azul -10-
「ごめんな、俺も実はちゃんと聞かされてねーから説明してやれなくて」
と、どうにか辿り着けた”真田遼の妹”とやらの病室で正直にそう話した自分に対して、
大丈夫です、ありがとうございますと微笑みながらそう返す少女を、肝の据わった女だなーなんて秀は思っていたが、
廊下から慌しい足音と共に現れた少年を見て
「遼!」
と言うのに少しばかり驚く。
”妹”ではなかったのだろうか。と。
しかしその更に後から続いて入ってきた当麻を見るなり、
「その髪の色は…生まれつきですか?」
と開口一番に聞いているのを見て、ああ何だ天然か…と納得をして。
そして安心しきった様子の兄と仲睦まじく話し込んでいるのを尻目に、当麻へ声をかける。
「……で、何だったんだ?」
そう聞くと少し話しにくそうな顔をした当麻が、
「例のリスト。名前があった」
とだけ返してきた。
それで、ああ、と大体の予測をつける。
確かに制服姿でなくとも彼らは誰の目にも明らかに10代だ。
「よく思い出したな」
「ギリギリのタイミングだったけどな」
その言葉に兄の方を見れば、確かに髪や服の乱れ方が急いでここに来たというには、些か乱暴な印象がある。
しかし目立った外傷もないところを見ると当麻の言うとおりギリギリではあったのだろうけど無事には違いない。
全てを理解したワケではないが一先ずは安心した秀は、ふと思い出して隣の人物へ更に尋ねる。
「なぁ、あの子、”妹”つったよな?」
「ああ、遼が妹と言ってた」
「…………アニキのこと、名前で、しかも呼び捨てにするモンか?」
長男で下に4人の兄弟がいる秀は、家では全員から”大兄ちゃん”と呼ばれている。
秀からすれば名前だけを呼び捨てにするのは少し考えられないらしい。
けれど当麻は、
「……?家庭によるんじゃないか?」
と秀の疑問自体がちょっと解らないという顔をした。
「家庭って……あぁ、そっか、お前…海外暮らしが長かったのか」
「別にそれだけじゃないけど……ホラ、親でさえ名前呼びの家だってあるって聞くし、そういうとこもあるって事だよ」
「まぁそーいやそうか……うーん…でもなぁ…」
言われてみれば、高校の時にクラスの女子が自分の姉の事を”ちゃん”付けで呼んでいた気がする。
そういうモンなのだろうか。
自分の家でそんな呼び方をすれば、親が怒るけど世間ではどうやらソレを許容する家庭もあるのだと思い出す。
しかしやはり、妹に名前で呼び捨てにされるのは何だか自分なら居心地が悪い。
「ま、下に兄弟のいないオマエにゃわかんネェか」
話を聞くと、どうやらこの真田兄弟、二卵性の双子だという。
そう言われてみると目の印象がよく似ている。
気の強そうな、意志の強そうな吊り目だ。
しかも揃って童顔。どちらも一見すると中学生でも通用してしまいそうだ。
その兄弟の両親はとうに亡くなっており、現在は叔父の援助を受けながら兄弟2人で暮らしているという。
だからか、と当麻は腑に落ちた。
たった1人残った家族である妹だからこそ、兄である遼は常より大事に思っているのだろう。
優しすぎるか、行き過ぎれば過保護だと思っていたがそういう事情であるならば、あの涙も納得がいく。
ふと過去の色々な事を思い出す。
きっと自分も家族にひどく悲しい思いをさせた。
きっと沢山泣かせた。
今目の前の少女は優しく微笑んで、時々兄に甘えるように、兄が居なければ折れそうに見せているが、きっと芯は強い。
そうする事で、また彼女も兄を甘やかし、そして優しく包み込んでいるのだろう。
言葉の端々に、ふとした時の視線に、それが見える。
果たして自分は彼女のように、さり気なく優しく、強く生きているのだろうか。
優しすぎるほどの愛情を、ちゃんと正しく彼らに返せているだろうか。
「そーゆー事ならさ、コイツに勉強、見てもらうってのもアリだと思うぜ?」
秀に肩をバシっと叩かれて我に返る。
いつの間にか思考が深くなっていたらしい。
話を全く聞いていなかった当麻は2、3度瞬きをして不思議そうに見る。
秀は、な?と自分の事のように得意げだし、双子は申し訳なさそうな、けれどどこか期待した目でこちらを見ている。
「……えと…ゴメン、ボーっとしてた…」
「マジかよー!何だよ、オマエ…久々に走ったから今更脳が酸欠ってか?」
匍匐前身より先に運動しろよ運動!と前のことを引っ張り出して秀が眉を顰める。
言われていることは正しいのだが、面倒だなと思ってしまうから今後とも無理だ、と当麻は口にはせずに思った。
代わりに話を戻す。
「で、何だっけ、勉強?」
「え、うん……その…駄目、ですか?」
「ていうか勉強って?」
「ホンット聞いてねぇな、オマエ!だからさ、迦遊羅ちゃんは昔から病気がちで入院も何回もしてるから時々授業内容に遅れんの!
で、なるべく夏休みとかに入院してたのに今回は急だったし退院の目途もついてないから、勉強が不安だって遼くんがいうから!」
「あー、それで天才の脳が必要なわけか」
自分で天才って言うな!とまた秀に叩かれる。
この辺、遠慮のない秀は当麻のその優秀な頭を何の躊躇いもなく叩いてくるが、無意味に遠慮されることの方が多かった当麻は、
実はこうされるのは嫌いではない。
尤も、それだって大好きな友達である秀だから嫌いではないだけで、他の人間にされれば顔を顰めはするし、腹も立てる。
「でも当麻さんもお忙しいでしょうし、私の事は気になさらないで下さい」
そう言って少女はまた微笑む。
隣の兄は不安そうだ。
思わず苦笑が漏れた。
少女の気遣いにも、兄の心配振りにも。
きっと遼は妹が体育の授業に参加できない事さえも不憫なのだろう。
さっき背中に触れた時の感じや中庭での去り方をみると、兄は健康そのものに違いない。
他の子と同じになれない妹が、教室での授業さえまともに受けられないのが兄には悲しいのかもしれない。
そういう気持ちが、実は当麻は解らないでもない。
その立場に立ったことはないが、それでも遼のせめて少しだけでも”普通”を与えたいのだろうという気持ちは、解った。
会ってまだ僅かだが、当麻はこの兄妹が気に入っていた。
例のリストの事もあるし、今日の事もある。
今後彼らに危険が必ず及ぶとは言い切れないが、安全とも言い切れない。
自分の今の立場からすれば関わるのがいい事か悪い事か、未だ決めあぐねているが力になってやりたいとは思う。
だから、良いのではないかと考えてしまう。
危険に自ら近付く事になるかもしれないが、別に自衛手段がないワケではない。
身体は多少(いや、さっきの感じからすると割と、かも知れないけれど)鈍ってはいるが、7階にある病室では侵入口がドアくらい、
若しかしたら窓もあるかも知れないけれどさっきの連中の雰囲気はプロではない辺り、それだけ解っていれば対処する自信はある。
無闇矢鱈に出歩く事を伸も征士もあまりいい顔をしないだろうケド、だからと言って放っておくのは気持ちが悪い。
だから、良いのではないか、病院に来て、彼女の勉強を見てやるくらい、良いのではないか、と考えてしまう。
「んー……暇だし、俺は別に構わないけど?病室で可愛い妹が男と2人きりになるのを、お兄ちゃんが許してくれるなら」
ちょっと悪戯っぽく笑って双子を見ると、2人同じタイミングで顔を赤らめるのを、
双子ってスゲー、と秀も、当麻も声に出さずに感心して見てしまった。
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きっと翌日の当麻は筋肉痛。