azul -23-



病院の駐車場に着くなり連絡を受けていたらしい係員に、緊急車両の駐車スペースへ誘導される。
車を停めるとストレッチャーが横付けされ、倒した助手席に寝かせてある当麻を慎重に連れ出し運んでいく。
征士もすぐに通常の駐車場へ車を移し、急いで緊急搬入口へと戻った。


外傷はないため、脈を取ったり酸素吸入器を取り付けられているのがカーテンの隙間から見える。
痛ましいその姿に、征士は思わず息が詰まってしまう。
その横を、まるで蛇を人間にしたような男が通り過ぎ、カーテンを捲くって中へと消えた。
そしてそれに外科医であるはずの伸も何故か続く。

何故とは思っても声に出せない征士に気付いたのか、伸がちらりと視線だけ寄越した。
その目は以前のような怒りも、底の見えない暗さもなく、ただただ無感情に冷たい色をしていた。


「……伊達さん。いつもの部屋で待っててよ。話がある」


それだけ言うと、伸もカーテンの向こうに消えた。




伸に言われたとおり、大人しくいつもの部屋のソファに腰を下ろした。
けれど此処までどうやって来たかいまいち覚えていない。
呆然としていた。
しかし通いなれた身体はきちんと部屋までの道を辿ってくれていたらしい。

征士はソファに座ったまま、手を組みそこに額をつけて後悔を始める。

幾ら外で緊急に連絡を受けたとは言え、もう少し内容を把握しておくべきだった。
何でも平然とこなしてきた当麻に、配慮を欠いたのは明らかにこちら側の非である。
彼がどういったモノを嫌うかそれくらいは知っておくべきだった。
まさか気を失うほどの嫌悪感を抱いているなんて思いもしなかった。

色々な事が頭を過ぎる。

当麻が今はあくまで民間人だと解っていたはずなのに、どこかで甘えていたのだろう自分が許せなかった。
守るべき対象として認識していたはずなのに、配慮を怠ったのは何より自分だ。
あの時、もっと早くに彼の異変に気付いてやるべきだった。
一緒にエレベーターに乗り込んでやれば、こんな事態は避けられたのかもしれない。
そう思うとますます遣る瀬無くなってくる。
何のために、彼の傍を離れないようにしていたのか。

守ってやりたかったから、だ。


初めてマンションまで当麻を迎えに行った時、聞いていた経歴からは想像できない人物が現れた。
背ばかり高くて、肉の薄い身体。
珍しい色味の髪に、同じ色の目。
寝起きだと言ったその姿はどちらかと言うと頼りなく、ふにゃっと笑ってヨロシクと挨拶をした顔はあどけなかった。
一応、要人となるため後部座席へ乗せると、寝てもいい?と聞いてきたのには驚きをこえて呆れたが、不快感はなかった。
起きたかと思うとポケットから飴を取り出して食べ始める姿は、まるで親に連れられて出かける子供のようだった。
奔放で、身勝手で、行動が読めなくて、けれど憎めなくて。
人懐っこいのにどこか常に孤独に身を置きたがる、大きな矛盾。
それら全部ひっくるめて、守ってやりたかった。
なのに自分は肝心の所で何も出来なかった。

彼の事を、あまりに知らなさすぎた。
好きな食べ物、好きな物、好きな色、好きなニュース。
好きな物なら幾らでも教えてくれたが、嫌なもの嫌いなことは何も教えてくれなった。
そして、知ろうともしなかった。
いつだって笑っている顔しか知らなかった。
困ったり、眉根を寄せる程度なら見た事はあっても、それだってすぐに笑みを含んだものに変わっていた。

甘えて欲しいと思っていた。
実際、甘えてくれない事は解っていたけれど、それでも甘えて欲しいと思っていた。
けれどそれは身勝手な感情で、結局彼の中にある暗い部分を見もせずに勝手にこちらが思っていただけだ。

征士は溜息を吐く。
伸を待つ間が随分と長く感じられた。

きっと彼の事だから処置が済めばすぐに此処に向かってくれるはずだ。
それが未だ来ないという事は、まだ処置が済まないのだろうか。
それほどに良くない事態なのだろうか。

不安はいつしか心を締め付け、重ねていた手に汗が滲む。



その状態で待っていると漸くドアが開いた。
反射的に立ち上がってみると、当然だが伸が立っていた。

視界の端で時計が見える。
職業柄つい確認する。
ここに入ってきてからまだ20分ほどしか経っていなかった事を頭の隅で、たった20分、と思ってしまった。





「…当麻は?」

「気になる?」

「当然だ…っ!」

「まぁ…座ってよ。時間、ないなんて言わないでね」


この部屋で最後に会ったのは、あの挑発的なまでの拒絶を受けた日だ。
あの日の彼とは全く違い、声は平坦で何の抑揚もなく、感情と言うものを一切見せない顔でこちらを見ている。
その視線を受け、征士は無言でソファに再び座る。

元よりそのつもりだった。
現場はどう見ても例の件とは無関係だったし、仮に戻れといわれてもあんな状態の当麻をおいて帰るわけに行かない。
その意思を読み取ってくれたのか、伸は何も言わずに備え付けの給茶機を使って暖かいお茶を淹れてくれた。


「どうぞ。顔色、悪いから少しは温めた方がいいと思います」


事務的なその言葉は、前回のそれよりいっそ威圧感がある。

当麻の事を傷付ければ絶対に許さない。
そう言った彼の言葉を思い出す。
どういったつもりで、どういった権利であんな言葉を向けたのかは未だ解らないが、
それでもあの言葉は本当だったのだろう。
今目の前にいる彼は、冷淡すぎて不気味だった。

何を、言われるのだろうか。
いや言われるは構わない。
何かをされるのも、今なら甘んじて受け入れられる。
けれど、それでも理由を知りたい、と思った。

彼が当麻に執着する、その理由を。

しかし今は征士が話すべき時ではない。
話があると呼び出したのは伸だし、まず彼の話を聞くべきだと征士自身も思っていたことだ。



伸は自分には冷たい水を入れ、それを一気に飲み干して征士の向かいにあるソファに歩み寄る。
どっかりと座ったその姿はナゲヤリで、背凭れに沿った身体のままに首は天井へと向けられていた。
どこか気だるさを漂わせ絶望さえ滲ませる身体の中で、強張った指だけがソファに爪を立てているのが見えた。

そのままどれくらい沈黙が続いただろうか。
伸は体勢を変えることなく、突然口を開いた。


「当麻の状態は、単なる精神的圧迫による意識の消失発作。後遺症も何もないから心配はない。
ただ………こうなった以上、聞いてもらいたい話があるんだよ」


相変わらず視線は天井だ。


「当麻と関わる以上、その頭に叩き込んでおいて欲しい話だ。今日の現場、大体想像付くよ。
これからもまた同じ事がまたあったんじゃ堪ったモンじゃない」


何かを含む言い方に、征士は頭とは少し違う所で苛立ちを覚える。
まるで自分だけは何かを知っているような彼が、こんな時でも憎くさえ思えてしまうのを止められない。


「それは先ほど処置に関わった医者としての話か」


声に険が滲むのをなるべくは抑えたが、どうやら失敗したらしい。
その言葉に伸が喉を震わせて笑うのが解った。

何がおかしい。
そう言ってやろうかと思っていると、ゆっくりと伸の首が天井から戻され、視線が征士のそれとぶつかる。


「まさか」


口元には笑みが浮かんでいた。
皮肉ではなく、嫌味でもなく、恐らくそこにあるのは、諦め、だ。


「当麻の兄として、聞いてもらいたい話だよ」




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お兄ちゃんです。