azul -14-



「おや、巡回、ご苦労様」


午前中の診察を終えた伸が、不審物のチェックをしている秀を見つけ声をかける。


「あ、お疲れ様でっす、先生。…ってかもうそんな時間?」

「そうだよ、もうお昼。…を、少し回った所だね。今日は外来の患者さん、多かったから」

「アッチャー、マジっすか!?やっべ、当麻に昼飯食わせなきゃ…!」


燃費の悪い車よろしく大食漢にして消化のいい当麻は空腹時には機嫌があまりよろしくない。
さっさと食事に連れ出してやらないと、文句を言われてしまっては堪ったモンじゃないと秀は慌てて病室へ行こうとする。

と。


「だーいじょうぶだよ、今日は」


背後から伸がクスクスと笑いながら声をかけてくる。


「今日は土曜日で遼くんが来てるから、さっき2人で売店の方へ行ってた。で、秀くんにも言っといてってさ」


土曜日は学校が休みだ。
なので、普段は病室に1人でご飯を食べている妹と昼を共にするために、遼はいつも売店で適当なものを買ってくる。
最初は兄妹に遠慮をして当麻と秀はどこかへ食べに出ていたが、すっかり仲良くなった今では遼と同じように売店で何かを買い、
そして彼女の病室で下らない話をしながら皆でご飯を食べるのが常だった。

それでも今回、幾ら待っても戻ってこない秀を待たずに出たのは彼に遠慮したわけではなく、
単に、早く行かないと昼時という事もあって選択肢がどんどん減っていっては堪らない、というだけだ。
その辺の感覚は歳が近い分、秀にもよく解るので文句は言わない。


「しゃーない……俺も売店、行くかぁ…」

「今から?次の仕入れまで多分、ロクな物が残ってないと思うよ?」


ですよねー、と力なく返す。
見舞い客の多い土曜日は平日に比べてそれが顕著だ。
かと言って次の仕入れだって夕方頃だし、それまで繋ぎに何かを食べるにしてもやはり好きな物を食べたい気持ちはある。
諦めて外にあるコンビニまで行ってソコで何か買ってこようかと考えていると、伸にまた声をかけられる。


「もし嫌じゃなければ僕とお昼、どう?」






病院の裏手にあるラーメン屋に来た。
ここも昼となれば多少混みはしても、病院の周りにはファミレスなどもあり、そちらの方が此処よりも混雑している事を慣れた者は知っている。


「たくさん食べてね」


そう言ってメニューを渡してくれる。
どうやら奢ってくれるらしい。
時間も忘れて働いていて良かった、と秀はコッソリ思った。

味噌豚骨にギョーザをつけてもらう。
伸は塩豚骨にネギ大盛りを頼んでいた。


「あ、そうだ。秀くん、僕と居るって当麻に連絡しとかなきゃ」


伸はそう言って徐に携帯を取り出しメールを打ち始める。
ポケットに戻す直前、コッソリと画面を覗き込んだが彼の待ち受け画面は、どこかの空の写真だった。

その事に僅かの安堵と、そして違和感を感じるがソレを相手に切り出すための言葉を秀は持っていない。





「そう言えばさ、秀くんって、彼女いるの?」


唐突な質問に、思わず口に含んでいたラーメンを吹きそうになった。
イキナリ何なんだと向かいの医師を見ると、興味津々の顔をしていた。
まるで学生の、修学旅行の夜の会話をするような雰囲気をそのまま持ってきたかのようだ。


「い、いきなり何スか…」

「いやー、いるのかなぁって」

「………い、いません」

「居ないのかぁー…うーん、秀くんってさ、何か幼馴染とかと付き合ってそう…っていうか結婚しそうな雰囲気あるんだけどなぁ」


おかしいなぁ僕の読み違いかぁ…と暢気に言ってから続け様。


「あのさ、彼女、作るなら早い目にしとかないと、伊達さんみたいになっちゃうよ」


小声で言っているのは気を遣っているのだろうか。
だとしたらその失礼な内容の方をどうにかした方がいいだろ、と秀は思ってしまう。
そもそも征士の事をそう言っているが、伸だって似たようなものだ。


「……先生だってそうじゃないっすか」

「仕事に一生懸命になっちゃうとね、タイミングというか機会というか、なくしちゃウンだよねぇ…
だからさ、まだまだ若い君には僕らみたいになって欲しくないの。解る?」


解る?と言うが、伸も征士も四捨五入すれば30とは言えまだ20代だ。
もう機会がないわけでもないだろうし、寧ろこの2人ならその気になればすぐに恋人の1人や2人、すぐに出来るだろう。
どちらかと言うとこの2人は、今はその気がないようにしか見えない。

が、秀からすれば気になる事がないでもない。

この2人の執着の対象であり、意地を張る原因にもなっているのが、自分の友人なのだ。
彼への執着がある限りは恐らくどちらも恋人など作ることさえ考えないのだろうと思うと、それはそれで薄ら寒い気がしてしまう。


「つーかそんな事の為に俺を飯に誘ったんすか?」

「そんな事って?」

「だから……彼女作れって…」

「無理に作れとは言ってないよ。ただ、…うーん、単に秀くん、彼女いそうなのになぁって思って」

「いそうっすか?」

「学生時代はあんまりモテなくても、社会人になったらモテるタイプだと思うんだよね、秀くん」


学生時代、確かにモテはしなかった秀は返す言葉がない。
しかし社会人になってモテると言われれば悪い気もしない。
が、本当にそうなのだろうか?と首を捻ってしまう。


「だいじょーぶ、キミ、モテるって。安心感があるっていうかねぇ……」


本当にそうだろうか。医師の買い被りではなかろうか。ますます首を捻ってしまった。
向かいで伸は何か思い出したように、そうだ、と手を叩く。


「そう言えばキミ、当麻とクラスメイトだったんだっけ?」

「つっても短い期間だけですけどね」

「当麻はモテてたでしょ?」


大正解である。
ただでさえ目立つ容姿をしていて、他の子供より大人びていたのだから自分達のクラスどころではなくモテていた。
しかしそれが本人の耳に入るより前にさっさと去ってしまっていたのだから、きっと今でもそれは知らないのかもしれない。


「モテてましたね」

「やっぱりなぁー。当麻ってさ、可愛いもんねぇ」


さっきまでの会話より、俄然、嬉々として語っている伸に、秀は思わず眉を顰めてしまった。
それでも伸は気付かないのか、まだ話を続ける。


「ね、当麻って、どんな子だった?」

「どんなって……普通っちゃ普通ですよ」

「どんな風に?」


やけに食い下がるな…とちょっと怖くなってくる。
けれど聞いている伸の目は純粋で、そこには執着も、薄暗い感情も何も見えない。
珍しい髪色の天才児の過去を、単純に知りたがっていると言われれば信じてしまいそうなほどだ。


「…そんな知りたいんすか?」

「んー、どういう子供だったのか、興味はある」


嘘は、なさそうだ。
尤もそこに嘘があっても、人間的な厚みのない秀には完全に見抜くことはできないけれど。


「そうっすねー……ちょっと大人しくて…あぁ、でも勉強はあの通り出来て、運動神経も悪くなくて…優等生、て感じですかねぇ?」

「もうちょっと子供らしいトコとか、なかったの?」

「子供らしいとこ…?」

「そう、ホラ、今の当麻って結構自由奔放っていうか、好き勝手というか…子供の頃からああなのかなって」

「いやー………どっちかっつーと、今の方が俺は面食らう事が多いですね」


そう言うと何故か伸の顔が僅かに曇った。


「て事は、昔は萎縮した子だったって事?」

「いや、……萎縮したっつーか、…うーん、何ていうか遠慮しい?…遊びに誘っても、いちいち、いいの?っていう雰囲気があった、かなぁ?」

「そっかぁ……人からお菓子を貰って喜んでる今と大違いだネェ」

「そっすね…あ、でも転校して緊張してたのかも知れないっすよ」

「そうなの?」

「うん、また転校しちまう前くらいになるとアイツ、結構笑ってたし俺らとよく遊んでたし」


そう告げると、医師も曇っていた表情を和らげた。


「そっか。それは、今と変わらない?」

「ぶっちゃけ、今のが遠慮がないです」


久々に会った彼はどこか自分の知っている彼と違っていた。
アメリカに行って、何か吹っ切れたのだろうか。
それとも、ぶっ飛んでしまったのだろうか。
秀は過去に知っている彼と、今の彼とをあれこれと比較してしまう。


「あ」

「なぁに?」


1つ、思い出した。
きっとコレは変わってないのかもしれない。


「アイツ、音痴です。超、音痴」


そう告げると、伸は少しの間を置いて、店中に注目をされるほどの爆笑をした。




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