azul -26-



部屋を出た征士は、入る前と一転して明らかにスッキリとした顔をしていた。
迷いが吹っ切れたとでも言うべき表情は自信に溢れ、本来持つ彼の美しさを際立たせ、更に誰の目をも惹きつける魅力さえあった。
向かうは緊急の患者が運び込まれる先で、そこに居るのは運ばれてくる命を繋ぎとめる事にのみ神経を向けている人間ばかりのはずなのに、
征士が近くを通ると一瞬とは言え完全に意識が彼に向かうほどに、今の彼は迫力があった。
伸などがそれを見ていれば、歩く公害だの猥褻物陳列罪に等しいなどと言いたい放題だろうが、彼は未だあの部屋で項垂れている。



征士が当麻の運び込まれたベッドへ近付くと、楽しげな話し声が聞こえて来た。
近くに居た医師に許可を得、カーテンを捲くるとそこには半身をベッドの上に起こしている当麻と、
先ほど見た蛇人間のような男がいるだけだった。


「あ、征士」


当麻が気付き声をかける。
いつも通りの顔で、少し前まで真っ青な顔でそこに横たわっていたことなど、まるで始めからなかったかのように。
けれどそんな様子を見ても、もう征士の胸は無意味に痛んだりしなかった。
そんな風にしか振舞えない当麻を、もう自分はどうするつもりか決めてきたからだ。


「小童との話は済んだか」


当麻に話しかけていたのとはまた少し違う声のトーンで蛇人間が話しかけてくる。
名札を見ると、山之内、とあった。
一見すれば冷たそうな人間だが、声や目を注意深く見ればそれは不用意で不躾な優しさではなく、本当の意味での優しさがあると気付く。

その男が、山之内が小童と呼んだのが伸のことだと征士が理解するのに少しばかり時間が掛かった。
自分と同い年の伸はどう見ても小童と呼ばれる歳ではないし、ましてや山之内がそこまで老齢とは思えない。
しかし人間離れしたこの容貌からは正確な年齢が測れず、彼からすれば自分もあの医師も実は本当に小童なのかも知れないが、
もしそれが年齢としての意味ではなく、尻の青い、という意味ならば苦笑を禁じえない。

確かに自分達は、そういう意味では”小童”なのだろう事は、さっきの遣り取りを思い出せば情けないが納得もいく。


「えぇ、済みました。…お手数をおかけしました」

「よい。ワシも少しばかり暇をしておった。コレは中々に頭がいいらしく話題に事欠かんかったしの」


言いながら当麻の頭をくしゃりと撫でる。
もうそんな風に誰かが当麻に触れても意味も無く心が波立つことも無い。
変わりに、ハッキリとした独占欲のみが沸いてくるのに征士は素直に笑った。


「ではワシはもう行く。寝る前にきちんと薬を飲む事だ。渡した分が無くなって、まだ眠れんようなら素直に言いにこい」

「うん、ありがとう。全部飲まなきゃ駄目か?」

「飲まんでも良い。ただ、少しでも駄目だと思えば飲むことだな」

「うん。わかった」


言い終えると冷たい目に戻り、カーテンの向こうへ消えた山之内を見送ってから当麻は征士を見上げる。


「………”お兄ちゃん”から、全部聞いた?」

「ああ」

「…そうか」


諦めを微かに滲ませる表情。
けれど、やはりまだ笑っている。
そんな顔はしないで欲しいと今までなら思うだけだったが、その兄相手に言い切ってきた男は違った。


「当麻」


傍の椅子を引き寄せ腰を下ろすと、そっと手を握りながら声をかける。
全てを聞いてきたという征士に、当麻は手を振り払うことも引っ込めることもせず、不思議そうな顔をした。


「当麻…私の手は、怖いか?」


視線を征士の目から手へ、そしてもう一度、目へ移した当麻は、どう答えるべきか考えているようだった。


「私に取っての答えを考えなくていい。お前の、正直な意見を聞きたい」


頭が良すぎるせいもあるだろうし、幼少期の経験があるからだろう。
自分の事よりも相手の事を優先するのは、最早、無意識のうちにしてしまう行動だという事は予想できた。
だから征士は敢えて言葉にしてその答えを求める。


「………正直に」

「そう。正直に。どう答えても構わん。ただ嘘だけは吐かないで欲しい」

「………………正直、に」


同じ言葉を口にする。
ゆっくりと瞬きをする青い目を征士はじっと見つめ続けた。


「………………怖い…」

「………」

「と、思った事は………ない、かも知れない…」

「…………そうか」

「避けなきゃって思った事は…」

「あるんだな?」

「………」


無言だったが、首を縦に振って答えた。
それは予想できていた。
ただ、怖くないと言って貰えるとは今の時点では思っていなかった。
解らない。
そう答えられると思っていたからだ。
だから徐々に詰めていこうと思っていたのに、いきなりの計画変更を余儀なくされる。
まぁ嬉しい方向へ変更なのだから構わないが、そうなるとどの程度で自分を制御するかが今度は課題になりかねない。

征士は漏れそうになる物騒な笑みをどうにか押し殺し、握る手に少しばかり力を込めた。


「当麻」

「うん?」

「では、リハビリをしよう」

「何の?」

「人の手に、馴れる為のリハビリだ」


そして、その心に自分を入れてもらうための、策略。
少々ずるい気もするが、相手が相手だし、あの兄もいる。
確実に事を運びたい。
ずるい大人になるのは、致し方ないと征士は思っている。

思った以上に自分は矮小な男だと苦笑はしても、それをみっともないとは思わないようにした。


「………やっぱり必要、かな」

「やっぱり、という事は自分でも薄々思ってはいるんだな?」

「まぁ……でも…あんまり俺に関わらない方が…いいかも知れない」

「そうでもない。お前に関われない方が私には辛い」

「…?なんで?」

「それは追々教えてやる」

「今じゃ駄目なんだ?」

「楽しみは後にある方がいいと思わんか?」


にやりと笑って見せると、当麻はまた少し考える仕草を見せた。
それから笑って。


「楽しい答えじゃなかったら、何か罰ゲームな」

「保障してやろう。………だが、もしもの場合は、お手柔らかに頼む」


その言葉を受けて声を立てて笑った当麻は、もう平気なら出て行くようにと看護士からこっ酷くしかられ
まるで子供のように落ち込みながらも、慰めとして売店でお菓子を買ってくれとちゃっかり征士に要求していた。




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距離を詰め始めるエロ河童。