azul -19-
検死結果を受け取りに征士が来ていると聞いて、伸はいつもの部屋へ向かった。
何となく気が重いのは立て続けに考える事が多かったせいだ。
「お待たせしました」
礼儀として言葉にするが、あまり心は込めていない。
征士の事が嫌いになったわけではないし怒ってもいない。
ほんの少し、気に入らないだけだ。
伸の入室と共に征士は既に椅子から立ち上がり、頭を下げていた。
こういう所の礼儀に関して、本当に彼は卒が無い。
「先日は甘い物を頂きまして…」
「お口に合うかどうか解りませんでしたけども、喜んでいただけたのならこちらも嬉しい限りです」
言葉だけを聞けば、礼儀をわきまえた者同士の会話だが、その空気は酷く張り詰めている。
伸が座ると、征士もソファに身を沈めた。
検死結果は無駄な会話など何一つ無く、冷静に交わされる。
いるのはいつもの2人の姿だ。
だが、互いに一度も目どころか顔を見ていない。
思う事があるのは、それこそお互い様というやつだ。
彼の説明が終わり、受け取りを確認した筈なのに伸に立ち上がる様子が見れない。
話があるのだろうと征士は判断した。
それも、お互い様、だ。
「そう言えば伊達さん、当麻ってどうしてFBIを辞めたのかな」
「……知りたいのか」
「伊達さんなら知ってるのかなって。僕、気になると結構引き摺っちゃうタイプなんだよね」
口調は砕けているし、姿勢だってさっきまでと違って足を組み、肘掛に乗せられた肘から先で毛先を弄っている。
この部屋に来て初めて視線が絡んだが、その目は声とは全く反対の意思を見せていた。
「個人情報になる、と言えばどうする?」
「本人に聞くかな?」
「答えると思うか?」
「さぁ。聞き方次第かなって思う」
挑発的な目は変わらない。
征士は溜息を吐いて、折れた。
「一身上の都合、だそうだ」
その答えに伸の片眉がピクリと跳ねた。
「それだけ?」
「それだけしか聞いていない」
「誰から聞いたの?」
「上司だ」
あぁ、そう…と途端に興味を失ったような顔をする。
いや実際、興味はもうなくなったのだろう。
征士は最近、目の前のこの男に対して苦手意識が芽生え始めたのをハッキリと自覚していた。
明らかに攻撃的なのだ。
自分を徹底排除しようとしているように見える時がある。
何から。
当麻から、だ。
それは奇しくも当麻の心に近付けたと思い、その後柔らかに拒絶されるようになったのと時期が似ている。
一体彼は何なのか。
いや、彼らは、何なのか。
当麻は誰にでも懐くが、代わりに誰にも本心から甘えない。
それは昔を知る友でもある秀に対しても同じだったし、自分に対しても、そして伸に対してもそうだった。
だが時折、本当に時折ではあるが、どこか伸にだけ少し近付く時がある。
それが征士には理解できなかった。
そして、それが心苦しかった。
「伊達さんさぁ……」
既に先の話題は彼の中で終わったらしい。
何故興味を持っていたのかなど一切答える気も無いらしく、話題を変えてきた。
「彼女、作りなよ」
「誰かに指図されて作るものでもないだろう」
「そうだけどさ、伊達さんって確か長男でしょ?しかもそれなりの家の。跡取りとか、いいの?」
「それこそ大きなお世話というものだ。それにそういう事ならば毛利先生にも同じ事が言える」
「僕とあなたじゃ条件が違うでしょう」
「あなたは早くに母親を亡くされて父親と2人だけの家族だと聞いている。ならば、早く孫の顔でも見せてやるといい」
いつもなら秀というストッパーがいるが、ここは2人しか居ない部屋だ。
険を含む言葉は、誰も咎めるものがいない分いつもよりストレートに吐き出された。
「じゃあ素直に言うよ。当麻に、近付かないで」
ある程度の予想はされていたが、実際にその言葉をその口から聞くと、随分と威力がある。
征士はそう思った。
「何故あなたにそう言われなければならない」
「気に入らないからだよ」
即答。
いつもの温和な医師の姿はそこに無かった。
あるのは底の見えない、暗い目をした、酷く冷たい男。
「何が気に入らないというのだ」
「僕が気に入らないのさ」
「私が当麻に近付くことがか」
「そうだよ。文句ある?」
「大有りだ」
何を思ってそう言っているのか解らないが、本当の事を話してくれないのならこちらだって引く気はない。
尤も、説明された所で引く気など毛頭ない事を征士は自覚していた。
「私は仕事で今、当麻と関わっている。それを近付くなというのは私に職務を放棄しろと言っているも同然だ」
「じゃ、職務範囲を超えている事をやめて。鍵、渡してよ。僕が返しておくから」
「断る」
「何故」
「嫌だからだ」
「へぇ、誰が嫌なんだい」
「私が嫌なんだ」
沈黙。
重い、間。
互いに瞬きはしても視線を逸らす気はない。
「そういう強引なの、当麻は嫌いかもよ?」
「お互い様だ」
「そうかな。違わない?」
「違わん」
「………ねぇ、伊達さん」
「なんだ」
一呼吸おく。
伸の瞬きがさっきまでのソレよりゆっくりとされた。
「あなた、どういうつもりで当麻に接してるの?単なる仕事?親しみ?愛着?それとも……恋愛感情?」
声のトーンは変わらない。
けれど今までの質問と違い、本質を聞かれている気がした。
胸が、痛む。
「……何だと?」
平静を装って返すのがやっとだ。
「無意識って怖いよ。人間、その無意識が本来の欲求を表している事が多い。欲求は時に平気で人を傷付けるよ」
知った風な口振りだな。
言ってやりたかったのに、声にならなかった。
欲求。
彼は一体何の事を言いたいのだろうか。
自分は何を言われて今、こんなに狼狽えているのだろうか。
この狼狽は、相手に伝わってしまっているのだろうか。
向かいの伸を見る。
目を、逸らしていない。
けれど何を思っているのか、全く見えない。
その目が…怖いと感じた。
また、沈黙。
腿の横に無造作に下ろしていた手がいつの間にか握り締められている事に征士は気付いた。
そして汗ばんでいる。
これ以上、此処で彼と話すのは良くないという事だけははっきりと解った。
「………何を、馬鹿なことを…」
「馬鹿なことかな」
「馬鹿なことだ。……私はまだ当麻に用があるのでこれで失礼する。書類で何かあればそちらに連絡がいくと思うが、その時はまた、頼む」
そう告げて、早々に立ち上がった。
この場で彼と向かい合ってなどいたくなかった。
一刻も早く、当麻に会いたかった。
「………そう」
急な退室を意外にも伸は咎めなかった。
その事に少なからず安堵した征士の背中に、また冷たい声が投げられる。
「当麻のこと、傷付けたりしたら絶対に許さないから」
*****
秀という存在の大事さ。