なはずだ。
彼が何故、そこまで疲れているのかという事を一切確認していない当麻は勝手な判断をして進めていく。
マンションへ向かう途中で歩みを止め、もう一度征士にメールを送る。
『晩御飯、どうする?』
と聞くと、少しだけ間が開いて、
『こちらで済ましてから行く。すまないが1人で食べておいてくれ』
と返ってきたので取敢えず買った食材は全て冷蔵庫に入れるべきか、とまた歩き出した。
結局、料理らしい料理は放棄し、念のためにと買っておいた惣菜を食べた当麻はソファに身を投げ出しまどろむ。
どれくらいそうしていたのか解らなかったが、気が付くと寝ていたらしい彼は、携帯の着信音で目を覚ました。
時計を見ると10時前だった。
「……めっちゃ寝てた」
特に何もする事もなかったし観たいテレビも無かったが、もしかしたら征士が泊まるかもしれないので、
少しくらいは掃除をしておこうかと思っていたのに、この有様だ。
ガックリと項垂れるが、そんな場合ではない。
兎に角メールの確認をする。
今から行く。
簡潔な文章がそこにあった。
「って事は30分くらい、かな…?」
掃除を、と思ったが秀の言葉を思い出す。
夜に風呂を済ませていない自分を、言わないだけで征士も気にしているのかもしれない。
ならば。
「………先に、風呂、か」
入ってもカラスの行水の当麻はもう一度だけ時計を確認して、着替えを持って浴室へ向かった。
*****
間違った気の遣いかた。