azul -4-
秀がマンションに行くと、珍しい事に征士も伸もまだ姿を見せていなかった。
ここ最近はまるで競うようにどちらか1人は必ず毎日姿を現していたというのに。
当麻の部屋に入っていくと、これまた珍しい事に当麻が自力で起きていた。
いつもなら先に着いた誰かが寝室まで行き、低血圧で寝起きの悪い彼に四苦八苦しながらも
どうにか起こして、それでやっと足を引き摺るようにして起きて来るほどなのに。
しかもいつもなら暫くはボーっとしているのかしてたどたどしい筈の口調が、今朝に限ってはハッキリしていた。
「お、秀来たか。…ってもうそんな時間かぁ」
等と言う当麻が出てきたのは何とキッチンで、しかも手には自分で入れたらしいココアがあるから、
秀は元より丸い目を更に丸くして驚いてしまった。
コレは昨日、頭を打ったからだろうか…
と少しばかり背中に嫌な汗を流してからふと見ると、当麻の服装(というより寝巻き)が昨日の朝見た物と同じだ。
それに髪もいつもなら寝癖は付いていても軽そうな雰囲気なのに今朝は何だかボサボサとしている。
何気なく昨日、彼が座っていたソファに目をやると、温くなってくたくたになったアイスノンが落ちているのが見えた。
まさか。
「おい、当麻…お前若しかして昨日病院行っ」
「秀、ちょっとコレ面倒な事になってるぞ」
お前病院行ってねぇな、と言おうとした秀の言葉を遮った当麻の顔はえらく真剣だ。
手には昨日、征士から渡された書類の束。
「……な、何だよ」
「コレ、この事件…最初のが起こった時にちゃんと規制かけきれてなかっただろ」
うっ、と秀の声が詰まった。痛いところである。
事件の通報を受け新宿署の面々が到着した時、そのあまりの奇怪さや残忍性からマスコミが嗅ぎ付け、
妙な方向に好奇心を擽られた野次馬が何人も取り囲んで写真を撮ったりどこかに電話をしたりしていた。
緘口令を敷いたが、インターネットの発達した現代ではそんなもの無意味にも等しい。
「ネットでの画像の流出や情報の漏洩は完璧になんて抑えきれないんだからこの際、俺はソコはどうだっていいんだ。
ただ……これ…、最初の2件と今月の1件は同一犯だけど、他は模倣犯なんだよ」
「………へ?」
「だからさ、恐らく犯人は…最初の犯人だな、コイツはこういう事件があったって情報が流れて色々漏れた時に、
模倣する奴が出てくる事を見込んで犯行に及んでるんだよ。
ソレを煽るために他の目撃情報に紛れてスイッチになる情報を巨大掲示板なんかで流したんだろうな、画像つきで。
それも、ちゃんとある一定の性質を持った人間が強い興味を示すように仕向けてあるから性質が悪い」
「ちょ、ちょっと待てよ、じゃ………」
「まんまとヤられたんだよ、コレじゃおかしいハズなんだ」
あまりに突然で、あまりに衝撃が強すぎて秀の頭は追いつかない。
当麻は今何を言っている?
ちゃんと捜査に当たって情報も吟味して、それで彼の持っている書類に”同一犯の犯行”として纏めたのではなかったのか。
それが今更、昨日までの18件の内15件も違ったというのだろうか。
「若しかしてプロファイリングの分野はあまり育成が進んでないのか?」
「そ、ソレは俺知らねぇけど…」
自分は現場を歩き、足で情報を拾う専門だ。
「大体どうおかしいんだよ、だって何人もその捜査会議に加わってんだぜ?」
「じゃあお前はコレだけチグハグな内容を、どう見る?まさか解離性同一性障害か?」
「……うん?」
「 …あー、ちょっと違うケド”多重人格”か?って言ってんの」
「そーゆー事例だって…あるだろ」
「ないな、今回の件に関しちゃ」
「いやにハッキリ言うな」
「俺をナメてんのか。あのなぁ、幾らなんでもこんなに差が出るワケないんだよ。ただ今回のでハメられてたのが、
そのスイッチ踏む連中の性質なんだよな」
「どーゆーんだよ」
「神経質。で、頭がいい。後、不安性。コレが一番デカイ」
「……………………よくわかんねぇー…兎に角、そのせいでややこしかったのか?」
「特徴が似通った人間にだけに引っ掛かるモノがあったとして……それは今はいいや。
それよりもまず最初の犯人と、それとここ何件かの分が重なってる奴も居れば単発の奴もいるから、
それを纏めて一気に挙げる事をしないと、いつまでも続きそうだからナァ……ま、後で征士にでも連絡取るわ、俺」
秀には何だかきちんと理解できなかったが、犯人が複数いることだけは解ったし、どうやら彼の頭の中では纏まっているらしい。
それに征士にキチンと連絡を取ると言っているのできっと大丈夫なのだろうと見当を付ける。
まだ経験も浅い自分には頭の善し悪し以外でも役に立てないことのほうが多い事を秀はちゃんと理解している。
だから聞くべき時はただ只管に聞くと決めているのだ。
さて、当麻の方も気が済んだのかカップに口をつけてココアを飲んでいる。
ソレを見ていて秀がふと思い出した。
「そーだ!当麻!!お前、昨日俺ら帰る前に言ったのに病院、行ってねーだろ!?」
自業自得とは言え階段から転げ落ちて頭をぶつけているのだ。
今は何もなくても後から問題が起こっては事である。
朝食を優先する彼に、それぞれ仕事に赴かねばならない秀と征士は病院に同行できない代わりに、ちゃんと病院へ行くようにと言い聞かせていた。
なのに今朝の様子からして当麻は病院へは行っていない。し、もしかしたら一睡もしていないのかも知れない。
秀の言っている事に気付いた当麻は、さっきまでのキッパリとした表情から一転してバツの悪そうな顔をする。
「行ってねーな!!しかもテメー、俺ら帰ったあとからずーっとそうやってあーだこーだ考えて寝てねーだろ!!」
「しゅっ集中してたら気が付いたら朝だったんだって…!」
図星だったのか明らかに狼狽えた様子まで見せて否定するが、どうも怪しい。
ただ集中していてつい、という風情ではない。
「……当麻……………お前、なぁんか隠してるな…?」
「隠してなんかないって!」
「病院、………何なら今から行くか?」
「い、いい!ホラ、俺、征士に連絡取らなくっちゃ…!」
「じゃあ伊達さんに迎えに来てもらって話のついでに病院まで連れてってもらおうぜ」
「いーーーよっ!征士、忙しいって!ホラ、今朝、来てないくらいだし!」
「じゃあ俺と直接病院に行こう。こっからなら毛利先生のいる病院が一番近いし」
「ししし伸も忙しいって!今朝、今朝はいないし、ホラ、その、征士、今日、伸のトコ行ってるからその…!
大丈夫、今度こそちゃんと行くから!ホラ、あのー、アレだ、こっから1駅行ったトコにもデカイ病院あっただろ!?あそこ、あそこ行くって!」
ちょっと信じられないほどの慌てっぷりに秀ははたと思い当たる。
こいつ、もしかして…。
「お前、もーしかして…頭ぶつけた上に病院に行ってないの、2人にバレんの、嫌なのか……?」
途端、当麻が目を見開いて、そしてそのままグルリと目を泳がし始める。
「………お前さー…」
子供じゃねーんだから…と言おうとした時、テーブルに投げだされたままの当麻の携帯が鳴った。
チラリと目をやると、ディスプレイには「メール受信完了」とあった。
ソレだけを伝えると通常の待ち受け画面に戻ったのだが、その画像を見た秀はこの部屋に来た時以上に目を丸くしてしまった。
そこに映っていたのは、オープンテラスに居るプライベート丸出しの毛利医師の姿だった。
顔には満面の笑みを浮かべ、そしてどういうつもりなのか、どういう事なのか、
「当麻……コレって…」
どんな意味を込めて、
「何でこんなポーズ…?」
両手で、キレイにハートを作っているのだろうか。
そして、どういうつもりで目の前の友人はソレを待ち受けにしているのか。
聞きたくない答えが返って来たらどうしようかと思いつつも、もう出した言葉は引っ込まない。
そんな秀の困惑など全く気に留めてないように当麻は、
「あ、何か厄除けだって」
とケロリと答えた。
「や、…厄除け?」
これが?
「あ、違った。えーっと、虫除け、だっけな?何かそうなんだって。ソレを待ち受けにして、ピンチには出せってよ、印籠みたいに」
ソレって結局どういう意味だよ!
という言葉を出せなくなっている秀の向かいで、
「俺さー印籠って何か解らなくて調べちまったんだよな。水戸黄門のドラマだったんだな、思わずシリーズ初期のん全部観ちまったよ」
いやー疲れた疲れた、なんて当麻は暢気に笑うばかりだった。
そして秀はまた当麻を病院に行かせる事を忘れてしまい、後から大人2人にジロリと厳しい視線を向けられる事になるのだ。
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当麻の携帯はきっとスマートフォン。