azul -27-
仕方がなかったとは言え伊達さんに話した以上キミにも話しておくね、と伸は秀に
両親の離婚の理由から当麻が事情があって入院をし、帰国するまでの経緯を掻い摘んで話し聞かせた。
入院の理由に関しては秀が弟の友人という事と、やはり自身もあまり話したくないので、そこだけは伏せた。
話の間中、感情が素直に表情に出る秀の顔は怒りに歪み、悲しみに涙を流し、最後には
何も知らなかったとは言え力になれなかった自分の無力を嘆いていた。
伸は嬉しかった。
たった3ヶ月と少しだけの間の付き合いしかなかったというのに、彼は弟のために心から怒り、涙してくれたのだ。
彼のような人間が居てくれ、そして再会できたというだけでも弟を日本に連れ帰って良かったと、心の底から思い、感謝した。
その感謝した秀の頭を痛めている一端を自分が担っているというのは、頭にないのか知らんフリをしているのかは未だ謎である。
秀はまた朝からコメカミを押さえている。
先日、当麻の兄だと改めて名乗った男は、兄だと名乗って以来、以前にも増して当麻を構いまくっている。
それは、まぁ大目に見たとして。
友人を挟んでその兄と反対側に座っている警部が、事ある毎に、いや無くても友人に触りたがるというのはどういう事だろうか。
髪に触れる。手に触れる。頬に触れる。時には身体ごと抱き寄せる。
それも優しい目で。
征士にも話をしたというのは先日の話の折に伸から聞いて知っているが、だからといってどうすればこういう結果になるのだろうか。
秀が頭を抱えているのを余所に、伸と征士は以前より増して酷くなった言葉を投げあう。
「いいかい、当麻。キミは長い間日本に居なかったから知らないだろうケドね、日本には新しい妖怪が生まれたんだよ」
「へえ」
「その名も妖怪・エロ河童」
「へーえ」
「ソイツはね、当麻みたいに可愛い子を連れて行ってしまうんだよ。だから気をつけないと…」
「出た、またソレだ」
兄の言葉を冗談か何かとして聞いているらしい弟は、ケタケタと腹を抱えて笑っているが、笑い事ではない。
伸の言っている妖怪は、明らかに征士の事を指しているのを秀は理解していた。
ちらりと警部を盗み見ると、伸の言葉など気にも留めていないのか、相変わらず当麻の右手を握っている。
それも、今まで一度たりとも見た事が無いような優しい顔で。
「ちょっと、離しなよエロ河童」
「ほう、そんな妖怪がいるのか。どこにいるのだろうか。私には見えないが、……ブラコンだと見えるのか?”お兄さん”」
「お兄さんって呼ぶな!!!」
「伸ってば”お兄さん”じゃん。何言ってんの?」
そう呼ぶことの意味合いを理解していない当麻は、心底不思議そうに兄を振り返っている。
振り返っているのは、兄が弟を後ろから抱き締めているからだ。
「自らそう名乗ったではないか」
手を握ったままの警部は、自分はさも間違っていないという顔でしれっと追い討ちをかけている。
伸のコメカミがひくりと動くのを秀は見た。
「僕はねぇ!当麻のお兄ちゃんであって、お前みたいな男のお兄ちゃんじゃ、ない!!」
怒声。
バリエーションは幾つかあれど、大抵の場合、このように警部が医師を怒らせるのだ。
以前まではやや不利だったはずの警部は何故かここ最近、押している。
と言うより、どうも医師に以前のような警戒心を隠すような余裕が無いのだ。
形勢逆転。
その理由を秀は知らない。
まさかこの警部が、遂に友人に対してハッキリと恋心を自覚し、そして兄相手に宣戦布告しているだなんて。
因みにブラコンと言われた事を伸が否定していない事は、此処では最早問題ではない。
だって彼のブラコンは、本人を含めこの場に居る全員が認めているのだから。
「………もーさ…、俺、疲れちゃった」
2人が帰った後、非番の秀だけは当麻のマンションに残ってソファに身を沈めていた。
「あー、忙しいのか?」
「そーじゃねーよ!」
お前ホントは頭悪ぃだろ!?と秀は唾を飛ばす勢いで当麻に食って掛かる。
飛んできた唾に顔を顰めつつ、当麻は秀のコップにお茶を継ぎ足してやる。
「お、アリガト」
「どういたしまして。で、何に疲れてんだよ」
「あの2人にだよ!」
「伸と征士?」
「そーだよ!」
「何で」
「何でって………なぁ、お前、アレ、疲れねーの?」
秀は心底呆れる。
見ているだけでも疲れるのに、あんなのに挟まれて毎朝毎朝大変だろうと同情を向けていた友人は、
何とアレをどうとも思っていないそうだ。
天才と言うのは凡人とは感じ方が違うのだろうか。
「だって毎朝ああだぜ?」
「あー。なぁ」
「なぁって………何その余裕」
「だって面白いだろ」
「俺にはそういう余裕がまだ生まれネーよ。ハラハラしっぱなしだ…」
「何でハラハラするんだよ」
「だってよー…マジで喧嘩とかされたら、流石に気まずいじゃんか」
どちらも嫌いではないし、どちらも尊敬している。
その2人がもし何かの拍子に本気で喧嘩をしてしまっては悲しい。
それにそうなっては自分よりも親密に関わっている分、きっと当麻はもっと悲しむだろうと思っていた。
意外と気遣いの人である秀はそのへん、気になるらしい。
実は既に一度、険悪になった事があるのをこの2人は未だに知らない。
そういう機微にはまだまだ疎い所が彼らには共通してあった。
「喧嘩ねぇ……しないだろ」
「だから何でそんな余裕なんだよ」
「だってあの2人、仲イイだろ?」
「は!!?」
「仲、よくない?」
アレを見て仲がいいと受け取れる当麻に秀は目を剥いた。
互いに疎くはあっても、感じ方はどうやら違ったようだ。
決して心底仲が悪いわけではないだろうが、秀にはあれを仲が良いとは思う事が出来ない。
顔を合わせるたびにあの調子で悪口の言い合いだ。
そりゃ仕事ともなればお互いそこは大人の対応で、まるで何事も無いように接しているが、
それがひとたびプライベートとなると、あの通りである。
”あなた”と呼べば”あなた”と答えるように、”ムッツリスケベ”と呼べば”腹黒”と答えていたのが、
今ではすっかり”エロ河童”と”ブラコン”に変わっている。
人当たりも腕も良く、優しい人物だと思っていた医師は、今やスッカリ変貌していた。
いや、本性を現しただけ、かも知れない。
そして眉目秀麗にして真面目な人物だと思っていた警部も外に対しては以前と何の変わりも無いが、
友人に対してだけは随分と大胆に口説きにかかっている。
……口説きにかかっている。
その言葉を思い浮かべて秀は自分にストップ、と言い聞かせた。
口説いている。のだろうか。
思わず当麻を見た。
暢気に兄の焼いたクッキーを食べている。
コレを、口説いているのだろうか。
「……いや、まさかな」
幾ら人より整った顔をしているとは言え、当麻である。
天才と馬鹿の境界線を行ったり来たりしている人物である。
そもそも柔らかな胸など無いし、下に自分達と同じものがぶら下っている、のだ。
それをモテない自分とは大違いで選びたい放題、選り取りみどりのあの警部が、果たして選ぶだろうか。
「俺だったら、やっぱ可愛い女の子がいいなぁ…」
「何が?」
思わず口から出てしまった独り言に、当麻が食いつく。
こういう時だけ。
普段、物を食べている時は人の話をロクに聞いてないくせに。
「いや、……可愛い女の子がいいよなぁ?」
もう一度秀が同じ言葉を、けれど今度は問いかけとして当麻へ発する。
言われた当麻は暫く悩みながらも咀嚼だけは止めず、そして口の中のクッキーを飲み込むと漸く、
「うーん……俺は可愛い系より美人系の方が好きかな?」
と、秀の言いたい事とはちょっとズレた答えを寄越した。
けれどソコは同い年の男2人。
「っえー!?可愛い方が良くネェか!?」
「可愛いのもいいけど…俺は美人が好きだな」
「癒されるだろー可愛いと!」
「あ、じゃあ秀はアレだ。胸が大きい方が好きだろ」
「わ…悪いか!」
「悪いなんて言ってねーよ」
「じゃあお前、胸は無い方が好きなのか?」
「そーも言ってないって。でもまぁ正直、胸は大きくても小さくても、どっちでもいいかな」
「じゃ、パッと見で何判断だよ。顔かよ」
「………………顔、かも」
「うわ、面食いだ!」
「俺、やっぱ面食いかな?お袋にも言われるんだけど」
「親が言うとか、お前、相当だぞ!自覚ねーのかよー!」
さっきまでの事なんて何処へやら、下世話な話に雪崩れ込む。
大人2人がいては絶対にならない会話だ。
こういう時は2人揃ってまるで学生のように声を立てて笑い、取りとめのない会話をしながら午前中を過ごす。
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あなたと呼べばあなたと答えるのは、「二人は若い」という昔の歌です。
この部分しか知りませんけども。