選択肢



征士は久々に当麻と喧嘩をした。
実際は当麻が腹を立てているばかりで喧嘩というにはあまりにも一方的だったが、それでも当麻の言い分に対して征士の反論があるのだから、
これは喧嘩だと征士の中では思っている。


自分の席で決裁を出さねばならない書類を確認しながらも、征士は今朝の”喧嘩”を冷静に公平に考え直していた。

原因は、可愛い、という言葉だ。
それも状況が悪すぎた。


事の発端は、朝。
昨夜久々にじっくりと愛し合ったあと、ぐっすりと眠った征士は幸せな気持ちのまま目が覚めた。
いつもなら当麻を起こさないように気を付けながらベッドを抜け、毎朝の日課となっている素振りを始めるのだが、如何せん昨夜は久々だった。
若い頃なら1週間連続でベッドで仲良くする事もあったが、年齢を重ねるにつれ、回数はそれとなく減った。
それでも同年代に比べれば随分多いほうだと秀に指摘されはするが、兎に角減ったのだ。
(その分、1回の密度が濃くなったと当麻は俯きながら訴えたが、ノロケだとして誰も取り合わなかった)

久々の、睦み合い。
昨夜の恋人との濃密な時間を思い出した征士は幸せを噛み締め、昨夜の余韻に浸った。

他人の気配に敏感な当麻が、無防備なまま隣で眠っている。
それも生まれたままの姿で。
お前が横に居ないと何か眠りが浅いんだよなぁ、といつだったか小さな声で本音を聞かせてくれたことを思い出した征士は更に嬉しくなり、
当麻の腰を抱く腕に力を込めた。
そしてさり気なく彼の股間に手を伸ばし、今は既に柔らかな弾力を返すに留まっている雄を撫でる。
当麻の肌は触り心地がとてもいい。
すべすべとした感触と、昨夜の幸せな時間を思い出し、征士の口から自然と言葉が零れた。

可愛いなぁ、と。

すると途端に眠っていた筈の当麻が目を覚まし、勢いよく振り返った。
股間にあった征士の手は掴まれ、まるで痴漢逮捕の瞬間のようだ。


「……起きてい」

「お前、今、何つった」


こんな時間に起きているなんて珍しい事に驚いて尋ねた言葉は、途中で不機嫌な声に遮られた。
征士は横になったまま首を傾げるような仕草を見せて、もう一度「可愛い」と言った。ら、当麻の表情が更に険しくなった。


「当麻、どうした?」

「可愛いって何だ、可愛いって」

「何だと言われても……」


何だと言われても征士としては困る。
正直に思った事を口にしたまでだ。
だが今、当麻は非常に険しい表情を浮かべていて、それが寝起きだからという事が理由でないのも解る。
解るには解るが、征士としてもどう答えて良いのかわからない。

征士は当麻に掴まれたままの手を取敢えずそっと引き抜いてベッドに座る体勢になった。
当麻は相変わらず横になったまま睨みつけてくる。


「お前、俺を何だと思ってるんだ」


そう言った当麻は、そりゃお前のに比べりゃ俺のは”可愛い”サイズだろうよ、と不貞腐れるように続けた。

アレ。
サイズ。
男の沽券に関わる、股間の話だというのは征士にもすぐ解った。

征士の”アレ”は確かに大きい。これは昔からよく言われることだ。
しかもその大きさは通常時のサイズだけではなく、”いざという時”にも更に立派な膨張率を誇ってくれる。
銭湯や温泉など大勢の前で裸になる状況になると、征士はよく人から見られ、その度に嫌な思いをする。
先ず顔を見られる。そして股間を見られる。何と失礼なことだろうか、といつも思う。

だから大きいことは征士も自身の事ながら認める。しかしお陰で当麻を悦ばせる事が出来るのだから、結果としてそれは幸せなことだとも思う。

しかし征士にだってソコに関して思う事はある。
自分に比べれば当麻の”アレ”は確かに小さいかもしれない。
だが当麻の方は当麻の方で、とても形が綺麗だ。不躾な他人のように他人のモノに興味があるわけではないのでジロジロと見たりはしないが、
それでも当麻のはとても綺麗な形をしている。
色もそうだ。と思う。こちらも比較するほど他人のモノを見てはいないので正確には何とも言えないが、それでも征士としては
どれほど見ても飽きないほどに綺麗だと思っている。
それはどうやら他人も同じように思うらしく、征士の事を不躾に見た他の入浴者たちは次に当麻を見てまずその珍しい髪の色に驚き、
そして今度は股間に目をやり、そこから暫く視線が動いていない。
当麻に言わせると「そりゃお前、こんな色の毛してたら誰だって見るだろ」と取り合ってくれないが、それは当麻の”アレ”が綺麗で、
しかも色気があるからだと征士は心底そう信じて疑わない。

喩えそれが単なる嫉妬だと言われても、気に食わないではないか。
自分の恋人の裸を見るだけでなく、性器までガッツリ見られるだなんて。


話は逸れたが、兎に角征士の「可愛い」という発言は当麻の性器に対しての言葉ではない。
なので征士は朝からベッドに正座してそこを懇々と説いた。
お前のサイズが可愛いのではない。お前のは寧ろ綺麗で頬擦りしたくなる。と。

だが当麻はそれでも表情を和らげてくれない。

じゃあ何だ可愛いって、と。
お前、俺が今年で幾つか解ってんのか、と。
そもそもお前、「可愛い」って言葉の語源は「可哀想」から来てるんだぞ、ソレを同情する気持ちから生まれた言葉が「可愛い」だぞ、
つまりお前は俺に同情してんのか、と。

最早言いがかりのような、屁理屈のような、何故だか知らないが機嫌の悪さを八つ当たりされているような内容にまでなってきていたが、
当麻はそう言い放って征士を睨み続けた。

因みに当麻の言葉に征士は大真面目にその場で返事をしていった。
だって可愛いものは可愛いのだから仕方ないだろう、と。
今年で39歳だ私と一緒じゃないか、と。
同情なんてしていない、あるとすれば恋情だ愛情だ、と。

征士は最後の言葉に、あと欲情もする、と言おうかと思ったが今の流れで言ってしまうと余計に怒らせる事にしかならないと判断したためその言葉だけは飲んだ。



そもそも何故、当麻があんなに過敏に反応して怒ったのかは征士にも良く解らない。
可愛いという言葉は日頃からつい口にしてしまう事はあるが、あんなにも怒られたのは初めてだ。
行為の最中にも可愛いと言うし、ソファで仲良く座っている時にも言うし、何かに夢中になっている姿にも独り言のように言う事だってある。
成人男性(それももう中年だ)に言うには確かに失礼だったかも知れない。
だが当麻に対して言いようのない感情は沸きあがるし、それを表現するのに一番近い言葉が「可愛い」というものなのだから、
征士としてはどうしようもない。

当麻に出会って、長く生活を共にする事になるとは思わなかったときなら、確かに征士だって男相手に可愛いはないだろうという思いでいた。
テレビを観て男性アイドルに可愛いという妹を窘めたこともあった。
だが今なら、否、当麻と付き合うようになってからは解るのだ。
可愛いものは可愛い。
言おうと思って言うのではなく、心の底から素直に出た感情がその言葉になる。
だから、仕方がないじゃないか。

というのが征士の意見だった。

しかし当麻はそれを良しと出来ない心境のようだ。
それが今日限定なのか、それとも以前から常々思っていたことの蓄積が今日爆発したのかは判らないが、何にしたって嫌だとハッキリと言っている。
このままお互いの意見を押し合っていては話は平行線のままで、最悪、2人の関係に亀裂が入ってしまう。
深く愛し合っている2人なのに、言葉1つで道を別つなどと何と下らない事か!

自分だけが折れて解決とするつもりはないが、当麻はもう40歳近い年齢だ。
恋人だという事を抜きにして考えてみるとその歳の男性に対して「可愛い」という評価は確かに失礼だ。
同系列の褒め言葉として「かっこいい」や「渋い」という言葉だって世の中にはあるのだ。
それに置き換える事は出来ないのだろうか、と征士は自分の中にある感情に問い掛けてみる。

しかし答えは、ノーだ。
どうもしっくり来ない。
軍師としての当麻を思い出すと、確かに頼りになったしカッコイイとは思う。
だが今の感情を混ぜて考慮すると、そのカッコ良さは色気が混じっているように感じる。
そうなってくると素直に「かっこいい」という言葉を持ち出せなくなってしまうのだ。

伸あたりが聞けば、「っしょーもない!」と一笑にさえ付してもらえないような事を征士は大真面目に悩んだ。
だって彼、大真面目に生きているのだから。



「伊達さんあての郵便物です」


難しい顔をしていると、大学を出たばかりの女子社員が封書を届けてくれた。
宛名に伊達と書かれているものは未開封のままだが、社名のみになっているものは然るべき部署、人にと内容を改めるために既に開封されている。
色も形も様々な封筒を受け取った征士は短く礼の言葉を述べた後、ふと思い立って席から離れようとする彼女に声をかけた。


「………はい?」


社内どころか人生でも初というほどの美形に声を掛けられ、彼女は頬を染めて振り返った。
征士は彼女の緊張を全く気にも留めず、何かないかと瞬間で考えて、咄嗟に自分の携帯電話を手に取る。
そして画像を漁り、適当なものを見つけるとそれを彼女に向けた。


「これを、キミならどう思う?」

「……………………………………。…………え、コレ……ですか?」


画面が見えるようにと近付くだけでも緊張していた彼女は、画面を見た途端に表情を曇らせ、思わず眉間に皺を刻みながら
美丈夫に尋ね返した。


「ああ。率直な意見が聞きたい」

「………意見と言われても……………」


一度彼女の視線は征士に向かい、そして紫の目を見たがそれが真剣そのものだったので一旦何もかもを諦めて、そして素直に答えた。


「可愛いと思いますよ」

「可愛いか?」

「はい。…あの、ホラ、だってグッズだって沢山売っていますし、売れていますし…」

「可愛いんだな?」


世間一般の意見も含めてそう答えると、征士は更に彼女に食いついた。
彼女はその様に少し後ずさりをして頷く。


「え、…ええ、…はい」

「他には?」

「えっ」

「他にはどう思う?」


いや、どう思うって……言われても。
と、あまりの迫力に彼女は心で泣きそうになった。

そもそも女子児童をメインターゲットとしたキャラクターを打ち出しているブランドの、双子の星の子供の、それも青い髪の男の子の方の画像をいきなり見せられて、
どう思う、と言われてどうしろと言うのか。
それも相手は雲の上の存在のような人物だ。
目的も、理由も、行動の意味も解らないし、そもそも何故彼がこの画像を自分の携帯に保存しているのかと言うことも怖くて考えられない。
彼には姉妹が居ると聞いた事があるから、好意的に考えれば彼女達、或いは彼女達の子供へのプレゼントか何かにするつもりだとか考えられるが、
それにしたって兎に角この男が今、なにやら必死なので怖い。
美しい人間というのはそこに迫力が加わると常人などでは足元にも及ばないほどに怖くなるものだ。

少し前まで学生だった彼女は逃げることも助けを求めることも出来ず、ただただこの場をどうにかしたい一心で必死に智恵を捻り出し、
そして半ば叫ぶように言った。


「あ、愛らしいと思います……!!!」




征士は足取り軽く自宅へと続く廊下を歩く。
手には恋人の最近のお気に入りである、コンビニの限定プリンを持って。

若い女性に聞いて得た答えは、征士になるほど、と思わせた。
愛らしい。その言葉は可愛いに匹敵する上に、可愛いという言葉よりももう少し大人びている。ように征士には思えた。
しかしそのままの言葉を使ったのでは、ただ単に当麻の気を宥めるためだけのその場凌ぎの様になる。
だから征士は彼女から得た答えを頼りに、自分の感情を考え直した。


チャイムを鳴らしてから玄関を開ける。
良い匂いがした。
どうやら当麻の機嫌も直っているようで、晩ご飯の準備をしてくれたようだ。

征士は湧き上がってくる感情を胸に秘め、喜びに頬を緩めながら玄関を抜けてリビングを目指す。


「あ、征士おかえり」


迎えてくれた当麻ははにかんだような笑顔だ。
今朝の事は彼なりに思う事があったらしく、この表情からすると自分も悪かったと思っているらしい。
一方的に非を求めるのではない彼の性格が、征士には心地良い。
潔癖すぎる自分に、当麻は程よくルーズさと居心地のよさを与えてくれる。

やはり、当麻とでなければこんな幸せはないのだ。

改めてそう確信した征士に、当麻は小さく頭を下げた。


「その、……朝は悪かった。……その、さ。…おふくろ、来てただろ、一昨日」


突然ながらぽつりぽつりと漏らす言葉は、どうやら理由を話してくれるつもりらしく、征士はその言葉を聞く事にした。


「それでさ、ほら、……ホテルでランチしたいって言うから俺、行ったじゃん」

「ああ、そういえばそうだったな」

「それで……………」


一旦当麻はここで溜息を吐いた。
征士に言い辛い事を言うために、というのではなく、どうやら思い出すのも辛い事を話そうとしているらしい。
そんな当麻を征士は急かすでもなく、視線だけで続きを促した。


「……うん、それでさ……………その、お袋が言うんだよ。……俺が可愛いって。それも何回も」

「……………………そうだったのか」


母親から見れば幾つになっても息子は可愛いと聞く。
それが喩え40歳に手が届く年齢にあっていようとも。
当麻の母は年齢を重ねても老いる事はなく元気そのもので、そして声も大きい。
その上、思ったことは素直に、率直に、直ちに口にするものだから、きっと当麻は衆人環視の中、大きな声で「当麻君ったらかーわいいー!」と
言われたのだろう。
それもランチの間中、ずっと。


「確かに、それでは辛かっただろうな」


見てもない光景が容易に描けて、征士は同情を込めて心の底から労った。
当麻も照れたように困ったように笑いながら、「それでもお前に当たったのは本当、悪かった」と謝ってくれる。

素直に話す。話し合う。そして2人でちゃんと解決する。
こうして少しずつ毎日を重ねてきて、今に繋がっている。
それを確信した征士は、その事について自分なりに見つけてきた解決策を当麻に話すべきだと思い、口を開いた。


「私としても、お前を心苦しくはしたくない」

「そりゃ、どうも」

「ああ。だからな、当麻。私は今後、お前に対して”可愛い”と言いたくなったときは、いとおしい、と言おうと思うんだ」


どうだ?と誇らしげに聞き返す征士が見たのは、頬を染めて嬉しそうに頷く当麻。



ではなくて、呆気に取られ、「は?」というのが精一杯の当麻だった。




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改まった表現の方が性質が悪いこともあるわけで。