azul -25-
「帰国後はね、一緒に暮らそうと思ってたんだ。でもね、断られた」
これ以上、伸の時間を俺なんかのために使わせられない。
そう言って弟は、兄の申し出を拒絶した。
バラバラに暮らした方が兄弟だってバレない確率だってあがるし、と尤もらしく付け加えて。
両親が離婚したのも、家族が苦しみ続けたのも、全部自分のせい。
自分が家族に何かを返すことこそあれど、家族からも、他の誰からもこれ以上何も奪いたくはない。
自分の元に来たせいで医師としても大事な時期にあったはずの兄は1年を無駄にした。
自分を産んだせいで母は愛する人と離れ離れになり、今も偶然を装って会うほかなくなってしまった。
もしかしたら自分と関わらなければ友人は罪を犯さずに済んだかもしれない。
幼少期の傷はいつしか当麻の心を少しずつ蝕み、根を張り、まるで影の様にずっと彼に付き纏っている。
いつかはそれら全て取り除いてやりたい。
お前は何一つ悪くなどないと、言葉だけでなく、ちゃんと心に伝えてやりたい。
けれどそれは、どんな手術よりも難しくて。
だから、今はまだ。
「誰かが当麻に深く関わろうとすれば、それだけで当麻は恐れるし苦しむ。だから、忠告したんだ」
当麻に近付かないで。
「なのに伊達さん、ちっとも聞いてくれないんだもの…」
「…………………………」
「一生懸命、嫌がらせしたのにね」
「…………………………その程度で」
「?」
「その程度で、諦めるつもりなどないからだ」
「……どういう事?」
話を聞いて、ハッキリと自覚した。
「今後、当麻は私が守る」
聞いていくうちに自分の中から激しい憎悪が沸いてくるのを、身を裂かんばかりの怒りが噴出してくるのを。
彼を傷つけ、悲しませ、苦しめたもの全てに対して、体中の血が逆流しそうなほどの、その憤怒。
腹の底に渦巻いて、自身でさえ飲み込みそうな、その。
「守らせて欲しい」
「……………」
そんな感情を抱く理由なんて、単純だ。
だから。
「当麻の傍にいさせて欲しい……当麻を、愛させて欲しい」
「お断りだね」
にべもなく突き返される言葉。
「じょーだんじゃないよ!何?僕はあなたに”お兄さん”なんて呼ばれるわけ?」
先ほどまでの胡乱な表情など何処へやら。
眉を顰め、心底「嫌だ」と訴えかけてくる伸に、それでも征士は真顔だった。
「………大体さ、話聞いてた?伊達さん。僕はね、当麻の事をきちんと理解した上で、距離を空けて付き合っ」
「話は聞いていたし、当麻が何故人を頼らないのかも解ったし、あなたの行動の意味も理解できた。
それに何よりその話を聞いていくうちに私自身の気持ちに気付いたし、ここ最近の自分の行動に納得ができたからこその言葉だったのだが」
力強い目。声。
今度は伸が黙ってしまう。
「それに、今のは許可を求めたのではない。意思表明だ」
だから断られたって諦めない。
そう言外に含ませた美丈夫は既にいつもの自信に溢れた姿を取り戻していた。
「何より当麻がそうやって本当の意味での人との関わりを避けているのは良くないと、あなたも解っているはずだ。
けれどどうする事も出来ないから、私を遠ざけようとしたのだろう?ならば今回の事を逆手に取って、私はアレに踏み込む」
向かいの伸は、大きく目を見開く。
そしてゆっくりと瞬きをしてから、次は目を細めて向かいに座る征士を見る。
よく見ればこの医師の目も垂れ気味で、色素が通常の日本人のものとは少々異なっている。
父親の遺伝子なのかもしれない。
「………………………伊達さんさぁ…」
「何だ」
「自信満々みたいだけど、当麻に本気で拒まれたらどうするつもりさ。余計に当麻が殻に閉じこもるとか考えないわけ?」
「本気で拒まれても、大事にさせてもらう事くらい自由だろう。それに少なくとも私は嫌われはしないと思っているのでな」
「わあ、ほんと、すごい自信だ」
伸はまた天井を仰いだ。
この男、最早何を言っても無駄らしい。
どうしてこんな余裕が有るのだろう。
兄である自分でさえ、どこかまだ遠慮をしてしまっているというのに。
そう思って、ハタと気付いた。
慌てて視線を征士に戻す。
何か、確信を持っているような、その笑み。
「………………うわあ」
きっとそうだ、と伸は本気で嫌になってくる。
先日、当麻はこの目の前の男に凭れ掛かって眠っていた、というではないか。
他人の体温など未だに抵抗があるはずなのに、アッサリと無防備になっていたそうではないか。
他人は駄目だが、何故か、この男にだけ。
恐らくこの男もそれに気付いてるはずだ。
先の話から家族でさえ慣れるに時間が掛かったのに、自分にはアッサリと無防備な姿を晒したという事を。
きっと当麻が自分を避け始めた事も、当麻自身に自覚の有る無しはさておき、それでも何らかの確信を得たのかもしれない。
伸は心の内で舌打ちをした。
当麻のヤツ、面食いだって……言ってたな…
最悪、である。
征士はハッキリといって完璧な男だと、それは伸も認めてはいる。
無いとは思っているが、彼が望むのなら知り合いの女性を喜んで薦めてもいいとさえ思える程には認めている。
けれど、それでも弟の相手に、となると全く話が別だ。
絶対、何が何でも、気に入らない。
何がと言われても困るが、気に入らないのだから仕方がない。
何故なら伸は自他共に認める、ブラコン、だからだ。
可愛い弟を誰が喜んで他の誰かに差し出したりするものか。
10にも満たない歳で手元を離れた弟は、身体こそ大きくなったが伸の中では未だに膝の上に乗せていたイメージが強い。
そんな大事な大事な、可愛い、可愛すぎるほどの弟だ。
幾ら公明正大で容姿端麗で頭脳明晰であろうとも、差し出すわけがない。
「…言っとくけど、僕は許さないからね」
今度からお前の事はムッツリスケベではなく、エロ河童と呼んでやる。
それも当麻の目の前で。
そんな風に伸は心の中で悪態をついた。
その向かいで征士は、このブラコンが…と思っていたのだから、この2人、表面的なタイプこそ違えど根底は似ているのかも知れない。
「話はそれだけ、だろうか」
「……その通りだけど、何かむかつくな、その言い方」
「そう腹を立てると胃に穴が開くぞ」
「特効薬は弟に害虫が寄らないことなんですよねー」
「ならば私が害虫駆除を買って出よう。先生はゆっくりご自身の胃を治すことを考えるといい」
「一番の害虫のくせに、ふてぶてしい!!」
伸の最後の言葉は聞かなかった事にして征士は席を立つと、
「では当麻を家まで送り届けてくる」
と、非常に"余裕ある大人の笑み”を浮かべて出て行こうとするので、伸は思わず
「このエロ河童!弟にちょっとでも何かしたら問答無用に”イチモツ”切り落としてやるからな!!!」
などと普段の彼なら絶対に口にしそうにもない言葉を、廊下にまで響くような大声で叫んだ。
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まぁ結局いつもの2人に戻るだけです。