azul -17-
征士が病室をのぞくと当麻が1人、パイプ椅子に座っているだけだったのでそのまま中に入った。
「彼女はどうした?」
「検査だって」
またか、と思った。
最近、頻繁の気がしてならない。
「……大丈夫なのか?」
「らしいよ。何でも退院が近いから、念入りに見てるんだって」
「ならいいのだが…」
「心配になる?」
「まぁ」
素直にそう言ってやると当麻が笑った。
俺もだ、と。
「病気のコトってよく解らないからさ、ホントは結構切羽詰っちゃってんのかと思って医者にしつこく聞いたんだよ」
「…ほう」
「そしたらさ、アンタもあの子のお兄さんも、丸顔の刑事もみんな同じ事聞きますねって、担当医にすっげー呆れられた」
「ならば本当に大丈夫なんだな?」
「みたい」
征士だって基本的に迦遊羅のことは嫌いではない。
病を持ちながらも真っ直ぐなまま育った彼女は好ましく思う。
退院が近いというのなら、それは他人事ながら喜ばしい。
生活には相変わらず制約がかかるだろうが、また自由に動き回る事が出来るのだ。
けれど、それ以外の感情でも喜ばしく感じる自分の影が、ひどく重い。
もう彼女が当麻と会う事がないというのが、心のどこかで何故か嬉しく感じるのだ。
そんな考えを追い出すように、此処に来た用件を切り出す。
「事件のことだが…」
「何か進展あった?」
「いや。……お前に頼まれていた聴取の記録はやはり持ち出す事が出来ない。それを伝えに」
「そっか。やっぱ無理かぁ……」
「部屋にも入れてやれないのに、一方的に頼る形になって申し訳ないと思っている」
「いいよ、そんなん。当然のことだし、征士が謝ることじゃない。……それよりさ」
当麻の顔がさっきまでのふにゃっとした表情から既に真剣なそれに変わっている。
何か思う所があるのだろう。
「一つ、試して欲しい事があるんだ」
「試す?何を」
「捕まえた連中って、爪、切ってる?」
「あぁ、切っている」
「自分達で?」
「まさか。あんな事をやらかしてくれたのだ、凶器になり得る物など渡せるわけがない。こちら側の人間が切ってやっている」
「じゃあさ、次に切る事があったら、そいつ等それぞれに好きな爪きりのタイプ聞いてさ、自分達で切らせてみてくれよ」
「何故」
「少し興味がある。もしかしたらって思ってる事があって、その通りだったら案外、連中を繋いでるモノも、
骨の受け渡し方法ももう少し絞れるかも」
「…何か解ったのか」
「解ってない。ただ、ひょっとしてって思ってる」
「なんだ?」
「まだ言えない。言って違ったらカッコ悪いじゃん」
そうではない。
ただ、いつだって考えていることの全てを完全に見せないのが当麻だ。
口にするのは最初のとっかかりと、結論だけ。
実に簡潔で、無駄がなく、そして素っ気無いものだ。
それは人間関係においても同じで、人懐っこく寄ってくるのに、完全に心の内まで踏み込ませてくれない事を征士だって解っている。
だけどこの前は、その内側に入り込めた気がした。
なのにあの出来事以降、まるで何もなかったかのように元の位置に収まっている。
いや、本当は以前のようでもない。
寧ろ丁寧に、柔らかに遠ざけられているような気がしている。
はっきりと言えば軽い接触でさえ、警戒されている。
態度は変わっていない。
相変わらず冗談は言うし、食事だって一緒にする。
起こす時に触れる事は拒絶されないが、そこに何か別のモノを少しでも感じれる接触は、巧みにかわされる。
きっと今、珍しくかけている眼鏡を外そうと手を伸ばすだけでも彼は、警戒と拒絶を僅かに滲ませた目を向けるだろう。
それが、悲しいと思ってしまうから、迷い、困っている。
「兎に角、上にそう言ってみよう」
「うん。お願い。でもちゃんと監視だけは付けといてくれよ?何かあったら俺、責任取れないし」
「…?切り方を見たいわけではないのだな」
「うん。出来たら仕上がりを写真で見せて欲しい」
「了解した」
「それと」
「まだあるのか」
「最初の会社員、いたじゃん」
「…菊池か」
「あいつ、確か婚約者がいたんだよな?」
「ああ。だが彼女は完全に無関係だと、お前も言っていただろう?」
「うん。でも彼女の手の写真も撮って来てもらっていいかな」
「爪か」
「そう。お願い」
「解った」
幾ら2人しかいないとは言え、決して聞かれてはならない会話のため、自然、顔を寄せ合う事になる。
髪と同じで睫毛も青みがかっているのがハッキリと解る距離で、視線が合う。
それを当麻は避けない。
けれど、目の奥でどこかきちんと向き合われていない。
これは初めて会った時からだ。
人間嫌い、なのだろうか。
最初にそう思った。
伸に言われて征士は当麻がFBIを辞めた理由を一度上司に確認していた。
返って来た答えは、一身上の理由、という最も無難な答えだった。
天才だからこちらには理解できない何かぶっ飛んだ理由でもあるんだろう、と彼は付け加えていたが、
若しかしたら人間嫌いなのかもしれない。
征士はそう思う事にした。
これ以上聞いても何も出ないのだから、仕方なかった。
恐らく本人に聞いても同じ答えを返されるだろう事なら、この件に関しては無駄に考えない方がいいのだ。
そんな事を頭の片隅で思っている征士は、向かいでその当麻が、まさか、
美形過ぎてこんな至近距離でマトモに見たら脳細胞が死ぬ。
などと半ば本気で考えているなんて、知るはずもなかった。
「こちらの用件は最初の事のみだ。そちらからの要望はそれだけか?」
「うん。……もう帰るの?」
「…用を済ませたからな」
踏み込ませてくれないのに、こういう時は酷く寂しそうな顔を見せる。
振り回されていると毎回思うが、本人に悪意はないのだろう。
これが計算だとしたら、小悪魔などという言葉など生ぬるい、正真正銘の悪魔だ。
「あのさ、伸がお菓子持ってきてくれてるんだよ。食べてったら?時間ない?」
指差された先。
迦遊羅のベッドの横にサイドチェストの上に保冷バッグが置かれていた。
「いや時間は多少あるが…」
「遠慮するなよ。伸がさ、征士の分も作ってきてくれてるんだよ、いっつも。疲れには甘いものが必要だからって」
「いつも?」
「そう、いつも。でも伸がお菓子を持ってきてくれてるときに限って征士来ないからさ、いつも残った分は医局の誰かにあげてるみたい」
それは態々ご丁寧に。
征士は心の中で、いやに単調に思った。
何故なら甘いものは得意ではないからだ。
しかも、医師はソレを知っているはずだ。
とんだ嫌がらせだな…。
顔に出して声にも出してやりたいが、目の前の当麻に罪はない。
ついでに悪気もない。
言っても仕方のないことだ。
目の前で食べることは出来ないが、持ち帰って署の誰かに渡そうかと思案し始めると、当麻が慌てて言葉を続けた。
「あ、大丈夫だって。征士が甘いのあんまり好きじゃないってコトは伸もちゃんと知ってるからさ、食べれるように作ってくれてるって」
「…そうなのか?」
「うん。ホラ、こうやってちゃんと器に名前貼ってくれてるんだ。それぞれの好みに合わせて作ってくれてんの。マメだよな」
確かに保冷バッグの中にあるお菓子には全て、付箋に名前が書かれていた。
既に当麻と迦遊羅のモノがないので、2人は先に食べたのだろう。
「だからさ、伸のお心遣いってやつ、ちゃんと食べてやってよ」
そう言って差し出されたのは、病室でも食べやすいようにとの配慮だろう、カップに入ったティラミス。
見た目には中に残っていた分との違いはないが、当麻の話し振りだと他の4人の物もちゃんとそれぞれ味を微妙に調節されているらしい。
それにいつもああ言い合いをしてはいるが、彼の事は元々嫌いではない。(特別好きでもなかったけれど)
結局は何かと優しさを見せる伸の事を征士だって勿論信用していたので、渡されたティラミスにスプーンを刺し入れた。
一口分掬って口へ運ぶ。
入れる直前に、久し振りに嗅ぐ、甘い匂いがした。
「な?美味しいだろう?」
当麻がまるで我がことの様に嬉しそうに聞いてくる。
征士は目だけ当麻に向けて無言で頷いた。
言えない。
とてもではないが、こんなに嬉しそうな当麻に言える筈がない。
今渡されたこのティラミスが、吐き出したいほどに甘いことなど言えよう筈がなかった。
医師のクソ意地の悪い笑みが見えた気がして、代わりにその顔に向かって思いっきり罵詈雑言を心の中で吐き続ける事にした。
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遼がリークした情報は、このような形で報復されました。
因みに今までのは本当にちゃんと作ってましたよ毛利先生。