azul -34-
もしもし、ワシだ。山之内だ。
おお、久し振りだの。
変わりはないか?
ああ、そうか。
いや…それより何だ、妙に嬉しそうではないか。
何かいい事でもあったか?
…ほぉ……そうか。
いや、それは目出度い。
なに、コレでも驚いておるわ。
…嘘だ。
予測ぐらい出来ておったわ。
お前がそっちに参加したのも、アレが厳しい現場にばかり飛び込んでおったのも、
どうせ最初からそういう筋書きに持って行きたかったからであろう?
ふん、ワシを侮るでないわ。
しかし……それはちゃんと子供らにも言うてやったのか?
ああ、そうか。
ではちょうどいい機会だ。
うん?
いや、来週…ああ、もう今週末か。
お前のトコの上のが、そっちに行くぞ。
例のシンポジウム、アレに行く。
まあ強制ではあるが構わんだろ。
恐らくお前が講演をすることも知らんだろうな。
プログラムに目など通しておらんだろうよ。
なに、顔を見ておれば解る。
腹は括ったようだがまーだ未練たらしい顔をしとる時があるからな。
ああ、全く変わっておらん。
もうそういう性分なのだろうな。
ああ、下のは大丈夫そうだ。
ワシの見立てでは上の以外でいいのが傍についておる。
さあ?どういう関係かはワシは知らん。
知りたければ早々に帰国することだな。
……そうか、では取敢えず、1年後、か。
解った。
ああ、そうだ、祝儀は渡さんからな。
お前が3回目でアレは2回目であろう?
どうせ式もせんつもりだろうに…
まあ祝いにくらいなら行ってやる。
手土産は青汁で良かろう。
何を言うておる。
酒は控えろ。
上のが心配しておったぞ。
ああ、すまん、こちらから電話しておいて何だが時間があまりない。
いや、実はこの後予約を入れてきている馬鹿者がおってな。
時間外だと言うのに…
しょっちゅう目を腫らせておる奴でな…忙しいから診察中には来れんとか抜かしおる。
ああ、すまんな、こちらからかけておいて。
たまにはこちらにも連絡をしろ。
うむ。
解っておる。
気にするな。
お前達が達者ならそれでいい。
ああ。
ではな、毛利。
受話器を置き、時計を見る。
針は2時15分を指そうとしていた。
相手の予約時間は2時。
未だに呼び出しがないところを見ると、また時間に遅れているらしい。
そんな相手を気にせず山之内は煙草のケースに手を伸ばした。
ちょうど部屋に入ってきたばかりの若い研修医に声をかけた。
「おい、ワシは屋上におる。予約の黒田とかいうのが来たら呼びに来てくれ」
「あ、先生、その黒田さんがお見えになったので呼びに来たんですけど…」
遅刻はするくせにこちらにとって悪いタイミングにばかり現れる悪友の顔を思い浮かべて、山之内はコメカミをひくつかせた。
それに研修医が怯えたような表情になる。
決して彼は怒っているわけでも気を悪くしたわけでもないのだが、ただその人情などないような容貌のせいで誤解を受けることが多い。
今コメカミをひくつかせたのだって、実を言うと笑いそうになるのを堪えただけだ。
もしかしたら彼が表情筋の使い方を間違えているのも、誤解を受ける一端なのかもしれない。
「すぐに行く。何か言うておったか?」
「え、…あの、……しょっちゅう腫れるので、その……」
「ヤブ医者と言うておったか」
「………はぃ」
「仕方のない奴だ。全く……大体目が腫れるのなら内科でなく眼科に行けと言うておるのに…いっそ瞼を剥いでやるかの、アイツの」
最後の言葉に、研修医は笑いを返すべきか恐れるべきか悩んで、結局黙った。
山之内が案外冗談ばかり言う人間だと気付けば、彼ももっと気が楽であろうに、どうやらそれは無理な話らしい。
優秀ではあるが付き合い難い人間だと最初に思い込んだのは失敗だろう。
尤も山之内も態々誤解を解こうとしないあたり、この状況を楽しんでいる可能性も、ある。
少しばかり人が悪いトコロもあるのは、彼を慕っている伸がよく知っている事だった。
「おい、カルテを持ってきておいてくれ。黒田次郎のだ。そこにデカく、性病、と書いてやるから赤マジックも持って来い。
極太の奴だ。修正液でも消せんように油性のやつが有れば尚良い」
その言いように流石に研修医も笑ってしまった。
だがすぐにしまったと思い、自分の前を歩く山之内の背を見る。
「…………すいません…」
彼が立ち止まって振り返っていた。
その冷たい、小さな黒目と目が合い、研修医は思わず謝ってしまう。
しかし目を逸らさなかったのは正しかった。
「早く取って来い」
いつものようにぶっきらぼうに言う山之内だが、その目が悪戯をした子供のように笑っていたのを認め、
研修医は今度こそ素直に笑い声を上げ、返事をした。
「聞こえているぞ!山之内 !!!」
診察室で待っている、左目に眼帯を付けた男の声が聞こえると研修医は肩を竦めて走り出し、
山之内は面倒臭そうに溜息を吐いてから、
「やかましいぞ、次郎五郎」
と、彼の学生時代の妙なあだ名を呼びながら診察室へ入っていった。
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今回短めで。
黒田次郎さんのご職業はナンデショウ。