azul -20-



征士の去った後の部屋で、伸は身体から力を抜き、一気に息を吐いた。
思い切りすぎた、かも知れない。
そう思いはしたが、気に入らないものは気に入らないのだから仕方ないと、結局反省らしい反省はせず、部屋を後にした。




病室のドアは開いていたが、一応軽くノックだけはした。
今日は部屋に当麻と真田兄妹の他に、秀もいた。
ここで話をするわけにはいかない。
征士が当麻に声をかけ、封筒を上げてみせる。
すると心得た当麻は部屋の者に向かって、ちょっと出る、とだけ言って征士について歩き出した。

気持ちは此処に来るまでに既に切り替えておいた。


病室で話が出来ないときは、いつも征士の車の中で話をした。
病院内で話すわけには当然いかないし、かと言って態々当麻の家へ行くのも、警視庁に向かうのも時間の無駄だ。


「これが頼まれていた写真だ」


そう言って当麻に渡した封筒の中には容疑者全員の爪を切った後の写真と、最初の犯人・菊池の婚約者の爪の写真だ。


「………やっぱり」

「…思っていた通りだったか?」

「全員、見事な深爪だ」


言われて写真を一緒に覗き込む。
運転席と助手席にいるため、距離も近い。

当麻の言うとおり、全ての容疑者の爪は白いところを殆ど残さず、いっそ見事なほどに深く切り落とされていた。


「…これか」

「そう。それで、こっち」


今度は菊池の婚約者と言う女性の爪の写真を見る。
彼女の手は見事なネイルが施されており、他の写真とは明らかに違い、とても長い。


「うん。やっぱり違う」

「当麻、そろそろ説明が欲しい」


促すと青い目が自分を見返してきた。
途端に先程の伸の言葉が頭を過ぎる。
恋愛感情が、何とか。
下らない。
征士は軽く頭を振ってその言葉を頭から追い出した。


「これ、みーんな、深爪」

「そうだな」

「神経質だと思わないか?」

「それは当麻が最初に犯人の特徴としてあげていた事だろう?」

「でも神経質ってさ、普通はパッと見じゃそうそう解らないモンだ」

「普通はな」

「だから前に言ってた”悪い大人”はこの深爪を目印に、事件を起こしてくれる人を探したんだ」

「……ちょっと待て。少し話が早い。もう少し順を追ってくれないか」


当麻の話がたまに飛ぶのは慣れているが、流石にこう大事な話で飛ばれると堪ったものではない。
征士の訴えに、当麻は別段面倒臭そうにすることなく話し始めた。


「じゃあ結論から。”悪い大人”は図書館の受付にいる可能性の高い、女だ」

「…ふむ」

「そこで相手を見つける。骨は一見リレーされてるように見えたけど、違う。1回1回、丁寧に”返却”されていたんだ」

「……それで図書館に絞る理由は何だ?」

「そこに用があるのはよほどの人間しか居ない。つまり、受付に来る時点で、また用がある。返却が必要だから。
その時に預かった骨と、途中からはリストを返す。本と一緒に」

「仮にそうだとして、突然そんな物を渡された側は受け入れるだろうか」

「だから、事件をスイッチにしたんだ。ネットで流すことも、その1つ」

「反応のあったコメントを拾ったのか?」

「そうじゃないけど……多分、だけどね、近辺でアンケートを取った図書館はないかな」

「アンケート?」

「そこに一見事件と関係のない設問を混ぜておく。そしてそこで引っ掛かった人間と同じ筆跡の人間の中から深爪の人間を選ぶ」

「ちょっと待て。それではその”悪い大人”とやらは随分と手の込んだ…単に”素人”と呼び難い人物になるぞ」

「そうだな」


疑問がアッサリと受け入れられてしまった事に、征士は思わぬ肩透かしを食らってしまう。
これでは話が単なる推測の域を抜けない。


「菊池ってさ」

「…どうした」

「大学で心理学、学んでたんだよな」

「ああ」

「で、この事件は自分が1人で考えたって」

「そう言っていた」

「疑わしいんだろ?」

「そうだ」

「その女が、グルだよ」

「菊池が考えその女が加担したと?」

「いや、菊池をそう誘導したというのが正しいだろうな。筆跡まで見てる辺り、書道の段持ちかも。
それにアンケートの設問を触っている事からある程度は責任のあるポストの人間。
年齢で言ったら……40手前、くらいかもね」

「何故女だと?」

「菊池の婚約者の爪、見てよ」

「この派手な爪がどうした」

「多分ね、悪い大人は、深爪だよ。それにネイルアートもしてない」

「…?」

「二股だ」

「なに」

「婚約者、いるけど出会っちゃったんだろうな、その”悪い大人”に」

「……………」

「で、まぁ話の流れなんて解らないけどさ、まぁ惚れちまったんだろうなぁ、………」


そこで当麻が黙った。
何かを考え込むように写真をじっと見たまま、空いた方の手で前髪を上げる。
形のいい、広めの額が見えた。
いつも長めの前髪で隠しているその箇所を初めて見たと、征士は何となく思った。

思って、気付くとそこに口付けていた。


「…………なに?」


唇を離した後で、少しの驚きも見せずに当麻が聞いた。


「いや……」


なに、と言いたいのは自分だと征士は心でだけ思った。
何故かそこに、触れたいと思ったのだ。
ただそれだけの事だったのだけれど、自分の行動の意味さえ理解できない。
先程の伸との会話で何か心がささくれ立ったのは確かだったから、そのせいなのかも知れない。

あの意地の悪い医師の大切にしたいらしい者を、どうにかしてやろうと思ったのかも、知れない。

そう浮いたが、その考えさえ馬鹿馬鹿しいとすぐに切り捨てた。
そんな下らない気持ちで、その額に触れたのではない事だけは自分でも解っていた。


「ただ、……すまない、何となくだ」

「そう。じゃ、話の続き、いい?」

「頼む」


また何もなかったかのように。
一向に縮まらない距離と、その態度にさえ征士の胸は痛んだ。
けれどそんな事はおくびにも出さず、今は話を聞くことの方が大切だと自分に蓋をする。


「兎に角受付の女、捜してみて。で、その女の周囲に…親戚でも友達でも、元恋人でも何でもいい。
心理学を学んでいた人間が居ないか、洗って欲しい。それとボランティアに参加したりしてないかも調べてみて」

「承知した」

「あと条件として、深爪」

「身体的特徴はそれくらいか?」

「探す楽しみくらい残さないと、本格的に駄目になっちまうだろ、ニッポンの警察」



アンケートを実施した過去のある、図書館。
其処で受付をしているであろう40手前の女で、ボランティア団体に参加している可能性もある人物。
深爪で、心理学を学んだ者と親しんだ過去のある事も条件。
それと恐らくは、書道の有段者。

充分すぎるほどのヒントではあるが、自分の本来の領域ではない事として当麻から出たのはその条件だけだった。

征士は手短に礼をいい、それを聞くと当麻も助手席から外に出て軽く手を振ると、また、とだけ言っていつものように微笑んで、
まるで何もなかったかのようにそのまま病院の中へと入っていった。
その様子を見送った征士は少しの間、ハンドルに凭れ掛かり溜息を吐くと、すぐにいつもの表情に戻って車を発進させた。


その様子を、窓越しに伸が見ていたなんて知りもせずに。




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当麻のオデコが広めなのは、単に趣味です。