やわらかな日々
首と背中に痛みを感じて辺りを見ると、時計はすっかり夜中を回っていた。
本に集中しすぎてたなと反省はするが活かされないのは毎回の事で。
ソファにうつ伏せるようにしていた身体を起こすと背中から何かが落ちた。
毛布だ。
恐らく本に集中している間にこの家の誰かが掛けてくれたのだろう。
幾らなんでも甘やかしすぎじゃないか?と他人事のように苦笑が漏れるケド、正直に有難い。
誰かとこんなに長い時間を一緒に生活をするなんて、大して長くない人生だけれど、それでもハッキリと初めてだと言えた。
離婚をする前から殆ど家に居なかった両親。
親戚とだって盆と正月くらいしか会った記憶がない。
別にソレが寂しいとその時は思わなかったし、取り立てて不幸だとは思わなかった。
今だって別にそう思ってはいないけれど、今のこの生活に慣れると、やはりどこか味気ない気はするから不思議だ。
皆で同じ学校に通おう、なんて言い出したのは誰だっただろうか。
学力にバラつきがあったから、学校選びはソレナリに大変だったのは覚えている。
特に伸の進学が迫っていたから尚更だ。
それでも必死に遼と秀は勉強してたっけ。
しょっちゅう家に電話なりファックスなりで助けを求められたのだってちゃんと覚えてる。
こんな面倒な思いをしてまで同じ学校に通いたいと言い出した理由は何だっただろうか。
小腹が空いたのでキッチンへ向かう。
冷蔵庫に何かはあるだろう。
適当な物がなくても風呂上り用に置いてあるアイスを食べたっていいかな、なんて。
伸に物凄く嫌な顔をされるだろうけど。
そう思ってキッチンに踏み込むと先客がいた。
ナスティだ。
「あら、当麻。まだ起きていたの?」
眉を顰めて少しの非難をされる。
この家では夜更かしをすると基本的に怒られる。
あの戦いの最中、殆ど寝ていなかった(寝る間が惜しかったのもあるし、集中しすぎて寝忘れてたってのもある)俺が、
全てに片が付いて柳生邸で休もうって言って戻っている道中、ぶっ倒れるように眠ってしまってから、俺の睡眠に関しては
この家で注意事項の1つになってしまっている。
心配されてるな、と思う。
面倒だな、とも思う。
ホントの事を言うとこんな風に接されるとどうしていいのか解らなくて落ち着かない。
けれど。
ちょっと、嬉しい。
「お腹空いたのね?」
ナスティは小言は言わない。(伸は言う。あと征士のは最早説教だ)
優しく笑って、ちょっと待ってねと言って冷蔵庫を開けている。
どうやら何か用意してくれるらしい。
有難く素直に甘える事にした。
「そうねぇ…焼きオニギリでいいかしら?」
美人で洋風の顔立ちのナスティからそんな単語が出るのはちょっと面白い。
けれどコレで結構手際が良くて、しかも優しい味のを作ってくれる。
「うん、お願い」
キッチンにある小さなテーブルについて、ナスティが残り物のご飯で器用に作ってくれているのを眺める。
こういうのだって久し振りだ。
母さんは基本的に料理は滅多としなかったし親父だってそうだ。
いつもキッチンに立っていたのは自分だ。
誰かが作ってくれたご飯を食べるなんて年に数えるほどだったのに、ココに来てからは毎日だ。
俺たちの保護者代わりをしてくれているナスティか、料理が得意な伸。
たまに秀も作ってくれる。
遼と征士の料理は壊滅的だ。
俺はまぁ出来るけど、あまりやらない。面倒だから。
あと多分、ちょっと気遣われてる気がしなくもない。
やっぱり甘やかしすぎだろ、と思う。
こんなに俺を甘やかして何をしたいんだろうか。
まぁ素直に甘えるけど。
折角だしな。
「はい、どうぞ。寝る前だからあまり食べ過ぎちゃ駄目よ?」
「うん、アリガト」
やっぱり美味しい。
2個目のオニギリに手を伸ばした時に、それまで黙っていたナスティが話しかけてきた。
「そういえばあなた達の学校、もうすぐ体育祭ね」
「うん」
「チーム分けは決まったの?」
「今日決まった」
「5人一緒になれた?」
「まさか。無理だよ流石に」
「じゃあバラバラ?」
「そうでもないよ。俺と征士はクラスが一緒だから当然、同じチーム。で、秀の4組と遼の9組、それから2年は伸の2組が同じチームになってた」
「えーっと、全部で何チームあるのかしら?」
「5チーム。赤組、白組、桃組、黒組、青組」
「当麻たちは何組なの?」
「桃組」
「じゃあ遼たちは?」
「赤組」
あら、じゃあどっちを応援しようかしら、とクスクスとナスティが笑う。
つられて何か俺も笑っちゃった。
「応援に行くから頑張ってね」
「えー、俺、面倒だからサボりたいのに…」
「駄目よ、当麻。ちゃんと出なきゃ」
「解ってるけどさー……あんま頑張る気、しない」
「あら、純も応援に来るって張り切ってるわよ?」
純か…
若しかして俺が純のこと、構っちまうの知ってて誘ったのかな……
窺うようにナスティの顔を見る。
ニコニコと笑みを浮かべたままだ。
…くそぅ。性格読まれてるな…
「わーかったよ、頑張る頑張る」
「ええ」
「1位取ってやるよ、チクショー」
「そうこなくちゃ。ちゃんとカメラも用意していくからね」
カメラ…?
「ちょ、ナスティ、それはいいって…」
「どうして」
何か……ヤな予感が…
「当麻のお母様からお電話があって、当麻の写真、送るって約束したんですもの」
やっぱりか!
チクショー、ホント勘弁してくれよ!!
…ってまさか…
「ナスティ、送るの、母さんに…だけ?」
「ええ」
アレ、意外。
親父にも送ってくれって頼んでると思ってた。
「お母様の所に2枚ずつ送る約束よ。お父様には、お母様がデートの時にお渡しするって」
「デ……!!!!!!!!」
想像の斜め上に嫌な現実だよ!
「仲が良くていいじゃない」
だからそんな顔しないの、と窘められる。
けどそんなコトじゃないって!
何だよ、あの人ら自分達が幾つか解ってんのかよ…!!
「デートとか、ちょっとキモチワルイとか思わないワケ!?」
「どうして?素敵じゃない」
「それにナスティ、前にも言ったけど俺の両親、離婚してるんだって…」
「なぁに、当麻。じゃあアナタはご両親が嫌いあって離婚した方が良かったっていうの?」
「そ、そ…そーいうんじゃ………ないんだけどさ…」
どう言ったらいいんだろう。
わかんないかな、微妙な年頃の子供としちゃ、離婚とか関係なく両親がデートだなんて恥ずかしくて堪らないんだけど…
「兎に角、頑張ってね」
なのに優しく、けどちょっと有無を言わせない笑顔で言われると、もうこっちは素直に頷くしかないじゃないか。
だって誰かとこんな距離感で暮らすなんて本当に初めてに近いから、どういう風にしていいか解らないんだ。
「ごちそうさまでした」
「はい。じゃあもう素直に寝るのよ?」
「はーい」
ナスティと別れて部屋への階段を上る。
階段の上にも電気のスイッチはあるのに、俺が部屋に戻るのを下でナスティが待っていてくれている。
本当に、甘やかされてるなと思う。
何でだろうか。
どうしてだろうか。
部屋の前で一旦止まって階下のナスティにオヤスミと声を掛けると、変わらず優しい返事が帰って来た。
そして廊下が暗くなる。
ドアノブを回した時に思い出した。
同じ学校に通う事になったのは、何故か。
子供の頃から周囲と違う扱いをされてきた俺は、皆の言う”普通の生活”を知らなかった。
殆ど1人暮らしに近かったし、学校では浮いた存在だった。
それが自分にとっては普通だったし、仕方のないことだと半ば諦めていた。
でも、それじゃ駄目だ、と言い出したのだ。
誰が。
最初は遼だ。
泣きそうな顔で一緒に居ようと言ってくれた。
続けざまに秀が抱きついてきて、俺はずっとお前を覚えてたぞって言ってくれた。
伸なんて、だから集団生活が下手なんだねとか言いながら、でも優しく手を握ってくれた。
征士は相変わらず無言だったけど、それでも頭を撫でてくれた。
でもあの時の俺は困っていた。
だって戦いの中でも時々皆の好意をどう受けていいのか解らないことがあったのに、
こんなにも正面きって堂々と扱われてしまうと、いよいよ本格的にどうしていいのか解らなくなってしまったから。
そんな俺を見てナスティは、そんな泣きそうな顔しなくていいのよ、と言って、そう言いながら自分が泣いていた。
それから皆で同じ学校に、柳生邸から通おうという話が出た。
寝る前にとんでもない事を思い出してしまった。
顔が熱い。
多分、真っ赤になってるのかもしれない。
ナスティに素直に寝るって約束したけどちゃんと眠れるだろうか。
せめて同室の征士が眠っていてくれると助かるんだけど。
仄かな期待を込めて、ドアを開ける。
気配に聡い彼が起きませんように。
周囲が思っている以上に人の世話を焼くのが意外と上手い彼が、起きませんように。
なのに。
「どうした、当麻。眠れないのか?」
ああ、こういう時に限って本当に起きてるんだコイツは。
それで、どうしようもなく甘やかしてくれるんだ。
ああ、困った。
俺、こんなに甘やかされて、ちゃんと大人になれんのかな…?
*****
当麻って甘やかされるのに慣れてないと思います。