azul -21-
風呂から上がると、ちょうど携帯が鳴った。
ディスプレイには伸の名前がある。
「もしもし」
「ただいま」
「おかえり。今帰ったのか?」
「うん」
「お疲れさん」
電話を肩に挟み、冷蔵庫からスポーツドリンクを出す。
閉める時は行儀悪く足で蹴って閉めた。
「当麻、今時間、大丈夫?」
「うん、別に。風呂入ったしアトは寝るだけだから」
伸の声が妙に硬い事に微かな違和感を抱く。
これは何かあったのだろうか。
「あのさ、当麻。僕、ちょっと怒ってるんだけど」
「なんで」
「キミ、伊達さんに今日、何されてたの」
「今日?」
今日は普通に会って深爪の写真を見せてもらっていた。
そしてその後、ある程度確信の持てた情報を彼に渡した。
それだけのはずだ。
「?何かあったっけ?」
「キミ、おでこにキスされてたでしょ」
「…あ」
「どういうつもりなのさ」
「さぁ?アレってどういうつもりなんだろうな」
「当麻!」
茶化したわけではない。
本当に解らないし、本人も何となくと言ったのだから素直に答えたまでだ。
「当麻、キミの携帯の待ち受けは何のためにあると思ってるの」
「コレ?ピンチの時だろ?」
「だったら何で出さないんだよ!」
「だって別にあんなのピンチじゃないだろー。命に関わらんじゃないか」
「こ……んの…、馬鹿!」
伸は”そういう意味”での危機のために設定させていたというのに、どうやら当麻は生命の危機と勘違いをしているらしい。
そんな時にあんなものを見せて一体何になるというのか。
高すぎるIQは、高すぎて一周回って、ただの馬鹿になっているのではなかろうか。
伸は電話の向こうでコメカミを押さえた。
「電話口で怒鳴るなよー…耳痛ぇ…」
「ホンットにキミって馬鹿だよね!人の気も知らないでさ!」
「………んだよ、…伸、最近、機嫌悪い」
「悪くて悪かったね」
図星を指されても怯まない。
「………………………俺の、せい?」
けれど、当麻にそう言われると怯んでしまう。
「そう…じゃ…ないんだけど……色々、あるの、僕にも」
「……ふぅん…ま、いいけどさ」
少し間が空く。
対面していればそれくらいの間は何という事もないが、電話となると別だ。
顔が見えない分、その間に色々と余計な事を考えてしまう。
「………ねぇ、当麻」
さっきより幾分か優しい声で。
「ねぇ、……やっぱり一緒に暮らそう」
懇願に近い、誘い。
けれど。
「…伸、それは前にも言ったけど…」
「駄目かい?」
「…………ごめん」
「どうして?」
「…解ってるんだろ?」
「…………うん」
「ごめん」
「謝らないでよ…」
「…ごめん」
「当麻……」
「…………」
伸は漏らした溜息が通話口に届いてなければいいと思った。
一緒に暮らすこと。
何度か誘った。
その度に答えは一緒だった。
どうしても最後の最後で甘えることをしてくれないのは、きっと彼の今までがそうさせているという事を解っていても、
その原因を取り除く事が出来ないもどかしさ。
その苦しさを別の場所へ追いやるために、話題の転換を試みる。
「ネェ、当麻、マミちゃん元気?」
今度は明るい声で。
電話の向こうで当麻が笑ったのが聴こえた。
「マミちゃんって」
「いいじゃない。マミちゃん、元気かナァって」
「元気だよ」
「そう?良かった」
「相変わらずだ。3日前も電話があってさ、何でもたまたま仕事場の近くで映画の撮影をしてるらしくて、
何だったかな、何かアカデミー賞取った女優が来てるんだって」
「へぇ。ミーハーなとこあるから楽しそうだね」
「うん、楽しいみたい。で、今度面食いの俺のために彼女の写真撮って送ってくれるらしい」
今度は伸が笑った。
「そっか、キミ、面食いだったのか」
「俺はそういうつもりナイんだけどなぁ……そう言われ続けてる」
「僕は初めて聞いたなぁ。そうかー面食いかー」
折角楽しい話題になってきたのに、面食いという言葉で真っ先にあの警部が浮かんだ。
面食い、ね。
伸はまた此処には居ない相手への警戒を強める。
「ていうかその女優、誰?」
「名前忘れた」
「っもー!どうせなら僕も写真欲しいなぁー」
「アレ?伸、ミーハー?」
「そうでもないと思うけど。でもやっぱり有名人の写真とか、ちょっと欲しいじゃない」
「それをミーハーって言うんじゃないのか?」
「そうだっけか」
どちらからともなく、笑い声が上がった。
「マミちゃん、いつ電話してくるの?何か時差とかあんまり考えなさそうだけど」
「考えてくれない。だからこっちが眠りかけてるときとかに掛かってくると、最悪」
「寝つきいい癖に何が最悪だよ」
「でも布団の中でうつらうつらしてんのにさー。それもスゲー、マシンガントーク」
「あはは、想像付くよ」
「返事しないと怒り出すし」
「返事を間違っても怒るし?」
「そ!っんとにさぁ……………あ、今度伸の電話番号教えとこうかな」
「やめてよ、僕が眠りそびれちゃう」
「やめてよ、とか酷いな、お前」
「今の、マミちゃんには内緒ね」
「今度マフィン作ってきてくれるんなら内緒にする」
「解ったよ」
他愛のない会話を暫く楽しむ。
トゲトゲとしていた心が柔らかくなっていくのを伸は感じていた。
もっと話していたかったが明日も仕事はある。
それに朝早くに電話の相手を起こしに行かなければ、またあの警部が我が物顔で部屋にいるのを見なければならない破目になる。
それは非常に気に食わない。
「じゃあ当麻、僕、そろそろ寝るよ」
「アレ?風呂は?」
「だからお風呂に入ってから寝るの。電話、切るよ?」
「かけてきたのに一方的だなー」
「気にしてないくせに」
「バレたか」
「バレバレ。…おやすみ」
「うん、おやすみ」
通話を終えると、ディスプレイはいつも通り空の写真に戻る。
それをテーブルの上に置いて、伸は風呂の準備を始めた。
*****
伸ちゃんイライラ。