それはアレだ
その日の朝8時という早い時間に秀は、征士と当麻のマンションを訪れた。
自分達の弟分である純の誕生日に贈るものを相談するためだ。
純の事を一番可愛がっていたのは当麻だったし、また、純が一番懐いていたのも当麻だったから、
彼の好みそうなものをまず当麻から聞き出し、そして後日、伸が実際に現物を選びに行くと仲間内で決めていた。
秀は店があるために早朝にしか時間がとれず、せめて当麻が起きれそうな時間を選ぶとこの時間になってしまう。
それでも11時には店を開けるため、遅くても10時には戻らなければならない。
マンションを出る時間は9時半くらいになる。
目的の階でエレベーターを降り、インターホンを押すとすぐに玄関ドアが開き、中から征士が顔を出した。
「おはよう。待っていたぞ」
そう言って秀を招き入れる。
「お邪魔しまーす。で、当麻は?」
玄関先に出てこない時点で返ってくる答えなんて解っていたが、それでも秀は尋ねた。
「まだ寝ている」
苦笑いを含んで返って来た答えは、やはり秀の予想から何一つ外れていなかった事に、何の遠慮もなく溜息を漏らしてしまう。
「んだよ、今日行くっつったじゃねーか!…よっしゃ、起こしちゃる…!」
鼻息荒く勝手知ったる寝室へ向かおうとすると、それを征士の声が止めた。
ちゃんと時間までには起きるだろうから寝かせてやってくれ、と。
その声が妙に幸せそうなのは気のせいだろうか。
投げられた言葉に秀は、目だけを寝室のドアから征士への動かした。
気のせいなどではなく、明らかに幸せな顔を、それでもどうにか真面目に取り繕うとしている嘗ての仲間が其処にいた。
「……………了解」
こういう時は素直に従うに限る。
過去に一度、制止の声を聞くより早く寝室へ突入した秀は、大失敗をしているのだ。
ベッドに丸まっている当麻から上掛けを半分だけとは言え勢いよく、無理に剥いだ事があったが
目の前に現れたのは裸で眠る当麻の姿で、しかもその胸や腹には昨夜此処で彼らが何をしていたかを如実に語る
痕跡付きだったというのだから、その時は非常に狼狽した。
その時は最悪と思えた状況だったが、後から思い出すと上掛けを全て剥がなかったのはせめてもの救いだった。
あの様子からすればきっと当麻は下も何も身に付けていなかっただろうし、あの情熱的な執着の跡を見れば、
恐らく下肢の際どい所にも幾つも痕跡が残されていただろう事は容易に想像できたからだ。
かくして秀は寝室のドアに触れることなく、リビングへと素直に入っていった。
さて、今日の訪問理由は純の誕生日プレゼントの相談である。
当麻が起きない限り話など進むはずもなく、秀と征士は沈黙の中に居た。
秀はリビングのソファに、征士はダイニングテーブルの椅子に座っている。
征士は元々口数が多いほうではない。
秀はお喋りだが、征士と2人きりとなると彼ばかりが喋る事になり、結局話題がすぐに尽きてしまうことが多かった。
仲間の誰かがもう1人でもいれば話は別だったが、ここは征士と当麻の家だ。
そのもう1人となり得る人物は未だベッドの住人となれば、秀にできる事はもうない。
沈黙は、嫌いではない。
ただこの清廉な人物を前に言える冗談が限られてしまうのが、少し居心地が悪いだけで。
それでも話題の提供を試みる秀は、案外周囲に気を遣っているタイプなのかもしれない。
「そ、そーだ、征士、聞きたかったんだけどよ」
「なんだ」
「その、ホレ、お前らってもう付き合い長いだろ?何かこう…倦怠期ってんじゃねぇけど、コレは困るんだよなーっての、ねぇの?」
俺、結構あんのよねー、と一応続けておく。
キッパリと、ない、と言われた時のための予防線だ。
「困ること?」
「そう。言えねーケド、コレだけは勘弁してくれ!って愚痴的なんとかさー、やっぱ一緒に暮らしてると、あんじゃねーの?」
「勘弁してくれ……か」
腕を組み思案顔。
案外何か出てくるのかもしれない、と秀は密かに期待した。
別に2人の仲が悪ければいいなどとは思っていない。
ただ、話題として何か笑える程度のものが出ればそれで万々歳、という軽い気持ちだった。
そんな秀の期待の目を受けた征士が、そういえば、と口を開く。
「今日のように朝遅いのはな…」
「あー、確かに困るよな。アイツ、昔っから朝、起きねーもんな」
「普段はなるべく起こしているんだがな…まぁ、今日のように昨夜無理させた場合は機嫌取りの意味でも少し遅くまで寝かせているんだが…」
そういうプチ情報は要らないんだけどな、と秀は顔を引き攣らせながら思った。
2人の仲はもうとっくに知っているし、ごく自然なものとして受け入れているが、それでもやはり生々しい想像はしたくない。
”その後”の当麻の姿を見てしまっている身としては余計にだ。
「まぁでも朝遅くまで寝てるとシーツ干せネェし、洗濯も出来ネェもんな!俺もよく家で言われるから解るわー」
頭に浮かんだ良からぬ映像を必死に頭から追い出しながら、秀は相槌を打ってやる。
しかし、
「いや、それもあるのだが…」
と美しい顔にこれまた極上の笑みを乗せながら征士は否定した。
何か違和感を感じないでもないが秀は黙って続きを待った。
「いつまでも寝られていては、構ってもらえないからな、私が」
「……………………」
秀の顔が、彼なりに必死に笑みを張り付かせているが引き攣ったままだ。
あまりにも幸せそうな征士の姿に言葉を挟めない。
のではなく、素直に何も言えなかった。
「あぁ、それとな」
まだあるのか。
声は出ないが、秀は心で思う。
「仕事で疲れて帰って来るだろう」
「…………はぃ」
「リビングに入るとな、たまに機嫌がいいのか何なのか、アレが鼻唄を歌っている事が稀にあって…」
「…っあー、はいはい、解る解る!アイツ音痴だもんなぁ…疲れてんのに調子ッ外れな歌聞かされちゃ堪ったモンじゃねーわな」
「いや、幸せすぎて次の日仕事に行くのが嫌になる時がある」
「……………………………………ソーデスカ…」
何なんだろうか、この疲労感は。
「それと」
しかし征士は止まらない。
秀はもう止めて欲しいと思っているが、彼の”愚痴”はまだ続く。
「スーパーに一緒に買い物に行くだろう。アレは目を離すとスナック菓子やジャンクフードを籠に入れてくるのが…」
「何、強請られると可愛いからつい買っちまうから困る、とか言うのか」
秀からすれば、当麻の事を可愛いと思った事は、そういう対象としては当然無いのだが、
こうなったらある程度予測して受ける疲労を少しでも軽くしたい。
ところが。
「いや、そうではない。食べさせたくないのだ、私だって」
「あ、そうなんだ」
「ああいった物ばかり食べるのは身体によくないからな」
意外に普通の返答で、肩透かしを食らう。
身構えた時に限って案外、こういうものだ。
「確かになぁ…俺も…まぁ好きだけどよ、歳考えるとちょっとセーブするようにはなってきたかな?」
「そうであろう?あんな物で腹を膨らまされて私の作ったものが入らんと言われたら、こちらとしてもやってられん」
「腹立つわな」
「ああ、その菓子どもがな」
………………………。
征士さんや、それは”愚痴”でも”困りごと”でも何でもなくて、それはただの、ノロケ、だ。
秀はもう言葉を出す気力さえなくなったが、それだけは必死に心で訴えた。
この家に着いてから、まだ30分ほどしか経っていない。
なのにこの疲労感は何なのか、と秀は持ったままのコーヒーカップを眺めながら思っていた。
再び、沈黙。
征士のノロケを聞くよりか沈黙の方がまだマシだと思う事にした秀は、もう下手に話題を振らない。
これから帰って仕事があるのだ。
日曜日の今日は客の入りも多い。
こんな所で思わぬ疲労を抱えて帰りたくはなった。
その時。
ガチャリ、とドアの開く音がした。
どうやら当麻が起きたらしい。
そのままリビングに真っ直ぐに入ってきた。
「…………はよ…」
頭には寝癖が付いている。
部屋着とは言え、服もきちんと着替えている。
…と秀は思いたいが、恐らく着替えたというより、身に付けて出てきた、が正解だろう事は充分に解っていたので、
そこには何も触れないようにした。
「…あ、秀」
「あ、じゃねーよ。今日行くつってたろーが」
「……………………あぁ…」
明らかに今思い出しましたという間があったが、追求はしない。
とっとと要件を済ませて秀は帰りたいのだ。
「当麻、先に朝食を済ませろ」
空腹のまま当麻を放っておくのは得策ではない。
未だ半覚醒の頭を起こさせる意味でも朝食は大事だった。
征士に進められ、当麻はそのままテーブルについた。
目の前には手際よく朝食が並べられる。
それらを取敢えず当麻は綺麗に平らげた。
相変わらずの早食いである。
「…お前、もちょっとちゃんと噛んで食えよ」
「おー…」
料理人としては、食事をちゃんと味わってもらいたい気持ちがあるので秀が窘めたが、どうせ頭にはちゃんと入っていないだろう事はよく解った。
こういうのを相手に生活をしているのだ。
征士はやはりどこかズレているのかも知れない。
そう思わずにはやってられない、と伸がいつも言っているのを秀は思い出していた。
なるほど、それはそうだ、と。
「で、えと……純の好きな物だっけか」
食事を終えた当麻が秀のほうを向き直る。
征士は食器をキッチンに運んでそのままリビングにある、少し古めかしい1人掛けのソファに腰を下ろした。
「そ。何か今、ハマってるモンとかあればさ、お前知らないかなって」
「そうだなぁ……アイツ、前、生意気にアラジン社の古いストーブがレトロで可愛いとか言ってたけどなぁ…」
仲間2人がソファにいるので、当麻もそちらに移動を図った。
歩み先は完全に秀の座っている大きめのソファだ。
しかし、征士の前を通り過ぎようとした時に、そこに向かう当麻の手が彼によって引かれた。
自然、当麻はそのまま征士の膝の上に落ちる。
「他だと何だろうナァ……あぁ、何かどっかで見たカバンが可愛かったけど買いそびれたとか…」
当麻はそのまま何事もなかったように言葉を続けているが、秀にはただ驚くばかりの光景である。
柳生邸や外で会うとき、いつも当麻は征士にあまり触れさせようとしない。
2人がそういう関係だとは皆知っているが、人前でベタベタする事がなかったから案外アッサリしたものだとばかり思っていた。
それに当麻は昔からどこか人に触られるのが苦手な所があり、それも相まってそういった事に関して潔癖なのだとも、少なからず思っていた。
ところが目の前の2人はどうだろう。
征士は膝に乗せた当麻を後ろから抱きすくめているし、当麻は怒りもせずに彼の好きなようにさせている。
単に、外だから、というだけだったのかも知れない。
秀は認識を改めざるを得なかった。
「あ、でも前に二眼レフってちょっといいなって言ってた気もするし…」
征士が当麻の首筋に顔を埋めている。
当麻は気にも留めていない。
秀は………。
「お、おお!わかった!!んじゃ、そういう線で伸に言ってみるわ!」
もうこの場から逃げ出したくてたまらなかった。
時計はまだ9時にもなっていなかったが、もうこれ以上は駄目だ。心が持たない。
「…?もういいのか?て言うか相談、まだしてなくないか…?」
「いや、案を出してくれりゃー、後はホレ、伸とそん中で検討してみっからさ!もう大丈夫!
俺、店もあるしさ、もう、な、俺、帰るわ!な!」
「何だ、慌しいな。当麻もやっと起きてきたばかりなのだ。もう少しゆっくりしていってもいいではないか」
「いや、いい!!!!!」
脱兎の如く、である。
エレベーターを待つのももどかしく、外付けの階段を使って秀は一目散にその家から逃げた。
早く帰ろう。
早く帰って仕込みをしよう。
集中して仕込みをしよう。
そう秀は何度も心の中で叫びながら、駅まで走り続けた。
*****
それはアレだ、バカップルだったんだ、的な。
因みに当麻はまだ半覚醒状態。
完全に目が覚めたら状況を認識して、征士を怒鳴り散らします。照れ屋さん。