イン居酒屋



久し振りに5人揃っての飲み会は、征士と当麻の住むマンションの最寄り駅から電車で2駅ほど行った場所で、
酔いつぶれても彼らの家に泊まる予定だったために、本当に久し振りに5人とも酒を飲んだ。

アルコールにあまり慣れない遼はカクテルを数杯しか飲んでいないが既に出来上がって笑いっぱなしだ。
秀と当麻も既に出来上がっているが、お互いに贔屓にしている野球チームの事で言い争いをしている。
顔をつき合わせてあーこーだと言い合う二人は、その背を軽く押せば唇が触れ合いそうな距離で、
比較的酒に強い征士はそれを無表情で酒を呷って見やり、彼と同じく強い伸はその様を傍観者の立場を決め込んで見守っていた。


「だーかーら、横浜とか、眼中ねぇって!」

「ばっかお前、何言うんだよ!優勝してから言えってんだ!」

「それそっくりそのまま返したるわ」


さっきから秀と当麻はずっとこの調子である。
本格的な喧嘩にはなりそうにないので誰も止めないが、酔っ払っているため中々に声が大きい。
個室タイプの飲み屋だからいいようなものの、それでも声は外に筒抜けだろう。
特に当麻の声はよく通る。
さっきからチーム全体の平均打率がどうとか、外国人助っ人への期待だとか色々と語り合っているが、
野球に関心のない3人にはさっぱり解らない会話だ。

柳生邸で過ごしていた10代の頃、野球を好んで観ていたのは当麻だけだった。
阪神が勝つと両手に持ったメガホンを打ち鳴らして喜び、負けると(特に巨人に)本当に悔しそうにしていたのを見て、
他のメンバーは阪神ファンが”虎キチ”と言われるその所以を垣間見た気がしていた。
しかし秀は地元に野球チームがあるというのに、当麻ほど熱心ではなかったはずだ。
それがここ数年、すっかり横浜ファンとなり当麻と並ぶほどに野球の話をするようになってしまっていた。

別に会うたびに野球の話をする2人ではないが、先日、今季のペナントレースが始まったところだ。
お互い、贔屓のチームにかける期待があるのだろう。
会って飲んで暫くもすると出来上がり、ずっとこの調子である。


飲み会が始まったばかりの時は征士の隣に座っていたはずの当麻が、伸と秀の間に座り込んで早1時間。
円形のテーブルに座っているため、押し出される形で伸が征士の隣になる。
ちらりと隣を見れば、歳を重ねるごとに迫力を増すその美形の男は、ただ黙って杯を重ねていた。
最初こそ軽めのものを頼んでいたはずだが、今彼が飲んでいるのは確か中々にキツイ日本酒のはずだ。


「……征士、大丈夫?」

「問題ない」


返事が適切でない辺り、もしかしたら駄目かもしれないな…と伸はこっそり思ってしまった。
大体、恋人である当麻がアッサリと自分から離れ、他の男と顔を寄せ合って自分の知らない話題に興じているのを、
意外に狭量なこの男が許せるはずがないのだ。
それが今はただ、黙々と飲んでいる。
もしかしたら心の中はとんでもない嫉妬の渦かもしれない。
普段なら所詮他人事、それに本来仲の睦まじさを常に感じさせる2人だから、たまには面白いと放っておくのだが、
今日はそういうワケには行かない。
この後、全員で彼らの家に泊めてもらうのだ。
まだ伸はそういう現場やそういった雰囲気に遭遇した事はないが、嫉妬のあまり征士が当麻を半ば無理矢理ヤり始めたら堪ったものではない。
普段からたまにヤり兼ねない雰囲気を漂わせる征士だが、今日は本格的にヤバイ気がする。
それに酔っているせいで当麻も声に遠慮がないなんて事があったら、それこそ堪ったものではない。
その場合、秀は原因を作ったうちの1人だからそれで眠れなくなっても構わないが、
久々に日本に帰ってきてそれに遭遇する遼が不憫でならない。
……尤もその遼も、今は只管に2人の遣り取りに意味もなく笑い続ける程に酔っているけれど。


「…ホラ、2人ともいい加減にしな。幾ら個室だからって声が大きいと他のお客さんにも迷惑だろ?」


こういう時、酔えない自分は損だと伸は思ってしまう。
隣の美丈夫をまた盗み見るが、無言のままだ。


「ホラ、征士も何とか言ってやってよ」


だから無理矢理に会話に参加させる。
ここである程度発散させようと思ったのだ。


「……しかし私は野球にあまり興味がないからな…」


先程のズレた返事とは違い、言葉は案外しっかりしていた。
しかし注意しろという意味で言ったのに、何故か野球のほうに参加しようとするあたり、やはり酔っているのだろうか。
それとも、元々ズレ気味の性格だからコレで普通なのだろうか。
伸には判断がつかないし、この言葉にどう返してやるべきか見当も付かない。
すると。


「地元に野球チームあるくせにか」


秀が絡んだ。


「イーグルスに謝れ!ノムさんの功績に謝れ!」


当麻が続いた。


「テメー、パ・リーグだから興味がねぇってんなら失礼の極みだぜ!」

「パ・リーグだって盛り上がっていけよ!」


そう言って座卓越しに2人同時に身を乗り出すが、そもそも言われている征士にはセもパも区別がついていない。
だがニュースは観ているのである程度の知識ならある。
自分の地元に来たチームが比較的新しいチームである事と、どこがスポンサーかという事程度ではあるが。


「………私はあのオーナーがあまり気に入らんのだ」


それは本当だった。
リーグに所属するチームが減って同業者の何某が参戦するとなった時に、何やらニュースになっていた。
そのときのあの狡猾さと言うか、突然の沸き方があまり征士の目にはよく映らなかったらしい。
野球の事はよく知らないがそのオーナーの経営する会社はよく解っていたので、実はネットショッピングするにしても
そこでの買い物は出来る限り、密かに避けていた。


「まぁオーナーだけが気に入らんだけで、チームに非はないのは解ってはいるのだが…」


そう言う征士に野球狂の2人は一気に手を差し伸べ、さっきまで噛み付くように絡んでいた2人は今度は笑顔で
彼の左右の手を取りブンブンと強引に握手し始める。


「よく言った!征士!俺もアイツは好きじゃない!」

「そーだ、征士!それでこそ男だ!そういうヤツにこそ当麻を任せられる!」


完璧な酔っ払いである。
どこかまだ冷静さを残しているかと思ったが、この2人、今日は完璧に酔っ払いきっている。
一先ず野球トークはこれで終了したので伸もどこか安心した。
後は当麻を元通り征士の隣に座らせれば安泰である。




あれから随分と時間も経過した。
遼は相変わらず笑いっぱなしだし、秀は身体を不安定に揺らして完全に眠りに入りそうだ。
当麻も眠そうだがまだ胃に食べ物を入れたいらしく、隣の征士に肩を借りながらその口に食べ物を運んでもらっていた。


「そろそろ、お開きにする?」


伸としては一応、全員に向けて言ったつもりだったが返事をしたのは征士だけだった。
遼は何故か笑い声で返してきたので、これは返事に入れなかった。


「おい、当麻。そろそろ帰るぞ」

「あー…もお?」

「そうだ。そろそろ帰らんと終電に間に合わん」

「うーん………わかった」

「歩けるか?」

「歩ける……から、帰りにアイス買って」


いつもより甘えた様子ではあるが、これが酔っ払っているせいなのか、それとも2人きりだといつもこうなのかは誰も知らない。
取敢えずは歩けるようなので伸は秀を揺さぶった。


「秀、もう店出るよ」

「はいよー」


返事だけはいい。


「遼も、いつまで笑ってるの。…ていうかキミ、意識ある?」

「あるある!アハハハハハ!」


意識はあるが明日になって尋ねればきっと記憶はないだろう、と溜息が漏れた。
酔えない体質は征士と同じなのに、何故自分はこうも損をしている気になるのだろうか。


さあ帰ろうか、という空気になった時、当麻がさっきまでと違ってハッキリとした口調でイキナリ、


「今日帰ったら、秀は征士とベッドで寝ろな」


と言い出した。
全員、思わず真顔になってそちらを見る。
当麻の顔には別に悪戯をするような顔はなく、こちらも至って普通の顔だ。


「何故」


聞いたのは征士だ。
当然といえば当然かも知れない。


「だってさ、来客用の布団、あるけど2つしかないし、そうなるとそこに3人寝る事になるだろう?
だったら身体の大きいヤツじゃない方が狭くなくていいだろ」


つまり、筋肉質の征士と、少し丸い身体の秀はそこに寝てはいけない、という。
となると。


「アレ?じゃあその布団で寝るのって、俺と伸と当麻?」

「そうなる」

「では何か。私に秀と寝ろというのか」


明らかに不服そうに征士が続けた。


「別に帰って寝るだけなんだしいいだろ。秀、お前、寝相悪い?」

「いや、そんな面白いほど悪くねぇと思う。あと鼾もかかねぇって言われてるし」

「だってさ。じゃあ征士、大丈夫だろ。俺らのベッド、デカイし2人でなら充分寝れるだろ」


そこで、俺らのベッド、という単語が出るのが怖いと思ったのは素面の伸だけだったようだ。
彼らの家に行った事はあっても寝室を覗いたことのない伸は、彼らの寝室にベッドが2つあるのか、それとも1つなのかは
今まで知らなかったが、今此処で知ってしまった。
どうやらセミダブル以上のベッドに一緒に寝ているらしい。
こういう所でも伸は酔えない自分を呪った。

当麻の提案は尤もであるとして、遼も秀も何の不服も見せない。
伸も確かに同じ3人で寝るなら狭くない方がいいので別に構わない。
しかし征士は違ったようだ。


「それは何か、当麻。私に浮気をしろといっているのか」


論点が思いっきりズレている。
これには当麻の眉が顰められた。


「はぁ?俺がいつ、そんな事言ったよ」

「今言ったではないか。秀と寝ろと」


そういう意味での”寝ろ”じゃないだろう。
伸は声にならない声で突っ込みを入れる。


「ただ寝るだけなのに何言ってるんだお前」

「何故私の隣で眠るのがお前ではないのだ」

「しょーがないだろ、さっきも説明したけど皆平等に快適に眠るにはこうするのが一番なんだって」

「私は快眠できない」

「お前結構寝付きいいくせに」

「大体当麻、お前は身体の肉が薄すぎてベッドくらいの厚みがないと、翌朝身体が痛いと言っていたではないか」

「一晩くらい平気だって」

「私が平気ではない」

「何でそうなるんだよ」

「私に秀を抱けというのか」


とんでもない発言である。
ソレを聞いた秀の顔が流石に青ざめる。


「え、オレ、そんな…!ちょ、イヤだって!」


本気の拒絶。
そりゃそうだ。


「そんな事一言もいってないだろ!?何でそうなるんだよ!…じゃあ何か、お前本当はそういう気持ちあったのか」

「お前がそうけしかけておいて何を言うか」

「何勝手に勘違いして拗ねてんだよ」

「拗ねている?私がか?拗ねているのはお前のほうだろう」

「俺は拗ねてなんかないね。お前、頭おかしーんじゃねーの?」


征士につられて当麻の機嫌も下降する。
それも、どうやら雲行きの怪しい方向に。


「ちょちょ、ちょっと待て2人とも!俺ぁ冗談じゃねーぞ!おい、お前らも見てねーで助けろ!」


巻き込まれた秀はさっきまでの心地よい酔いが醒めてしまったらしい。
未だ座ったままの遼と伸を見るが、だが遼は笑いっぱなし、伸はこれまでの損した気分を取り戻すべく傍観を決め込んだようで、
誰も秀を助けようとしない。


「ちょ、征士、落ち着け、俺は嫌だぞ」

「安心しろ、私は上手い」

「安心できねーよ!寧ろ超不安なったわ!!!当麻、お前も止めろって!」

「秀、慣れると案外平気なもんだから」


聞きたくねーよ!!!という秀の叫びが響く。
どうやらあまり酔ってないように見えて、実は征士も相当に酔っ払っているらしい。
このままでは自分の貞操の危機を迎える破目になる秀は、必死の説得を試みる。


「当麻、俺、平気だし3人で布団で寝るから!それか俺、ソファでいいから!ホラ、リビングにあるアレ!アレでいいから!!」

「ソファなんかで寝たら寝た気しないだろ」

「征士と寝る方が俺、寝た気しねーよ!!」

「何を言うか失礼な。私は上手いと言っているだろう。なぁ、当麻。上手いだろう?」

「んな事今ここで聞くなー!!!」

「うん、上手いと思うよ」

「そして答えるなー!!!!」

「ていうか俺、征士以外知らないし知る気もないから比較できねーけど」

「更にサラっとノロけるなー!!!!!」

「私もお前以外は知らんし、今後も知る気はない」

「…アホ」

「アホでも何でもいい」

「そんで2人の世界に入るなー!!!!!!」


コレはこういう芸だろうか。
若手のお笑い芸人辺りがコントとしてやりそうだな、なんて思いながら伸は残っていた酒をこっそり呷った。


「安心しろ、秀。私は当麻以外で勃たん」

「安心できるけどそんな情報要らねーえんだよ!!!!!!!」


真顔で告げる美丈夫に秀の顔は酔いではない意味で真っ赤だ。
言っておくが照れでもない。
ハッキリとした、怒り、である。

中々に面白い見世物ではあるが、ここは個室とは言え店内であり、他にまだ客も数名残っている。
このまま会話を続けられたのでは帰る時に視線を浴びる事になり兼ねないので、そうなる前にそろそろ止めねばならない。

取敢えず寝床に関しては、場所をマンションに移して話し合う方がいいだろう。
勿論、伸は自分の安眠のためにも征士と当麻を離して寝させる方で落ち着けたい。
後はどうやってこのトンデモナイ発言をしている美丈夫を丸め込むかだな…と上着を羽織ながら伸は算段をし始めた。




*****
以前に言っていた「当麻以外で勃たない」発言のリサイクル。
秀は被害者になる率が高い気がしてならんのです。