azul -12-
真田迦遊羅の病室に来るようになって数日。
彼ら兄弟に対する事件は、兄の連れ去り未遂のみでそれ以降は特に何もなかった。
妹への事だって入院してしまえばそれ以降不穏なことは何もない。
見舞い客を制限している事があるので、こちらは当然の事なのかもしれないが、
遼に聞く限りではどうやら彼も何も身の回りで起こっていないというのだから、案外ずっと狙われるものではないのかも知れない。
それどころか特にリスト上にあった名前に関する事件が起こっていない事を考えると、
連続した事件の容疑者逮捕とリストの事がバレたが為にもうリストの所有者も骨の所有者も、 案外諦めたのではないかと秀は考え始めていた。
何もないなら、それが一番いいに決まっている。
いつか伸が言っていた。
患者が居なければ病院の経営は立ち行かなくなるけれど、医者としての個人で言っていいのなら誰も病気も怪我もして欲しくない、と。
それは警察としての秀だって同じ気持ちだ。
誰も何も悪い事に巻き込まれなければいいし、誰も何も悪い事をしようと思わないで済むならそれがいい。
平和が一番だよなー、と思いながら欠伸をする。
平和は一番だ。
が、つい欠伸が出てしまうのは良くない。
決して平和=暇、というワケでも平和=退屈、というワケでもない。
言わせてもらえるなら、この平和な部屋の中の一部が悪いのだ。
そう、さっきから当麻が話している数字の話が、秀には退屈で堪らない。
この件の担当に、約束通り推して貰えた。
当麻もそれで喜んだし、兄妹はもっと喜んでくれた。
のは良かった。
最初はずっと気を張っていたが、終始そんな調子ではいざという時に身体が持たないと署の先輩達にも言われ、
ある程度のリラックスも覚えた。
そうなると天才・当麻先生による”講義”が自然と耳に入ってくる。
これがまた死ぬほど暇なのだ。
…本人を目の前にして言わないけれど。
勉強を見てもらっているのは迦遊羅だけではなく、学校帰りに寄った遼も一緒だった。
あまり勉強は得意ではないらしい遼と、授業を休むことの多かった迦遊羅の為に当麻は丁寧に説明しているらしいが、
秀にはどうもそれが心地よい子守唄代わりになってしまう。
眠くなるのは学生時代からの悪癖なのだから仕方ない、と本人は諦めているが、如何せん任務中である。
簡単に眠ってしまうわけにもいかないから困っているのだ。
あー…退屈だ。
こうも暇になると、いっそ伸と征士の二人が揃って顔を出してまた下らない遣り取りをしてくれないかなどと考えてしまう。
そうなったらそうなったで、面倒くせー…なんて思うくせに。
「当麻、ゴメン、今のトコもう一回最初っから教えて」
途中で混乱してきたらしい遼が申し訳無さそうに頼んでいる。
自分の事は名前で呼ぶようにと言った他に、どうも敬語で喋られるのにも思わず顔を顰めてしまった当麻が、
彼ら2人にそれもやめて欲しいと言っていた。
最初は躊躇いがちだった遼も、今ではすっかりタメ口だ。
しかし。
「遼、ちゃんと聞いてなかったの?…当麻さん、すいません、遼のためにもう一度お願いしてもいいですか?」
迦遊羅はソレを改めなかった。
年上に対してそういうのは苦手なのだと言って。
そう返されて当麻も暫く妙な顔をしていたが、最近では彼も慣れたのだろう、そう言われて顔が歪むことはなくなった。
しょーがねーなぁ特別な、と言って笑ってもう一度同じ説明を、さっきよりももっと細かく、ゆっくりと話し始める。
その遣り取りを秀は窓際に置いたパイプ椅子に腰掛けたまま見守る。
其処からだとドアも、窓も全て一望できるのだ。
しかし暖かい陽が入るので眠くなるのを更に後押ししてくれている感は否めない。
また欠伸が出そうになる。
あまり大きくすると当麻に怒られるので、今度はどうにか噛み殺した。
それにしても…と、3人を見る。
こうしていると仲の良い兄弟のようだ。
その内の2人は実際に兄妹だが、まるでその2人の兄のように当麻はそこに居る。
下に兄弟が欲しかったのだろうか。
そう言えば昔、自分の家に遊びに来た時にまだ幼い弟を見て、好奇心いっぱいの顔をしていたのを思い出す。
やはり、下に兄弟が欲しかったのかもしれない。
長男である秀は、これ以上下に兄弟が生まれるより(嫌ではないけど)どちらかと言うと無い物強請りで上に兄か姉が欲しかった方だ。
母親と2人暮らしだとあの時言っていた当麻は、上に兄弟が欲しいとは思わなかったのだろうか。
それとも自分のように聞き分けのない頭ではなかったから、物理的に上の兄弟というのは無理だと解って最初から考えもしないのだろうか。
頭がいいというのは先が見える分、諦めることも多くて案外辛いものなのかも知れないな、なんて。
ぼんやりとそんな事を考えてしまう。
「で、わかった?」
当麻が遼に向けて聞いている。
今度は理解できたらしい、こくんと素直に頷いてみせる遼の頭をぐしぐしと撫でているのが見えた。
そこまで歳の差の無い相手にこんな風にされれば子ども扱いされてると思って拗ねそうなものだが、遼は素直な性格なのか、
その行為をいつも喜んで受けている。
こういうところがきっと当麻には可愛いのだろう。
垂れた目尻を更に下げて笑っている。
そしてソレを見ている迦遊羅も微笑ましいと言わんばかりの顔をしながら、少しだけ羨ましいという感情が見える目をしていた。
当麻からすれば、2人は弟と妹のようなもの、なのだろう。
けれど秀は少し違う目で見ている。
たとえ当麻はそうであっても、どうも最近妹の方はもう少し踏み込んだ様子が見て取れるのだ。
憧憬、と言おうか。少し硬く、思慕、と言おうか。
それともそのものズバリ、恋をしている、と言おうか。
確かに当麻はカッコイイ部類だとは思う。
がっしりとした男前というより細身で優男風はあるが、顔も整っているし、小学校の時だってモテていた。
けれどどうもそういう事には興味が無いのか、それとも態と気付かない振りをしているのか秀には全く解らないが、
過去のその時と同じように今もあまりそういった事に対してどうこうしようという気が見えない。
それどころか、本人自体に人への執着があまり見れない。
いつだってヘラっと笑って人懐っこく其処に居るけれど、どうもこちらから踏み込まれるのを好まない節がある。
自分に向けられる好意に疎いのか、それともソレをやんわりと拒絶しているのか。
最近はそんな事を考えてしまう自分に、秀は何だか奇妙な気持ちになってしまう。
元来、頭で考えるより心に従い身体を動かすハズの自分が、頭でアレコレ考えてしまうなんて、
よほど暇なのか、そうでなければ当麻といる事で思考が彼に似てきたのか。
若しかしたら、考えなければならないような事態を稀に目にするからだろうか。
例えば、当麻の携帯の待ち受けの伸の事だとか。
柄にも無くスイーツやグルメ系の雑誌で店をチェックしている征士の事だとか。
此処に来る事を話した時の伸の、あの激昂した姿などその最たるものだ。
彼らの執着は、本当に意地だけなのだろうか。
それを当麻はいつだって笑ってやり過ごしているけれど、重荷になっていたりはしていないのだろうか。
重荷になっていた場合、自分は友人として何かしてやるべきだろうか、何が出来るのだろうか。
あれやこれやと考えてしまう。
そして、考え続ける事になれていない頭は、すぐに疲れが見えてきて……
「寝てんじゃねーよ、コラ」
バシっと硬いもので頭を叩かれて、自分が寝ていた事に秀は気付く。
目の前には丸めた新聞を手にした当麻が立っていた。
今朝、自分が持ち込んだスポーツ新聞だ。
「……アレ、俺、寝てた…?」
「凄く気持ち良さそうだったよ」
「疲れていらっしゃるのでしょう」
クスクスと笑う兄妹とは対照的に、当麻は笑っていない。
眉を吊り上げてテメーは…と続ける。
「イビキかいてんじゃねーよ!コイツら勉強してんのに、遠慮くらいしやがれ!」
つい去年まで同じような言葉で教師に怒られていた秀は、何だか居た堪れない気持ちで小さくなった。
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迦遊羅の頭だって撫でてやってます。