肴
フロアを任せている上の妹に、友達が来てると言われるまま厨房からフロアに出てみれば、そこに居たのは当麻だった。
「おー、当麻じゃん。急にどうした」
「飯食いに来たに決まってんだろ。…って何だよ」
出迎えた秀は背伸びをしたり角度を変えたりしながら当麻の後ろを伺っている。
その様子に当麻もつられて自分の背後を見た。
…特に何か憑いているワケでもないらしい事にこっそりと安堵する。
「いや、……1人?」
「おう、1人」
「珍しいな、ダーリンはどうしたんだよ」
からかいを含んでそう言ってやれば、当麻もクスクスと笑う。
「今日はダーリンいねーの」
「何でまた」
「何だっけな、会社の…あぁ、そうそう、送別会って」
「へーえ。…で、お前は俺んトコに飯食いに来たのか」
「だってお前、1人分の飯作るの面倒だろ」
「まーそれもそーだわな。…んじゃお席ご案内しまーす」
「お、副料理長自らのご案内とか、俺、ちょっといい待遇じゃん」
バーカ友達待遇だよ、とケラケラと笑う秀は当麻を2人掛けの席へと案内した。
メニューを手渡そうとして、だがそれは当麻に断られてしまう。
「何だよ、見ねーの?」
「ある程度食いたいもの決めてきてんだよ」
「あ、そーなん?何食うんだよ」
「ふかひれスープと唐揚げは絶対食いたい。あと胡麻団子ネ。他は何かお前のオススメを適当に出して欲しいなー」
「お前の腹具合を予想しろってか」
「できるっしょ」
挑発的に笑う長年の友に、秀はフンと鼻を鳴らして答えて見せた。
「あ、あとビールもちょーだい」
だがその言葉に秀の顔はすぐに険しくなる。
「駄目だ」
「え、何で!?」
「お前、車で来てんじゃねーのかよ」
当麻のマンションから秀の店までは車か電車を使わなければ厳しい距離にある。
人込みが嫌いな当麻は公共の交通機関があまり好きでなく、いつも征士と2人で来る時は必ず車を使っていた。
普段、車は征士が通勤に使っているというが、その彼が今夜は送別会というのならば、恐らく飲んでいるだろう。
となれば車は置いていっている筈だ。
そうなると今日だって当麻1人とは言え車だろうと秀は睨んだ。
「ブッブー、電車できましたー」
だがその予想は子供じみた言葉でアッサリと崩される。
予想が外れたことよりも、当麻が電車を使ったという事に秀の目は驚きで丸くなった。
「え、マジで?」
「マジマジ」
「車は?」
聞くと当麻が少し嫌そうな顔をした。
それに秀は素直に首を傾げる。
「…なに、まさか修理出してるとかそんなん?」
「ちげーよ。……お前さ、うちの車、何回か見ただろ?」
「おお、あるよ。買い換えてねーならアレだろ?」
「そ、あの青いヤツな」
「カッコイー車じゃん。何がイヤナンダヨ」
「だってお前、ちょっと考えて見ろよ。あの車、青いんだぜ?」
「おお確かに青いな」
「で、内装もなんかあちこち青いし」
「そーいやそうだったな」
「その車から青い髪の人間出てきて見ろよ、もーギャグとしか思えないだろ」
「……そりゃあ…」
考えすぎだろ、という慰めは言えなかった。
確かにあの車は青い。し、内装も所々青い。
どう考えても征士の趣味丸出しで選ばれた車だ。
別にそれに当麻が乗っていてもオカシクはないが、改めて言われると確かにどこまでも青い状況には違いない。
「ま、ギャグとまでは思わねーけどな。人目を惹くだろうけどさ」
それが嫌なんだよ!と当麻はブーブーと文句を垂れる。
目立つ容姿をしているくせに、当麻は目立つ事を嫌う。
子供の頃から変に注目をされていた反動なのか、外面はいいくせに人馴れしないからか、彼は人に興味を持たれる事にあまりいい顔をしない。
「じゃ、車は置いてきたのか」
「ううん、征士が乗ってった」
「え!?アイツ飲酒運転する気か!?」
今度はそちらに驚く。
人とズレた価値観を持ち、恐ろしいほどマイペースな礼の戦士は、それでも礼儀やルールに関しては口煩い男だ。
その彼が送別会のある日に車で通勤するとは秀には予想さえつかなかった。
「やんねーよ。お前、ソレ征士の前で言ったら顔顰められるぜ?」
「いや、そーだよな…うん、そりゃそうだ……。でもアイツ今日、送別会なんだろ?」
「おう」
「飲むんじゃねーの?」
酒豪の彼を思い浮かべて言う。
いつも仲間内で会うと結構な量を飲む彼は、飲んだ量など関係なく顔に全く出ず、いつだって普通の状態を保っていた。
まさか酔わないのをいい事に飲酒運転を…と一瞬考えた秀だが、だがそれは先程の当麻の言葉から違うとすぐに解る。
「え、じゃあ何、アイツまさか今日飲まねーつもりなの?」
「らしい」
「っえー、アイツ、酒、好きじゃなかったっけ?」
「好きだよ。家だと結構飲む」
「その征士が飲まねーの?……会社の人らと飲むの、嫌なんか?」
「そうでもないみたいだけど…どうせなら旨い酒が飲みたいとは言ってたから、案外、期待できない店なのかも」
「あぁ、飯メインみたいな?」
「かも」
「っへー…口肥えてんもんな、アイツ」
「ボンボンだからな」
「まーなぁ…で、お前は車がねーから電車で来たのか」
「そうまでして食いたいって事だよ」
「そりゃ料理人冥利に尽きるお言葉で」
仰々しく頭を下げた秀に、当麻は笑いながら料理の催促をする。
「あ、悪ぃ、んじゃ適当になんか作ってくるわ」
そう言うと、まだ若いが腕は確かな副料理長は漸く厨房に戻って行った。
秀の出した料理の全てを当麻は美味しそうに平らげていく。
合間にビールを呷りながら幸せそうに食べるその姿は、ハッキリ言って料理を作る人間を喜ばせる。
これだからきっと征士は彼の為に料理をするのだろうと、それを見るたびに秀は思っていた。
さて、当麻が来てから3時間ほど経過した。
その間も彼はペースこそ落ちはしたもののまだ食事を続け、ビールを飲み続けている。
「……アイツ、ちゃんと帰れるんかなぁ…」
厨房からフロアに出てきた秀は心配そうに呟く。
当麻の顔は既に赤く、目もとろんとしてきて眠ってしまいそうだ。
征士に連絡を入れたほうがいいかも知れない。
そう思って携帯を…と一旦奥へ戻ろうとした時だった。
「いらっしゃいま……あ、お兄ちゃん、友達ー」
フロアに出ている時はちゃんとしろと言ってあるのに、下の妹は未だにきちんとできない。
まだ高校生でバイト扱いとは言え、家業なのだからその辺はちゃんとして欲しいと秀は思っているが、如何せん末っ子という事もあって
両親がどこか甘い。
それじゃ駄目だろ、と秀は思ってついでに彼女を窘めようとフロアに出れば、そこにいるのは征士だった。
「…っと、征士……え、なに?」
送別会だと聞いていたはずの人間の登場に思わず妹への小言を忘れてしまった。
「当麻が来ているだろう?」
「お、おう、いるけどよ……え、なに、まさか迎えに呼ばれたん?」
「いや、最初から迎えに来る約束だったから来たまでだ」
送別会の人間が酒を飲まず、自分の意思で来た人間が酒を飲んでいるのはちょっと不公平じゃないか。
大体征士は今日、仕事をした後に送別会だったはずだ。
「お前さぁ……当麻甘やかすの、程ほどにしとけよ…」
「甘やかす?何のことだ」
「だってお前、迎えに来たんだろ?」
「ああ」
「子供じゃねーんだから1人で帰らせろよ」
電車で、と付け加えれば征士の顔が何故か険しくなる。
「当麻を電車に乗せろと?」
「…何か駄目かよ」
「駄目だ」
低い、イイ声で言われると何だか怯んでしまう。
しかも目が真剣なのだ、堪ったものではない。
「な、………んでだよ」
「当麻はココへ来ると必ず飲むだろう」
言われて思い返せば、彼はいつも飲んでいる。
だから素直に頷いた。
「アルコールで赤くなった肌や潤んだ目でただでさえある艶が更に増しているのだぞ。そんな状態の当麻を1人歩かせて見ろ、
何処で誰に連れて行かれるか解ったものではない」
「…………………ぃゃ、…」
…それはどうだろうか。
チラリと席を見れば、座ったまま此方には一切気付かず胡麻団子を食べている当麻がいる。
艶っぽい…とは言い難いのではなかろうか。
確かに幸せそうにしているため、警戒心のない顔になってはいるが…
「ああいう状態を人前で、私の居ないときに晒されるのも気に食わんというのに、触られたりなど言語道断だ」
ハッキリと言い切る征士を、秀は見た。
目が、真剣なのだ、だから。
「…………え、……っと、じゃあ何、お前…当麻が今日俺んトコ来るっつったから送別会で飲んでねーの?」
だとしたら何だか申し訳ない。
今度からこういう場合は少し店を抜け出して自分が送っていってやろうかと考えてしまう。
それは結局当麻を甘やかしている事になるかもしれないが、サラリーマンの征士の事を思うとそう考えてしまうのだ。
「確かにそれも理由の1つだが、もっと他に大事な理由がある」
征士はいつだって真剣だし真面目だ。
それは秀もよく解っているが、こういう時の真剣な眼差しは嫌な予感しか連れて来ない。
嫌というほど経験している秀は、自然、顔が引き攣ってきた。
「旨い酒が飲みたいのは酒を飲む人間なら大抵思う事だろう?」
「……えぇ、まぁ……そっすね…」
心を何処かへ飛ばしたいせいか、何故か敬語を使ってしまう。
「旨い酒には旨い肴が必要だろう?」
「…………………はい…」
これから征士が言うであろう事が読めた秀は、チラリとまた当麻を見る。
此方にはまだ気付いていないらしい。
早く気付いてほしい、気付いて彼がとんでもないことを言うのを止めて欲しい。
そう願って視線を必死に送るが、駄目だ、完全に胡麻団子に夢中だ。
確かにそれは店でも人気の胡麻団子だが、だけど今は、頼む、と必死に思う秀に、征士は冷静に、人の話を聞け、と言ってくる。
渋々、いや、嫌々ながらに視線を征士に戻した。
なのに今度は征士の視線が当麻のほうへ向く。
お前、人にこっち向け的な事言っといてソレかよ…
秀の溜息とほぼ同時に、美しい青年は視線の先の人物を慈しむような目で見つめ、
「旨い肴がないのに酒など飲めるか」
と言いきった。
店の入り口に立ったまま、愛する人を真剣に見つめ、言いきった。
もうバラバラで店に来るのヤメテくんねーかな、と考え始めている秀の横を通り過ぎた征士は恋人の元へ行き、
酒が入っているというのを口実に彼を抱き寄せて店を後にしたのだった。
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そりゃ征士だって毎回、会社の飲み会の時に飲まないわけではないですけども。