azul -28-



当麻にとって征士というのは初対面から不思議な男だった。

テレビや映画でさえ滅多と拝めないような派手な容貌だけでも充分驚いたのに、
中身がその見た目と全く逆の方向へひた走っている時点でその好奇心は擽られた。
そして冷静で公正な人物かと思いきや、自分の兄の言葉に対抗意識を燃やし中々に愉快な行動に出始めるし、
その兄との遣り取りなんて当麻からすると本当に仲が良さそうで面白くて仕方がなかった。
真面目すぎるのが原因だろうが、少々こちらが困惑する程に構われる事もあったが、本気で嫌がるような事は一切しないのも好感が持てた。


けれど自分の過去を兄から聞いた後は流石に態度が変わると思っていた。
実際、自分の元同僚達が入院先へ見舞いに来た時など、彼らはこれまでと違い明らかに同情的で異常なまでに優しくなった。
それが当麻には不愉快でならなかった。
いつだって他と隔離された位置へと追いやられる自分を、どこまでも思い知らされるようで嫌で仕方なかった。
しかしその反面、誰だってそうなるは当然だろうし、自分に経験のない悲惨な体験は想像で憐れむしかないだろう事も理解できたので、
その不快感は自分の至らなさとして諦め、あらゆる感情をを心から追い出す事で平静を保った。

だからきっと、征士の態度だって彼らと同じになると思っていた。
同情で優しい言葉をかけ、必要以上に触れる事を避け、そして当たり障りのない関係に落ち着くだろうと。
けれど違った。
当麻の読みは全く、綺麗に外れてしまった。

リハビリをしよう。

そう提案された時、心底驚いてしまった。
医者でもないし家族でもない、別にそんなに一生懸命自分に関わる必要も義理もないはずの位置にいる人間が、
態々己の時間を割いてまで関わろうと言うのだ。
これが驚かないはずがない。

どこまでも真面目で、優しい人間だと、思った。
その言葉だけでも幸せだと思えた。
だからもう充分だと思った。
これ以上自分の為に時間を割かせる事など、してくれなくていい、と思った。

だから、そう伝えた。
あまり関わらない方がいいかも知れない、と。

理由の中には自分と関わることで、他者が離れていく事を恐れているのもあった。
実際家族はバラバラになったし、幼稚園の頃など一緒に遊んでいた友達の投げたボールが頭に当たっただけで、
彼は先生からも、そして親からも、こちらが面食らうほどにきつく叱られ、そのまま疎遠になった。
今思えばそれは自分の頭脳への大人の過剰な対応だったのだが、当時は意味が解らず周囲の変化に怯えることしかできなかった。
そういう経験は渡米するまで何度も繰り返された。

だからこれ以上関わることで、征士が自分から離れてしまうのが怖くなった。
だから、関わらない方がいいと、そう伝えた。

けれど征士は何故かそうする事の方が辛いと言った。
当麻には理解できなかったが、ただその優しさが嬉しかった。




それからの征士の行動の変化は早かった。


今まで以上に当麻に触れる事が多くなった。
時折、とても大切なもののように扱われる事も増えた。
非番の日など、今までなら用事がなければすぐに帰っていたはずなのに、今では特に何もなくても傍に居続けてくれている。

以前では知らなかった征士の意外な面を、当麻が知ることも増えた。

例えば3人兄弟の真ん中で、姉と妹がいるのは何かの折に話してくれた事はあったが、
その姉妹(特に姉)のせいで未だに女性に対して苦手意識が強いというのを知ったのはつい最近のことだ。
まだ征士が小学生の頃、帰宅すると自分のオヤツが綺麗に食べられていて、姉妹に聞くと悪びれもせずに「食べた」と答え、
それを咎めると「男の癖に小さいことを言うとは何事か」と逆に説教されたと聞いた時は、彼には悪いが当麻は腹を抱えて笑い転げた。

意外に悪戯が好きな事も最近知った。
クロスワードや数独のようなパズルが好きな当麻がそれに集中していると、ご丁寧に氷水で手を冷やして、
その手を何の予告もなしに服の中に入れてきたりする事がある。
それで当麻が驚いて悲鳴を上げると、大層嬉しそうに笑うのだ。
彼は笑っているが、やられた側の当麻にすれば堪ったものではないので怒ると、今度は謝罪の言葉と一緒に額に口付けてくる。
何故そういう行動に出るのか未だに彼は「何となく」としか答えてくれないが、そうする事で当麻が大人しくなる事を理解しているという事だけは
当麻にだって解っていた。
実際、当麻はそうされると何故か心地よくて、怒っていた気持ちがいつもどこかへ行ってしまうのだ。
それを知ってされている、と当麻は思っているが、本当はもっと甘い感情が込められている事を、
そういった面での成長が人より遅い当麻に気付けるはずもなく、そして征士はそこまで解ってそういう行動に出ているのだが。


兎に角、征士との”リハビリ”以降、当麻にも変化は色々とあった。

映画館は暗い場所に知らない人間が沢山いるので苦手だったが、征士が手を握っていてくれるので平気になってきた。
誰かと居ると無言は気まずいと思い今までは何とか会話を続けていたが、征士となら沈黙も気にならなくなった。
先日など散歩に行こうと誘われ出た先の公園で、そこにあったベンチで居眠りをしてしまった。
例えばその時に一緒だったのが兄である伸だとしても、不特定多数の他人の気配を感じれば眠るなどできないはずなのに、
その時は何故か心地よく眠ってしまっていた。
それも気付けば隣の征士の膝を借りていた状態で。
慌てて起きて謝罪すると、征士がとても優しい目で頭を撫でてくれたので当麻は真っ赤になって俯いてしまった。

何故そうしてしまったのかは解らなかったが、その時はそうでもしなければ耐えられない程に何かで胸がいっぱいになっていた。



当麻にとって征士というのは、いつのまにかとても居心地のいい人間になっていた。







「当麻、そんな所で寝ると身体を痛めるぞ」


快晴の今日はリビングにあたたかな日差しが差し込んでおり、当麻は置いたクッションを枕代わりにしてその陽だまりに転がっている。
それが征士に見つかり咎められているのだが、その彼はいつものスーツではなく私服姿だった。
今日は非番で、朝からずっとこの部屋に2人で居る。


「ここ、あったかいからきもちー」

「当麻、寝るならベッドへ行け」

「ベッド行くとマジ寝して夜寝れなくなるから嫌だ」


寝るのが大好きな当麻だったが、それでもやはり限度があるらしく昼にたっぷり寝てしまうと夜なかなか眠れなくなる。
寝入りの時間が遅くなると、毎朝誰かに起こされる生活を送っている当麻の睡眠時間は短くなり、そうなると翌日いつまでも目が覚めず、
結局医者である兄に怒られるのがパターンだが、それだけは避けたい。
幾ら弟を溺愛する伸と言えど、怒ると怖いのだ。
いや、怒られるだけならまだいい。
下手をするとまだ過去の事で苦しんでいるのかと過剰に心配をかけてしまうので、本当はそれが嫌だった。

だから、昼間はなるべくベッドには近寄らないようにしている。
…のだが。


「当麻」


どうやらベッド以外で眠る事に関しては、今度は征士の心配を買うらしい。
今は身体を痛めると言っているが、これも暫くすると体が冷えて風邪を引くという言葉も付け足されるだろう。
いつもの事だ。
しかし気持ちいいものは気持ちいいし、眠いものは眠い。


「当麻」

「んー………」


声を掛けられても動いてやるもんか。
当麻は心を強く持つ。
だって征士の心配と伸の心配を秤にかけると、どうしても伸の方が重い。
風邪は大人しくしていれば数日で治るが、過去の事は未だに乗り越えきれていない。
それを、関係ないとは言え少しでも匂わす様な事を兄に見せたくなかった。

それに。


「当麻……」

「…いーじゃん。征士も寝よーよ」


自分がこうして誘えば、返事はないが暫く後には隣にクッションがもう一つ用意され、
2階へブランケットを取りに行った征士が自分と同じように隣で眠ってくれるのを当麻はとっくに知っている。
この時にも悪戯をした時のように額に口付けられ、手を握ったままで居てくれることも。

そしてそれがとても心地がいいので当麻は幾ら言われても、征士のいる昼間は特に、絶対ベッドに近寄らないのだった。




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いちゃいちゃと。