azul -30-
例の事件の黒幕とも言うべき人物はあの後すぐに見つかり、任意同行を求めたところアッサリとついてきた。
他の犯人たちも彼女が既に警察に存在が見つかったと教えると、数人が口を割り始めた。
しかし肝心の彼女が一切口を割らない。
決定的な証拠がなかったのだ。
骨は、既に彼女の手になかった。
リストも同じだ。
「ボランティアでさぁ、炊き出しとかしてない?」
久々に警視庁に足を踏み入れた当麻が何だか嫌な予感のすることを口にした。
他の捜査員の目に、まさか、という色が浮かぶ。
「ミキサーで粉砕して具材にポイ、とか。あと炊き出しの火の燃料に紙って使えるしさ」
可能性は充分にあるが、それを食べさせられる事を想像すると幾ら多種多様な現場を見てきたとは言え、
嫌なものは嫌だ。
まだ新人と思しき女性が口元に手を当て、うっ…と声を漏らした。
「まぁ可能性の話。…あのさ、その女の周りに俺が言った条件の人間、いた?」
その女性に一瞬だけ視線を寄越し、ゴメンねと言うと、すぐに征士に向き直った。
「ああ」
「元旦那?」
「何故知っている」
「何となく。あとアレだ、最近、再婚しただろその人」
「そうだ」
「不倫、離婚、そして再婚かー」
「だから何故知っているのだ」
「だから何となくだって。言っとくけど知り合いなんかじゃねーよ。ただその女、プライド高いだろうなーとか色々考えてたら、
多分、元旦那の不倫で腹立ってるのに追い打ちで再婚とかされたらブチ切れるかなーって」
「で、その旦那が熱心に調べていた人を誘導する心理を利用して今回の事を起こした、と?」
「いやーだねー、女の嫉妬って。コワイコワイ」
大して思ってもない事を口にしながら、座っていた椅子をクルクルと回して遊び始める当麻を、
征士は背凭れを掴んで回転を止めて窘める。
「当麻、ここは家じゃない」
「あ、ゴメン。何となくやっちゃった」
口元にはまた棒つきのキャンディが咥えられている。
今回の提供者は征士の先輩だ。
コンビニのレジにあったというソレを渡された瞬間、当麻が嬉しそうにしてすぐに包み紙を破り口に入れたのを
征士は少々複雑な心境で眺めていた。
人から貰ったものを、それも嬉しそうに。
まして”舐める”だなんて。
思った途端、あの医師がいつものあの盛大に歪めた顔で「エロ河童」と罵る姿が浮いて、咳払いをしてから背筋を伸ばした。
「じゃあ伊達、昼行く前にちょっとこっち手伝ってもらえるか」
先輩に呼ばれて征士が部屋を出て行く。
昼休みにはまた何処かで一緒にご飯を食べる約束をしていたので、他の数名の署員と共に当麻はそこに残っていた。
何となしに部屋を見渡す。
何度か現場で見知った顔ばかりがいた。
これは警察側からの配慮なのか、それとも単に偶然なのかは知らないが当麻には有難かった。
征士のリハビリのお陰で随分とマシになってきてはいたが、やはりまだ彼のいない所で一人残されるのは不安がある。
椅子で遊ぶのはさっき止められたのでしないが、少々手持ち無沙汰だ。
沈黙は嫌いではないが、気まずいのは嫌いだ。
征士との沈黙なら兎も角、そこはまだ息が詰まりそうになるのに変わりはなかった。
「征士って真面目だね」
近くの強面の署員に声をかける。
征士の上司らしい男は佐々木と言った。
顔は怖いが内面は案外に人好きする性格なので、この中では一番話しかけやすかった。
「ああ、伊達は今時の奴にしちゃ随分真面目だな」
「堅物の領域?」
「まぁな。もうちょっと遊びを覚えて息抜きをしてくれればいいと思うんだが…」
「遊びって悪い遊びでしょ」
「いやーオジサン警察関係者だし未成年の前じゃ、言えないなぁ」
笑うと途端にどこか少年のようにも見えるその笑顔を見て、当麻もつられて笑う。
「そういや征士ってば趣味で盆栽育ててるんだって」
前に教えてくれたことを話すと、佐々木は目を見開いた後、盛大に爆笑をした。
他の署員も遠慮がちではあるが我慢できず笑い出してしまう。
「似合いすぎだろ!いや、見た目には似合ってないけど……!!!」
あまりに笑う姿に、コレはもしかして話してはいけない情報だったかと内心焦った。
実は尺八が得意だと言うのも聞いていたが、コレは流石に内緒にしておいた方がいいと判断した当麻は、
話しの矛先を変える努力をする。
「あ、ねぇ、あのさ、征士って彼女とかいないのかな」
笑いすぎて出た涙を拭いながら佐々木が、いない、と答えた。
「断言するなー」
「だってアイツ、見てたら解る。そういう気配がゼロだ」
そう言い切った佐々木の言葉を受けて、視界の端で先程の女性署員が頬を染めて俯いた。
それに気付いた当麻が彼女を見ると、佐々木もそこへ視線を送り、ああ、と納得したような表情をする。
「ただモテはするんだよなぁ…ま、あの見た目と中身じゃ、いい物件だからな」
「物件って…」
「オススメ物件だよーオジサン一押しだ。どうだ?チビ。アイツ、要らないか?」
「チビじゃないったら」
「身長は確かにあるけどお前、歳だけで言ったら俺の半分以下じゃねーか。えぇ、おい、チビ」
「チビってやめてくれよー」
チビという単語に重点を置いて佐々木とじゃれあう。
要らないか。
そう聞かれて何故か落ち着かなくなったからだ。
要らないか。
要る要らないで言えば、要る、に決まっている。
だって今の自分のリハビリに必要だし、伸以外で信用できる数少ない人間の1人だ。
要らないワケがない。
けれど、”要らないか”。
よく解らないがその単語は当麻に少しの混乱を齎した。
話を、また変えなければならない。
そう考えて当麻はまた別の話題を探す。
「でもさ、征士って働きすぎじゃない?」
結局出るのは征士の話題だ。
この場にいる人間との共通の話題と言えばそれしかないので仕方がない。
と、当麻は思っている。
決して意図的に彼の事ばかり話したいわけではない、と。
「働きすぎだなぁ……あいつ過労死したら俺が怒られんだろうなぁ」
「かもね」
「おい、チビ。お前法律とかも詳しい?」
「日本のはあんまり。でも勉強しろって言われたらしてもいいよ」
「よし、お前、その時は弁護士になって俺を弁護しろ」
「っわ、すげー依頼の仕方!」
「天才なら何とか俺を救ってくれー!俺には家族がいるんだからさー」
「佐々木さんの家族って、犬じゃん」
「犬だって立派な家族だぞコラ」
「独身男性の家族だね」
ニヤっと笑ってやると、佐々木にデコピンをされる。
当麻は額を押さえながら何気なく前から思っていた事を口にした。
「俺の世話、してて大丈夫なのかなぁ…」
先程の息抜きのこともそうだし、過労のこともそうだ。
毎朝早くに自分の部屋へ来てから仕事に向かい、以前はそうでもなかったが最近では仕事帰りに寄る事もある。
休みの日にも自分に付き合ってくれる彼に、プライベートの時間があるようには思えなかった。
伸といい、征士といい、自分を構ってくれるのはいいが、そういう心配が最近常にあった。
「自分の為に時間って使えてんのかなぁ?」
「あぁ?」
「征士のこと」
「あぁ、お前のこと、気にかけてるからか」
「うん」
「大丈夫だろ。伊達は仕事でやってんだから、素直に甘えときゃいいんだって。気にするなよ、子供の癖に」
「仕事…」
呟いてから思わず胸の辺りの服をギュッと掴んでしまった。
何故か一瞬、ほんの一瞬だけ痛んだ気がした。
仕事。
そう、征士は真面目だから仕事をしているのだ。
最初に自分を迎えに来て色々と世話を焼き、そして自分の過去を知った以上、真面目に、仕事を。
そんなのは解っていた。
申し訳ないとは思ったが彼が構わないと言ってくれたので、素直に有難く甘えさせてもらっていた。
実際征士と居ると幾分か気持ちも落ち着いたし、特に何もしなくても楽しかった。
だけど、彼は己の職務に忠実に働いているだけなのだ。
まだ事件は解決しきっていない。
まだ自分が必要な事に変わりはない。
だから、その自分が途中で倒れてしまわないように、仕事として、自分の世話をしてくれている、はずだ。
そんなのは解っている。
なのに何だろうか、何だか急に息が苦しくなってきたのは、何故だろうか。
チャイムが鳴って数人が部屋を出て行く。
この場に居る人間の中では責任者になる佐々木と、征士を待つ当麻だけが部屋に残っていた。
突然、ドアが開く。
征士が部屋に戻ってきた。
「戻りました。…当麻、待たせたな。何か食べたい物はあるか?」
いつものように優しく聞いてくれるが、今の当麻にはそれさえ何故か不安になってくる。
すぐに返事が返ってこなかった事に征士が不審さを隠そうともせず顔を覗き込んだ。
「…当麻?どうした?」
心配そうに見てくる紫の目に、何と言うべきか当麻は解らない。
ただ、これ以上は駄目だ、と思った。
これ以上、彼に甘えすぎてはいけない、そう思った。
だから。
「ゴメン、征士、俺、ちょっと用事思い出した。だから帰る…!」
椅子から立ち上がって、貰ったお菓子を持って。
部屋のドアへ向かう。
しかしその手を征士が掴んだ。
「どうした、当麻。用事とは何だ」
「いい、何でもない、個人的なことなんだよ、ホント。だから…、」
「ならば其処まで送っていく」
「いいって…!征士、昼休みなくなっちゃう…!……俺、ちゃんと帰れるから」
「駄目だ当麻、危険がないとは言い切れない」
「ホント、いいから!俺、何ならタクシー使うし、……離せってば!」
子供の頃から剣道をしている征士の握力は相当なものだったが、当麻だって元FBIだ。
その手から逃げる術くらい持っている。
自分の手を振り解いた当麻が、まるで逃げるように部屋から出て行ったのを征士は眉根を寄せて見送ってしまった。
すぐに追うべきだったかも知れないが、彼に拒まれるという事など想像もしていなかったことだ。
情けない事に実はショックで動けなかった。
「チビってからかい過ぎたかなー」
佐々木が言ったのを聞いて、漸く征士はそこに彼がいたことを思い出した。
「…何か、当麻に言ったんですか?」
「いや、単にチビってからかっただけだ」
「それだけ…?」
「あー……まぁ、お前が真面目だとかそういう話したかな。真面目に仕事してるって話」
それだけであんな急に態度が変わるのだろうか。
リハビリと称して彼との距離を詰めてからは、何の遠慮もなく素直に甘えてくれるようになっていたのに、
先程の態度ではそれさえまた無かった事にしそうな勢いだった。
「天才過ぎて解んねーもんなー」
「そういうもの、でしょうか…」
「まぁ、解らんのは解らんって。スキップ使うし、在学中に特許取っちゃったり株の取引で悠々自適な生活送れちゃうくらいの天才だし、
……俺みたいに犬くらいしか癒しのない男には、想像も付かないなー。あー俺も天才になりてー」
「………今、なんと?」
「”天才になりてー”」
「佐々木警視長のことではありません。当麻が、何ですって?」
「アレ?特許取ってるの、知らないか?」
「……知りません」
そんな事は完全に初耳だった。
飛び級で大学をとっくに出ている事は知っていた。
FBIにいた事も含め、どちらも仕事の最初に聞かされた話だ。
しかし特許の事など知らない。
当麻本人からも聞いた事は無かったが、生活費はFBIに居た頃の貯金と、後は兄が支援しているとばかり思っていた。
本人が話したとも思えない。
彼は自分の事を自ら話すことも無ければ、聞かれても適当にはぐらかすのが常だった。
では何故、目の前の上司は知っているのだろうか。
当麻がFBIを止めた理由を、一身上の理由と教えてくれたのは彼ではなかっただろうか。
もしかしたら、いや、恐らく、彼は当麻が辞めた本当の理由を知っているのではないだろうか。
思わずキツイ目で佐々木を見てしまう。
しかし佐々木は肩を竦めただけでそれ以上は何も言わず、部屋を出て行ってしまった。
その後、当麻にメールを送ると、無事に家に帰ったという事だけは答えてもらえた。
ただ、それだけしか、答えてもらえなかった。
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そして出てくる佐々木さん。一応他の2人も居るんですけどね。