azul -16-



当麻はいつも幾つかの説明を終えた後、確認の為に問題を少しばかり出し、それを兄妹に解かせていた。
その間、いつも邪魔にならないよう黙って少し離れた位置から2人を眺めるか、そうでなければ窓の外を見ている事が多かった。
今日は顔は、兄妹の方を向いている。
が、どうも気持ちはそこにはなかった。



時折ふと、失敗した、と考えてしまう。

この間は確かに眠かったし、眠れるものなら眠りたかった。
前日、よく眠れなかったせいだ。

波のように言い表しようのない不安がやってきて、そのせいで何度も寝返りをうつ破目になった。
幾ら体勢を変えても眠れそうになかったので、諦めて本を取りに行きそしてベッドの中で読もうとしたが、
今度はベッドに戻るのが怖くなった。
シーツの上に身体を横たえる。
ただそれだけの動作が、酷く怖いと感じたのだ。
理由は、自分の中でしっかりと解っていた。
だがそれだってもう大丈夫な事だと何度も言い聞かせてきたことなのに、それでも時折、本当にもうたまに、ではあるが、
そういう時がやってくる。

その事を、家族に告げれた事はない。
そんな事を言えばまた心配をかけるし、これ以上家族を苦しめたくなかった。
もう大丈夫なのだと。
自分は一人でももう何も苦しんでいないし、今までの人生の全てを恨んでなどいないと、そう、言ってやりたい。
言って、そして自分自身もそういたい。
なのに時折、怖くなる時がある。
日常の中で、特に大勢の人がいる所はまだ少し苦手だという意識はあった。
1日も早くそういう状況から抜け出したかった。
だから沢山の人と自分から関わろうとしている所もある。

けれど、いくら近寄っても、駄目だと思う事がある。
近寄れないのではなく、近付けてはならないのだという、一種の呪いのような強さで、思ってしまう。

なのに、先日は失敗をした。

眠かった。
肩を貸してやるという征士の申し出だって本当は軽く借りて、やっぱり硬いからいいと断ろうと思っていた。
なのに、失敗した。
彼の肩が思いのほか居心地がよく、そして体温も気持ちよかった。
目を閉じてすぐにそのまま眠ってしまうなんて思いもよらなかった。

人の体温にまだ慣れて居ない筈だったのに、彼の体温にはすぐに馴染んでしまった。


それは、失敗だ、と思っていた。









「……?どうか、されましたか?」


遼より先に解き終えた迦遊羅がいつもと違う当麻の様子に気付き声をかける。
同じ環境で育ったはずなのに、彼らの言葉遣いは全く違っているから不思議だ。


「んー?いやぁ、双子ってスゲェなーって」


すぐにいつもの顔で答えが返されたが、迦遊羅はそれが嘘だという事は解っていた。


「双子が、ですか?」


解っていても、深く問うことはしない。
こういう面では、彼女は既に少女ではなく、女だったのかも知れない。


「うん、双子ってさ、不思議なシンクロするっていうだろう?」

「聞きはしますが…」

「俺の周りに双子がいなかったから実際目にすることってなかったけど、たまに遼と迦遊羅ってシンクロしてるからさ、面白くって」

「まぁ、面白いだなんて」

「それに2人とも何か可愛いから見てて飽きなくてさぁ」

「可愛いって言われて喜ぶ男って少ないよ」


問題を解きながら遼が会話に参加してくる。
声が平坦なのは、半分以上の集中力を問題に注いでいるせいであって、別段、当麻の発言に気を悪くしたわけではない。


「あら、でも遼は子供の頃、よく女の子に間違われたじゃない」

「迦遊羅と双子だって父さんや母さんが言うからだって」



兄妹の遣り取りを見ているうちに、自然と暗い方向へ引き摺られていた心が明るみに戻ってくるのが解った。
君も僕たちも、誰も何も悪い事なんてしてないんだよ、という声が聞こえた気がした。
小さな苦笑が漏れる。
その声を頼りにもう少し明るい場所へ心を追い立ててみる。


「そう言って可愛いって言われるんだったら遼は可愛い子供だったんだな」

「当麻までそんな事言うのか!」


遂に問題用紙から顔を上げた遼が、ちょっと本当に心外だという顔をしているので、もっとからかってやりたくなった。


「子供の頃の評価なんだからいいじゃないの」


窘める口調だが、迦遊羅もどうやら兄をからかって遊ぶ気になっているらしい。
それが解って遼は口を尖らせる。


「子供の頃でも、嫌だ」

「何で」

「当麻も男なら解るだろ?」

「いやー、俺は可愛い可愛い言われて育ってきたし、それを当たり前と受け止めてきてたから」

「ああ、やっぱり当麻さんも可愛いと言われていたんですのね」

「俺は”天使だ”って言われてたくらい可愛かったんだぞ」


無意味に薄い胸を張って言った。
それを見て迦遊羅はクスクスと笑ったが、遼は何だか納得ができない顔のままだ。


「言われて嫌だと思わないの?」

「だって俺の子供の頃の写真、ホントに可愛いもん。見せてやらないけど」

「自分で言うかフツー?」

「俺はね、嘘は吐かない人間なの」

「お前、俺に昔ニンジン大福とか言って唐辛子まみれの大福食わせたことあったよな」


巡回から戻ってきたばかりの秀が、いつの間にか入り口に立ったまま胡散臭いものを見る目で当麻を見ていた。


「あ、おかえり」

「おかえり、じゃねーよ。誰が嘘つかネェ人間だってんだよ!」

「あれはイメージと違うものを口にした時の人のリアクションが見てみたかっただけなんだから、嘘じゃない。実験だ」

「そーゆーのは自分でやれ!」

「俺がやったら意味ないだろ。それに胃腸の丈夫な人間じゃないと出来ないから秀を選んだんだ」

「お前のせいで俺は舌が焼けるかと思ったし、鼻も耳も喉も、目だって暫く痛かったんだからな!!!」


秀は当麻に歩み寄って襟首を掴み、ぐいぐいと揺すっているが、揺すられている本人はもう昔の事だろーと悪びれもしない。


「……そんな事されたのに秀ってよく許せたな…」

「…っう…」

「随分とお優しいのですわね」

「いや……まぁ…うん、そうねぇ…」


兄妹が感心すると、途端に秀の歯切れが悪くなった。
もう揺さぶっていた手も止まっている。
顔だけは2人に向けているが、視線だけは何故か当麻を伺うようにそちらへ向けられていた。


「優しい秀だからなー」


言った当麻が口端を持ち上げて笑った。
咄嗟にその口を、秀が右手で塞いだ。


「まー、まーまーもうな!過去の事だしな!!もう、水に流した!な、そうだよな、当麻」


明らかに何かの取引で帳消しにされたとしか思えない秀の態度だが、兄妹は追求をしなかった。
この部屋で一番優しいのはいつだってこの2人なのだ。




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取引の対象は何でしょうか。ウ○コ漏らしたとかそんなんじゃないと思いますけども。